7・天国と地獄
二人は病院の屋上から並んで景色を眺めていた。
「真理子さん、天国行けるかなあ。ねえ貫太郎?」
「はあ?」
葵の問いに間の抜けた返事を返す貫太郎を、葵は不思議に思って見返す。
「だって貫太郎がさっき言ってたでしょう? そうだよねえって私も思ったもん」
「天国なんてないよ」
「へ?」
今度は葵が間の抜けた声を出す。
「だってさっき言ってたのは貫太郎じゃないの」
「あのさ、俺たちが自分のことを死神だと言っていないのと同じように、あんたらが思っているのと実際は違う。死んだら魂は招魂されて冥府に送られる。そこは別に天国やら地獄、極楽まあ宗教によっていろんな名前があるみたいだけど、分かれているわけじゃない。魂の等級によって冥府に留めて置く物と、あらかた記憶を消してこの世に送り出す物に選別されるだけさ。がっかりした?」
心配そうにのぞき込む貫太郎に葵は少し、と答えた。私たちの魂がそんな物扱いのようにこの世と冥府の間を還流しているなんて本当は、ちょとどころか大いにショックだった。魂はもっと崇高な扱いを受けるはずと宗教なんて正月の初詣と合格祈願のときしか頭に無かった葵でさえ、漠然と思っていたのだ。
「で、おれたちはその冥府の職員。招魂課ってとこに籍を置いている。あと、選別課は職人気質のやつらばかりだ。気は良いんだが仕事にはうるさい連中だ。それから情報課の連中ときたら口ばっかで手抜きしやがる。そのせいで前世の記憶が残っている人間がそこら中にいて大変なんだ」
「ちょっと聞いていい?」
何? と首を傾げる貫太郎に葵は生徒のように手を挙げながら聞く。
「天国が無いのなら、現実に今時点で酷い扱いや悲しんでいる人は救いが無いってこと?」
「俺にそんな事聞くなよ。んーっそうだなあ」
貫太郎は腕を組んで葵から目をそらせ、今まで寄りかかっていた手すりによっと掛け声をかけて飛び乗った。
「虐待や病気、貧困、不慮の事故で亡くなった魂はそりゃあ表面は傷んでいるけど、一皮剥けば澄んだ綺麗な色をしているんだ。記憶を消されたらすぐに現世に戻される。とどのつまり、天国ってのは現世のことだ。夢のような天国も恐ろしい地獄も人の頭から産みだされた代物だからな。人は天国、地獄どちらも併せ持って生きている。苦しい今を精一杯生きて死んだら天国に行く。そう思うのはあながち間違いじゃない。あきらめないで生きることを知っている者はきっと次の人生は楽しく生きられる。そう、思わない?」
「う……まだよくわからない。貫太郎の言いたいことはわかるけど綺麗事すぎるよ」
「そうだな、綺麗事だな」
素直に貫太郎はつぶやいて遠くを眺めている。その寂しそうな横顔に、貫太郎の過去にも何かあったんだろうかと葵は思い至る。私一人が悲しい思いをしてきた。不幸だから不遜な態度も何も許されるべきだと、口には出さないけどそう思っていた。
――もっと皆私の話を聞いて。こんなに頑張っているのに報われない私を可哀想だと慰めて。頑張ったんだからゆっくりしていいよ、わかっているよ。そう甘やかして欲しかった。楽しそうに暮らしているあんたたちはずるいから。私にはその権利があるんだと、声高にわめく様な思いで今までいたことに葵は気づく。
「ちょっとその辺でストップ」
「何?」
貫太郎に話しかけられて葵は、心の中の独白を貫太郎に知られたことに気付いて顔を赤くした。さっきの恥ずかしい自分よがり発言を聞かれたのかと思うと全身から火がでるようないたたまれない気持ちになる。
「自分の事、そんなふうに冷静に見れるようになるなんて成長早いな。だけどあんまし批判しすぎると今度はそっちの穴に落っこちるぜ。まあ自己分析もほどほどにな」
鞄からスマホを取り出して何かをチェックした貫太郎は、それを鞄に戻すと立ち上がって葵に手を差し出した。
「あとはユルイのばかりだ。ちゃっちゃっと終わらせようぜ」
「あー私、階段で下りたいんですけど……」
「遠慮すんなって」
「遠慮じゃなーい、貫太郎のばかーっ、嫌って言っているでしょうが、この死神、きゃあああ」
葵の言葉は絶叫になる。背後から体を貫太郎に拘束されたまま、激しい風にもまれながら葵は映画の連中は嘘つきだと毒づく。この暴風の中で笑顔なんて出来るわけがない。
後ろを振り返ると、遥か後方の校舎の陰から貫太郎が行け、行けと手を上下に振っている。まるでしっ、しっと犬でも追っ払うみたいな仕草に、くそっと声に出しながら葵は歩き出す。下で待ってようか、それとも……と、少し考えて葵は結局学校の校舎の階段を上がる。
――オレンジ色から青色に変わったら名前を確認して魂をこの容器に入れて終わり。オレンジ色から青色に……繰り返しながらわざとゆっくり階段を上がる。大したことじゃない、入れて終わり。カップスープなみのお手軽さ。あっと言う間に出来上がりだ。大丈夫、大丈夫、私だってこのくらい出来るに決まっている。
他のことを考えないように、貫太郎から受けた注意事項をぶつぶつ言いながら、葵は頑丈な鍵のついた進入禁止のための金網をすりぬけて屋上に向かった。




