大瀑布登り
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「お二人とも、この山道のところどころに、丸太で舗装されている部分があるので、足を引っかけないようにお気を付けください」
私が渡した風竜の風切り羽で濃霧を風で散らしながら、少し前を先行しながら足元を確認しながら注意喚起してくるヴィルマさん。
舗装されたと言っても山道であり、しかも山頂の方を目指している以上、その道のりには段差もあれば坂もある。そんな道を濃霧を突っ切って進むには、先行して足元を確認してくれる人の存在は非常に助かる。
「風を起こしても、視界を完全には確保できないとは……やはりこの霧は、自然現象ではなく故意的に発生されられたものなのだろうか?」
「そうですね。確かに、風竜の風切り羽に魔力を流し込む程度の風では、自然発生した濃霧を完全に散らすことは出来ないでしょうけど、それでもこの霧の密度は異常です」
視界はある程度確保できるようにはなっているけど、それでも周囲の風景は白みがかって見えるし、何度風を起こして散らしても、後から後から際限なく迫ってくる。
しかも嫌らしい事に、地面を這う放射霧の勢いが強いらしく、足元の視覚情報を不明瞭にしてくるのだ。これらの現象を単なる自然現象と呼ぶのは、専門外ながらも違和感を感じる。
「これは霧を発生させている何者かの存在の可能性が増してきましたね……!」
俄然、楽しくなってきた。
現時点では大した確証は何もないが、同時にその正体がドラゴンである可能性も十分にある。
まるで楽しみにしている物の発売日が迫っているかのような気持ちだ。これだから未知を追い求める事は止められない。
「アメリア博士。その少し前の方は濃霧の影響なのか、やや地面が緩くなっているようです。崖もあるのでお気を付けて」
「あ、はい」
悦に浸りながら山道を登って行っていると、確かにヴィルマさんが言うように地面の表面が泥状になっていた。
その近くには、頼りないロープの柵で遮られているだけの崖。ここで滑ってたら、崖から落ちてたかも。
「……それにしても、何だか手際が良いですね、ヴィルマさん」
歩く場所の状態を把握するのが上手いというか速いというか、足元が見え辛い場所を歩く時に危険になりそうなものは的確に見抜いている。
しかも時間をかけてやってるんじゃない。現在、私は特に歩く速度を緩めたりしていないんだけど、ヴィルマさんはそれよりも早い速度で前方を進みながら危険物を感知し、時に排除までしながら、私や殿下に気を配って注意喚起までしてくるのだ。
「ウォークライ辺境伯軍は、ガドレス樹海を始めとした森の中や、毒蛇や毒虫が多く潜む草原地帯など、危険が潜む足元が不明瞭な場所で軍事作戦を行うことがある。それに伴い、兵士たちは皆、隊列の先頭で危険を事前に感知する斥候の訓練を積む。騎兵部隊所属と一見関係なさそうに見えるが、辺境伯軍の一員である彼女も同様に、日頃から斥候の訓練を受けているのだ」
「あー……なるほど。確かにそれと比べたら、どうってことなさそうですね」
普段からその場に残り続ける植物を相手に足元の確認をして、隊の安全を確保しているんだ。
土地勘が無い場所でも、舗装された山道で発生した霧を風で散らし、足元の状態を確認するくらい、流れ作業でも的確に出来そうではある。
「だが彼女の場合はそれだけではない。こうした野外での要人警護訓練も最近受けるようになったからな」
「野外での要人警護? 何です? どっかのお偉いさんが、山とか森の中にでも行くんですか?」
「何を言っているのだ? お前の事に決まっているだろう?」
「え? 私?」
呆れたような眼をするユーステッド殿下に、私は思わず自分の顔を指差す。
「お前は目を離すと、すぐに無理をしてすぐに死にそうだからな……フィールドワーク中でも、誰かしら目付け役となれる人間が必要だと叔父上とも協議していたのだ」
「…………」
私はプイッと顔を明後日の方向に背ける。
正直、何の否定も出来ない……否定するには、過去の私の行動を考えれば説得力ないし、そもそもドラゴン研究の為なら、多少の危険くらいスルーするつもりだし。
「それに、お前は少々活躍しすぎた。お前の持つドラゴンの知識を巡り、お前の身柄や命を狙う人間も出てくることは予想するに容易い」
「まぁ、それについては私も心当たりありますけど」
名義上はただの平民なのに、創神会の連中だとか、どこぞの商人だの貴族だのから声を掛けられることが増えたし。
後は何と言っても第三皇子派。ドラゴン関連の事業の確立を目指す第一皇子派の邪魔をしたいっていう話を聞くし、特に私はジルニール殿下から逆恨みを買っているみたい……っていう情報が入ってるし。
