9 見送る夕陽に-2
買いたい本があるとの舞の要望により、訪れたのは本屋だった。
なかなかの大型店舗で、店内に流れる流行りの音楽は、多少の騒ぎ声ならごまかしてくれる。
にしても本たくさんあるな。立ち読みしてる人ばっかりだし、作者って意外と儲からなそうだ。創作お疲れ様です。
「ん? あれは……」
「どしたの? あっ分かった、キスしたい相手探してるんでしょ! キス魔! ウデムシ!」
「いや、そこまで飢えてないから! ほら、舞が崇拝してるやつがいたぞ多分」
すぐさま疑惑を向けて来る舞。信頼を回復させるのは骨が折れそうだ。だからウデムシって何。
ニメートルほど先。俺たちに背中を向けて立ち読みしてる人物に目が行く。あれはたぶん凛だ。
後ろ姿に見覚えがあるし、なんつっても薄紫色のシャツと膝丈スカート姿。ナスかよ。あんなに紫色好きの小学生そうそういてたまるか。
普通に声をかけるのかと思いきや、舞はニヤリと邪悪めいた笑みを浮かべた。
「舞さん?」
雨模様の問いかけより早く、舞は忍び足で凛に近付いていく。ちなみに店内が賑やかなので忍び足の意味はない。
たやすく射程範囲内まで接近した舞は、凛のお尻付近に向かって静かに両手を伸ばすと、
「こんにちは神様っ!」
「ひゃああっ!?」
すごい勢いでスカートをめくり上げた。
なんとも小学生らしい悲鳴をあげる凛。下着まで薄紫色だとは。ありがとうございます。
「な、な、なにをするかあ! 公衆の面前で、このようなことっ……!」
「ごめんなさい神様。びっくりしましたっ?」
スカートを押さえながら振り返った凛は、限界寸前まで頬を赤らめていた。
そういや舞は、平行世界で凛に思い切り胸もまれてたっけ。いたずら混じりのお返しなのかもな。
「伊坂舞氏……痴漢かと思いきや、ううう……おぬしであったか」
「神様? もしかしてっ、泣いてます?」
「ぐすっ……な、泣いてなどおらぬ。神が泣くなど……あるわけ、なかろう」
結果、凛は泣いていた。人間に泣かされる神様って斬新だよね。自業自得なところも少しあるけど。
「あああ! 神様ほら、誰も見てなかったですから! 泣かないでください。大丈夫ですよっ」
「うう……だ、誰も我らを見ていない……?」
いや、俺と雨模様が見てた。というか今も観察中。両者のためにも身を隠した方がいいのだろうか。
「はいっ。ですから、涙をおさめてください」
「そうじゃね。誰にも見られてないなら大丈、夫」
周囲を見回す凛。ばっちり俺と目が合った。どうもお久しぶりです。
みるみるうちに凛の顔が紅潮していく。感情の矛先は当然ながら舞に向いたみたいで、
「見られておったではないかあああ! しかも我が一番見られたくない相手にっ!」
「きゃああ! すみませんごめんなさいっ! 嘘付いたとかじゃなくて忘れてただけで!」
「この胸か! これがけしからんのか! 自己主張したい年頃かああ!」
「やああ! そこは、んっ……だめなんですっ! やめてくださいい!」
舞の胸をいきなり掴んだ凛は、かなり強めの力で揉み始めていた。
やっぱり凛は、ただじゃ転ばないんだな。店の音楽が賑やかでよかった。声だけ聞いたら犯罪の現場みたいだし。
いやにおとなしいなと思って隣を見てみたら、雨模様は、赤面しながら舞と凛を見つめていた。
あいつらの絡みは雨模様に悪影響だ。俺は、そっと雨模様の視界を手でふさいだ。
―――――
それぞれが区切りのいい頃合いなので、四人で帰宅することになった。
少し遠回りして進む、海沿いの夕焼け道。前列は雨模様と舞、後列は俺と凛で歩いていた。
西の空から差し込む夕陽が、景色を淡いあかね色に彩る。アスファルトに伸びる影は巨人みたいだった。
さざ波で海面がゆらめくたびに、朱がきらきらと乱反射している。俺は今まで、この絶景に気付き損ねてたのか。
「のう、孝哉氏」
「なんだ? あ、スカートの中なら大丈夫だからな。薄紫色のパンツなんて見えてないって」
「ばっちり見とるではないか! は、恥ずいのう……真面目な話をしにくくなるではないか」
「真面目な話?」
凛は目を伏せて恥ずかしがっていた。ふざける流れじゃなかったのか。
