平凡な高校生―有村嘉一―2
探偵事務所の中に嘉一は足を踏み入れて、綺麗な内装をしているのだと、通路ではそう思った。
真美の後ろをついて歩き、いきなり空間が変わった。
来客用の高価そうな皮張りのソファーが二つ鎮座し、木目の綺麗なテーブルが間に挟まれながら配置されていた。大量の電子機器が置いてあるだけじゃなく、会社で使われるイメージがある事務机は四つ程。事務机にはパソコンが二台置かれている。
嘉一はある青年を視界に入れて、心臓を掴まれる思いを抱いた。
「真美、ご苦労だったな。何か欲しい物でもあるか?」
「じゃあ、暁彦さんの脱ぎたておパンツくださ……」
びゅん、と何かが横を通り抜けていった。
嘉一は恐る恐る後ろを見て、壁に突き刺さるボールペンの破壊力と凄まじいスピードに腰を抜かす所だった。
「……この、『オカマ』が。貴様にわたくしの暁彦様の神聖なるパンティを渡す訳には行かないんだが?」
「……あーら? いつの間に暁彦さんがアンタみたいな下賎な豚の物になったの? 神蔵、今すぐアンタを殺す……!」
真美はロング丈のスカートの中から、仕込んであったナイフを取り出して執事服を身に纏う男性に向かって投げた。
いつの間にか繰り広げられる危険な戦いに、嘉一は固まっていた。
嘉一が固まっている時、椅子に座っていた小さな子供がブカブカの服を引き摺りながら降りた。
全身は全て黒で統一され、サイズが合わなくブカブカで大きい。黒いパーカーのフードには、兎のような長い耳がだらしなく垂れていた。顔も隠れていて、性別は把握出来ない。
子供が躓いた。絵に描いたような転びようだ。
嘉一はハッとし、急いでその子供に駆け寄った。
「君、大丈夫? どこか痛い所はない?」
嘉一は子供を起こし、顔を見ようとした時、フードが取れ、子供の真っ白な髪を見てしまう。
病的な程に白い肌は日焼け知らずで、兎を連想させる赤い目をした、色素のない少年だ。天使だ、と言うより、痛々しく消え入るような姿だ。
嘉一は、小学生にしか見えない無表情な彼を見て、泣きたくなる気持ちで一杯だ。
「……お主もか?」
「……え?」
「お主も、この髪と目は気持ち悪いと思っているのだろう?」
固い口調の中に、自分自身を守ろうとする少年の姿に、嘉一は堪らずに涙を流してしまう。
彼に何があったのかは詳しいことは知らない。それでも、嘉一から見た少年はあまりにも、
「どうして泣く?」
「……君があまりにも悲しそうで苦しそうだから。俺は君の過去を知っている訳じゃないけど、そうやって自分を無理にでも守ろうとする姿に……何でかな、過去の自分と重ねちゃったのかもしれない」
「……ど……して?」
少年は驚いたように目を見開き、恐る恐る嘉一に手を伸ばす。
袖で優しく嘉一の涙を拭い、少年は真っ直ぐな目を向けた。
「嘉一は不思議な人間だな。僕は魔神の遣いだから大丈夫。だから、嘉一は安心して欲しい。僕は魔槍グングニルの所有者だからな」
「……ははっ。頼もしいね、君は」
少年のアホ毛が揺れる。絹糸のような髪を撫でながら、嘉一は笑った。
「――有村嘉一」
鼓膜を揺らす甘い美声。
嘉一は所長の席に座る青年を、今度は誰にも邪魔されずに視界に入れた。
透き通る茶髪は綺麗に整い、顔立ちは綺麗な顔をしたイケメンフェイス。赤みがかった茶目に嘉一の心臓は大きく脈打った。
全てを見透かす瞳。内部を見られる感覚に、嘉一は恐れに近い感情を抱いた。
「俺は暁探偵事務所所長の仙竜寺暁彦だ。それでは、これからお前の面接を始めよう」
所長――暁彦が立ち上がった時、嘉一はまたもや看板の時と同様に突っ込む。
「下を穿けぇぇぇぇい!」
暁彦は、下着は穿いていてもズボンを穿いていなかった。
暁彦は今の自分の姿に今更気付いたように、「あ」と声を漏らす。
「下を穿き忘れていたな。吉富、ズボン持ってこい」
「はう! 暁彦様のズボンですか!? この、わたくしが暁彦様の……」
「暁彦はーん。部屋が散らかってたから掃除しといたでー。んで、ズボンも持ってきたから穿きぃや」
「キアラ、お前は本当に仕事が早いな」
関西弁だが、それとは違うイントネーションの金髪の少年が暁彦に向かってズボンを投げる。
キアラと呼ばれた少年は、嘉一と同い年かそれより上の歳に見える。外国人特有の顔をした甘い顔だ。王子系の美青年に見えなくもない。
嘉一は暁彦を含めた五人の所員を見て思った。
……俺以外、皆美形ってどういうことですかー。
場違いな自分に涙が流れる。
先程から自分に抱き着いている少年は嘉一を見上げていた。
「お? なんや、月夜君。僕達以外に懐くって珍しいやんなー」
「……えーと、離れてくれないかな?」
「……んー」
「えーと……」
「嘉一はん。その子な、難波月夜君って言うねん。名前呼んだって?」
「……難波君?」
「…………」
「じゃ、じゃあ……月夜君?」
「ん!」
月夜は嬉しそうな返事をし、頬を桃色に染めた。
ぎゅう、と月夜なりの強い力で嘉一は抱き締められ、嘉一はたじたじだ。抜け出せるが、それをしてしまうと彼が泣いてしまいそうでやりたくはなかった。
「ハハハハッ! まさか過ぎるっちゅーねん。おもろいなぁ。よう分からんがおもろいなぁ」
「……素直に喜べないんだけど」
腹を抱えて大笑いをするキアラは、不意に、大人びた表情をした。
「……アンタは面白いよ。ここに居て平然としてるんだからさ」
ぞく、とする程の色気が滲んだ声に嘉一は息を飲む。
彼は『ここに居て平然としてる』と言った。確かに、自分の心は落ち着いていると思う。逆に、楽しさを感じている自分が居た。
「暁彦はん、早う始めましょか。僕が面接官やります?」
「いや、キアラは書記だ。俺が面接官をする。嘉一はソファーに座ってくれ。月夜、今から嘉一は面接をするから離れて欲しいんだが」
「……や」
「……ヤダじゃない。言うことを聞いてくれ」
「や! 嘉一と離れるの嫌!」
「……すまないが、嘉一。月夜を抱き抱えて、ソファーに一緒に座ってくれないか?」
「わ、分かりました……」
嘉一は軽々と月夜を抱き抱えて、来客用のソファーに座った。