赤雪姫
私的に展開が急な気がします。ご注意ください。
※ジャンル変更しました
それまで淡く輝いていた満月が紅く染まり始めた時
すぐ傍にいた友人は音もなく地に崩れ落ち
白かった雪は、目の前で赤く塗り変えられていった
その赤い雪の上に佇み、月光を受けて微笑む彼女は――ただ、美しかった
「なあ、知ってるか? また赤雪姫の犠牲者が出たらしいぜ」
レイサリア国ルデンエ郊外喫茶店『ミラルノ』
リレイが頼んだホットミルクに息を吹きかけて冷ましていると、目の前の男が唐突に話を振った。
「赤雪姫?」
喫茶店内に人の出入りは少ない。出すものはそれほど悪くないのだが、店の場所が表通りを外れて見つけにくいせいで、一種の穴場のような所になっている。
店の内装も洒落ていて、よくこの店に来ることが多い。目の前の男はコーヒーが旨いといって入り浸っていて、すっかり常連になっているようだ。注文の時にいつもの、と言って注文していたから、余程たくさん来ているのだろう。
せきゆきひめ、と言われた言葉を反芻してから首をかしげる。聞いたことのない名前だ。さも当たり前の様な口調でいっていたが、それは何なのだろう。
何それ? と率直に聞き返すと、男は話そうとしていたことを中断してため息をついた。
「お前ってほんと……世間知らずというか、何というか……俺はお前の将来が不安でならないよ」
「不安とかどうでもいいんだけど」
眉根を寄せる。世間知らずの自覚はあるが、そこまで言われるほど酷くはないはずだ。将来についてあれこれ言われるほど、常識がないわけではない。大体、リレイは一人暮らしだ。今のままで十分生きていけている。
「はいはい……赤雪姫のことな。リレイ、本当に知らないか? かなり有名だぞ?」
「知らないよ」
そんなに言われても、知らないものは知らないんだから仕方がない。
リレイは再びホットミルクに息を吹きかけて冷ますことにした。猫舌なので、熱いままだと飲めない。だからと言って冷たいものだと、この時期余計に冷えるので却下だ。
そろそろいいかなと思って口をつけてみると、まだ熱くて少し火傷した。慌ててカップを口から離す。
それを一から十まで見ていた男はと言うと、茶化すでもなく笑うでもなく、大真面目に猫舌も大変だな、としみじみと呟くと、自分のカップからコーヒーをすすった。
「赤雪姫っていうのは、今をときめく殺人鬼のことなんだけどな。その名前の由来っていうのが――リレイ、白雪姫って話知ってるか?」
「さすがに知ってるよ。お伽噺だよね」
そう答えると男はあからさまに安堵した。それははたして余計な説明を省けたからなのか、それを知らないと言うと思っていたからなのか。その様子を眺めていると、こっちの視線に気がついたのか、慌ててそうだよな、知ってるよな、と言ってきた。慌てるなんて珍しい。
いいからさっさと話してくれない? そんな視線をじーっと送っていると、男はバツが悪そうな顔をして話しだした。
赤雪姫っていうのは、後からつけられた名前なんだけどな。順を追って説明していくから、興味がないところも一応聞いておけ。
最初の犠牲者が出たのが、確か二週間ぐらい前。被害者は若い男で、現場はルデンエの東区路地。男の体は心臓を貫通している致命傷が一つと、そのほかにも数か所を深く切り裂かれて、体から血が全て流れてしまっていたらしい。傷の付いた順番なんかも分かるわけがないから、死因が大量失血によるものなのか、致命傷によるものなのか分からなかったそうだ。その時はちょうど初雪が降った時で、男の体から流れ出た血は白い雪を染め上げて赤く染まっていたんだと。
それからは被害者が出るたび死体はいつも雪の上に見つかるんだ。体を切り刻むっていう手口も全く同じ。こう来れば犯人は同一人物だって分かるよな? 警察は人体を切り刻むっていう手口があまりにも残酷だって言うんで躍起になって探していたんだ。血眼になってさ。
だけど一週間前……いや、五日前か。西区の広場で警官の死体が三人分発見されたんだ。多分巡回中に殺されたんだろうな。警官の一人は銃を握りしめたまま死んでいたそうだ。
それからは警察の動きが鈍くなっちまって。まあ複数人で行動していてもあっさりやられた例があるから無理もないけどな。銃を握って死んでた警官も、発砲した形跡がないんで、犯人のやり口は余程の早業だったんだろうな。