「だからこそ、お前の護衛兼調査協力部隊を新たに設立しようという話になり、兄上や正妃殿下との協議も経て、正式に予算が降りるという運びとなったのだ。クラウディア嬢が助手となることが内定したとはいえ、女性二人では手が回らないこともあるだろう。ただ身を守る為でなく、フィールドワークの補助もできる。ドラゴンに騎乗しての移動することも考慮すれば、ニールセンは新設部隊に配属される有力候補の一人だ」
確かに、ヴィルマさんは半ば趣味でドラゴンに騎乗する人だ。巨竜半島での調査にはドラゴンに乗って移動することが大半だし、それに付いて来れなければ話にならないだろう。
それにしても、身分的には平民でしかない筈の私に護衛の部隊が付けられるとは……皇族がスポンサーに就くと、支援内容もつくづくぶっ飛んできたな。
「お前の事だ。どうせ無茶をするなと言っても聞かんのだろうが……我々がここまでやるといっているのだ。フィールドワークに出ることは止めはせんが、その代わり無事に戻って来い」
「そうですね……そこまで言うんなら、私も出来るだけ怪我しないようにしましょう」
どんな生物も死ぬ時は死ぬ。ドラゴン研究の為に危険を冒して死ぬのであれば、それは私自身の選択であり、後悔の余地など微塵もない。
……ただ、私の命は何時の間にか、私一人の自己満足の為に失っても良いものではなくなったみたいだ。
「……それにしても、観光地に使われるだけあってか、辺りの植生も動物が寄ってこないようになってるんですね」
「そうなのか?」
「えぇ。この濃霧の中でも、樹木特有の芳香成分が微かに鼻に届いていますし、周りに生えているのは針葉樹ばかりです」
近くに生えている樹木の葉を見てみると、ヒイラギの葉っぱを更に鋭くし、面積を狭めたような独特の形状をしている。
針葉樹の葉が面積を狭め、尖るような形状に進化した理由は、強風や雪害への適応、水分蒸発の抑制というのが主だけど、シカやヤギなどの草食動物に食べられ難くする為でもあると考えられている。まぁ葉っぱが尖っているだけなら虫食いは普通にあるし、草食哺乳類の中には気にせずに食べるのもいるみたいだけど……この周辺の木々は少し特殊みたい。
「アラネス湧水山に自生している樹木は、虫や小動物を殺し、別種類の樹木も枯らして辺り一帯の土壌の栄養を独占する、有毒植物らしいんです」
外部に放出される強烈な芳香成分は、ヒノキと同様の人間には虫除け成分が多分に含まれているんだけど、幹を中心に枝葉に循環する脈は、口に入れれば人間にも有害な毒素の塊。
枯れて落ちた葉には毒はないみたいだけど、餌となる青々とした生の葉を食べに来た生物はその毒で殺し、地中の根は他の木の根に纏わりついて毒を送り込んで枯らすことで、競争相手となるあらゆる種を排除しているのだとか。
「ヒノキのような芳香成分を出す木や、辛み成分で虫や動物を寄せ付けないトウガラシといった、生存競争の為に食害対策をする植物は数多く存在しますけど、ここまで攻撃的に進化した種というのは、そうそうないんじゃないですかね?」
「なるほど……その結果、葉を貪る虫も現れず、更にそれを食べる動物と、その動物も食べる魔物も棲み付かなくなったということか。確かに、この山の木々は古来から、魔物を退ける神聖な樹として、地元民から大切に扱われていると聞くが、そういうことだったのか」
虫や動物だけでなく、他の樹木まで殺す有害植物。それが魔物という天敵を持った人間からすれば、外敵を棲み付かせないようにするだけでなく、ヒノキに近い強烈な芳香成分を山道に撒き、森林浴体験ができる絶好の散歩コースを作り出すんだから、何とも皮肉な話である。
「……んん?」
その時、先行しているヴィルマさんが訝しげな声を発しているのが聞こえた。
「ヴィルマさん? どうかしたんですか?」
「いえ、大したことではないのですが……落し物が落ちていたようでしたので」
そう言ってヴィルマさんが持ってきたのは、何の変哲もない革袋だった。
この世界ではごく当たり前のように使用されて、どこにでもある代物ではあるけれど……。
「クンクン……何やら食べ物か何かを入れた後みたいな匂いがしますね。落としてからそんなに時間は経っていませんよ」
「落ちている物を何でも嗅ぐんじゃないっ! 不衛生だろう! ……濃霧の原因を探るために人を派遣したと言っていたし、その際に持参したであろう携帯食料を入れていた物か? いずれにせよ山の中に……それも観光地となる場所に不法投棄などけしからん。こちらは我々で持って帰るとしよう」
「そうですね……お?」
邪魔にならないよう、革袋をリュックサックの中に押し込むと、ふと私は激しい水音がすぐ傍で聞こえているのが分かった。
話しながら歩いていたからか、気付くのが遅れたけれど、周囲の気温も山道に入った時と比べて低くなっているように感じる……これはまさか……?
