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「……ありがと。ここまで来たら大丈夫よ」
店を出て40分、スコットは二人目のホステスであるローズを家の前まで送り届ける。
「弟君によろしくね」
「寝坊して弟の朝飯作り忘れないようにね!」
「うんうん、大丈夫! それじゃあまた明日ね、その二人もしっかり守ってあげてね!!」
ローズは急ぎ足で玄関を開けて家の中に入っていった。
「……今のところは襲われる気配もないですね」
「スコットが居るから警戒してるのかしら」
「それじゃ、アタシはバイクで帰るわね。歩いていくにはちょっと遠いし」
「え、アンタ一人で帰る気? このまま三人でアンタの家まで行こうよ」
「バイク押してあの距離歩くのは結構キツイのよー? 大丈夫、スピード上げて帰るから!!」
「あ、それなら心配ないですよ。ちょっとそこにバイクを停めてください」
「?」
「二人共、俺から離れててくださいね」
ランカとレンはスコットの言う通りに距離を取る。
二人が十分離れたのを確認してから深く息を吸い……
「……よし、出番だぞ。出てこい」
スコットが一声かけるとその背中から青い腕が現れ、ランカのバイクを軽々と持ち上げた。
「……えっ?」
「それじゃ、ランカさんの家まで行きましょうか」
「いやいや、待って? 待って? 何よ、それ! アンタの背中、背中から……ッ!!」
あまりにも突然に、そして息をするように当たり前に常識外の力を発揮するスコットに二人は驚愕した。
「あれ、言ってませんでしたっけ? 俺、悪魔が取り憑いてるんですよ」
「「聞いてないよ!!?」」
「ああ、すみません。でも、これで説明の手間が省けましたね」
「……」
「……」
「あれ、どうかしました?」
「べ、別に……そ、それじゃあこのまま真っ直ぐ進んで」
三人は灯りの少なくなってきた夜道を歩き続ける。
ランカの言った通り徒歩で向かうにはそれなりに距離があるようだが、かといって彼女を一人で家に帰す訳にもいかない。
「……へぇ、スコットも苦労したのね」
「まぁ……はい。そこそこは」
「そこそこじゃないでしょ、かなりエグい話聞いたわよ」
「アタシらも結構、酷い経験してるけどさ。アンタも相当よ」
青い悪魔の腕がバイクを運ぶシュールな光景にも慣れたようで、いつの間にか三人はそれぞれの過去を軽く話し合っていた。
「その悪魔ちゃんとも付き合いは長いのね」
「そうですね。物心ついた頃には背中から出てきて、ムカつく相手を殴り飛ばしてましたから」
「じゃあ、アンタ自身はそこまで喧嘩強くない感じなの?」
「俺自身は殆ど喧嘩をしたことないですね……大体、悪魔の奴が勝手に終わらせてしまうので」
青い腕は何処か嬉しそうにランカのバイクを揺らす。
小型とはいえ100kg近い重量をまるで玩具のように軽々と扱う姿にレンは顔を引き攣らせた。
「ところで、あとどのくらい歩くんですか?」
「えーとねー……あ、もう見えたわ! あのアパートよ!!」
「本当に歩いてきちゃったわねー」
ランカの住むシックなアパートに無事到着し、スコットはホッと一息付く。
悪魔はドスッとバイクを地面に降ろし、大きな拳で力強くサムズ・アップしてランカとレンを和ませた。
「あはは、悪魔にしては愛嬌あるじゃないの」
「本当よねー、可愛いじゃん!」
「え、何処が? 正直、気持ち悪いと」
ベチンッ!!
