25
(……あーあ、そんなに泣かないでよ。アンタが悪いんじゃないよ……)
(……悪いのは……)
薄れゆく意識の中でランカはレンを想う。
ランカとレンは同じ時期にヴァネッサに拾われ、姉妹同然のように育てられた。
何度も喧嘩しては仲直りし、ヴァネッサをママと慕いながらあの店で育った。
そしてヴァネッサのように男性を虜にする 格好いい夜の女性 に憧れてホステスを目指し、15になる頃には一人で接待が出来るようになった。
(悪いのは、アタシなんだよ。レン姉ちゃん……)
口には出さなかったがレンを姉のように思っていた彼女は、レンが可愛がっていたメイに『お姉ちゃん』と呼ばれる事が一番の目標だった。
(でも、悔しいなぁ。アタシが悪いんだけどさぁ……)
(……アタシ、ここで死んじゃうんだ……)
だからメイと同じ部屋で過ごし、レンに負けないくらいに彼女を可愛がった。
いつか自分もそう呼ばれる事を楽しみにしながら……
(……やだ)
ようやく達成した目標も、死んでしまえば意味がない。死んでしまったらお終いだ。
(やだ、やだ……やっと、やっと呼ばれたのに。あの子に、お姉ちゃんって呼ばれたのに……! やっと、アタシもレンみたいなお姉ちゃんになれたと……思ったのに……!!)
メイにそう呼ばれなければ、きっとランカはいつものように笑いながら死を受け入れただろう。
だが、彼女は呼ばれてしまった。可愛い妹に。レンのようにお姉ちゃんと……
(……死にたくないよ……!)
その一言が呪いとなり、最後の最後で彼女は死ぬことを恐れた。
心の底から恐れてしまった……
『……うふふっ。死にたくない、と言いましたね?』
そして暗闇の中から聞こえてくる誰かの声。
とても優しい声色なのに、ゾッとする程に冷たい声。
『その願い、私が叶えてさしあげますわ』
ランカを包む冷たい闇の中から這い出してきた黒い蛇は、ニイイと大きな口を裂かせてそう言った。
◇◇◇◇
「この野郎、この野郎、この野郎……ッ!!」
スコットは血眼になってランカを襲った犯人を追いかける。
「この野郎ォォォォ────ッ!!」
闇夜に紛れる黒いオーバーコートに身を包む殺人鬼に青い腕を伸ばすが、猫のように身を翻す殺人鬼に軽々と躱された。
「……」
「くそっ、くそぉっ!!」
彼女達を守り通す自信はあった。
悪魔の腕は既に出現していたし、いざとなれば身代わりになる覚悟も済ませていた。
きっと襲われても悪魔の腕が相手を捻り潰してくれるだろうと呑気に構えていた。
「ぁぁぁぁああああっ!」
それが甘かった。
青い悪魔がスコット以外の誰かを助けた事など殆どなかった。
彼がそう望まなければ拳は振るわれない、そして彼が望まなければ動かない。
彼が意識していない相手を助ける理由などない。
彼に危険が及ばなければ……勝手に動き出す理由もないのだ。
「くそったれぇぇぇー!!」
スコットは叫びながら腕を振り回す。焦りと後悔で平静を欠いた彼を嘲笑うように殺人鬼はひらりひらりと攻撃を躱し続ける。
「このッ!」
「ふふふっ」
「……ッ!!!」
殺人鬼が漏らす子供のような笑い声。
挑発のつもりなのか、それとも絶対に捉えられないという余裕の現れか。
その声がスコットの精神を更に追い詰める。
「何を、笑ってるんだ! お前ェェェーッ!!」
スコットの片眼から溢れる青い光は激しさを増す。
それに呼応しているかのように青い大腕には力が漲り、徐々に拳の振りが素速くなっていく。
「お前だけは、お前だけは! お前だけはぁぁーっ!!」
ついに悪魔の腕は殺人鬼のコートを掴む。
「……あっ」
