表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/27

3 思い出よりも-1

 フェンスの向こう側に広がる街並みを、試しに遥か遠くまで眺めてみたものの、残念ながら新鮮味のある風景じゃなかった。

 もしも空が、真綿のような白雲で一面を埋め尽くされてなければ、少しは風情のある景色になっていたんだろうか。


 一時限目が始まる前に学校の屋上へ来たのには、わけがあった。


「屋上まで飛んでくるの疲れた……」

「大丈夫だったか? もし誰かに見付かったら騒ぎになりかねないからな」

「その時は、新しい宗教をつくる。空中浮遊する少女教祖。流行間違いなし」

「頼むからやめてくれ」


 俺の横に立ち、同じように街の景色を眺めていた雨模様が冗談を飛ばす。

 んじゃ俺は教団幹部で、とか考えながら、俺は風景に背を向ける。体重を預けたフェンスが小さく鳴いた。


 俺が屋上に来たのは、雨模様と待ち合わせをしたから。ことの発端は昨日の会話にさかのぼる。


 ――孝哉は、小さかった頃の思い出とかある?

 そりゃあ、あるな。

 私はないんだけど、きっと、忘れてるだけのような気がする。

 ないのかよ。不思議すぎるだろ。

 怪しい場所を回ったりしてるんだけど、まだ行ってない場所があった。

 どこなんだ?――


 そして雨模様が口にした行き先が、俺の通う高校だったというわけだ。

 俺と初めて出会う前から、雨模様は、周辺の街並みや建物を自分なりに探索していたらしい。


 ――それで、思い出せたことはあったのか?

