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「さて、スコット君も目を覚ました事ですし……そろそろ帰りの支度をしましょうか」
マリアはニコリと笑ってスコットから顔を遠ざける。
「え、いや……まだ怪我が」
「うふふ、ご安心を。その怪我は奥様がちゃんと癒してくれますから」
「そ、それに……あの、レンさん達は」
「ああ、あの子達の事はもう心配いりませんわ」
スコットは彼女の意味深な笑みがひたすら不気味で仕方なかった。
「レンさんはランカさんが襲われてからの出来事は悪い夢だと思っています」
「……!」
「本人が気にしていないのだから、深く問い詰めるような野暮な事はやめましょう」
「き、気にしてないって……!」
「夢で終わったのなら、それでいいじゃありませんか。彼女にとってアレはただの悪い夢なのです」
「……」
「それにランカさんも死人とは言え復活しましたし、めでたしめでたし。初仕事としては上々な結果ですわ」
マリアはパチパチと拍手しながらスコットの健闘をたたえる。
「素直に喜べませんね」
「ふふふ、女の褒め言葉は素直に受け取るべきですわよ?」
「……そうです、ね」
スコットはギュッと右手を握り締める。
まだ微かに残るメイの首を折る感触を振り払うようにベッドから起き上がった。
「貴方のお着替えは近くのハンガーに掛けていますわ」
「……どうも」
「手伝ってあげようかしら?」
「遠慮します」
「恥ずかしがらなくてもいいのよ? 怪我をしている時くらいは私を頼ってくれても」
「いえ、大丈夫ですから! 外で待っていてください!!」
「うふふふ、遠慮なさらず」
マリアはうふふと挑発的に笑いながらスコットにずいずいと迫る。
「ちょっ、マリアさん……!?」
「その身体で一人で着替えるのは厳しいでしょう? ご安心ください、少しお手伝いするだけですから」
「え、ええと……いでっ! いででで……」
「ふふふ、無理はいけませんわよ?」
「……」
スコットは彼女の笑みに強い抵抗を感じながらも、左手や肩を負傷して満足に動かせない今は観念して彼女に手伝ってもらうことにした。
「それじゃあ……お願いします」
「ふふ、お任せあれ」
ズズズ……
マリアの足元の影から無数の黒い腕が生える。
「な、何ですか! それは!?」
「ふふふ、ただの手品ですわ」
「て、手品って! ちょっ、待っ……!!」
「さぁ、身体の力を抜いて。リラックスしなさい?」
スコットはマリアの影から現れた無数の腕に拘束され、声にならない悲鳴を上げた……
「うっ、うう……っ!」
「あらあら、そんなに怖かったの?」
またしても忘れられぬトラウマをマリアに植え付けられたスコットは床に蹲りながら啜り泣いていた。
「何なんですか、アンタ……本当に何なんですか!?」
「何なのと言われても、私はマリアですわ。ドロシーお嬢様に仕える唯のメイドです」
「何処が唯のメイドなの!? こんなおっかない能力持った人が唯のメイドな訳ないだろ! 全世界の真っ当なメイドさんに謝れ!!」
恐怖のあまり鼻水垂らしながら情けない顔でツッコミを入れる彼をマリアは愉悦げに眺め……
「うふふ、スコット君。此処はリンボ・シティよ?」
あまりにも説得力があり過ぎる一言で彼を黙らせた。
「私のような女でも普通の人として暮らせるのがこの街なのよ」
「……」
「ふふふ、それに貴方も人の事を悪く言えないわよ? 悪魔さん」
スコットは何も言い返せないまま微妙な表情で立ち上がる。
「でも、あの腕はやめてください。夢に出ます」
「うふふ、ああ見えていい子たちなのよ? ちゃんと貴方の服を優しく着せ替えてくれたじゃない」
「マジでやめてください……」
「ふふふふっ」
マリアは笑いながらドアノブに手をかけるが、ドアを少し開けたところで態とらしく『ああ、そうそう』と手を止める。
「まだ貴方には話してませんでしたわね」
「? 何なんですか?」
「ランカさんが私の家族になったのはもうご存知かと思いますが……」
「ええ、まぁ……はい」
「実はもう一人増えたのよ。可愛らしい娘がね」
そう言ってマリアはドアを開ける。ドアの前では先程会いに来てくれたランカと……
「あっ! 目が覚めたんだね、お兄ちゃん!!」
スコットに殺された筈のメイが立っていた。
「……!!?」
「あははー、驚いた? 実はこの子ね、アタシと別れた後に襲われちゃったみたいなのよ……アタシを襲った奴とは別の怖ーい化け物にね」
「うん……わたしもよく覚えていないんだけど……気がついたら殺されちゃってたみたい」
メイは自分の首にそっと触れて言う。
その表情からは白々しさは感じられず、本当に自分が誰に殺されたのかがわからないといった様子であった。
「でもね、その人が助けてくれたの。その人のお陰でわたし……」
ランカに優しく背中を押されてメイはスコットの近くに寄る。
困惑するスコットのシャツをギュッと握り、甘えたそうに彼を見上げて呟く。
「こうしてまたお兄ちゃん達に会えたの。それが、凄く嬉しいの!」
スコットは三度、戦慄した。
強烈な吐き気と目眩が襲ってくる。右手の震えは止まらず、背筋は汗でびっしょりと濡れる。
メイにかける言葉が見つからないまま視線をマリアに向けた。
「うふふふっ」
マリアは愉しそうに笑っていた。
(あの女……!!)
スコットはマリアに殺意にも似た強烈な嫌悪を抱いた。
前々から彼女に苦手意識こそ抱いていたが、今回のこれはやり過ぎだ。
常軌を逸しているとしか言い様がない。
どうすればここまで人の神経を逆撫でする行動が取れるのか。
「ちょっと、スコットー? メイが助かって嬉しいのはわかるけど、ちょっと笑顔が迫真すぎよ?」
「えっ……」
「ふふっ、そこまで喜んでくれるなんて……わたしまで嬉しくなっちゃう!」
「……笑ってる?」
スコットは全く気付けなかった。
彼は隠しきれぬ嫌悪を剥き出しにした表情でマリアを睨んでいるつもりだった。
「うふふふ、私も嬉しいわぁ。体を張った甲斐がありましたわね」
だが、マリア達から見たスコットは、怖いくらいに満面の笑みだった。
……まるでメイを本気で殺すと決めた時のように。
これで本当に二人は姉妹になりました。やったね、願いが叶ったよ。