「あぁぁぁぁぁぁぁあぁっ!!」
捕まえた小さな殺人鬼を力任せに思い切り振り上げ、そのまま地面に叩きつけようとするが……
「お前だけはッ……!?」
青い腕が捕らえたのは漆黒のコートだけ。殺人鬼の姿は其処にはない……
「なっ……」
────ドスッ。
スコットが視線を戻す前に、彼の胴体を鋭利な刃物が貫いた。
「がっ!」
「やめてよ、そんなに怒らないで。怖いよ」
「……!?」
コートを脱いで明らかになった殺人鬼の姿にスコットは目を疑う。
「……どうして、君が……!?」
自分の体を刺し貫く小柄な殺人鬼の正体……それはレンが可愛がっていたホステスのメイだった。
「ごめんなさい、でも仕方ないの。パパのお願いだから」
「……パパ?」
「うん、パパよ。私の一番好きな人」
「ごふっ!」
メイは凶器を引き抜く。赤く染まった鉈のような武器からは血が滴り、スコットは喀血しながら膝をついた。
「な、何で……何でだよ!?」
だがスコットにとって貫かれた傷の痛みよりも、彼女がランカを刺したという衝撃の方が強かった。
「だって、ランカお姉ちゃんが好きになっちゃったから。ああしなきゃいけなかったの」
「……意味が、意味がわからないよ! 好きなら、好きだったら殺せないだろ! 君は頭がおかしくなったのか!?」
「ううん、わたしは冷静だよ。こう見えて頭も良いの、だから刺したのよ」
「……!?」
「これ以上好きになったら、パパより好きになっちゃうでしょ?」
メイはそう言ってニコッと笑う。
その表情からは悪意や敵意と言ったものは一切感じなかった。
まるで子供のように純粋で可愛らしい笑顔……
「それだけは嫌だから。そうなる前に殺すの」
そんな笑顔で発せられる狂気の言葉にスコットは目眩を覚えた。
「ふざけんな、ふざけんなよ……! そんな理由で!!」
「それにパパからのお願いだもの」
「パパって何だよ! そんな、そんな事を言う奴が一番って……君は狂ってるのか!? そんな奴が」
メイは鉈を投げつけてスコットの肩に突き刺す。
「がぁっ!」
「パパの悪口は駄目だよ、言わせないよ」
彼女の顔からは笑みは消え、ここでようやく瞳に明確な敵意が宿った。
「うぅ……っ!」
「もういいよ。それに、わたしはお兄ちゃんも殺すつもりだったから」
「……メイ、ちゃん……!!」
黒い服の袖口から折りたたみ式の二本の細い剣を取り出し、メイは溜息を吐きながら彼に近づく。
「……あんなに、胸を触られたのは初めてなの」
「ッ!!」
「うん、でも嫌じゃなかったよ? どっちかというと……ふふふ」
「メ、メイちゃん! 俺は……!!」
「だから、さようなら。きっともう一度触られると、好きになるから」
薄っすらと頬を染め、メイは剣を振り上げる。
スコットはそんな彼女のゾッとするような愛らしい笑みに、闇夜に映える青みがかった黒髪に、そして年若くして心が壊れてしまった彼女の美しさに魅了された。
その事実が、彼にとって不快で仕方がなかった。
(ああ、畜生。畜生、畜生……!)
(わかってる! わかってるよ! 俺が、俺が彼女に出来ることは……!!)
そして、その瞬間にスコットは己のすべき事を悟った。
(もう、これしかないってことくらいな……!!)
メイを殺すしか無い。そう決意した瞬間、スコットの口角が歪に上がる。心の中では苦渋の決断をしたつもりなのに、彼の表情には笑みが浮かぶ……
(あの子が、これ以上堕ちる前に……殺してやる……!!)
青い悪魔は彼の想いに応え、その両腕にビキビキと力を漲らせる。
まるで『ようやく素直になったじゃないか』とでも言いたげに。