アメリアは知らなかった
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縄張り争いというのは、自然界では当然のように存在する生存競争だ。
自分たちが生きるために、他の生物を淘汰して餌場を奪う……厳しくて残酷だけど、法も契約もない動物たちにとっては、自分たちが生き残るための正義の所業である。例え何を犠牲にし、何を巻き添えにしてでも。
「ドラゴンは執念深い……私は以前、殿下にそう教えましたよね? これが実力に開きがあるのなら、縄張り争いも早期に決着していたんでしょうけど、実力が近くなると長期化するケースが多々あるんです」
大抵の動物なら、負けを悟ればすぐに逃げ出す。たとえ相手の実力が自分と近くても、怪我などをすれば早々に立ち去る。少なくとも、一日中戦い続けるというケースはまず存在しないと思う。
けれどドラゴンは違う。体力が他の生物と比べても図抜けた高く、滅多なことでは怪我もせず、仮に怪我をしようものなら却って闘志に火が付く……それがドラゴンという種族であり、大型種ともなれば、この傾向はより顕著になる。
「更に言えば、キリガクレナガヒゲリュウが縄張り争いの片棒を担いでいるっていうのも、長期化の原因でしょうね」
濃霧で視界を遮り、身を隠すことで、外敵からの攻撃を避けたり、不意打ちに使ったりするキリガクレナガヒゲリュウだけど、場合によっては縄張り争いの相手となっているドラゴンが、濃霧を警戒するケースも、私は知っている。
特に空を飛ぶのが得意なドラゴン。濃霧が届かない上空から敵を俯瞰できる種族が相手となると余計に。
「ドラゴンは相当頭が良い。キリガクレナガヒゲリュウと同じ陸上戦が得意なのならともかく、空を飛ぶドラゴンが濃霧に包まれた相手と同じ土俵に立つなんて馬鹿なことはしませんよ」
「つまり……我々が濃霧を確認できた時から今に至るまでの長期間、キリガクレナガヒゲリュウが同等の力を持つドラゴンから狙われていると? 全ては魔力の噴出孔を独占するために?」
「そういうことです」
この濃霧は、いわばキリガクレナガヒゲリュウが臨戦態勢に入っている合図。それが長期間発生し続けているという事は、つまり殿下の言う通りという事だ。
「現にほら、見てください。周りの木々が、嵐に見舞われた後みたいに、斜め向いたり折れたりしてるでしょ? 中には焦げて黒くなっている木もあるし、柵代わりのロープを張る為の杭が、幾つも吹き飛んでいる……多分これ、ドラゴン同士がブレスの撃ち合いをした跡ですよ」
恐らく、縄張り争いをしている相手は濃霧の向こう側から遠距離攻撃を繰り返すことで、在来種となっていたドラゴンを追い出そうとしていたんだと思う。それに対抗するべく、キリガクレナガヒゲリュウも応戦。攻撃の意思を受けたことで、襲撃者もヒートアップし、それがループしたって感じかな。
しかも折れ口から新芽が生え始めていることからも分かる通り、前回の縄張り争いからそんなに時間が経っていない。
「片や濃霧に隠れ、片や遠距離攻撃に徹してのブレスの撃ち合い……そりゃ魔力が続く限り続けるでしょうけど、ドラゴンの魔力量も考えると、長期化して当たり前って言うか」
「膨大な魔力がぶつかり合えば、強い衝撃波を発生させて周辺を破壊する現象が起こる。辺りの木々は、その余波を受けてこうなったということか……さながら、自然災害が形を成したかのようだな」
どこか緊張したような面持ちで呟くユーステッド殿下。
自然災害の化身……言い得て妙である。付き合い方次第では人に恩恵をもたらすドラゴンだけど、大型のドラゴンは時に災害のように周囲を薙ぎ払う力を振るうこともある。
「そうですね。私もドラゴン同士の縄張り争いをしているところを見たくて近くで見学してたら、ブレスにブレスをぶつけるっていう瞬間に立ち会っちゃって……あの時はアホほど吹き飛ばされましたもん。ダウンバーストに巻き込まれるのって、多分あんな感じなのかも……」
「貴様は本当に自重しろ! そんな事をしていて、何時か大怪我をしていたらどうするのだ!?」
「まぁまぁ、今それは置いといて」
目下の問題は、大型のドラゴンであるキリガクレナガヒゲリュウと長期間争いを繰り広げることが出来る生物が、執念深くこの縄張りを狙っている……ということだろう。
「この湖の底にある魔力の噴出孔を狙い、大型のドラゴンとも実力が互角の相手となると、相手も大型ドラゴンであると考えるのが自然。そしてその正体というのが……」
「濃霧と同時期に目撃されるようになった、雷雲という訳か」
私の言おうとしたことを先回りするように呟くユーステッド殿下に、私は黙って頷く。
「アメリア、現時点で心当たりはあるか?」
