天然の魔道具
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「父上の見舞いを?」
確認するようにクリストフ代行が聞き直すと、ユーステッド殿下は大真面目な表情で頷く。
「オズウェル伯爵はこれまで帝国発展にも尽力してきた人物。顔の一つも見せなかったとなれば、私は兄上に叱られてしまうだろう」
「そういう事でしたら……ただ、今見舞いに行っても、最近の父上は眠っていることの方が多いですから」
「……伯爵の体調はそんなに悪いのか?」
殿下は思わずと言った様子で表情を歪める。
寝たきりの状態になるなんて、よっぽどの事だろう。話を聞いている限りだと、オズウェル伯爵は第一皇子派にとっても重要な人物みたいだし、心配するのも当たり前だ。
「えぇ、医師も手をこまねいているようで……覚悟だけはしておいてほしいと、宣告されてしまいました」
それに対して、クリストフ代行も辛そうに眉根を寄せた。
「そうか……いや、それでも構わない。顔だけでも見させてほしく思う。アメリアも、少し寄らせてもらうが構わないな?」
「まぁ見舞いくらいなら別にいいですよ」
幾らドラゴン研究の直前だからって、私も人のお見舞いに水を差すような真似をするほど鬼じゃない。そのくらいなら付き合う。
「殿下がそこまで仰るのでしたら、どうぞこちらへ」
クリストフ代行が先導し、その後を追いかける形で私たちは領主官邸の廊下を進んで行く。
その途中、ユーステッド殿下が私の肩を指で突いて振り向かせると、私にアイコンタクトを送ってきた。
(黙って読め)
同時に、無言で私に折りたたまれた一枚の紙を素早く手渡してくる。
一体なんだと思いながら受け取ると、その紙の目に見える場所にはこんな文章が綴られていた。
――――何も言わずに枕元へ忍ばせろ
……なんだコレ? 普段は几帳面で文字も綺麗なユーステッド殿下らしからぬ、ミミズがのたくったような字だ。
このインクというよりも、焼き印のような焦げ目のある字は、魔法か何かで印字したものだろう。それが走り書きしたみたいになっているのは……椅子に座って机で書き物も出来ない状況だったから?
「どうぞ、こちらになります」
先導していたクリストフ代行が振り返ると同時に、私は咄嗟に紙を握った方の腕の肘を捻り、手の甲で紙を隠す。
辿り着いた場所は、領主の私室なだけあって、傍目からでも豪勢だと分かる両開き式のドアで閉ざされた部屋だ。その二枚のドアをクリストフ代行が開き、私たちを中へ招き入れると、調度品や酒瓶、宝剣類が飾られた、如何にも貴族男性って感じの部屋の中で、一人の男性がベッドで眠りについていた。
「オズウェル伯爵……随分と体調が悪そうだな」
白髪が目立つ、六十歳以上ってくらいの年齢の男性だ。
近付いてみると、青い顔をして苦し気な寝息を吐いているのが分かる。
(それでも……寝たきりになるにはまだ若そうに見えるんだけどなぁ)
多少やつれてはいるけど、肌艶も良いし、手足も痩せ細ってたりしない。この世界の平均年齢は、魔法を活用した薬や治療の影響もあってか、中世並みの文明レベルに見えて意外と高かったりするし、本当にベッドから起き上がれないほどなのか……専門外ながらに、私は疑問に思った。
(まぁそれはそれとして、コレをどうやって忍ばせよう?)
私は手の中にある紙の感触に頭を悩ませる。
忍ばせろって書いてあったし、誰にも気付かれないようにってことなんだろうけど、そうなるとクリストフ代行は邪魔だったりする……?
