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こうして二人はようやく結ばれました。
「まさか君からお誘いが来るなんてな」
「意外だったかい?」
「ああ、意外だった」
リンボ・シティ14番街区にある高級レストランでヴァネッサとニコライはグラスを交わす。
「たまには私も気になる男と食事がしたい時もあるのさ」
「君にそう言って貰える日が来るとはね、今日は本当に素敵な日だ」
「相変わらず、嬉しい時は可愛らしい顔になるんだねぇ。そこだけは昔と全然変わってないよ」
「そうなのか? 自分では気付かなかったよ」
まるで少年のような笑みを浮かべるニコライをヴァネッサは頬杖をついて見つめる。
「最初に二人でこの店に来たのは何年前だったかねぇ?」
「もう10年も前だな。あの頃は私も若造だったよ」
「もう10年も経つのかい、早いもんだよ」
「君は10年前から何も変わってないな」
「そうかい?」
「ああ」
ニコライはヴァネッサの手にそっと触れ、彼女の深い藍色の瞳をジッと見つめる。
「初めて見た時と変わらない。ずっと綺麗なままだ」
「そういうアンタは大分変わったよ。随分とらしい顔になってきたじゃないか」
彼の手をそっと払い、マティーニの入ったグラスを傾けてヴァネッサは言う。
「変わるさ。歳を取るに連れて変わっていくのが人間だからな」
「ははっ、それじゃあ私は人間じゃないと言いたいのかい?」
「……そうだな」
「こら、ハッキリ言うんじゃないよ。傷つくじゃないか」
「私にとって君は、女神様だからな」
ニコライもそう言ってシャンパンの入ったグラスに軽く一口つけた。
「ふふふ、本気で言ってるのかい?」
「本気さ。私は君の前ではいつも本気だとも」
「それじゃあ、10年前にこの店で私に言った事も本気だったのかい?」
ヴァネッサがニコライに問う。
「ああ、本気だよ。一目見た時から、俺は君が好きだった」
彼女の言葉にニコライは笑顔で返した。
「10年もまぁ……よくこんな私を一途に想い続けたもんだ。私は冗談だと思って軽くあしらってたのにねぇ」
「10年も冗談を言えるものか。俺は最初から本気だったよ」
「ふふふ、そうかい……」
ニコライの返答にヴァネッサは何とも言えない表情になる。
「あれだけの誠意を見せられたら、私も本気で答えてあげないとね」
ヴァネッサはそう言って席を立つ。
「マダム・ヴァネッサ?」
「この店の上がホテルになってるのは知ってるよね? 会員様限定だけどさ」
「……」
「そこで二人っきりで話をしようじゃないか」
ニコライの肩を擦り、誘っているかのような蠱惑的な瞳で彼女は囁く。
「代金は必要かな?」
「要らないよ、もうとっくに貰ってるからね」
「そうか……」
ニコライも席を立って彼女の手を取る。
「おうちに帰るなら今だよ?」
「帰る理由が無いさ。君のお誘いだからね」
「ふふふ……」
ヴァネッサはニコライを連れ、レストランと直結している特別会員制ホテル【フォールン・エンジェル】の403号室のドアを開ける。
「このホテルを使うのは初めてだけどね」
「そうなのか。俺は何度か泊まったが」
「ベッドの寝心地はどうだい?」
「保証するよ」
ニコライはドアの鍵を締め、ヴァネッサを後ろから抱き締める。
「ふふ、気が早いよ。ミスター・ニコライ」
「いいや、我慢した方さ。ずっとな」
ヴァネッサの豊満な胸に触れ、彼女の身体に指をするすると滑らせていく。
ニコライの指が臍下に届いた所で彼女は小さく笑ってその手を掴んだ。
「もう少し待ちな、坊や。その前に確かめておきたい事があるんだ」
彼の手を退けてヴァネッサは部屋の奥に進む。
ニコライは高鳴る胸の鼓動と情欲を抑えながら彼女の背中を追いかける。
「……さて、ここなら邪魔は入らないね」
「俺達を邪魔する奴なんて最初からいないさ、マダム・ヴァネッサ」