 ぜんぜん。ここまで綺麗に忘れてると、不安というより、すがすがしい。

 俺に手伝えることあるか? 力になれるといいんだけど。

 じゃあ、ひとつだけ――


 こうして今にいたる。昨日の会話では真面目な表情で話していた。


「どうだ?」

「なにが?」

「ほら、過去の記憶を思い出したいんだろ?」

「あ。そんなことも言ってたような、言ってなかったような」

「いや言ってたよ?」


 それがうってかわって、今日はいちじるしく目的意識が低下していた。

 眼下に広がる景色から視線を外さないまま、雨模様はつぶやく。


「昔がなくても」

「え?」

「昔の思い出がなくても、私はここにいるよね?」


 問いかけの声には、不安の色がにじんでいた。

 平静を装っていても、雨模様の心の中には、不安や迷いが棲み憑いていた。


 もしも、昔の思い出を一切失ってしまったら。

 行った場所。出会った人。届けられた言葉。かかえた感情。それら全てが消滅したとするなら。

 きっと、どんなに強い人でも、悲しくなる。

 過去がなくても今は失われない。だとしても、昔があってこその今だと思うし、忘れて平気でいられるほど、思い出は、ちっぽけな存在じゃないはずだ。


「ああ。雨模様は、俺の隣にいる」

「……もう三回聞きたい」

「……俺の隣にいる。俺の隣に絶対いる。俺の隣に、間違いなくいる」

「当たり前だけどね」

「おい」


 淡々と返す雨模様。せっかく気持ちを込めて言ったってのに。

 それでも雨模様の横顔を見たら、心なしか微笑んでいたみたいだから、まあ、よし。


「ありがとう」

「いいって」

「舞さんが、孝哉の幼なじみで良かったって言った意味、ちょっと分かったよ」

「どんな意味だ?」

「側にいると安心できる。これを表現する言葉は……便利な人? じゃなくて、都合のいい人?」

「ん。たぶん間違ってる」


 頑張って考えた雨模様の発言により、俺の気持ちは持ち上げられて、落とされた。

 さらさらと風が吹く。湿気を含んだ冷たい空気が、いつもより早歩きで通り過ぎていった。


「今だから言えるけど」


 雨模様が俺の方を向く。身長差があるために、いくらか俺を見上げる形になっていた。


「昔のことが思い出せなくても、私としては、どっちでもいい」

「そうなのか? 大事なことのように思えるぞ」

「孝哉がいるから」


 雨模様の灰色の瞳が、まっすぐ俺を見つめる。紫陽花に付いた朝露のように、けがれのない眼差しだった。


「孝哉は私を見てくれる。私の存在を認めてくれる」

「雨模様……」

「昔の私がいなくても、今の私はいるんだって、自信を持つことができる」


 雨模様の言葉に宿る安心感。俺みたいなのでも支えになれてると思うと、なんだか嬉しかった。


「でも、たまに思う」

「なんだ?」

「私に一方的に頼られて、孝哉が迷惑していたらどうしよう、って」


 雨模様の表情が、かすかに暗くなる。視線は少し、斜めに傾いた。


「もし迷惑していたら、その時は言ってほしい」

「…………」

「私は最初、一人だった。孝哉の前からいなくなっても、元通りになるだけで、さみしくなんか――」


 言葉は、中断された。

 俺が雨模様の背中に手を回し、ぐっと自分の方に引き寄せたから。

 雨模様の額が、俺の胸に当たる。軽くて細い体。ふとした拍子に壊れてしまいそうだった。


「許さないからな」


 言い放つ。


「これだけ俺の生活に入り込んで来て、勝手にいなくなるなんてこと、許されると思うか?」

「ゆ、許されない?」

「当然だ。もし許されたいんだったら、まだまだ行動が足りてないぞ」

「うん」

「遠慮しないで、俺を頼ってくれ。力になるから」

「……うん」


 額を離し、俺を見上げて返事をする雨模様。

 今度は雨模様の方から、俺の胸に顔をうずめてくれた。

 ううむ、本当に俺で大丈夫なんだろうか。あんまし自信ない。でも言っちまったもんは仕方ないか。なるようになれ。


 唐突に、屋上の出入り口の扉が開かれる。

 その音と、俺と雨模様が俊敏に後退したのは、ほぼ同時だった。


「やっと見付けた! 探したよ、ってあれ? 雨模様ちゃんもいるなんて意外だねっ」

「あ、ああ、いた」

「うん、私も、いた」


 いきなり出現したのは舞だった。俺にとっては見慣れた制服姿だ。

 泳いでいた視線を舞に向ける。舞は、俺たちを興味深そうに観察しながら近付いて来ていた。


「なんか二人とも、態度ぎこちなくない?」

「んなこと、ねえよな?」

「私たち、普通」

「そう? 日本語覚えたての外国人みたいになってるよっ?」


 珍しく探ってくる舞。ええい、なぜ今日に限って疑り深いんだ。ごまかすのも大変なんだからな。


「ま、いっか。孝哉、昨日はホントごめんなさいっ! 風邪ひどくならなかった?」

