表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Future for you  作者: とりど
2/3

二月九日① 朝鳥実道の事情

 笑い声が聞こえ目を開くと、鼻先がとどくほどの距離で橘先生が俺を見つめていた。「うおっ」と俺は驚いて身体を引く。教室に笑い声が響く。


「朝鳥、お前が勉強を頑張っているのはわかる。努力家のお前のことだ、きっと昨日も夜遅くまで勉強していたのだろう? しかしなあ、まだ一限目が始まって10分も経ってないんだぞ。それなのにもう寝ぼけ眼なのは俺に対する挑戦と受け取るぞ」


 橘先生が苦笑しながら俺に言う。少しうとうとしてしまったようだ。俺の席は教卓の目の前なので、そこで寝ていればどんな老眼の先生だろうが気づくだろう。いけないと俺は気を引き締める。


「センターが終わってからもうすぐ一ヶ月経つから、お前らの中にも気が抜けてきたやつが出てくる頃だろう。だが、それじゃあ駄目だぞ。この残り一ヶ月がお前らの人生を左右すると思えよ」


 橘先生がいつもの調子で生徒を脅している。しかし、言っていることは反論のしようはない。センター試験が終わって一段落はついたが、すぐに二次試験へと切り替えなければいけない。それが受験生というものである。この西光ヶ丘高校、略して西高もそこそこ有名な進学校である。通う生徒の95%以上は大学へと進学する。だから教師陣もモチベーション高く、生徒たちにことあるたびに激励をしてくるのだ。


 橘先生が指摘した通り、俺は昨夜も日付が過ぎた後も勉強をしていた。六限が終わったらすぐに帰宅し、家についてからずっと勉強をしていたので、食事や風呂を除けば七時間程度は勉強してはずだ。進学校に通い、有名大学を目指す受験生にはこれくらいの勉強時間は必要なのである。特に俺のような国立大学の医学部を目指す受験生はもっともっと勉強をしなければいけない。


 俺は少し伸びをして、授業に集中する。センター試験が終わった今の時期の授業は二次試験の特別対策講座のようなものになっている。橘先生は数学の教師であり、二次試験で数学が必要である多くの生徒は真剣に話を聞いている。三月初旬の前期試験まで後一ヶ月ほどしかないのだ。時間の足りなさに比べてやることはたくさんある。


 一限目が終わり休み時間になっても、俺は席を立たずに鞄から参考書を取り出す。俺には休み時間に特に親しく話すようなクラスメイトはいないし、また、一分だって時間を無駄にしたくないと思う。俺はどうしても受験に失敗したくないのだ。


 俺はこの学校では少々特殊な存在だ。というのも、俺は現在高校三年生だが、一緒にいるクラスメイトよりも一歳年上だ。つまりダブっているのである。その理由を一言で言うと俺は去年、引き篭っていたのだ。他人とのコミュニケーションが怖い、高校へ通う目的がわからず、モチベーションが上がらない。このような現実との齟齬や不具合から無気力になった俺は、高校へと行かずに約一年間を自分の部屋で過ごしていた。


 引きこもりだった俺が現在復活し、医学部合格という高い目標を持って日々努力するようになったのには涙なしでは語れない長い話があるのだが、ここでは割愛しよう。とにかく俺は一年前までは引きこもりをやっていて、そして今は見事復活を遂げ、受験のために毎日懸命に勉強をしているのだ。


 そういうわけで、他のクラスメイトより一歳上の俺はこのクラスに知り合いというものが皆無だ。俺が留年生だという噂がどこからか広まったようで、あえて親しく話しかけてくる人もおらず、俺も生来培った人見知りのおかげでクラスの空気的ポジションをがっちりとつかんでいる。


 授業を受け、休み時間は自分の席で勉強をする。それを繰り返しているだけで、あっという間に学校での一日は終わった。鞄を手に取り、今日も家へと帰り勉強をしなければならない。教室にはまだ多くの人が残っており、友達とどうこうなどと談笑を楽しんでいるようだが、ノーフレンドの俺には全く関係ない。むしろ早くこの場を離れたいくらいだ。


