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「……」
ヴァネッサは地下室に続く階段でマリアを待っていた。
「あら、お部屋で待っていてくださっても良かったのに」
「ああ、ちょっと心配でね」
「うふふ、ありがとうございます」
「アンタを心配してたんじゃないよ」
地下室の扉を開けてマリアが現れる。
妙にご機嫌でハキハキと喋る彼女にヴァネッサは何かを察した。
「……で、あの子から何か聞き出せたかい?」
「ええ、ありのまま全部。本当に素直で良い子ですわねぇ」
「はっ、そうだろうよ。あの子は本当に良い子さ……」
ヴァネッサは壁に背をつけて軽く目を押さえる。
「……良い子だから、ああなっちまったんだ」
「でしょうねぇ」
「……もっと早く気付いてたらね」
「うふふ、少しでも嘘を付くような悪い子なら貴女はすぐに気付けたのでしょうけど。嘘も付けない子でしたからね」
「……」
「あの子は本当に貴女達が好きだったのよ」
マリアはヴァネッサの肩にそっと触れて優しい言葉をかける。
「彼女の記憶には強い暗示と封印がかけられていました。彼からの命令が来るまで人の殺し方や彼の顔も覚えていなかったでしょうね」
「……そうかい」
「記憶を消し、ただの身寄りのない可哀想な迷子として貴女の店の近くに放り出す。そうすれば優しい貴女の娘は勝手にあの子を店の中に入れるでしょう……勿論、貴女もあの子を放っておけずに受け入れます」
「……はっ、そのとおりだよ。よくわかってるねぇ」
「後は簡単。機が熟すまで貴女の娘として過ごさせ、頃合いを見てから記憶を戻す。それで可愛い可愛い殺人鬼の完成ですわ」
マリアは淡々と悪趣味極まりない話を続ける。
「彼女のパパはよっぽど貴女の事が好きなのねぇ。ご丁寧に一人ずつ、それも貴女と付き合いの長い子から殺させていくなんて……」
「……やめな」
「途中からはあの子の判断に任せるようになったけど、それでも殺されるのは貴女と縁が深い娘ばかり。それだけあの子にとっても彼女達は特別な存在だったのでしょうね」
「……やめなって、もういいよ」
「あの子がパパの事を忘れそうになるくらいに」
「マリア!!」
黙って耳を傾けていたヴァネッサだがついに我慢の限界が来てマリアに掴みかかる。
「だから言ったのよ。さっさと彼と決着をつけなさいって」
「……!」
「意地を張らずに貴女の幸せを選ぶべきだったのよ。娘を愛する前に、自分が幸せになるべきだった」
「……無理に決まってるじゃないか」
「どうして? 彼の事を愛してるんでしょう?」
「……無理だよ、私には……」
ヴァネッサはマリアの肩を掴みながら震える声で言う。
「私に……あの子達は捨てられない……」
「……」
「本当の娘を愛せなかった私が、自分だけ幸せになれるもんか……」
「……うふふ、本当にお馬鹿さんね」
マリアはヴァネッサの頬に触れて優しく微笑む。
「自分が幸せになれば、貴女の娘もそれで幸せになれるのに」
「……それにアイツは私しか見てないんだ。私の娘なんて何とも思っちゃいない」
「ふふふ、それでもいいじゃない」
「良くないよ、全然……!」
「もう、貴女って人は……」
ヴァネッサが苦悩する姿にマリアは大きな愉悦を感じる。
どこまでも優しく愛情深く、どうしようもなく甘い彼女に心からの思慕を込めたキスをした。
「もう覚悟は出来ているのね? サトコ」
「……ああ」
「それじゃあ、ケジメをつけて来なさい。貴女のワガママのせいで死んでしまった娘の為に……」
◇◇◇◇
「……彼女からの連絡がありません」
「……そうか」
シックな黒い装飾が映えるオフィスで部下の報告を受けたニコライの反応は素っ気ないものだった。
「まぁ、仕方ないな。次の手を考えるか」
ニコライは淡々と呟く。
その顔には一切の感情が浮かばず、メイが失敗した事への落胆もなければ怒りもない。
そして彼女がどうなったかについても興味がなかった。
「つ、次ですか……?」
「ああ、次は少し趣向を変えよう。減らすのが駄目なら、敢えて増やす方法で行く」
「ふ、増やす……?」
「そうだ」
「それはどういう……」
「化け物の子を孕ませた娘をアイツの店に送り込む」
高級なオフィスチェアーに深く凭れ掛かり、彼は無表情で言った。
「繁殖力の強い化け物の子だ。一度生まれればすぐに成長し、他の従業員も襲ってあっという間に増えるだろう」
「は……?」
「あの女も襲われる可能性もあるがそれはそれで都合がいい。寧ろそれで心が折れてくれるなら願ったり叶ったりだ」
「あの、ニコライ様……」
「ん? どうかしたか? 次の手は今話したとおりだ。苗床はお前の好きに選べ、出来るだけ若い娘をな」
部下は狂気的としか言いようのない計画を淡々と話すニコライに恐怖する。
長らく彼の側近として仕える身だが、これは流石に血の気が引いた。
だが、躊躇する側近に対するニコライの視線は冷たかった。
「出来ないのか? それではお前もここまでだな。別の奴に頼もう」
「ま、待ってください! わ、わかりました、今すぐ……」
「……いや、待て」
ニコライの携帯に通話がかかってくる。
その番号を見た彼の瞳にようやく光りが灯った。
「……私だ」
『やぁ、坊や。元気にしていたかい?』
電話から聞こえてくるヴァネッサの声。
狂気に呑まれ、外道に身を落として尚も変わらない彼女への恋慕が瞬く間に燃え上がる。
「どうした? 君からの電話なんて随分と久し振りだな」
『ああ、そうだね。まぁ、今日はそういう気分なのさ……ミスター・ニコライ』
「それは嬉しいな。で、わざわざお前から電話をかけてくるというのはただ話したいだけじゃないだろう?」
『察しが良いね、流石だよ』
「私に何の用だ? マダム・ヴァネッサ?」
『……久し振りに食事をしようじゃないか。私とアンタの思い出の店でね』
その一言を耳にしたニコライは、まるで少年のように純粋な笑顔を浮かべた。
これもまた純愛。愛ゆえに人は(ry