「痛ァっ! おまっ、いきなり何するんだよ!!」
「頑張ったのに気持ち悪いはないよねー、ヒドーイ」
「あははっ、今日はありがとうね! また明日ッ」
────トスッ。
その場に居た三人は、誰一人として気づけなかった。
ランカの背後に迫る黒い影に。
「……あれ?」
声一つ、物音一つ立てずに忍び寄った人影は背後からランカを一突きする。
ランカの胸からは血で染まった鋭利な刃物が突き出し、何が起きたのか理解できないまま彼女はドス黒い血を吐き出した。
「ごぷっ」
「……ランカッ!!」
「ッ!!」
黒い影は無言で刃を引き抜く。レンは顔を真っ青にしながら倒れ込むランカを抱きとめた。
彼女が刺される瞬間までその存在に気づけなかったスコットは血の気の引く感覚に飲み込まれ……
「お前ェェェェェェ────ッ!!」
その直後に激昂し、悪魔の腕を力の限り振り抜いた。
だが黒い影は猫のようにしなやかな動きで大振りな攻撃を躱し、すぐさま暗い路地の中へと逃げ込んでしまう。
「くそっ、待てぇっ!」
逃げる影を追ってスコットも路地に駆け込む。
「……がっ、ふっ……!」
「嘘っ、嘘でしょ! ねぇ、嘘でしょ!? ランカ、ランカ……ッ!!」
レンはランカの傷口を押さえて必死に声をかける。
どんなに強く押さえても傷口からは止めどなく血が溢れ、ランカの顔色はどんどん悪くなっていく。
「どうしよう……止まんない! 血が、血が止まんないよ! どうしよう、どうしたら……どうしたらいいの!?」
レンはハンカチを取り出してランカの傷を押さえる。
両手が血で真っ赤に染まる事など気にしていられない。
彼女の傷から流れ出る血が止まってくれる事をひたすら祈りながら、レンは傷を押さえ続けた。
「何で、何で、何で……っ! どうして止まらないの……!?」
だが、彼女の傷から溢れる血が止まることはなかった。
「レン……もう、いいよ……」
「やだ、やだよ……! 大丈夫、止まるって! こうして押さえてたら……っ!!」
「ううん、多分……この傷、もう駄目なやつよ。わかるの、アタシは」
「やだ、それ以上言わないで! 絶対、助かるって! 今から救急車呼ぶから!!」
慌てて携帯を取り出したレンの手にそっと触れ、ランカは小さく首を振る。
「……ごめんね、レン姉ちゃん。アタシ……もう駄目みたい」
「……ッ!」
レンは死にゆくランカの手を握ってボロボロと涙を流す。
「ママになんて言えばいいのよ……っ! アイツが、アイツが居てくれるから大丈夫だって……あたしは!!」
「本当、だよねぇ……ママの、言う通り……店に残ってたら良かったね……」
「……ごめん、なさい。ごめんなさい……ごめんなさい! あたしが、あたしがあんな事言わなかったら……!!」
「……違うよ、アンタが悪いんじゃないよ」
そっとレンの頬に触れ、ランカはふふふと笑う。
「勝手に、やられちゃったアタシが悪いの……」
「駄目……駄目だよ? 死なないでよ? ねぇ、死なないでよ……!? お願い、お願いだから!!」
「……そんな顔しないでよ」
「アンタがいなきゃ、あたし、あたしは……!!」
「アンタには、まだ、メイが……いるじゃないの」
ランカは涙でぐしゃぐしゃになったレンを優しい声で諭す。
「……やだ、死なないで。死なないでよ……ねえ! 死なないで!!」
だが、レンは首を振って死なないでと繰り返した。
「そんな顔してたら、メイが心配しちゃうでしょ? しっかりしなさいよ……お姉ちゃんでしょ」
「嫌だ、嫌だ、嫌だ……! ランカ……ッ!!」
「あ……そうだ……そうだった、あたし、も」
「……ランカ?」
「やだ、最悪……あはは。思い出し、ちゃった……」
「……駄目よ、ランカ! 目を開けて! お願い、あたしを見て! お願いだから!!」
「……」
いつも笑顔を絶やさなかった筈のランカが最後に浮かべた表情は、悔しさと遺憾さに満ちた彼女らしからぬ悲壮なものだった。