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Point to there

作者: 甘いぞ甘えび

 友人の着ていたTシャツには、ある図形がデザインされていて、それを見た人はほとんどの割合で上を見るのだという。それを最初に聞いたとき、わたしはすぐにその図形が何であるか分かった。それを見てついうっかり上を見上げたくなるようなもの、ということは大体予想がつくだろう。

 それは上向きの矢印だ。

 ひねくれた人ならもしかして、そのTシャツを着ている人物の顔を見るだけで終わるかも知れないが、その矢印が大きく描かれていればいるほど、それを見た人は上を見上げる。どうしてか、と訊かれたなら逆に問いたい。まるで上を向けと言わんばかりに矢印がそこにあったら、上を見ない理由は一体なんだろうか?

 文字で上を見ろ、と書かれていたとしても、なんだろうとは疑問に思うだろうが、それを受けて実際に上を向く者はそれほど多くないだろう。ただ、それを矢印という記号に置き換えるだけで、文字では見上げなかった人さえもが上を見る。

 これと同じようなことを意図的にやろうとした人がいる。その人は人が大勢いる中に立って、ただ黙って上を指差しているという状況を作ってみたいのだという。人ゴミの中で人が点を指差して立っているという構図は、想像するだに少しシュールだ。

 それを最初に聞いたとき、無駄に想像力の逞しかったわたしは、彼が空を指差している姿を空想し、思わず天井を見上げてしまった。別にその話をしているときは指を指してはいなかったのだが、それはお茶目だったということで誤魔化してみようと思う。

 しかしその野望はわたしの中で巨大に増殖し続け、いつしかわたしもそれをやってみたいと思うようになってしまった。

 群衆の中で一人、天を指したら一体どういう反応が返ってくるのだろうか。指を指していることに気付きもせずにただ通り過ぎるだろうか? それとも、一体何が始まるのだろうかと指差す方向を見上げるだろうか? あるいは、一緒になって天を指差したりしないだろうか?

 まあおおよその想像はつく。蠢く人ゴミの中で誰かが立ち止まったという場面を想像してみれば分かる。ただでさえ込んでいて不愉快だという状況なのに、そこで流れを断ち切るものがいるという状況。その人物が何をしていようとも、そのほかの群集からしてみれば、ただひたすらに迷惑なだけである。そんなことをしている暇があるのなら、一歩でも多く前に進むべきである。

 非常に残念なことに、この実験を行うにはかなり条件のいい環境が必要である。そしてその環境は自然に出来ることはそうほとんどあることではないだろうし、作るのも非常に困難だろう。

 とはいえ、その理想的な環境で行う実験はあくまで理想的な結果を得るためだけのものであり、一般的名データが欲しければ、何も手を加えていない、何も知らされていない人々が多く集まる、渋谷センター街や新宿アルタ前で行うべきである。

 個人的には天を指して立つ者が突如として出現した場合、周囲にいる人間には、指差されている先を一緒になって見上げて欲しいものである。間抜けな顔をして口を開き、何もない、けどもしかしたら何かあるのかも知れない空を見上げていてもらいたい。きっとその顔は目薬をさそうとしている人の顔をとても似て、非常に間抜けな顔に違いないとわたしは信じている。

 人は自分を取り巻く周囲にあるものを見ていないようで、実は意外と見ている。だから歩いて行く道の両サイドには多くの広告が展開されているのだろうし、他の通行人にぶつからずに歩いて行くことが出来るのだろう。だけど、その見えているもののほとんどを、自分には必要ではないノイズ、邪魔な情報として認識しているために、後になって思い出すことが出来なかったり、見た覚えがないと言うのだ。

 だが歩いていてふと、今まで全く気にしていなかったものがそのものとして視界に飛び込んでくることがある。例えば鏡のようなガラス張りのビルの横を通ったときなど、突然ま隣に自分と全く同じ格好で全く同じ歩調で歩く者が視界に入ってくるのだから、恐らくあなたはビックリしてガラスを振り返ったりする。

 本当に全く全然さっぱり見ようとして見たわけではなく視界に入っていた情報というものは、どこか不可思議な力を持っているような気がするのは、何もわたしだけではない。その代表例があの、テレビやラジオなどで使われるサブリミナル効果というやつだ。

 きっと一度は経験したことがあるだろう。会社の同僚と休み時間に喋っていて、「ああそれは知ってるぞ」と答えたはいいがそれをどこで見たのかを覚えていない。あれはどこで見たんだっけかと頭を悩ませながら帰路を辿っていると、その道程にあった本屋のディスプレイに掲示されているポスターの情報だったり、電車の中吊り広告だったりする。なるほど、出勤中に見かけたのかとあなたは納得する。

 ということはそれを使って同じような実験が可能だ。とはいえ、この方法と前述した実験とでは全くもって測るべきものが異なる。しかし、人をおちょくって遊ぶ楽しさは同じだ。

 方法は簡単である。ただちょっと目立つ位置に、矢印を上向きに、あるいはあなたの好きな方向へ向けておく。それはもちろん、多くの人が通りかかるような場所だ。そうすれば、通りかかった人々は無意識にその矢印を見て、その指し示す方向を見ることになる。それはもちろん全員が全員矢印に従って顔を向けるわけではないだろう。しかし、この実験は全員が同じように矢印の指し示す方向を見る必要はないのだからなんら問題はない。

 そうやって得られた結果が一体何に役立つのかという質問は、できればそっと胸の内に秘めておいてもらいたい。残念なことにそれをやってみよと示唆しているわたしでさえもその質問には答え難い。まさか人をからかうためだけにやってみたいのだと馬鹿正直に答えられるわけがないのだから。

 しかしこうした実験を行うと、人々がいかに周囲に興味を示さずに、己に多くの言い訳をしながら生きているのが分かるだろう。人ごみの中で上を指し立ち止まる人がいたら、他の人の邪魔になると突き飛ばし、倒れたとしても助けないのはその人が立ち止まるのが悪いのだと言い訳する。

 所詮人は自分以外に興味はないのだ。だから道端で天を指している人がいても、大した興味は抱かない。空を見上げようと思う人はきっと何も考えていないだけで、そこに何があるのか気になって見上げたわけではないだろう。

 だがわたしは、群衆の中で天を見上げてそこを指し示している人がそこにいるのなら、きっと一緒になって空を見上げ、そして何もないことに少しだけ安堵感を覚えながら、何もないことにがっかりして、腕を上げ、指を空高く掲げている人にニヤニヤとした訳知り顔で見られるのも、また一興であると思っている。

〈了〉

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