雨模様や舞との距離は開いている。二人に伏せておきたい内容だとしたら、聞かれる可能性はない。
「あれ以来、西条さんの家には行ってないのじゃろ?」
「今のところは。近いうちに、雨模様を連れて行くつもりだけどな」
なるほどそれか。俺と凛だけで交わすには、うってつけの会話だ。
雨模様の本来の体。布団で眠る未雨を見付けたのは、わずか二日前の出来事になる。
雨模様の心の準備期間も考えると、可能な限り早く伝えるべきなのは分かっていた。
しかし、どうしても、ある心配がぬぐえない。そのせいで、なかなか好機がつかめずにいた。決断が付かずにいた。
「じゃあ、未雨氏の存在は、雨模様氏に教えたのかの?」
「ごめんなさいまだ話せてないですごめんなさい」
「なんとへたれな……と言いたいところじゃが、仕方あるまい。簡単な問題ではないからのう」
そう口にして、凛は難しい表情を浮かべた。
――なあ雨模様。雨模様の本名は西条未雨なんだ。本来の体が眠る家も見付けたんだぞ。
未雨が目を覚ますことを、心から願っている人もいる。雨模様のお母さんだ。ちょっと会いに行ってみないか?――
そんなふうに軽い気持ちで伝えられたら、どんなに楽なんだろう。
でも、いざ再会して、雨模様が母親の顔を思い出せなかったとしたら。
雨模様が、すでに過去を捨てていて、雨模様として生きる決意を固めていたとしたら。
心の中が、もやもやする。人生の中でしばしば遭遇する、答えのない問題を解こうとする感覚。
ふと、前方を歩く雨模様の横顔を眺めた。
舞の明るい喋りに、無邪気な笑顔で答えている。その姿は、やっぱりどこか莉子に似ていた。
「……未雨氏を目覚めさせることは、強化された我の力なら可能じゃ」
希望を紡いでいるはずなのに、凛の言葉は、木の葉を揺らす風よりも弱々しい。
「でも、ひとつ問題があってのう……雨模様氏の魂が、未雨氏の体に戻った時は」
嫌な予感が巡る。行き止まりに崖の待つ樹海を進んでいるような気分。
「雨模様氏にまつわる記憶が、消えてしまうんよ。おぬしも伊坂舞氏も、目覚めた未雨氏も例外にはならぬ」
突き付けられた現実の切っ先。それはたやすく理想の枝を切り裂いた。
俺たちが立ち止まっている間に、雨模様たちとの距離は、数十メートルほども開いていた。
「……凛は、凛なら平気なんだよな? 俺たちが忘れてもさ、凛に思い出させてもらえれば」
ようやく喋れたのは、凛に助けを求める言葉。自分の弱さを再認識させられた。
けれど、凛は静かに首を横にふると、
「なくした記憶を取り戻せるかは、我にも分からぬ。何年もかかるか、あるいはずっと……」
わずかに咲いていた救いの芽を、静かに摘み取っていった。
あの時、眠る未雨を前にして、凛が考え込んでいた理由が分かった。
大切な人との記憶を忘れてしまうなんて、記憶喪失か、命を失わない限りはありえない。
でも、雨模様は不思議な存在だ。常識の枠組みから外れた出来事は、これまで何度も見てきた。
伝える凛も、つらかっただろう。俺たちと同じで、たくさん迷いながら生きている神様だから。
「……すまぬ。また迷惑をかけてしもうて」
凛は頭を下げた。悩みすぎなんだ、この子は。まだ小学生だってのに。
俺にも、出来ることの一つぐらいあるはずだ。
写真や寄せ書きで思い出を作るのもいいけど、俺は現在と、先に待つ未来を見ていたい。
「凛」
神様の名を呼ぶ。
「ありがとう」
産土神。雨模様を守ってくれた神様の名前を。
「俺が、雨模様に言うよ。もちろん舞にも」
みんながいるから、俺は笑っていられる。けど、俺はみんなに、なにかを与えられただろうか。
そんなふうに考えたら、俺がやるべきことが自然と見えた気がした。
叶うなら、また四人で集まって、限りある時間の中を生きていきたいから。
「で……でも、みんなが忘れてしまっては、どうしようも……」
「なんとかなるさ」
もう、奇跡を信じる年頃じゃない。凛の話す結末は、おそらく訪れる。
だけど、雨模様に誓ったんだ。離ればなれにならなきゃいけない時が来たら、一緒に考えるって。
雨模様の笑顔が見たいから。みんなに楽しく生きてほしいから。
待ち構えている現実は、きっと、暗い風景ばかりじゃないはずだ。




