9 見送る夕陽に-1
目覚めは良好とは言えなかった。感覚的なものから判断するに、自宅での昼飯後、つい寝てしまったらしい。
まぶたの向こう側が明るい。まだ昼間みたいだな。ひと安心して目を開ける。
雨模様と舞が、俺の顔を興味深そうに覗き込んでいた。
「うわあああ! な、なんだ何がどうした!?」
「起きた」
「起きたねっ」
爆竹がはぜたように上半身を起こす。
こいつらはいつから俺ん家の室内に!? 招き入れた覚えなんかないし、そもそも玄関の鍵閉めてたぞ!
「なんでいるんだよ二人は!」
「怒ると体に良くないよっ。カルシウム足りてる? はい小魚の煮干し」
「会話になってない!」
舞は青いショートパンツのポケットから、おもむろに少量の煮干しを取り出した。
いや色々とおかしいだろ。常日頃から持ち歩いてんのかよ。直接ポケットに入れるのは衛生的になんたらかんたら、あ、これ美味い。
「ええい、舞じゃ駄目だ。雨模様、解説頼む」
「もぐもぐ。えっと、呼び鈴を鳴らしても孝哉が出てこない。ので、私がすり抜けて入って鍵を開けた」
「なるほど。それなら仕方ないか」
煮干しを食べながらの雨模様の説明は、至極まっとうなものだった。
なんだ、原因は俺にあったのか。抜き打ちとはいえ、せっかく来てくれた二人を出迎えないなんて。
「絶叫して悪かった。ありがとうな。いつも来てくれて」
「うん。孝哉は、いつだって私を迎えてくれるから」
「そっか。いい子だな、雨模様は」
「……おかげさま、です」
謝りながら、雨模様の頭をなでる。出会った頃からは考えられないくらい、自然な流れで行えた。
雨模様も、照れながら笑ってくれていた。本当に、けがれのない素直な子だ。しみじみと感じた。
「むううう……」
不意に割り込んで来た、苦悩混じりな舞の声。いつも通りに変なやつだ。ひしひしと感じた。
「どうした? 悩みでもあるのか」
「私も来たのに、雨模様ちゃんだけが優しくされてる……いやいや、なでてもらいたいとかじゃないんだけど、でもなんだろうむかつく、孝哉むかつく」
「おーい」
うつむいて読経のようにつぶやく舞。俺の呼びかけにも反応なし。いっちゃってる系の人みたいだ。
「そりゃ雨模様ちゃんはかわいいし、素直だし、孝哉にも選ぶ権利あるし……でも、なんかこう、もやもやってするの。なんでかな?」
「知らんがな」
なにそのあいまいを極めた質問。幼なじみだけど全く要点が理解できん。
「それはきっと」
自信ありげな口調で話し始める雨模様。
さすが、絶好のタイミングだ。漂流中の舞を助け船に乗せてやってくれ。
「舞さんは孝哉のことが好きなんだね」
「……へっ? 私が?」
時は止められた。雨模様の言葉が引き金となり。
「な、ないないそんなの! だって孝哉だよっ? 見てよほら! こんなのだよ! そうだよね?」
「えっ? いやまあ、その、そうだな。うん」
舞は顔を真っ赤に染めて否定している。確かに普通の高校二年生だけど、なぜだろう、ちょっと心にダメージが来た。
「あのね、長く一緒にいると、自分の気持ちに気付きにくくなるから」
「きゃああ! 雨模様ちゃん待って! 言っちゃだめだってば!」
「私が見てる感じでは、舞さんは照れ屋だから素直になれないけど、孝哉に対して淡い恋ごこ」
「煮干ーし!!」
「むぐう」
話している最中、雨模様は大量の煮干しを口に突っ込まれていた。どこから取り出したんだ舞は。
美味しそうに食べてる雨模様。やや荒い口封じ技は効き目抜群だった。
「あのさ、舞」
「な、なにさっ!」
慌てながらもにらむという高度な態度を見せる舞。ここは幼なじみらしく、的確な言葉をかけるとしよう。
「むかつかせてごめんな。俺は舞も雨模様も、優先順位なしに大切だから、舞のことだって大事に思っ」
「煮干ーしっ!!」
「むぐぐ」
