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スコットが耳を抑えながら地下室へと続く階段を抜けると、丁度廊下を歩いていたレンとすれ違った。
「ちょっと、アンタ! ねぇ、何処行くのよ!?」
「……ッ!!」
「ねぇ、アンタ!!」
レンに呼び止められてもスコットは振り向かずに店を出た。
「……やっぱり駄目じゃんアイツ」
「あ、お姉ちゃん! どうしたの?」
スコットに落胆する彼女に童顔のホステスが声をかける。
レンは彼女の声を聞いた途端に表情を緩めた。
「ううん、何でもないよメイ」
「そう? ならいいんだけど……」
「何よー、その顔はー。アンタに心配されるほどあたしは弱くないってーの!」
「ふゃああ、やめへー! ほっぺたひっはらないれー!!」
「あはは、メイはどんな顔でも可愛いわねー!」
この猫耳のホステスはメイ。この店で働く女性の中で一番の年少であり、レン含めたホステス達から妹のように可愛がられている。
年少ではあるが従業員として比較的長く働いており、童顔で小柄な身体に似合わぬ豊満なバストと愛くるしさから多くの男性客を虜にするエースである。
因みに彼女はまだ若いのでいくらチップを詰んでもヒミツのお遊びは許可されない。
「ううっ、酷いー! こ、これでもお姉ちゃんと一緒に働いてるし、わたしの方が胸大きいんだから!!」
「あ、あたしが一番気にしてること言ったわねー!」
「あわわっ! ご、ごめんなさい!!」
「ダーメ、許さない! 今日は一緒に帰ってあげないわ!!」
「そ、そんなっ! やめてよー! お姉ちゃんが一緒じゃないと、わたし家まで帰れないよー!!」
「知らなーい!」
メイはレンを姉のように慕っており、レンもまた彼女をまるで実の妹のように可愛がっていた。
「……ハァ、ハァ……ハァッ!」
店の外に出たスコットは息を切らせながらしゃがみ込む。
軋む胸を抑えて何とか呼吸を整えようとするが、息を吸い込む度に更に動悸は激しくなっていった。
「……くそっ、くそっ! 何だ、何なんだよアレは!!」
「おや、どうなさいましたスコット様。顔色が優れませんが……」
俯くスコットに車の番をしていた老執事が声をかける。
「よほど恐ろしいものでも見たのですかな?」
「し、執事さん……」
「まぁ、何となく予想は付いておりますがね」
老執事はヴァネッサの店を見つめて何かにうんざりするように小さく笑った後、スコットの隣に腰掛ける。
「あ、あの……」
「マリアさんに死体が動くところを見せられたのでしょう?」
「……!」
「はっはっ、その調子では相当キツイものを見たようですな」
「あの人は、あの人は一体何者なんですか……? あの能力は一体……!」
「彼女が何者か……ですか」
スコットの質問に老執事は珍しく表情を曇らせる。
「……」
暫く空を仰いでから自分なりに納得できる答えを見つけ、老執事は新人に向かってハッキリと言う。
「彼女は悪魔です」
「えっ?」
「あの女は悪魔です」
あまりにも清々しくストレートに二度も言い放った台詞にスコットは耳を疑った。
「え、あの……」
「ええもう、彼女ほど悪魔という言葉が似合う女性は居ないと思われます。もうその言葉は彼女の為にあると言っても過言ではありません」
「ちょっと執事さん? あの」
「その性格が一番の問題ですが、あの能力もそれはもう酷いものです。命という尊いものを冒涜する悍ましき異能……ああ、忘れもしません。それは55年前……」
「ちょっとそのくらいにしてくれませんかね!? 何だかいつもと様子が違いますよ!!?」
「ああ、忌まわしい忌まわしい。出来ることなら心臓に杭を打ち込みたいものです」
「はぁっ!? ちょっ……執事さん! 落ち着いて!!」
「何なら十字架を溶かして作った鎖で全身を縛り上げて棺桶に入れた後、ニューテムズ川に沈めて」
「執事さーん!?」
仕事仲間に対するものとは思えない恨み骨髄に徹するが如き辛辣な評価。
普段は見せない老執事の真面目過ぎる表情を前にスコットはひたすら動揺するしかなった。
「……とまぁ、そんな女ですよ。あのマリアさんは」
今も尚、地下室で被害者から情報収集するマリアを散々貶した後で老執事はニコッと笑った。
「……ソウデスカ」
「まぁ、彼女の異能力が非常に有能なのは認めざるを得ませんね。特にこういう場面では」
「……」
「こと死体相手に関しては彼女の異能ほど役に立つものはありませんので」
「……死体を操るのが、マリアさんの異能力なんですか」
「概ねその通りでございます。もっとも、それすら彼女が持つ異能力の応用に過ぎませんが……」
マリアの底知れない能力にスコットは寒気を覚えた。
「どうです? 恐ろしい女でしょう? 彼女とはあまりお近づきにならない事をお勧め致します」
「そ、そうですね。ちょっと俺からも距離を置きます……」
「さて、もうこんな時間ですな。この辺りで昼食を取りましょうか」
「ちょっと、食欲が……」
「いけませんぞ、スコット様。食事は一日三回を厳守せねば。肝心な時ですら力が出せずに 役立たず と呼ばれる事になりかねませんぞ」
「うっ……!」
彼の何気ない一言で車の中で弄られ続けた事を思い出し、スコットは奮い立つ。
「じゃあ、食べますよ! しっかり食べて肝心な時だけじゃなくて、いつでも役に立てるように力を蓄えますよぉ!!」
「ははは、それは頼もしい。この辺りにある美味しい店を知っておりますのでご案内いたしましょう」
「あ、しまった……今、財布の中が」
「ああ、ご心配なさらず。食事代は私が持ちましょう。それでは車に乗ってください」
昼食を取りにスコット達は車で移動する。三階の部屋からその様子を眺めていたヴァネッサはふふふと小さく笑う。
「相変わらず素直になれない男だねぇ、アーサー。そんなだからいつまで経っても進展しないのさ」
まるで二人の会話が丸聞こえだったかのような意味深な台詞を残し、彼女はその部屋を後にした。
男は鈍いものなのよ。