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Future for you  作者: とりど
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二月九日② 朝鳥実道の歓喜

 そう、さきほど学校の階段で俺に「バイバイ」と言ってくれた女の子。俺は彼女の声を確かに聞いたことがあった。声だけじゃない、その姿もかすかにだが見たことがあった。


俺は全て思い出した。



 俺は受験生だった。あの日はわざわざ県外の大学へと入学試験の合否を見に行った。今どきはネットでも合否を知ることができるのだが、俺はこの目で実感したかったのだ。わざわざ見に行くという俺の熱意を神様が汲み取って、少しでも微笑んでくれればいいと思っていた。


 しかし、神様は俺に微笑まなかった。俺は一番望まなかった結果を受け取り、失意のまま家へと帰る途中だった。駅についた時、俺は青空に黒い巨大な隕石を見た。そしてその隕石はどんどんと大きくなっていき、地球へと衝突したのだ。そう、衝突する瞬間に俺は意識を失った。隕石がまだ太陽と同じ程の大きさだった時は、実感がなかったのだが、いざ衝突するとなったときのその速度、大きさ、そして圧倒的な存在感に俺は衝撃を受けた。結果を見るまでもなく、人類はお終いだと分かった。そして、衝突の瞬間の暗闇の中で俺は少女の声を聞いたのだ。俺は全て思い出した。


そして、全てを思い出した俺は一つの思いを抱いた。わけがわからない、と。俺には昨日の記憶がある。昨日は家に帰ってから、数学の過去問を解いていた。その後は晩飯を食べ、英作文を勉強し、風呂に入り、寝る前の布団の中では英単語を見直していた。昨日だけじゃない、同じような一日ではあったが、一昨日も三日前もそれ以前の記憶だってちゃんと思い出せる。しかし、俺の頭の中にはもう一つ過去の記憶が存在する。それは合格発表の日から遡る記憶である。つまるところそれは、これから先の出来事の記憶だ。


その記憶はとてもリアルな記憶だ。俺の夢や妄想などと言った言葉でとても割り切れるものではない。試験を受けに行く際の緊張感、前期試験に落ちた時の落胆と後記試験にかける想い、そして再びの落胆、それらの記憶と感情は未だに俺の中をぐるぐると廻っている。それらは全て本当の出来事だったのだろうと思う。ということは、俺は隕石が衝突し、死亡して、再び過去へと戻ってきたと言うことだろうか?


ハッ、と俺は自嘲気味に笑う。あまりにも現実から離れすぎている。まさか自分がこんな陳腐な出来事の当事者になろうとは。


「そういえば思い出した。俺は前にもあの女の子に『バイバイ」と言われ、嬉しく思った記憶がある。それはつまり、『今日』の記憶だ。そして、あの女の子は俺と同じクラスの子だったはずだ」


信じられないことに、俺は自分のクラスメイトの顔を忘れていたのだ。翌日、教室であの子を発見し、俺はとても驚愕した。そして、あの子はクラスメイトだから俺に挨拶をしてくれたのだと分かって、のぼせていた自分を恥ずかしく思ったのであった。ただ、勉強だけをしており、クラスでまともな知り合いがいなかったことの弊害であろう。


 とにかく、今の俺はここにいる。そして、明日から約一ヶ月間の記憶があるのだ。その時、俺の頭の中を占めていたのは大学受験にもう一度挑戦することが出来るということであった。先の一ヶ月の記憶があるので、その間の勉強したことはすでに身に付いている。しかも、俺は試験を一度体験しているのだ。おぼろげながらも前期・後記試験がどのような内容だったかを覚えている。これでもう試験に落ちるはずがない!


 志望大学への合格が目の前に見えてきた俺は一時的に浮かれ気分になっていたが、すぐにこの考えの落とし穴に気づいた。後期試験の発表日、俺は隕石の衝突によって死亡したのだった。合格しようがしまいが、地球そのものが滅びてしまったら意味が無いではないか。隕石が衝突した後、また再び今日に「戻って」くるとも限らない。ならば、受験までのこの残り1ヶ月を勉強などせずに、全力で満喫するというのが正しいあり方などではないか?