失敗。俺も煮干しを口に押し込まれた。これ超美味い。ずっとはみはみしていたい。
「せっかく三人いるんだから出かけよ! 大丈夫? いいよね、決定っ!」
「もぐもぐ」
窓の外のかすかな晴れ模様を眺めて喋る舞に、同意の返答を試みたのだけど、煮干しの魚群のせいで不発となった。
この街には、娯楽がたくさんあるとは言いがたいけど、みんなで出かけるから、大した問題にはならないだろうなと感じた。
―――――
休日のゲームセンターは混雑していた。
顧客獲得の戦いは苛烈らしい。多彩な機体と動き回る従業員を見ていて、おのずとそう思った。仕事お疲れ様です。
「孝哉、これかわいい」
UFOキャッチャーの前に立つ雨模様は、いかにも簡単に取れそうな配置の人形(白い小さな犬の)を指差して言う。
やばい雨模様かわいい。違った。雨模様が店の策略にハマりかけている。助言しなければ。
「ふっ、いいか雨模様? これは楽に取れるように見せかけて、何回もやらないとだめな仕組みなんだ」
「え、怖いんだね」
「ああ。意外と計算し尽くされてる。得することを目的にした、欲望むき出しの賭けをすると」
「?」
ちらっと、少し離れた位置の舞を確認する。
つい数分前、舞が一時的に俺たちから離れ、いそいそと財布を取り出していたのが見えたから。
「あー! あとちょっとでいけそうなのに! ううう……五百円目、五回目だから大丈夫なはずっ! 私ならできる!」
期待通り、財布から出した百円玉を投入している舞の姿があった。
五回目かよ。舞が取ろうとしているのは箱入りお菓子で、店で買えば三百円でお釣りが来る。
「あんなふうに、途中で止められなくなる。これを泥沼と言うんだ」
「とても勉強になる」
雨模様は心底納得していた。白熱しやすい人は注意すべし。舞みたいにね。
結局は楽しんだ者勝ちなんだけど、分かりやすいほど焦っている舞を観察していると、なんとも複雑な気持ちが芽生えて仕方なかった。
―――――
ゲーセンでの対決の代名詞といえばエアホッケーだろう。
シンプルなルールと簡単な道具での遊び。腕力よりも心理的な駆け引きが要求される。
戦地にいるのは舞と雨模様。十一ポイント先取で勝ち。現在互いに八ポイント。中盤戦を過ぎたところだった。
「どうよ雨模様ちゃん! 河原で戦った時みたいにはいかないからねっ!」
力任せのゴールを決めた舞が誇らしげに語る。
あの時は雨模様の圧勝だったのに、エアホッケーに限っては、両者互角の試合展開を見せていた。
「このままだと負けるかもしれない……えっと、こうなったら」
「へへん、あの時の悔しさが、私を成長させてくれたんだよっ」
文字通りの雪辱戦だ。舞の台詞は一見カッコイイけど、あれはそもそも舞が早とちりしたのが原因だ。
雨模様はパック(円盤)を下から取って台に置き、マレット(握るやつ)を乗せて固定する。
好戦的な表情を浮かべている舞。気合いでは押されがちな雨模様が選んだ作戦とは、
「あれ? 舞さん。肩にゴキブリ付いてるよ」
「え、うそっ! どこゴキブリ!?」
突発的な嘘だった。ヤツって毒もトゲもないのに何故嫌われるんだろな。俺も苦手だけどさ。
人を信じやすい舞は、簡単に扇動された。わたわたしているうちに、雨模様との得点差を許す結果となっていた。
「あー! ひどいよだますなんてっ!」
「ごめんなさい。ゴキブリかと思ったら孝哉だったみたい」
え、なにそれひどくね? 実はたまに攻撃的な性格ですか? そんなごまかしで舞が納得するわけ、
「それ分かる! 私もしょっちゅう間違えそうになるし仕方ないねっ」
するわけあったよ。共感すんなよ。そこは否定してくれてもいいだろちくしょう。でも不思議と悪くない気分です。
仕切り直し。舞がすかさず、パックを雨模様のゴール目掛けて打ち込む。