「ああ。逆に治ったよ。菌が洗い流されたのかもな。はっはっは」

「よかったー! でもさ、ただ謝って後片付けしただけじゃ申し訳ないし」


 どうやらわざわざ謝りに来たらしい。ほんと妙なとこ律義だな。

 続いて舞は、あるものをスカートのポケットから取り出した。

 手のひらに収まるくらいの、漆黒の小箱。新発売のマッチだろうか。


「なんだそれ?」

「家宝だよっ」

「なるほど家宝かーってマジかよ!? 紹介の仕方が軽すぎるだろ」


 まるでポケットティッシュを取り出すような仕草だったので、かえって驚いてしまった。

 舞の家はでかい神社だし、そりゃ家宝も普通にあるよな。質屋に売ったら儲かるだろうか。

 俺の空想の合間に、舞は小箱のふたを開けた。

 和紙の上に置かれていたのは、道端の砂利と形や大きさが限りなく似た、無色透明の石だった。


「わー神々しい! 面影石おもかげいしって言うんだってさ。こうやって見てるだけでも霊力を感じるよねっ! 話によると、これは私がまだ小さかった頃に」


 すらすらと喋る舞を差し置いて、俺と雨模様の目線は、どちらからともなく重なっていた。


「……怪しすぎだろ」

「……でも、わざわざ嘘を言いに来たとは思えない」

「……だよな」


 雨模様の意見も最もだけど、俺には加工ガラスの石にしか見えなかった。

 舞は俺たちとは違う世界を見ているらしい。幼なじみとして、正しい道に引き戻してやるべきか。


「まだ使ったことはないんだけどーって、二人とも聞いてた?」

「え? ああ、もちろん! すごい石だよな」

「うん。思わず孝哉と語り合いたくなるくらい、すごい家宝」

「すごすぎだよな」


 問われて慌てた俺と雨模様の感想は、すごいの叩き売り状態だった。

 家宝つっても、持ってると運がよくなるとか、その程度の効果だろきっと。


「そうでしょ! 人の記憶を映像として見れるんだから、きっと使い道たくさんあるよっ」

「なぬっ!?」


 変な驚き声を発したのは俺だった。はかったかのような絶好の機会だ。

 雨模様には、忘れている記憶がきっとある。もしかしたら面影石は、それを思い出させてくれるんじゃなかろうか。


「舞! 聞いてくれ。話したいことがある」

「へっ? こ、孝哉が言いたいなら聞くけど……でも、心の準備とか、いろいろまだだから、その」

「それを雨模様のために使わせてくれないか?」

「あっ……い、石の話だよね! 告白だと思ったわけじゃないからねっ!」

「なんの告白だ?」


 いきなり怒り出した舞。微妙に頬が赤い。俺の風邪がうつってなきゃいいんだけど。


「うるさいなっ! はい、雨模様ちゃんに貸してあげるよっ」


 舞は二つ返事で、雨模様に面影石を渡していた。ありがたいけど、うるさいってなんだよおい。


「ありがとう。……どうやって使うんだろう?」

「念じるんじゃないかな。雨模様ちゃんが見たい記憶の場面を」


 かなりあいまいな取扱説明が施される。

 いずれにせよ失敗しても損はしない。成功したら儲けものくらいの考えでいよう。でも、なるべく本物であってほしい。


「…………」


 石を両手で握り、胸の前に抱く雨模様。全員が沈黙を保つ。西に向かって吹いていた風すらも。

 小鳥が数羽、頭の上を飛び去っていった。

 向かうべき目的地があるのだろうか。それとも、それを探すために翼を広げたのだろうか。


「…………あ」

「どうした?」

「なんかあったかい」

「なになに?」


 雨模様が両手を広げる。俺も舞も、石を凝視せずにはいられなかった。

 手の中の石は、鮮やかなオレンジ色に染まっていた。夕暮れの斜陽色のようでいて、それよりも明るくて優しい色だった。


「……最近の家宝は色まで変わるのか?」

「……怖いから孝哉に」

「うわっと、え?」


 雨模様から投げ渡された石を、とっさに受け止めるため手を広げる。

 けれども、石は空中に浮いたままとどまっていた。重力の存在意義は奪われてしまった。


「……浮いた」

「取っていいのか? 爆発しないよな?」

「大丈夫っ。たぶん」


 呆然と見つめる雨模様。迷う俺。自信なさげな舞。つまり誰もがお手上げだった。

 ただ、幸か不幸か、今回は自ら選択肢を選ぶ必要がなくなった。


 ふわりと、体から力が抜けていく。おだやかな水の中に浮いて身を任せたような、なんとも心地いい浮遊感だった。

 雨模様も舞も、俺と同じように座り込み、やがて地面に寝転がる。


 意識が遠くなった。あたたかい春の陽射しに包まれて、こくりこくりとうたた寝をしている時のような安心感に包まれた。

 危機感はなかった。誰かに見守られてるみたいだった。

 雨模様の記憶のかけらは、行く先で拾い集められるんだろうか。頼りにしてるからな、面影石。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