そんなわけでそれからはほとんど進展はなく、昨日また赤雪姫の犠牲者が出たそうだ。誰が被害にあったのかまでは分からないけど。
「白雪姫がどうこうっていうのは?」
先ほど聞かれた単語が未だに出てこないのが不思議で聞くと、男は今から話そうと思っていたところだ、と笑った。
「リレイ、お伽噺の白雪姫って、どんな容姿だったか覚えているか?」
逆に質問されて、きょとんとする。いきなり訊かれたところで、話の内容さえうろ覚えだったリレイは、白雪姫の容姿まで覚えているはずもなかった。
「……肌が白いから白雪姫なんだっけ?」
名前から連想して適当に言ってみると、男は苦笑してリレイの頭をぽんぽんと叩いた。適当に言ったのが分かったらしい。
男は手元にあったコーヒーを一口啜ると、また説明を始めた。
「それもあるけどな。白雪姫は雪のように白い肌と、血のように赤い唇、黒檀のように黒い髪を持った娘とされている。
それでこの容姿が、犯人にそっくりなのさ。
犯人は口封じなんてどうでもいいって感じで、目撃者が結構いるんだ。で、そいつらは、その犯人が白雪姫の様な娘だって口をそろえて言うんだよ。綺麗な娘だってな。でも、白雪と呼べるほど綺麗な生き方してないだろ? 殺人犯なんだから。だから白い雪を赤く染め上げるその殺し方になぞらえて、『赤雪姫』って呼ばれるようになったのさ。まあ、目撃証言はいくらでもあるのに未だに捕まえられないっていうのが、不思議と言うかなんというか……」
目の前で語る男の話は、頭の中でぐるぐると回っていた。
――赤雪姫
雪を赤く染め上げる、月下の殺人鬼。
雪のように白い肌、血のように赤い唇、黒檀のように黒い髪の娘。
脳裏に浮かびあがるのは、昨日見た忘れられない光景。
傍にいた友人は倒れ
目の前の雪は赤く塗り変えられ
紅く染まった満月の光を浴びて、微笑む彼女
――ああ、そうか
彼女は、赤雪姫と呼ばれているのか。
手に持っていたホットミルクを口に含んでみると、すっかり冷めていて飲みやすかった。
「お前、気をつけろよ。世間知らずだし、鈍感だし。見ていて不安になるわ」
「……そんな不安とか言われても」
気をつけてどうにかなるものじゃないだろう。そういうのは。
じゃなきゃ被害者なんて出るはずもない。
さっきからすっかり喉が渇ききっていたので、冷めて飲みやすくなったミルクを一心に飲んでいると、飲み終わるのと同時に男が突然声を張り上げた。喫茶店内のあちこちで話声があったためか、大して店内に響き渡らなかったのは幸運である。
「よし! 今日はリレイを送ってやるよ! 赤雪姫は別として、お前は道端で転んだりしそうだからな」
「……転ばないよ。さすがに」
この男はどこまでリレイを鈍くさいと思っているのだろうか。
「いいから頷いとけって。冬は日が短いんだから。お前の家に着くころには、今頃真っ暗だぞ?」
「そうなの?」
「ああ。……それにしても、ホットミルクか。まだまだ子供っぽいな」
一瞬、何のことか分からなかったが、飲み物のことを言われたと気付くと、なんとなく馬鹿にされた気がしたので、テーブルの下にある男の足を蹴った。
随分思い切りいったようで、ドスンという擬音とともに男がいって! と言ったのが今度こそ店内に響いた。
レイサリア国ルデンエ郊外西区墓地付近
空の色はすでに暗く、道路に等間隔に設置された街灯だけが光源だ。しかし、その光が足もとに降り積もった雪に反射して、夜道でも十分見渡すことができる。
暗い夜道を二人で歩く。人通りはない。赤雪姫の話があるから、たいていの人はすでに家に入ったのだろう。横を歩く男の話に適当に相槌を打ちながら、帰り道を急いだ。
家に帰る道の途中で墓地の横を通った時、視界の隅に何かが映った気がして、リレイは足を止めた。その方向……墓地のほうに視線を向けてみるも、街灯の届かない墓地内は暗く、目を凝らしても何もおかしなものは見えない。
……見間違いだろうか。
「どうかしたのか?」
急に足を止めたリレイを不審に思ったのか、斜め前から男が訝しげに尋ねてくる、それに応えようと男のほうを向こうとすると、再び視界の隅で何かが動いた。
……なに、あれは。
男を無視してじっと墓地内を見つめる。視線を戻すと何かはまた分からなくなったが、それとは別に、不意に不思議な感覚がした。酷く落ち着かない気分になる。
まるで、こっちに来いと言われているような、誘われているかのような、そんな感覚。
……誘っているの?