「父は倒れる直前まで、我が領地を襲う異常現象を憂いておりました。皇族の方々が事態解決の為に動き、こうして殿下が来訪してくださったこと、きっと父も喜んでいるでしょう」
「それは当然のことだ、クリストフ殿。此度の異常現象、本当にドラゴンが関与しているかは現時点では不明だが、今回の調査は全力をもって取り組むことを約束しよう。それから、私たちはこれから数日間の間、ミリセントやその東門前の平原に滞在することになるが、領主官邸とのやり取りでは代行を送ることもある。今回我々が連れてきた人員の中に、男爵家出身で政務手続きにも心得がある者が居るのだが――――」
そんな私の考えを見抜いたかのように、ユーステッド殿下は自分の体を壁にして、クリストフ代行の視線から私を遮るように立ち回る。
これはチャンスだ……そう考えた私は、とりあえず枕の下にでも忍ばせるかと思って、紙を持った手を伸ばすと……眠っていたはずのオズウェル伯爵が、カッと目を見開いた。
先ほどまで眠っていた病人とは思えない、力強い眼差しだ。そんなオズウェル伯爵は目の前にいた私の顔をジロジロ見てきたと思ったら、今度は私が手に持っている紙に視線を注ぎ始める。
「…………」
とりあえず、ユーステッド殿下から渡された紙をソッと差し出してみる。
オズウェル伯爵はその紙を素早く受け取ると、その手を布団の中に引っ込めて、再び狸寝入りを始めた。
「――――では、私たちはこれで失礼する。アメリア、そろそろ退出するぞ。一度野営地に顔を出し次第、調査開始だ」
「わーいっ! やっとですね!」
調査開始……そんな言葉で私の頭の中に浮かんでいた疑問は全部どうでもいいものになる。
散々焦らしてくれてからに……待っていたよ、この時をさ。
私たちはそのまま辺境伯邸を後にし、東門へ向かって街を歩いていると、ユーステッド殿下が私に声をかけてきた。
「……で? 紙は忍ばせることが出来たのか?」
「あー……それなんですけどね、手渡してきました。本人に」
「……どういうことだ?」
「いや、何か普通に起きてたんですよ、オズウェル伯爵。で、咄嗟に渡してきたんですけど……大丈夫でしたよね?」
あの状況なら、渡すべき相手がオズウェル伯爵本人であることには間違いないはず。実際、殿下も怒りだす様子もないし、私の行動は正解だったんだろう。
「なるほど……流石はオズウェル伯爵といったところか」
何か合点がいったかのように、殿下は呟く。よく分からないけど、私はナチュラルに政治事情に巻き込まれたりしたっぽい?
「いずれにせよ、突然の事に良く対応してくれたな。礼を言う」
「まぁそれは良いですし、詳しい事情とか興味も無いんで聞く気も無いんですけど……もしかして今回の調査中に、何か起きたりします?」
これは単なる予感だ。何の確証もない、いわば野生の勘って奴である。
「……そうならないことを祈るばかりだがな」
しかし、そんな私の勘ってのも中々捨てたものじゃないらしい。ユーステッド殿下は鼻で溜息を吐きながら、睨みつけるように領主官邸を振り返った。
これはアレだ。荒事の予感だ。命の危機は生物調査に付き物だし、そのリスクは承知の上で研究活動をしているけど……そのリスクの中に、人間が紛れ込むのは初めてかな?
「念のために、ミリセント滞在中は私から離れるなよ、アメリア」
そんな話を聞いても、研究意欲の方が遥かに勝っている私に、ユーステッド殿下は真っ直ぐな視線を送り、大真面目な表情を浮かべながら口を開く。
「最低でもお前を守れる状況を作れ……出来ることなら、可能な限り私の傍から離れるな」
どこまでも真摯に、そして人を気遣うような眼をしたまま、強い覚悟を感じさせる口調で言ってのける殿下。あまりに真剣過ぎて、聞いているこっちが何だか照れてくるんだけど……。
(なるほど……普通の女子っていうのは、こういうのがいいわけか)
人間社会の中、ユーステッド殿下も関係のある場所を歩いていると、女性がキャーキャーと黄色い歓声を上げてユーステッド殿下を褒め称える声というのは、自然と耳にする。
やれ『顔が良い』だの、やれ『あの逞しい体に守られたい』だの、やれ『地位が高い』だの、そんな感じの話を。
私にはまるで理解できない内容ではあるけれど……話を総括すると、どうも世間一般の女性というのは、ユーステッド殿下みたいなのが自分を守ってくれるのが嬉しいらしい。
「……? どうした? 何かあったのか?」
「いいえ、なにも。ただユーステッド殿下が、人の脳を狂わせるフェロモンでも放出してんのかなって思っただけです」
「そんな訳あるか。何を言っているのだ、お前は?」
命の危険がある時点で、嬉しいもクソもないと思うんだけど……やっぱり私は世間一般とはズレている事を、ふと再認識するのだった。
=====
ミリセント東門前の野営地で諸々の打ち合わせを終えると、私は大きなリュックサックを背負い、濃霧の発生源と思われるアラネス湧水山へと向かうことにした。