 下駄箱へ向かうため階段を降りる途中、俺は前方で女の子を発見した。いや、こんな言い方をすると俺が女の子を見つけたことを特筆するような悲しいやつにも思われてしまうが、その女の子は携帯電話で電話をかけていたのだ。ここで言っておくと俺の高校は地域でもそこそこ有名な進学校である。進学校というのは往々にして頭が固いもので、うちの高校では校内への携帯電話の持ち込みが禁止されているのだ。もちろん、このご時世に携帯禁止と言われても、守る生徒はほとんどいないのだが、それでも校内で電話を使用しているのが見つかれば、先生に没収されて小言を聞かされるはめになる。そのため、生徒はみんな電話やメールをするときは隠れて使用しているのだ。

 俺がわざわざこの女の子に目を止めたのは、彼女が階段にもたれかかりながらどうどうと電話をかけていたからである。少しは周りに気を使った方がいいんじゃないかと俺は内心苦笑いをしながら彼女の横を通りすぎる。通り過ぎる時にちらっと彼女の方を見ると、彼女も俺の方を見る。そして、女の子は俺を認識して、少し嬉しそうに笑って、


「バイバイ」


 なんと、その女の子が電話をかけながらも、俺に挨拶をしてきたのだ! しかも少し手を振りながら!


「…あ、うん。バイバイ」


 とっさのことに驚いた俺は少しどもりながら挨拶を返す。恥ずかしいので足はそのまま動かして下駄箱へと向かう。予想をしてなかった一言に俺の心臓は今も高なっている。あんな女の子が知り合いにいたかと自問するが、答えはノーだ。俺の同級生は約一年前に卒業してしまった。もともと友達が少なかった上に、同級生もいないこの高校で、俺の知り合いといえるのは両手の指の数ほどもいない。


 帰り道もあの女の子のことを考えていた。一年間引き篭っていたせいか、人と接するのが前よりも苦手になった気がする。突然女の子に話しかけられれば、俺の心臓の高なりが抑え切れなくなっても仕方ないだろう。


 「バイバイ」 あの子の言葉を頭の中で反芻させる。しかも、少し微笑んでいたし、可愛い子だったと思う。でも、顔は全く見たことがない子だった。もしかして、俺を誰かと間違えたとかか? それならあの「バイバイ」の訳も分かる。そんなことを考えながら俺は歩みを進めていた。

 「バイバイ」「バイバイ」「バイバイ」 気持ち悪いと思われるかもしれないが、気が高ぶった俺は帰り道中ずっとあの子の声を頭の中で再現させていた。そうずっと、家につくまで。だからこそ何かデジャブを感じた。この声に聞き覚えがあるというデジャブを。


 少し低くて、静かという印象を受ける、そんな声。俺はこの声をどこかで聞いたことがあるような気がする。どこだったかがすぐには思い出せないが、確かに聞いたことがある。どこか遠いところ、そこは外だったと思う。しかも、今と同じ冬だったと思う。俺はきっと以前に彼女と話したことがあるんだ。だから、彼女は俺にわざわざ挨拶をしてくれたのだろう。


 そのように彼女が挨拶をしてくれた理由が判明したことで、すっきりとした気分になった。そしてその時突如、記憶の本流が一気に襲ってきた。忘れていた夢の出来事を思い出すように、大量の記憶が一気に俺の頭の中にあふれたのだ! 俺は確かに彼女の声を聞いたことがあった! しかも、同じ冬、外、俺はあの声を聞いた。暗黒の闇の中、風が轟々と吹き荒れ、たくさん人が嘆きの声をあげる中、俺は確かにあの声を聞いたのだ!


 俺は全て思い出した。以前、彼女は俺にこう言った。


「…あなたは未来を失った」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