「……ちょっと、待ってて。嫌なら先に帰ってていいから」
振り返らずに声をかけると、墓地を囲っている柵の切れ目を視線で探す。幸運なことに、切れ目はすぐ傍にあった。
「は? ちょっと待て。なんで墓地に行く必要があるんだ? どうかしたのか」
「いや、どうもないけど」
男が訝しみながらもついてこようとするのを制して、リレイは珍しく笑った。
「ちょっとした好奇心だよ」
待っててね、と釘をさして踵を返すと、墓地の中へとはいっていく。男は滅多に見られない笑顔を見て勢いがそがれ、釘も刺されたのでなんとなく付いて行きにくくて、大人しくリレイを待つことにした。
後ろから迫ってくる人影に、最後まで男が気づくことはなかった。
暗い墓地の中を、辺りを見渡しながら歩く。足もとに広がる、踏み固められて居ない雪が、歩く速度を鈍くしていた。
先ほど見えた動く何かは、何処にも見えない。どこに行ってしまったのだろうか。
雪が積もって見えにくくなった墓石に躓きそうになって、慌てて体制を立て直した。
暗い。白い地面だけが、外からの光を反射して辛うじて明るくみえる。
心臓がどくどくと鼓動を刻んでいる。何と形容すればいいのか分からない気持ちがこみ上げてきて、少し焦った。恐怖ではない。でも、気持ちは急いている。
数分の間うろうろと、自分でもよく分からなかったものを探していると、遠目から墓地の奥にある開けた場所を見つけた。
そこに行けば何かがある気がして、本能の様な何かに従ってそこを目指す。
そしてそこで彼女を見つけた瞬間に、自分が抱いていた気持ちが何だったのかが分かった。
そう、これは――
「こんばんは」
――喜び、だ
赤い雪の上に佇む彼女が、昨日の光景に重なった。
純白の肌に赤い唇、そして漆黒の髪に――瞳は、唇よりも深い深紅。
紅い瞳は、本来ならば生まれるはずのない色彩。でも、その血のように紅い瞳は、昔、見たことがある気がする……所詮、作り話の中でだけだけど。
そしてそれは、暗闇の中に居る彼女に、ぴったりと当てはまる気がした。
もしかして彼女は、白雪姫に喩えられるよりも――
「……吸血鬼?」
そう呼ばれるほうが、似合うのではないだろうか?
