平凡な高校生―有村嘉一―1
日本の首都圏――東京。田舎とは程遠い街並みをしている、住み慣れた人間と住み慣れない人間の間に大きな隔たりを作る都だ。
――一人の少年は地図を片手に溜め息をついていた。
それといって特徴のない、中学を卒業したばかりだと思える幼さが抜けていない少年だ。染料で染められていない純粋な黒髪は、短すぎずに整えられ、唯一の特徴と言えるのは大きな猫目くらいだろう。
少年――有村嘉一は、アルバイトの面接に向かっている途中だった。嘉一が手に持っている地図には『暁探偵事務所への道のり』と大きく書かれていた。
上京したての現役高校一年生である嘉一は、居候先の従兄弟宅で生活をしている。双子のホストとして有名な従兄弟を思い出して、再び溜め息をついてしまった。
働こうと思ったのは紛れもなく嘉一自身で、アルバイト先を提案してくれたのは従兄弟の二人だ。探偵の響きに惹かれ、嘉一は決めたのだが……
「……探偵事務所って、どこだよ……」
土地勘がないせいか、地図を読むのも得意ではないのが仇となった。
双子ホストに電話をするべきかもしれないと思った矢先、可愛いらしい声を嘉一に掛けられた。
「ねえ、そこの君。もしかして道に迷ってるの?」
「……え?」
嘉一の持っている地図を覗いてくる、華奢な体躯の少女は、大きな茶色がかった瞳を上目使いで嘉一に向けてきた。
彼女からは仄かに甘い香りがして、嘉一は赤面した。
セミロングの茶髪はきらきらと太陽の光を浴びて輝いている。小顔で、顔のパーツも悪くなく、美少女と形容出来た。仕草も女の子らしく、とても魅力的だ。
嘉一は美少女を前にして固まる。女の子と話したことがない訳ではないが、そこまで親しく話した記憶はない。
少女は地図を見て、納得したように「成る程」と言った。
「暁探偵事務所に行きたいんだね。私が探偵事務所に案内するよ。駄目……かな?」
「ぜ、全然大丈夫です!」
嘉一は挙動不審な返事をし、少女はその反応を見て、面白そうに笑った。
「あ、名前聞いてなかったね。私は小林真美だよ。君は?」
「……あ、有村嘉一です」
少女――真美は、驚いたように目を丸くした。
「……そっか。君が……」
真美は小さな声でそう呟いた後、嘉一の手首を引いて、可愛らしい笑顔を浮かべながら案内を始めた。
あまり日が当たらない狭い道に入った。古びた景色というよりは、時間を置き去りにされた道だ。建ち並ぶコンクリート造りの建物には所々亀裂が走り、不気味さを少なからず感じた。
真美は振り向いた。
「嘉一君は新規のアルバイト希望者だよね?」
「ま、まあ……」
「そっかー。新しい従業員が増えるなら、暁彦さん大喜びだね。私は嘉一君より年下だけど、先輩だからね。何でも頼って欲しいな」
「……へ?」
「どうしたの? そんなに驚いた顔して……」
嘉一は不可解なことを聞いた。それは、探偵事務所に働いている従業員は全て『男』だと聞いているからだ。従兄弟もそう言っていただけじゃなく、ホームページにも従業員は『男』と記載されている。
どこからどう見ても、真美は女だ。そこが不可解なことだった。
「……あの、真美さん。真美さんはいつから探偵事務所勤務なの?」
「え? ……えーと、二年前からかな。因みに、私は現役の中学二年生だよ」
「……え? ええ?」
「あ! ねえ嘉一君、あの看板を見て! あれが探偵事務所の目印だよ!」
嘉一は顔を上げて、看板を見た。
大漁旗にも引けを取らないド迫力なカジキマグロが描かれた謎の看板だ。なのに、暁探偵事務所と書かれた変てこな看板。それだけじゃなく、一番の問題が、下の立て看板だ。
嘉一は突っ込みたくて堪らない。
探偵事務所への案内なのか分からないが、『暁探偵事務所までフォーク。そしてストレート。Bダッシュで到着』と達筆で書かれていた。
「嘉一君、この看板凄いでしょ? あのマグロは事務所で働いてる従業員が描いたので、この分りやすい道案内は所長の暁彦さんが書いたんだよ」
「ちょっと待てぇーい! マグロは探偵事務所と全然関係ないじゃん!? 無駄に上手いのが憎いけど、どうしてここでその才能を使っちゃったの!? それよりも、あの看板は案内する気全く0じゃん! 分りやすい説明って何!? 無駄に達筆過ぎて泣きそうだよ!」
「泣きそうなくらいに感動したの? それは嬉しいなぁ」
「勘違い乙!」
嘉一は思わず突っ込んでしまったが、真美には効かない。Bダッシュは某配管工の赤と緑の兄弟しか想像出来なかったのに泣けてくる。
看板から通り過ぎて直ぐ、嘉一は不思議な感覚を感じた。
色鮮やかな世界に色が消えた。かつての自分が味わった、今も自分について回る白黒の世界。
懐かしいのに、悲しい。それでいて、心地いい世界に、嘉一は笑ってしまう。
目立たない場所に建っている、派手な掛け看板が目印の探偵事務所を目にして、嘉一は気を引き締める。
色鮮やかな世界に色が消えた。それなのに色で溢れた世界に生きている自分は、今日から新たな世界へ行くことになるのだろう。