「あるにはありますけど、候補が多くて絞り込めていないですね。十中八九、雷竜目のドラゴンだと思いますけど、雷雲を発生させる種族って結構いますし」
雷竜目のドラゴンが雷を発生させる手段は、大きく分けて二つ。
デンキウナギのように体内に発電器官を持ち、そこに魔力を流し込むことで電気を生み出し、体外に放つ種族。ちなみにジークも同じ。
そしてもう一つが、固有の魔法によって雷雲を発生させ、それを操ることで電気を放つ種族。
基本的に、雷の属性を司るドラゴンはこの二つのどちらか、あるいは両方の能力を持っているから、今の段階だと候補となる種族が多すぎるかな。
「周囲の木々の中に焦げているのがあるのも、雷撃を落とした跡なんでしょう。いずれにせよ、このまま縄張り争いが長期化するのは人間側としても、ドラゴン側としても良くない結果をもたらすでしょうね」
人間側の被害というのは、言うまでもなくオズウェル領の経済的被害だ。
観光の要でもあるアラネス湧水山が濃霧で覆われ、ドラゴンの雷撃がいつ降り注ぐかも分からない状況……もしこのことが公になれば、観光客が来なくなるどころか、地域住民だって避難の為に街を離れる可能性がある。
そしてドラゴン側からしても、縄張り争いを長期化させるのはシンプルに大きな負担になる。怪我の危険性、魔力の消費に伴う体調不良。縄張り争いが長期化し過ぎれば、流石のドラゴンだって衰弱し、そのまま死ぬことだってあり得るのだ。
「それはそれで自然の摂理……何が起こっても仕方ない事ではありますけど、損害を防ぐっていう意味でなら、どちらかのドラゴンを説得し、縄張り争いを止めた方がいいですね」
「つまり、魔石を餌にして誘導し、この地から離すということか」
殿下もいい加減、ドラゴンについても分かってきたらしい。私が言いたいのは正にそれだ。
「まぁ今日のところは濃霧の原因が判明しただけでも収穫ですよ。これ以上ここに留まり続けたら……縄張り争いに巻き込まれて、私たちも死んじゃうかもですし」
「「…………」」
何でもないかのように呟くと、ユーステッド殿下とヴィルマさんが同時に固唾を呑んだ。
実際に縄張り争いを見学して巻き込まれた私の言葉なだけに、我ながら妙な説得力があったんだと思う。実際、大型ドラゴンの力は殿下が対峙したシメアゲカエンリュウのゲオルギウスよりも上だし、その大型ドラゴン同士の縄張り争いに巻き込まれて生き残るには、運の要素が非常に重要になるし。
「とりあえず、今日のところはキリガクレナガヒゲリュウの身体や魔力量のデータを採取してから帰還しましょう。危ないと思ったら先に帰ってもらっていいんで」
「危険だと言っておきながらデータ採取を中断するという選択肢がないのか、貴様は……」
当ったり前である。こんなレアケース個体を目の前にしてデータを採取しないなんて、ドラゴン研究者失格だ。
その後、私は湖に再びダイブしてキリガクレナガヒゲリュウの身体と魔力量データを計測。それが終わるまでの間、殿下たちは律義に私を待っていてくれた。
=====
第一回目の調査を終え、濃霧の原因がドラゴンであることが判明し、雷雲の正体もドラゴンである可能性が高くなったことを領主官邸に報告し終えた私たちは、ホテルで食事と入浴を済ませてから、東門前の野営地で夜を明かすことにした。
「……うん。シグルドたちも、調子が戻ってきたかな」
夜の草原を照らす焚火の明かり。その周りを歩き回るヘキソウウモウリュウたちの姿を見て、私はひとまず胸を撫で下ろす。
気化したアルコールでヘロヘロ状態だったけど、水を飲ませながら時間が経過するにつれて、体内のアルコールも分解出来てきたらしい。その足取りはいつもと変わらないくらいには安定しているように見えた。
「どうだ、ドラゴンたちの様子は?」
その時、ユーステッド殿下がランプを持ってこちらに近付いてくる。
「えぇ。アルコールはあらかた抜けたみたいです。とはいっても、今回の調査には、やっぱり連れて行けそうにないですけどね」
アルコールの影響がどのくらい及んでいるのかは、たった一日の経過観察では判断できない中、あんな濃霧で視界が遮られた場所に連れて行けないというのもそうなんだけど……。
「ドラゴン同士の縄張り争いが発生しているのがほぼ確定的な場所に、中型以上のドラゴンなんて連れて行ったら、角を介して敵意と害意が伝播して、争いがさらに激化しそうですし」
「……それは、考えただけでも恐ろしい地獄絵図だな」
今は山からも離しているからどうにかなってるけど、もし私が危惧していることが現実となれば、もう収拾が付かなくなる。下手をすれば、アラネス湧水山どころか、ミリセントの街まで崩壊するんじゃなかろうか?
