12・ターゲット(川崎修)
三世代が暮らす一軒家の南側。小さい庭に面した部屋に敷かれた布団の上に老人が寝ている。その周りにはその妻や子どもたちが取り囲んでいた。横にいた医師が静かに告げる。
「ご臨終です」
「お父さん、さようなら。ゆっくり休んでね」
妻らしき年かさの女性がそっと老人の頬に触れた。彼の子どもだろう、中年太りで禿げ上がった男性が腕を目に当てて泣いていた。葵の目の前で、老人の胸元がオレンジ色の光から青い色に変わる。なんて暖かい青色なんだろうと思う。
同じ青だというのに人によって、その時の事情によって、人柄によって青色にも違いがあるのだ。
「お嬢さん、わたしを迎えに来てくださったんかい? お世話になります」
今、目を閉じたばかりのおじいさんが葵の隣、つまり南側の窓の外に出てきて話かけてきた。
「おじいさん、川崎修さんですか」
「そうですよ」
葵の問いにこくりと頷いた川崎さんは、自分の体に取りすがる家族の姿に微笑んだ。
「いいもんですな、ああやって惜しんでくれるのが見られるというのは」
「川崎さんは、まだそんなにお歳じゃないと思うんですけど、未練とかないんですか」
はははと川崎さんは笑いながら、窓から視線を外さずに答える。
「わたしは肺がんでしてな。余命半年とか言われておりました。六十九歳でまだまだ現役のつもりでいたもんだから、そりゃあがっくりするわ、腹が立つわで妻や息子たちにあたりちらして大変でした。でもね、わたしがいなくては一日だって店が立ち行かないと思っていたのに。あれですね、何てこともなく息子が上手い事回してたんですよ。知ったときには辛い気持ちもありましたがなんかふっ切れました」
川崎さんの視線の先には、子どものように泣いている四十すぎの男の人がいた。
「一哉は、一哉っていうのはうちの息子の名前なんですが、あの通り昔から泣き虫でねえ。店も中々任せられないと思っていたのに、嫁がしっかりしていたんで何とかなっとるんですわ。きつい嫁だと思っていたのに、こんな時には本当に頼りになる。人を見る目はあると思っていたのに、人間はいくつになっても教えられる事ばかりですな」
「川崎さん」
「ああ、すいません。時間を取らしてしまいまして。行きますか、お嬢さん」
川崎さんの姿は、ふいっと消えて宙に青く美しい玉が浮かんだ。葵はそれを大事そうに掴むと貫太郎から預かった容器に仕舞い、デニムのポケットに入れた。
「川崎さん、あなたはとても綺麗な青色でしたよ。すぐにこっちへ戻れますからね」
ポケットに触れながら葵はそっとつぶやく。
生垣の外から一部始終を見ていた貫太郎は、葵の仕事ぶりにほっと息をついて大きい身振りで葵を招いた。
「はい、これ。川崎修さんの魂」
「ああ、ご苦労さん」
「次は?」
容器を受け取った貫太郎が、申し訳なさそうに葵に告げた。
「もう、一件あるんだけどこの調子で一人で行ってくれる? 俺緊急に仕事が入っちゃってさあ。終わったらおまえのマンションの屋上で待ってて。俺の相棒の鴉をお供につけるからさ、何かあったら連絡して。名前は「ちょっと白」だ。俺も直ぐに片付けて駆けつけるから」
「了解。地図と名前、魂を入れる容器をちょうだい」
葵が差し出した手に諸々を渡すと、貫太郎は鴉に姿を変えて飛び立っていった。残された葵は、さっきの態度とは裏腹に少し心細い気持ちを抱えながら、貫太郎が呼びつけたくちばしのところが少し白い鴉を見上げる。
「あんた、頼りになるの?」
そのカラスは葵を見下ろして、カアと鳴いた。
葵の次の仕事の場所は、今いる場所から十分とかからないくらい近い産婦人科の病院だった。受付を通り過ぎた葵を気付く者はいなかったが、待合で待っていた妊婦の一人が葵を咎めるように見送ると独り言を言った。
「高校生よね、何かしら。きっと遊びで子どもが出来ちゃったんだわ。この子が産まれたらしっかり躾なきゃあ」
ポンポンとお腹を擦りながら、その妊婦は付き添ってきた夫に話しかけた。
「ねえ、パパ。今高校生くらいの女の子が通ったわよね」
パパと呼ばれて嬉しそうに顔を向けた彼女の夫は、笑みを浮かべたまま首を振る。
「……いや、誰も通ってないけど」