返り血を浴び、赤を纏った赤雪姫は、吸血鬼と呼ばれて微笑んだ。
「この人、あなたの連れでしょう?」
昨日と違い、空には分厚い雲がかかっている。なのに彼女の姿は、何故か夜目にも鮮やかに見えた。
彼女が指をさした先を見てみると、彼女の足元には人が転がっていた。きっと、この雪を染めた人なのだろう。出血が酷く、赤い雪はどんどん浸食を広げている。
その人の近くにしゃがみ込む。俯いて雪に埋まっていた顔を、少しずらして覗きこんでみると、墓地の外で待たせていたはずの男だった。
「……本当だ」
待っててって言ったのに。
近づいてもピクリとも動かない男の体を見てみると、心臓を貫通している傷がある。仰向けにして、口のそばに手を寄せても、一向に空気は動かない。完全にこと切れていた。
「殺しちゃった?」
男の体に触れたことにより、手にべったりと付いた血を眺めてから、彼女を見上げる。恐怖でも、憤りでもなく、普段の様な静かな瞳でただ『聞いただけ』の行為は、しかし彼女には奇異に見えたらしい。
彼女はおかしなものを見た、とでもいうようにリレイを見つめ、見れば分かるでしょ、と言った。
「あなた、何も感じないの? 昨日もそんな感じだったし」
……そんな感じ?
昨日は、ただ彼女を見ているだけだった。すぐ傍で倒れた友人から、彼女に視線を移して、少しすると、彼女はいつの間にか居なくなっていた。
感じない。感じる。何を?
――殺したことに対して、どう感じるか、ということ?
目の前の男を眺める。すでに生きてはいない、遺体だ。
それにつけられた傷から、幾筋もの血が流れ出し、雪にしみ込むさまを見て――綺麗だと、漠然と思った。
「……綺麗だとは思うけど」
するりと口から漏れ出た言葉は偽らざる本心で、だからこそ、彼女が不審に思った理由に気付けない。
「連れを殺したのよ? 怖いとか、悲しいとか、そういうことは思わないの?」
怖い、悲しい……ああ、そういうこと。そういう意味で言っていたのか。
「僕、感情が薄いから」
だから、そういうことは思わない。そういうと、彼女はそう、と呟いて、黙り込んでしまった。
もともと、悲しいとか嬉しいとか、そう思う事が少なかった。たまに思い出したように周りに合わせて、必要以上に不審がられないようにしていた。
無表情……表情が無いと言うよりも、表情が変わらないと言われたことは、何度もある。
ぼぅっと視線を下に落としていると、彼女の呟きが聞こえてくる。
「……欠陥品なの」
確認するかのような、自分を納得させるかのようなそれに、うんと返すと、彼女の言葉を反芻した。
欠陥品。情というものが多少なりとも欠落している僕に、きっとその言葉は合っている。
現に、足もとの男の名前さえ、もう思い出せないのだから。
「今、あなたを殺すと言っても、きっとあなたは恐怖も感じないでしょう?」
「……そうかもね」
男に触れたことにより真っ赤に染まった手を見下ろし、リレイは殺された自分を想像してみた。きっとその時僕は、倒れている彼と同じように、その純白の雪を赤く美しく染めるのだろう。
そうなるのなら、それもいいかもしれないと思う。
「……ねえ」
いつの間にか、空を覆っていた分厚い雲は姿を消し、そこから真っ紅な月が顔を出していた。
紅い月光が彼女を包み、昨日のように紅い雪の上に佇む彼女は、とても美しく見える。
月と同じ色をした彼女の紅い瞳と目を合わせると、彼女は優しく微笑んだ。
「もし私が、あなたが言っていた吸血鬼だとしたら、あなたはどうするのかしら?」
試すように、挑むように、挑戦的な言葉を口の端に乗せる彼女は、とても楽しそうだ。
だから僕は、彼女の笑顔に負けないように、めいっぱいの笑顔を向けた。
「僕の血でも、あげようか?」
――きっと僕は、あの時既に、魅入られたのだ。
白の雪を染め上げるその赤に、全身に赤をまとった彼女に。
どうしようもないほど、どうにもならないほどに。
「じゃあ、貰おうかな」
首を貸して? と笑う彼女に、大人しく首を向ける。
「大丈夫、貴方は殺さないから、安心して」
彼女がしゃがみ込んでくる気配を感じながら、目を閉じた。
「ねえ、名前を教えてくれない?」
「……リレイだよ」
「私はミレイ。名前似てるね」
これからよろしく、と言って、彼女は僕の首筋に噛みついた。