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普段は見られない親子の微笑ましい一幕。
「むー……」
ドロシーは食後の紅茶を手にリビングのソファーで足をぶらつかせていた。
「スコット君が心配?」
「ううん、心配はしてないよ。ただね……」
「?」
「……スコッツ君がいないと、ちょっと退屈だなって」
スコットが居ないリビングで改めて実感した事……それは彼が居なければ退屈だということだ。
「そうかしら?」
「アルマ先生はデイジーちゃんを連れて出かけちゃったし、ブリちゃんはバイトだし。アーサーとマリアはスコット君のお供に付けちゃったし……」
「そうね、今日は私と二人きりね」
「……」
あまり仕事の依頼が来ない上に、紅茶を嗜んで本を読む以外にこれといって娯楽のないドロシーにとって場を盛り上げるスコットの存在はかなり大きかった。
「ふふふ、私と二人は嫌?」
「むっ……そんなことないよ? だってー」
ドロシーはルナの隣に移動する。そして彼女の膝にぽふっと倒れ込み、ふふんと自慢気に鼻を鳴らした。
「遠慮なくこうしてお義母様に甘えられるからね」
「あらあら、ふふふ」
「……こんな姿、皆には見せられないし」
「気にしなくてもいいのよ? いつでも甘えに来なさい」
「そういうわけにもいかないのよー」
「ふふふっ」
甘えるドロシーの頭を撫でてルナは幸せそうに笑う。
あまり隠しきれてもいないがルナ達に大層甘やかされて育った結果、ドロシーはかなり甘えん坊な性格に育ってしまっている。
100年を優に越える年齢に達して人並み外れた知識と達観さを身につけても、元来の子供っぽい性格にそこまで変化はない。
(……スコッツ君、早く帰ってこないかな)
故に、そんな彼女の心を刺激するスコットの存在はとても大きなものだった。
「子守唄でも歌ってあげようかしら?」
「そ、そこまでしなくてもいいよ!」
「ふふっ、遠慮しなくてもいいのに」
「やめなさいー、いつまでも子供扱いしないのー!」
「……そうね、そろそろドリーも」
>ジリリリリリリン<
ルナがドロシーに何かを伝えようとした時に電話が鳴り響く。
「むむっ」
「あら、お電話ね」
「アーサー、電話……あっ」
「ふふふ、彼は外出中ね」
「……」
>ジリリリリリリン<
ドロシーはササッと起き上がって電話台に向かい、コホンと咳払いしてから電話に出る。
「はい、もしもし。どちら様?」
『もしもしぃ! すまんが、すぐにあの魔女に代わって……』
「あー、アレックス君じゃない。どうしたのー? 僕がその魔女だけどー」
『……』
電話してきたのはアレックス警部だった。
通話相手が憎き魔女だと気付いた彼は数秒間沈黙した後、物凄く重い溜息を吐いた。
「もしもーし?」
『ああ、すまん……声を直接聞いて魔女アレルギーが発症してな。心臓が止まりそうになった』
「あはは、酷いね? 奥さんに言いつけちゃうよ??」
『やめろ! ああ、くそっ……すまんがいつもの緊急事態だ! すぐに10番街区まで来てくれ!!』
『ギャァァァァァー!!』
『グワーッ!』
『警部ー! もう限界ですー! 撤退しましょうー!!』
『うぉあっ! た、頼んだぞ! 10番街区のバイトンスヴェル刑務所前だ!!』
>ブツン<
友人からの頼みを受けたドロシーはとてもとても嬉しそうに笑った。
「アーサー、マリア、準備を」
「うふふ、ドリー? 二人はお出掛けよ?」
「……」
「それじゃあ、今日は私が準備をしてあげるわ。何をすればいいかしら?」
「……えーと」
ルナはティーカップを机に置き、垂れた兎の耳を珍しくピンと立てながらドロシーの指示を待つ。
「それじゃあ、お義母様。いつものエンフィールドⅢを二本、そしてウィンチェスターMA社製のイエロー・マンⅡライフル杖を一本……」
「はい、任せなさい」
「それと、アルマ先生達に連絡して」
「ふふふ、任せなさい」
ドロシーの指示を受けてルナはすっくと立ち上がり、急ぎ足でリビングから出ていったが……
「ねぇ、ドリー? 少し聞いていい?」
「なーに?」
「貴女の杖は何処に置いてあるのかしら?」
「あはは、だよねー!」
ルナはこの屋敷に長い間住んでいながらも所有する魔導具の保管場所、車庫への移動方法、緊急時の社員全員への連絡方法等の重要な情報を知らなかった……と言うよりも教えられる機会が無かった。
「大丈夫よ、ドリー。私に任せなさい」
「いいよー、僕が自分でやるからー。ルナは座って待っててー」
「大丈夫、教えてくれればちゃんと出来るから」
「あははー、いいのよー。紅茶がまだ残ってるでしょ? 冷める前に飲まないと勿体ないよー」
何故なら普段は屋敷の構造と仕掛けを知り尽くしている優秀な使用人が二人も付いている。
非戦闘員である上に、この家の所有主の妻という特別な立場にある彼女がそれを知る必要性が全く無かったからだ。
「……そう」
ルナの耳はへにょんと垂れ下がる。
この場に居ない使用人達に代わって義娘に良い所を見せるつもりが、結果として彼女に余計な負担をかける事になってしまった。
「えーと、確か乗り物鞄はここにー……あったあった! それと予備の術包杖にー……あー、そうそう。皆に連絡しなきゃ! スコッツ君達はお仕事中だからー……よし。これでオッケー!!」
慌ただしく家を駆け回るドロシーをルナは何とも切なげな顔で見つめる。
「……あら」
ふとリビングを見回すと大事に飾られているあるものを見つけ、ここでようやく彼女の表情が和らいだ。
「そ、それじゃ行ってきます! お留守番よろしくね!!」
準備を終えてフル装備状態になったドロシーは少々息を上げながら言う。
「待って、ドリー。忘れ物よ」
玄関ドアに手をかけようとしたドロシーをルナは呼び止める。
年季の入ったキャメル色のロングコートを抱えた彼女はドロシーに近づいてコートをふわりと羽織らせた。
「……あ」
「これを忘れちゃ駄目よ。あの人が貴女に遺した宝物……この家で一番強力なお守りよ」
「……ありがとう」
ドロシーはライフル杖を置いて姿勢を正し、お守りのロングコートに袖を通す。
「うん、これでもう大丈夫」
「ふふふ、それともう一つ……」
最後の仕上げとしてルナはドロシーの額にそっと口づけし、夫と同じ色合いの瞳を愛しげに見つめながら微笑んだ。
「……ふふっ」
「いってらっしゃい、ドロシー。早めに帰ってくるのよ?」
「いってきます、お義母様」
仕事に向かうドロシーをルナは優しく見送る。
義娘を見送った後、彼女は玄関先に飾られた一枚の写真に目をやり……
「今日もあの子を見守ってあげてね、ウォルター。貴方に似てうっかり屋さんだから」
「ふふふ、でも……彼が来てくれたからもう安心かしらね」
写真に映る眼鏡の男性に向かって語りかけた。