4 事実等々-2
ずっこけた女の子をおんぶして歩き、到着したのは保健室だった。
ちなみにおんぶしたのは俺じゃなくて舞ね。そんなことしたら変態行為でムショ行きだから俺。
校内すべてが無人なので、先生に説明する手間がはぶけたのは助かった。
「着きましたよっ」
「すまぬ。ありがと」
「神様なのに足首痛めたりすんのか?」
「……か、神は人の痛みも分からないといけないからのう」
「そういうことにしとくかね」
女の子をベッドのふちに座らせた舞は、隣合うベッドのふちに腰を下ろした。俺も舞の横に着席する。
「今さらだけど、なんで校内に人がいないんだ?」
「静かに話をするためじゃ。今は一時的に平行世界に来てるんよ」
「はい神様! 平行世界ってなんですかっ?」
「よく似た別の世界、ってとこじゃな。時間が来れば帰れるから心配いらぬよ」
女の子の説明は、しっかり聞くには小難しそうだった。
俺は理解するのをあきらめた。いずれ戻れるなら、のんびりしてよう。
「よし。さっきの続きを教えてくれないか?」
となれば、話題は自然と雨模様のことになる。
場の雰囲気は少しだけ真面目に変わった。
「あ、そうじゃったね。雨模様氏の体を構成しているのは……霧じゃ」
「霧って……天気予報とかで聞く、あの霧か?」
「うむ」
女の子の口から明かされたのは、普通ならば信じがたい情報だった。
ただ、今の不思議な状況に加えて、雨模様の人間離れした行動の数々。
さらに、女の子には嘘を付く理由が皆無なことから考えても、信じてみる価値は高いと感じた。
「……うーん、言われてみれば、霧っぽい出来事もあった気がするな」
ふわふわと空飛んだり、物をすり抜けたり。
雨模様の体が少し冷たくて軽かったのも、霧だからこその特徴なのかもしれない。
「雨模様氏は元々、魂だけの状態じゃった。肉体から離れた魂は、ごくまれに、あの世へ行けぬことがあるんよ」
「はい神様。つまり雨模様ちゃんは……その、もう、亡くなってるんですか?」
「うむ。魂だけが迷っている場面は、何度か見たことがあるからのう」
二人の会話を黙って聞く。おぼろげだけど、雨模様のことが理解できた。
雨模様は元々人間。これについては予想はしていた。見た目は中学生だしな。
「魂だけではなにもできぬから、霧で出来た体をプレゼントしてあげたんよ」
「普通の肉体を創ってあげたら良かったんじゃないか? なんかこう、神の力でぱぱーっとさ」
「野菜炒めみたいに言うでない。我は神の中でも下っぱじゃから、そんな高等技術は持っとらん」
「ランクあるんだ……」
それはそれで意外だった。会社でいう新入社員みたいなもんなのかな。神も階級社会か。
そうだ。もう一つ伝えておきたい事柄があった。
「雨模様は最初、誰からも存在を認識されなかったんだ。どうしてか分かるか?」
「ふむ、初めの数十分くらいはそうなることもあるんよ。安定するまでは少しだけかかるからね」
「いや、雨模様は三ヶ月くらい一人ぼっちで過ごしてたんだけど」
「……嘘じゃろ?」
「本当みたいですよっ」
「……うー」
舞の同意を聞き、ばつが悪そうに女の子は視線を泳がせた。
明らかに動揺している。手違いを起こしたことの無言の自白だった。
「大丈夫か? 神様なのに失敗の多さが気になるぞ」
「わ、我だって頑張っとるのに! あわれむような目で見るでない!」
女の子は立ち上がりながら怒っていた。ばれたか。表情に出てたかな。
「だいたいおぬし! 微妙に我のこと疑っておるではないか! 信じるものは救われる!」
「んなことねーよ。まだ小学生だもんな。実力がいたらないのは仕方ないって」
「ぐぬう……ふ、ふふ、ならば受けてみよ」
悔しそうにする女の子。試しにからかったけど結構効いたらしい。
すっと、俺に向けて右腕を伸ばした女の子。手のひらを広げている。じゃんけんかと思った瞬間、
「縛!」
「ぐわっ!?」
女の子の声が引き金となり、全身が金属のように固く硬直した。
座った姿勢のまま動けない。胴体や四肢の指先さえも。
「動けないじゃろう。泣いて謝れば許してやらんこともないがのう。ふははは!」
「てめーこのっ! ほどけ! ぬああああ!!」
「やれやれ、無駄な抵抗だというに。伊坂舞氏、ちょっとよいかの?」
「なんですかっ?」
のんびり見ていた舞は、うながされて女の子の前に立った。
にこやかな笑顔を見せ、そっと舞に向けて右腕を伸ばした女の子は、
「縛!」
「ぎゃー! な、なんで私までやられるんですかあ!」
「おんぶしてくれたお礼をと思っての」
舞までも毒牙にかけてしまった。恩をあだで返してないかこれは。
いそいそとした表情で舞の背後に回る女の子。
「それにしても……大きな胸をしておる。我も将来こうなりたいものよ」
「え……大きなって、な、なんのことですか?」
やばい。獲物を狙う獣の目だ。舞を助けたいのは山々だけど動けない。
はうように伸ばされた女の子の右手が、舞の着ているジャージのすそ下から、静かに服の裏側に入り込んでいく。