「もしかして、瀑布の前まで来ましたかね?」
「どうやら、そのようだな。ニールセン」
殿下の合図でヴィルマさんが風竜の風切り羽を水音がする方に向けると、突風が吹き荒れる。
すると私たちの前方には、轟音を鳴らしながら、濃霧の中でもはっきりと見えるほどの水煙を上げる巨大な滝が、その姿を現した。
「あれがアラネスの大瀑布ですか……!」
規模としては恐らく、ナイアガラの滝を始めとした、地球の三大瀑布に勝るとも劣らないのではないだろうか?
数百メートルは下らない広範囲から降り注ぐ膨大な水が激流を引き起こし、広大な大河となってどこまでも流れていくのが霧の中でも見て取れた。
「アラネス湧水山はその名の通り、水源が豊かな山だ。その湧水が一か所に集まったことで、この大瀑布が形成され、我が国最大の大河が海まで続くというが……」
「それも納得……ってところですね」
水深も相当深いのだろう。ここから海まで通った河は船が通ることが出来るというし、大瀑布の付近の水流は洪水でも起きたかのように激しい。まさに自然が生み出した脅威と恩恵と絶景だ。
「もし滝から生き物が落ちたら、一溜りもなさそうですね」
「実際にその通りだ。事故か事件かはともかく、この大瀑布では毎年のように人や動物、魔物の水死体が確認されている。伝承では、古の英雄がベヒーモスを突き落とし、溺死させることで倒したという逸話が残っているくらいだ」
「ベヒーモスって、あの?」
私も耳にしたことがある。確か魔物の中でも最大級の大きさを誇る種だ。
ただ走るだけで城壁を破り、村や町を崩壊させるほどの危険生物だと聞いたことはあるけど……確かにこれだけの規模の滝なら、そんな化け物でも溺れさせるだろう。
「惜しむらくは、この濃霧が邪魔をして全貌がハッキリとは見えない事か。晴れの日に訪れれば、透明度の高い水が流れ落ち、宙に虹の橋をかける美しい光景が見られるというが……」
「まぁそれは上手いこと異常現象が解決すれば、改めて――――」
その時だった。私はふと、大瀑布の音に違和感のようなものを感じ取った。
計測するのも馬鹿らしい膨大な水が高所から落ちてきているだけあって、アラネスの大瀑布の近くは常に轟音が鳴り響いている。だから大抵の音は掻き消されてしまうんだけど……その原因となる滝の音が、微かではあるが知覚できるほど小さくなったような気がするのだ。
「二人とも、何か違和感ありません?」
「私もそう思いました。確かに、滝の音が変ですね」
「それは同感だ……耳が慣れた、という訳ではないと思うが……」
夜中に軍事作戦を実行する兵士ともなると聴覚も大事なのだろう。訓練を受けたと思われる二人も、滝の違和感に気が付いたようだ。
「殿下! ヴィルマさん! あっちあっち! 滝の方の霧を風魔法で蹴散らしてください!」
「……なるほど、そういうことか。ニールセン、私と同時に風魔法を使え。より広範囲の霧を吹き飛ばせるようにだ」
「了解」
風魔法が使えない私に代わり、ユーステッド殿下とヴィルマさんが同時に風魔法を発動する。
魔力節約のために使用していた、真っすぐに突風を起こすだけの風竜の風切り羽では真似ができない、消費された魔力と使用した魔法に相応しい風により、広範囲の濃霧が吹き飛ばされていく。
それによって、大瀑布の全貌が先ほどよりも鮮明に視界に映し出され……私たちは、三人同時に目をひん剥いた。
私たちの視線の先……そこには、タイに似た?背ビレを持つ巨大な生物が、あらゆる生命を水に沈めるはずの大瀑布を悠々と登っていたのだ。
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