「……それで? その腕にかけているのは何ですか? 殿下」
私はユーステッド殿下が両腕に抱えていた物を指差して聞いてみる。
何やら店のロゴみたいなのが入った紙袋を複数個抱えている。領主官邸に調査結果の報告に行った後、『少し寄りたいところがあるから』と言って、私たちを先に野営地に帰らせたんだけど……どうやらその時に買ってきた物らしい。
「あぁ、街で酔い止めと酔い覚まし……アルコール分解に一役買う薬の類を一通り買い揃えてきたのだ」
そう言って、ユーステッド殿下は大真面目な顔で紙袋の中身を並べる。
いずれも酒酔いに聞くポーションやら丸薬みたいだけど……。
「ミリセントの街は酒造で有名だが、それに伴う需要を満たす形で、酔い覚めや酔い止めの魔法薬というのも手広く販売している。これだけあれば、アルコールに酔ってもいつでも対応できるだろう」
「あぁ、なるほど。自分用にという事ですか。殿下は匂いだけでノックアウトしてましたし、この酔い止めっていうのを事前に飲んでおけば、またぶっ倒れる心配も無いって訳ですね」
「いや、確かに自分用にも買ったのだが、大半はドラゴン用だ」
…………何で?
「私は彼らを辺境伯軍に迎え入れる際、契約書を用意してあらゆる保障を約束した。魔石の安定供与に、厩舎の建設と整備、そして飼育や作戦活動中における怪我や病気に見舞われた際の治療保険といったものだ」
「もしかしてあの契約書って成立してたんですか?」
初めてヘキソウウモウリュウをウォークライに連れて帰ろうとした時、相手が誰であれ契約は契約だからとユーステッド殿下が提示したら、当のドラゴンたちからは『何言ってんの、こいつ?』とばかりに首を傾げられてガン無視された、あの契約書。
まさかあれにドラゴンたちがサインしたとでも言うんだろうか?