舞のお腹があらわになった。あと少しで下着も見えそうだ。よしっ頑張れ神様、じゃなかった。
「ひゃっ! 神様! その、手が……だ、だめですよ女同士なのにっ!」
「なにごとも経験よ。日々の積み重ねを経て、我らは大きくなってゆく」
「んっ……! やあっ……孝哉、だめ、見ないでよっ……」
「こ、これは違うんだ! 体が動かないからであって誤解なんだ!」
さっきまで元気だった幼なじみが、衣服を乱し顔を紅潮させながらも、恥ずかしさをこらえるように小さく声をあげている。
この現実から目をそらせる男がいるか? いやいない。もぞもぞと動いてる服の下。一体なにが起きてやがるんだ。
「こんな状態からですまぬが、補足をば」
「なんだ?」
堪能途中で女の子から話しかけられたので、素早く真顔を作り直す。
「魂というものは、迷い続けていた場合、四十九日で消滅するんよ」
「そ、そうなのか」
「だから、我が未熟とはいえ、なにかに雨模様氏の魂を定着させないことには、雨模様氏の存在を守れなかったんじゃ」
「なるほど……訳があったんだな。雨模様を守ってくれて、ありがとう」
「目線がずれとるよ? 伊坂舞氏の方むいとるよ?」
「いや、だって仕方ないじゃん?」
男子高校生だし。俺だけがこんなんなるわけじゃないし。
でも肝心な部分は聞いてた。女の子のおかげで今の雨模様がいる、でいいんだよな確か。
「んあっ……ま、まだ続くんですかっ……?」
「残念だけど時間じゃ」
女の子は惜しくも舞を解放した。へたりと床に座り込む舞。
とてもいい光景でした。この度は誠にありがとうございました。
「また来るでの。雨模様氏にもよろしく伝えておいてくれぬか?」
「ああ。ところで、俺はいつ動けるようになるんだ?」
「あ、忘れとった。解!」
女の子が右手を横に振ると、俺の体の拘束は一気に消え失せた。ずしっとした重力を感じた。
肩をほぐそうとする間にも、女の子は保健室の出口に向かっていく。
「雨模様氏は、二人を好いておる。側にいてあげてほしい。雨模様氏も、それを望んでるはずじゃから」
扉を開けて廊下に出て行く女の子。そんなに急いでどこへ向かうのか。
「待った! 俺たちが元の場所に戻れるのはいつ――」
三秒もしないうちに、俺も女の子を追いかけて廊下を覗いたはずだった。
だけど、すでに女の子の姿は消失していて、長く直線的な廊下は、静々と降り続ける雨の音に満たされていた。
あお向けで床に倒れる舞の元に駆け寄る。
「舞! 無事か?」
「うん……でもなんか、変な気持ち。孝哉、私のこと治せないかなっ……?」
「い、いやあ、医者じゃないからなんとも」
しゃがんだ俺の首に両腕をからませて、舞は姿勢を起こす。熱っぽい舞の表情が目の前にあった。
逃げるように立ち上がる。俺は人生最大の誘惑を断ち切った。もったいないとか、そんな思いは断じてない。ない。
ともかく舞は大丈夫そうだ。実にけしからん時間だった。
ぜひまたよろしくお願い致します、と、すでに姿を消した神様に向かって、ひそかに祈りを捧げてみた。
ややあって、生徒たちの声が少しずつ校内に響き始めてきた。
ようやく元の場所に戻れるみたいだ。停止していた時計の針も、再び動き始めていた。
―――――
雨模様は、玄関扉に寄りかかりながら、俺の帰りを待ってくれていた。
いつもは俺だけの帰宅だけど、今日は珍しく連れがいる。
足音に気付き、視線を俺たちの方に向けた雨模様は、少しびっくりした表情を浮かべていた。
「舞さん。えっと、おかえりなさい。孝哉も」
「ああ。ただいま」
「ごめんねっ待たせて」
挨拶もほどほどに、後ろ手に隠していた白い箱を、雨模様の目線と同じ高さに差し出す。
「……これはなに?」
「ケーキだ」
「え」
目を丸くして俺の顔を見上げる雨模様。純粋な子供のような反応。
「嫌いだったか?」
「ううん、好き」
「そっか」
「孝哉がくれるものなら、なんでも好き」
「……そっか」
雨模様を喜ばせるつもりが、反撃をくらったのは内緒にしておこう。
ケーキを買った理由。まずは舞に責められたから。じろじろ見られて恥ずかしかったんだと。
そして、帰り道にケーキ屋があったから。おかげで手軽に買えた。
「俺のおごりだ。みんなで食おうぜ」
でも、本当は、
「……うん。ありがとう、孝哉。私の分まで」
雨模様の側にいるための、自然な理由がほしかったんだ。
けがしたくないと思った。守りたいと感じた。雨模様の存在を消さないでくれた神様の行為に、あらためて、深い感謝の気持ちが芽生えた。
「わーいっ! 人のおごりで食べるケーキは美味しいよね!」
「舞は少しくらい雨模様を見習えっ!」
にぎやかな会話を交えながら、ポケットに入れておいた鍵を取り出した。
玄関扉の鍵穴に差し込み、なにげなく回す。
人の出入りを拒み続けていた扉は、ささいな出来事がきっかけで、人を優しく迎え入れることを思い出したのだった。




