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「じゃあ、さよなら」
メイは剣を振り下ろす。その細い剣先はしんとした月明かりを浴びてぼんやりと青く光り、剣筋が蒼い光の線のようにきらめいて見えた。
その振りはあまりにも素速く、スコットは躱せない事を察し……
「……ははっ」
刃を躱す選択肢を捨てて大きく前に踏み込む。
そして肩口で刃を受け止めながら青い悪魔の腕を振るった。
「ッ!?」
まさか体で剣を受け止めるとは思いもしなかったメイは肩に食い込んだ右手の剣を咄嗟に手放し、地面を蹴って大きく後退る。
「がっ……ははっ!」
スコットは肩に突き刺さった鉈と食い込んだ剣を引き抜こうともせずに勢いよく駆け出し、後ろに飛んだメイを追いかける。
「何っ……?」
「はははっ!!」
着地したメイが体勢を立て直す前に青い両腕は左右から彼女を大きな掌で挟み潰そうと迫る。
メイは敢えて大きく身体を仰け反らせて間一髪で攻撃を回避し、左手の剣をスコットに向けて素速く投げつけた。
「!!」
彼女の投げた剣はスコットの顔に突き刺さり、彼は血を吹き出しながらガクンとよろめいた。
(……殺った!)
猫のように柔軟な体捌きで体勢を整え、メイは背中に隠したナイフを取り出して一気に仕留めにかかる。
(ごめんね、お兄ちゃん)
急所を狙った一突き。
顔に刃を受け、今にも崩れ落ちそうなスコットに躱せる筈がない。
メイはギュッと強くナイフを握りしめて地面を蹴り、確実に殺せるように心臓を狙った鋭い突きを繰り出す……
ズドッ!!
そして地面に滴る鮮血。その研ぎ澄まされた必殺の一撃を回避できる筈もなく、スコットは彼女の攻撃をまともに受けた……
「……嘘っ」
ただしナイフが刺し貫いたのは心臓ではなく、彼の大きな左掌だった。
「……ふかまへた」
スコットは顔を力無く俯いていた顔をぐるりと正面に戻す。
左頬を犠牲にして彼女の剣を受け止めていたスコットはニカッと挑発的に笑う。
「……!!」
怖気づいたメイは本能的にナイフを手放すが、まるでダメージを感じさせない獣のような俊敏さで迫るスコットに距離を詰められる。
懐に入り込んだスコットは右手でメイの細い首を掴んだ。
「にかさないひょ、れったいに」
「……か、かはっ!」
「ほれは……がっ!」
突き刺さった剣を血だらけの左手で引き抜き、口の中に溜まった血を吐き捨てる。
そして苦痛に歪むメイの顔を一瞥し……
「俺は、君がこれ以上悪いことをする前に」
「……がっ、あっ、ああっ!!」
「君を殺すと、決めたから」
彼女の首を捕らえた右手に思い切り力を込め、ギリギリと締め上げた。
「……スコット、何処まで行ったの……?」
レンはランカの血で染まった手を握りしめながらスコットを追いかける。
既に彼女の精神は限界が近かったが、ランカが残した遺言と彼の身を案ずる想いが辛うじて最後の一線を繋ぎ止めていた。
「……! ……!!」
「スコット……そこに居るの……!?」
そして彼女は見た。見てしまった。
血だらけのスコットが、可愛がっていたメイの首を締め上げる姿を。
「何……してんのよ? ねぇ、スコット……」
「あっ、あ゛っ! あ゛あ゛っ!!」
「何してんのよっ……!」
思わずレンはスコットに駆け寄る。
苦しむメイを助けるべく思い切りその身体を突き飛ばそうとするが、背中から生える大きな右腕に優しく抑え込まれた。
「……ッ!?」
空いた左腕がチッチッと指を揺らす。
まるで『邪魔をするな』と言っているかのように。
「あがっ、あぁぁああっ!!」
「やめてよ! ねぇ、やめてよぉ! その子は、その子はメイだよ! あたしの、あたしの妹っ!!」
「……」
「ねぇ、スコット! スコットってばぁ! わからないの!? その子は、その子はぁっ!!」
レンは悪魔の腕の拘束から脱しようと藻掻くが、右腕は決して彼女を離さない。
「スコット、スコットォオ! やめてってばぁあー! メイが、メイが死んじゃうよぉお!!」
「……」
「スコットォオオー!!」
必死にスコットを説得する。
何度も何度も彼の名を呼び、妹を殺さないでと懇願したがスコットは何も答えない。
「あ……が……」
「やめて、やめて、やめてっ! 死んじゃうから! メイが、メイがぁぁあっ!!」
スコットはここでようやくレンの方を向いた。
左頬を負傷し、身体には剣が突き刺さっているというのに痛がる素振りを見せず、レンの涙で濡れた瞳をジッと見つめ……
「……すみません」
────ペキンッ。
悲しそうな笑顔を浮かべながら、メイの細い首をへし折った。
「……あ」
首を折られたメイの瞳からは生気が消え、両手は力無くだらりと垂れ下がる。
完全に息の根が止まってからスコットは漸く手を放し、小柄な殺人鬼は糸の切れた人形のように冷たい地面に崩れ落ちる。
「メイ……」
光を失ったメイの瞳に映る自分を見て、レンを支える最後の一線が音を立てて千切れていく。
「あ、ああ……ああああああ……っ」
「……」
「あぁぁぁぁあっ!!」
ここで悪魔はレンを開放してスコットの中に戻る。
自由を取り戻したレンは目を見開いてスコットに掴みかかった。
「何で、何で、何で何で何で何でっ!」
「……レンさん」
「どうして、あの子を殺したの!? あの子は、あの子は私の!」
「聞いてください、レンさん。あの子が……」
「あの子は私の大事な妹だったのよ!? あの子は、あの子だけは……ッ! あの子だけがぁぁっ!!」
「あの子が、メイちゃんがランカさんを……貴女の仲間を襲った殺人鬼です」
スコットはレンにハッキリと伝えた。
少しも躊躇する事無く、正直に。
「……」
「きっと、彼女がレンさん達に近づいたのは……最初から貴女を殺すつもりだったんですよ」
「……嘘」
「詳しくは……これからマリアさんに聞き出して貰いますけど」
「……嘘、嘘」
「……」
「あの子は、あたしの、あたしの……」
スコットの言葉が、レンの壊れかけた心を支えていた最後の一線を断ち切った。
「……違う、違う、違う違う違う違う! そんなの、そんなの信じない! メイがそんなことするわけない! メイは、メイは私の、ランカの、みんなの……!!」
「……レンさん。彼女は」
「やだ、そんなの嫌だ……嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だぁっ! そんなの、そんなの嫌! あたしはぁ!!」
「うふふ、そこまでにしておきなさい」
「ひっ……!?」
「無理はいけないわ……大丈夫。これはただの怖い夢だから」
背後から混乱するレンの目を塞ぎ、何者かが優しい声で囁いた。
「だから、少し眠りなさい?」
直後にレンは気を失い、倒れ込む彼女を何者かが抱きとめる。
「……!」
「ああ、ご苦労さまでしたわ。ちゃんと依頼人は守ったわね、偉いわぁ」
「ランカさん……!?」
レンの背後から現れたのは、メイに胸を貫かれて致命傷を負った筈のランカだった。
慈 悲 は な い