だが、マレットを上に重ねてパックを止めた雨模様は、脈絡なくこんな話を切り出した。
「ところで舞さんは、私より先に孝哉とキスした?」
「き、な、なにそれ!? また騙そうとしても、そうはいかないよっ!」
「今度は本当。それは孝哉が証明してくれる」
「まさか、そんなっ……えっちすぎるでしょ」
舞はひどく衝撃を受けていた。ひたいを手のひらで押さえている。
一方の俺は、冷や汗をかいていた。恥ずかしいし誰にも明かさないつもりだったのに、よりによって雨模様の口からばらされるなんて。
どうする。どう切り抜ける。よし閃いた。
「あのー、孝哉? ホントなの、かな? そんなことないよねっ」
「事実だな。けど初めてのキスじゃないぞ」
「へっ?」
「最初のキスは俺が0歳の頃。相手は母親だ」
「そっか、なら大丈夫……じゃないよっ! あんまりふざけると怒るからねっ!」
「なんかすみません」
叱られた。謝った。一応真面目な言い訳なのに。
今の隙に雨模様は得点を決めていたらしく、あっという間に舞の敗北に王手がかかった。
もうすぐ勝負は決する。舞の気合いは最高潮に高まっていた。
「まったく孝哉は……雨模様ちゃん! もう私に心理作戦は効かないからねっ! そりゃああ!」
「わっ」
「ぬうん!」
「きゃっ」
「そおぉい!!」
奇声と力ずくの攻撃で、舞は雨模様を追い詰めていく。打ち合いになれば舞に分があるようだ。
何度か応酬が続いていたのだけど、雨模様が打ち返す際、台に寝そべるようにして腕を伸ばした瞬間、ふっとパックが台から消失した。
「?」
「どうしたのっ?」
「円盤が消えた」
マレットを放し、両手を広げながら言う雨模様。
また作戦かと思ったけど、手の中やマレットの下、背中側にもパックを隠している様子はない。
「えっなんで? 孝哉ちょっと見張ってて!」
「任されよう」
不測の一撃を警戒してか、台上の見張りを俺に任せた舞は、足元付近などを手早く探し始めた。
雨模様も周囲を見渡している。じゃあ俺も探索しようかなと、床に視線を落とした数秒後だった。
カコン、と、パックがゴールに落ちる音が聞こえた。何事かと視線を上げれば、攻撃を行った直後っぽい体勢の雨模様。
まさかの試合終了だった。エアホッケー台の稼働が止まる。もうパックは落ちて来なかった。
「あああ! ちょっと孝哉! 見張りがよそ見してどうすんのっ!」
「悪い、魔が差した……でも不思議だな。円盤どこにあったんだ?」
舞に怒鳴られつつも雨模様に尋ねる。どんな手品を駆使したのか。
「隠すつもりはなかった。私が前のめりになった時、胸元の隙間から服の中に入ったみたい」
ワンピースのえり元部分を指でつまみながら説明する雨模様。
確かにパックが消える寸前、前のめりになりすぎて台に密着してたからな。ほんとに偶然みたいだ。
とはいえ、結果的には雨模様の勝ち。破れた舞はがっかりしていた。
「ううう、ひどいよ雨模様ちゃんも。見てないうちに攻撃するなんてっ」
「ごめんなさい。負けたくなかったから……私も、ちょっと落ち込んでる」
「え、どうして?」
肩を落とす雨模様。反則すれすれの手段を使った負い目のせいかなと思いきや、
「私が……貧乳だから、胸を通過して服の中に入ってしまった。舞さんぐらいの大きさがあったなら」
胸の小ささを気にしていただけだった。ちなみに俺は、どっちでも全然大丈夫っす。
「そ、そんな、気にすることないよっ! いろんな好みの人がいるからね。孝哉なんかキス魔だし、ちっとも気にしない、よね?」
「……ごめんなさい」
こわい。どうして暴露したんだよ雨模様。なぜ俺だけが叱られてるんだ。世の中は理不尽だ。
試合に勝って勝負に負けた雨模様。落ち込んだり怒ったり忙しい舞。謝り続けて肩身が狭い俺。
ゲームセンターって波乱に満ちてるんだ。肝に命じておこう。