「ふふふ……もし居たとしても、アンタが消しちまうからね」
髪留めを解き、ヴァネッサは艶やかな黒い長髪をサラリと踊らせる。
ハラリと額に落ちる髪を手でかきあげ、挑発的な表情でニコライに言った。
「教えておくれ、ニコライ。10年かけてその地位と力を手に入れてまで……アンタは何が得たかったんだい?」
「決まっているさ」
「本当にそれは、アンタが全てを捧げるに値する代物なのかい?」
「ああ、そうだとも」
ヴァネッサの言葉にニコライは真剣な表情で答える。
「それを手に入れる為なら何だってするさ。これまでも、そしてこれからも……」
ニコライの答えにヴァネッサは微笑んだ。
「……ふふふ」
そして、彼女は彼の想いを受け入れ……
「もっと早く聞いておけばよかったよ、ニコライ」
「聞かなくても、わかっていたんじゃないのか?」
「ははは……その通りさ。私にはわかってたよ、わかっていたとも……」
「若造だからと気を使う必要はないんだ。今だけは……正直になってくれていい」
「……そうだね、私もアンタが……アンタが好きだったよ」
涙が溢れる程、心の底から後悔した。
◇◇◇◇
『おはようございます。ニュースデイ・リンボのお時間です!』
「ほぁぁ……」
「あー、おはよー。今朝は早起きね、レン」
「何言ってるの、あたしはこれから寝んのよ……」
「あー……ねむーい」
翌朝8時、ヴァネッサのお遊び部屋にある休憩部屋で寝ぼけ眼のホステス達がニュースを見ていた。
「あ、お姉ちゃん! おはよう!!」
「おはよー、メイ。でもあたしはこれから寝るわよー」
「ええっ、寝ちゃうの!?」
「昨日はちょっと寝付けなくてさー……」
「そんなーっ!」
「あ、レンおはよー。酷い顔してるわねー」
「寝なくても大丈夫なアンタ達が羨ましいわよ……」
「アタシは寝れるアンタが羨ましいわよ! アタシとメイはどうあがいても寝れないからね!!」
ランカが目をくわっと見開きながら発した言葉にレン達は物凄く複雑な気分にさせられた。
「……やめてよ、朝から重いよ」
「ねー、お姉ちゃん。わたしも一緒に寝ていい? 寝れないけど、一緒にいたいから」
「もー……仕方ないわねー」
「おやぁ、朝から憂鬱な顔してるねぇ。お客さんにはとても見せられないよ」
「あっ、ママ! おかえりー!!」
そこにヴァネッサが現れる。
ニコライと夜を共にした彼女は実に晴れやかな表情になっており、まるで長年の重荷から開放されたかのようだった。
「で、誰と遊んできたのー?」
「まだアンタ達には教えられないね」
「ええーっ、何でよー!?」
「ママが店を空けてまで会いに行ったお相手でしょ!? 確実にパパ候補じゃない!」
「はっはっ、そうだねぇ。いい線行ってたと思うよ……一年前までは」
「お、教えてよ! わたし気になるよ!!」
目を輝かせながらメイは言う。
ヴァネッサは少しだけ目を曇らせた後、メイの頭を優しく撫でる。
「ふふふ、もしかしたらアンタには……わかっちゃうかもねぇ」
「えっ!?」
「知ってるの、メイ!?」
「わ、わかんない! わたしが知ってる人……!?」
「ちょっと詳しく聞かせて貰おうかしら、メイちゃん!」
メイに群がる娘達を暫く眺めていたが、ふとヴァネッサの注意はテレビに向く。
『……ホテル【フォールン・エンジェル】で発見された遺体は、昨夜から行方不明になっている大型風俗店のオーナーでは無いかという情報が』
巨漢のニュースキャスターが14番街区のホテルで起こった殺人事件について報じていた。
「……悪いね、坊や」
ヴァネッサは左手の薬指に嵌めた指輪を撫でてテレビに向かって呟く。
「でも、良かったじゃないか。一晩だけだったけど、私と一緒になれたんだからさ」
そう呟く彼女の表情は悲しげだったが、何処か幸せそうでもあった。
chapter.6 「独りぼっちが、一番だよな?」end....
このラストも最初から決まっていました。やったね、坊や。想いは通じたよ。