「いや、彼らは契約書に署名しなかった。サインがされなかった以上あの契約書も無効だろう……だが、契約があろうと無かろうと、我が軍で共に戦う以上は責任をもって最後まで面倒を見るという事に変わりは無い。命を預かり指揮を執るという事はそういうことであり、今回彼らがアルコールに酔って体調を崩したのは、我々の指揮による結果。ならばその治療を、保証契約を交わした辺境伯家の人間として率先して行うのは当然の事だろう」
相変わらず、至極当然とばかりに大真面目な顔で言ってのけるユーステッド殿下。
私はこの人のこういう生真面目なところは素直に凄いと思う。私の生活習慣とか価値観とか、色々と合わないこともあるけど、相手が何者であっても公平であろうとするところは、割と好きだ。
「見ろ、ドラゴンは基本的に魔石以外の固形物は口にしないが、水などは飲むからな。液状タイプや水に溶かす魔法薬などを中心に取り揃えてきた。これさえあれば、この者たちも酔いから解放される……私と同じ苦しみを味わわなくて済むと思うのだが、どうだろう? どれが一番適しているか、アメリアの知見を聞きたい」
「殿下……」
そんなとんでもなく慈悲深い声でヘキソウウモウリュウの体を撫でる殿下だけど……残念ながら、やっぱりズレてるっていうか、変なところで天然かましてんだよねぇ。
「水を差すようでなんですけどね、人間用の薬は基本、他の動物に投与しちゃダメなんですよ」
「な、何だと!?」
「人間が口に出来ても、他の生物が口にしたら毒になるものって結構ありますし、ドラゴンに薬を与えるなら、ちゃんとしたドラゴン専用の薬を作るための研究から始めないと」
「そう……だったのか……そうとも知らず、私は……」
自分の知識やら浅慮やらを嘆いているのか、自己嫌悪で震えながら四つん這いになって蹲る殿下。
まぁ殿下がこういう勘違いをしてしまう理由って言うのはよく分かる。この世界は学術研究に力を入れている真っ最中だけど、その知識はまだ世間一般には広まっていない。
中には、鼻水とクシャミが止まらないネコに人間用の風邪治療の魔法薬を与えて、逆に体調を悪化させた飼い主が居るって事例も、学院で耳にしたことがある。
飼い犬可愛さにハンバーグを与えるように、人間が食べれる物を動物が食べられるとは限らないと認識できている人間は、今の時代では少ないんだよね。
「でもまぁ、気持ちはちゃんと受け取りましたよ。殿下も殿下で、ドラゴンの事は心配だったんですね」
「当然だ。彼らも、兵士や軍馬と同様に、我々と共に戦う仲間なのだからな。最初の方こそ、戸惑う事の方が多かったが……お前と同様、付き合いも長くなってきた。今では彼らの事も、好ましく思っている。お前と違って、素直で温厚だからな。下手な人間よりも付き合いやすい」
「失敬ですね。私だってある意味素直で温厚ですよ」
「自分で言うな。お前の場合、欲望に正直で邪魔をしなければ危害を与えないだけだろう」
ぐうの音も出ない正論。正直、何も言い返せない。
でもそっか……この人も、ドラゴンの事が好きになってくれているって思うと、ちょっと嬉しい。
本来私は、人の好き嫌いに関しては口出しする気は無いんだけど、それでも自分が好きなものを他の人も好きでいてくれるっていうのは、何とも得難いものだ。ティア様やアリステッド公爵令嬢とかを考えると、しみじみそう思う。
「私も好きですよ、殿下……」
「…………はっ!?」
「ドラゴンの事。あれほど私を熱中させる生命体は他に居ません」
「き、貴様な……そういうことを、軽々しく異性に対して口にするな」
なぜか恥ずかしそうに顔を真っ赤にしながら、そんなことを呟く殿下。
一体どうしたんだろう? 私は素直に、ドラゴンへの情熱を口にしただけなのに。
「まぁそんな事より殿下、ちょっと気になることがありまして」
「そんな事ってお前……まぁ良い、何だ?」
「私、今回アラネス湧水山に直接調査に入るまで、縄張り争いの可能性を考慮できなかったんですよ」
これだけ聞くと、私の発想力不足や知識不足というだけで片が付く。しかし、問題の根底はそこじゃない。
「ドラゴン同士の縄張り争いっていうのは、それはもう派手でしてね。ブレスの撃ち合いやら何やらで凄い音が鳴り響いて、辺りは大騒ぎになるはずなんです」
「そうだろうな。私はまだ見たことがないが、想像するのは容易い」
「そうでしょ? なのに私、縄張り争いの形跡があることどころか、山で凄い騒ぎが起こっているっていう情報すら知らなかったんです」
私はここに来る前から、オズウェル領から送られてきた調査報告書に目を通していたけど、書かれているのはいずれも濃霧や雷雲が発生していたという事だけ。
木々が薙ぎ倒されて、天地から水や雷が迸るといった、強大な力を持った何者か同士が戦っているかもしれないという推察どころか、広範囲に響き渡るはずの雷鳴や地鳴りなどの戦闘音に関する報告については、一切記載されていなかった。
「普通ならミリセントの住民も気付いていたはずの情報……この事について、ユーステッド殿下は何か知らされていました?」
殿下は何も答えない……その代わりに、ただ静かに首を左右に振った。
その無言の否定が、私の中の予感を確信に深めていくのだった。
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