否、俺は頭に浮かんだ考えを即座に否定する。俺にはこれからの記憶がある。前期試験に落ち、後期試験に落ち、そして失意の帰宅の途中で母からかかってきた電話に出られなかった記憶、両親へと結果を伝えられずに心の底から後悔した記憶があるのだ。


 正直に白状すると、引きこもりを脱却した時から、俺はもう自分のためには生きてはいないのだ。今はただ、親のために、親に恩返しをすることだけが俺の心の支えになっているのである。だからこそ、なんとしても「合格」しなければいけない。たとえ合格した後、隕石が衝突して地球上の全ての大学が滅びようが、人類が滅びようが、俺の両親を喜ばすことができるならこの1ヶ月いくらでも犠牲にしよう。俺の人生なんて捧げよう。そうこれはチャンスなんだ。俺の最後の挽回のチャンスなんだ。ならばこそこのチャンスに報いなければなんて阿呆なことだろう!


 俺は歓喜した。誰もいない通学路で小躍りした。気分は悪くない。むしろ、試験に合格することのみに集中しようと決心した俺の頭は謎の充足感にあふれていた。



「ただいま!」

「おかえり兄ちゃん」


俺が高いテンションのまま玄関を開けると高校1年生の我が妹が出迎えてくれた。


「なにかいいことでもあったの?」


妹の春は俺の謎のテンションの高さを気味悪く思ったのか、眉を潜めて聞いてきた。


「いや、別になにもないよ。ただ、今日も勉強をがんばろうと気合を入れていただけだ」

「…ふーん、まあどうでもいいけど、あまり根を詰めすぎないようにね。兄ちゃんいつも馬鹿みたいに勉強してるから。必死にならないといけないのは分かるけど、体壊したら元も子もないよ」


馬鹿みたいに勉強をするとはまた面白いことを言うな、と俺はどうでもいいことに口を微笑ませる。


「なんだ春、俺を気遣ってくれるなんて珍しいな。大丈夫だよ、毎日ちゃんと計画を立ててこなしてるからな。自分の無理になるほどは勉強していないよ」

「そう? ならいいけど、お母さんが最近、私に兄ちゃんが勉強してるのを見せて、春も勉強しなさいとか言ってくるんだよね。兄ちゃんが勉強頑張りすぎてるから、私にももっと頑張らせなくちゃいけないと思ってるらしくてさ…」

「そうなのかそれは災難だったな。まあ勉強は確かに大切だけど、春はまだ一年生だし、…今は高校生活を楽しめばいいと思うよ。後2ヶ月もしたらお前も二年生だ。次第に嫌でも受験を意識するようになるだろうよ」

「高校生活は十分楽しんでるよ」

「そうか、ならいいよ。今はしたいことを好きなだけやりばいい。無駄なものは何もない。全てお前の糧になる。結構真面目なアドバイスだ」

「うん。そだね」


俺がいつになく真剣な表情で言うと、春も感じ入るところがあったのか神妙に頷いた。俺はそのまま自分の部屋に向い、少し今の会話のことを考えた。もちろん、春に話した今を楽しめというのはとても重要なことだ。なぜなら来月には隕石が衝突して、この地球そのものが無くなってしまうかもしれないからだ。ただし俺はこの出来事をたとえ妹であっても言うつもりはない。俺のような一人間が巨大な隕石をどうこうするなんてのははなから無理だし、他の人に話したってどうしようもないからだ。もし、(頓狂な人がいて)俺の話を信じてくれたとしても解決策なんてない。自衛隊に隕石のことを話して、隕石をミサイルで破壊してくれ!って頼むなんて、現実感も実現性もないことは絶対に勘弁である。それなら何も知らないまま、俺も人類も短時間の苦しみで死ぬのがいいと思うのだ。


 そして何より大切なのは、俺には人類を救うことよりも、自分が満足したいのだ。試験に合格することで俺の両親を満足させてやりたいのだ。だから、俺は今日も勉強する。問題を解く。昨日と同じように、明日と同じように。

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