同行者はユーステッド殿下とヴィルマさん。後の二人はそれぞれ、酔っぱらったヘキソウウモウリュウたちの世話や、領主官邸とのやり取りの為に野営地に残ることに。
「それじゃあ、ヘキソウウモウリュウたちの看病と、詳しい経過観察レポートをお願いしますね。チリ一つ残さず、時間の記載も分単位で、ドラゴンたちの調子の変化を事細かに記録してください」
「了解しました」
騎兵部隊に所属しているこの二人は、共に男爵家の三男だの四男だので、今は貴族籍から抜けた平民。貴族としての教養を身に付けているだけじゃなく、独り立ちの為の肉体労働にも従事している。
だから厩舎でのドラゴンの世話もしているし、ヘキソウウモウリュウたちの普段の様子についても熟知しているから、こういう時の記録係としては打ってつけなのだ。
「では調査へ出発進行!」
私も言い残すべきこと、やり残したことを片付け、ユーステッド殿下とヴィルマさんを伴って歩き出す。
アラネス湧水山は、ミリセントの街から直接山道へと入ることが出来る。明らかに人為的な整備が施され、転落防止のロープ柵まで備え付けられた山道は、前世の小学生時代、遠足で行ったハイキングコースを思い起こさせるけれど……。
「遠目からでも分かっていましたが、いざ山に入ってみると、とんでもない濃霧ですね」
「本来なら、木漏れ日や月光が差し込む明るい山道なんでしょうけどね」
アインバッハ大森林と違い、アラネス湧水山の生えている樹木は魔力の影響を受けにくく、長寿で成長も遅い品種だという。
だから木々が密集しすぎず、夏でも水で冷やされた涼やかな山風が吹いて心地よいハイキングコースになっているらしいんだけど……今のアラネス湧水山は、全身に纏わりつく蒸気のように濃密な霧で覆われ、私たちの肌を濡らすほどだった。
霧が深すぎて当然、光なんて差し込まれるはずがない。濃密な水蒸気によって太陽光が遮られ、昼間なのにほの暗い印象を受ける。
「というか、霧が深すぎて一寸先も見えんぞ。これでは観光客は勿論のこと、調査に入った部隊も撤退するのは無理もない話だ」
「なにせミリセントの街も霧がかってましたもんね」
今回の調査において最大の難関となるのが、一メートル先も見えないほど深い霧だろう。
いくら整備された山道を歩くにしても、足元も見えない霧の中では危険だ。ましてや私たちは、山道からも外れた場所の調査する必要がある。
「どうします? 風魔法で蹴散らしてもいいですが……」
「いや、それは魔力の無駄遣いになるんで辞めた方がいいですね」
報告書を見た限り、この濃霧を風魔法で散らそうと実行したことは何度もあるらしい。
しかしどんなに散らしても散らしても濃霧は押し寄せ、最終的には調査部隊全員が魔力切れを起こして撤退する羽目になったのだとか。
「人間が使う魔法だと、どんなに弱いのでもそれなりに魔力を使いますからね。これだけの濃霧を吹き飛ばすとなると尚更でしょうし……別の方法で風を発生させ、視界を確保した方がいいですね」
「どうしようというのだ? その様子だと、手段は講じてきているようだが……まさか扇子か何かで風を起こそうというんじゃないだろうな?」
「最終手段としてはそれも有りですけどね。団扇や扇子の風くらいじゃ大した効果もなさそうですし、もっと良い物を用意したんですよ」
そう言って、私はリュックサックを地面に降ろし、中からある物を取り出す。
「それは……鳥の風切り羽ですか? それにしては随分と大きいようですが……?」
私が取り出したのは、巨大な風切り羽だけど、勿論ただの羽ではない。何かに使えるかもと帝都まで持ち込み、この濃霧を吹き飛ばすために調査に持ってきていた秘密兵器である。
「これはとある風竜目翼竜科のドラゴンの初列風切り羽……翼の先端の方に生えている、一番大きい奴ですね。ヘキソウウモウリュウのように羽毛が生えている品種で、抜け落ちたのを研究サンプルとして保管していたんですけど、最近の研究で面白い使い方が出来るのが分かりまして」
論より証拠。私は説明を口にしながら、羽柄という風切り羽中央にある白くて尖っている部分の先端に、極少量の魔力を流し込む。
その瞬間、さらさらした毛に当たる部分、羽弁から前方一直線に向かって突風が吹き荒れ、砂や落ち葉を巻き上げた。
「な、何だ今の風は!? 何やら魔力を注ぎ込んだようだが……あんな少量の魔力で起こせる風量ではないぞ!?」
「ビックリしました? 実はこのドラゴンの風切り羽、内部を通過した少量の魔力を増幅させ、風に変換して放射する構造になってるみたいなんですよ」
羽柄の先端から羽弁の先まで、肉眼では見られないくらいに小さく細い、魔力が通るためのトンネル状の穴が空いていて、その内部では少量の魔力を増幅させる特殊な構造になっているらしい。しかもその機能は、本体から抜け落ちた状態でも失われていないのだ。
「この羽の持ち主が海を越える渡りの竜だったことも鑑みれば、恐らく長距離飛行を実現する為に進化した結果でしょうね。ドラゴンが翼から魔力を噴射して推進力を得る以上、超長距離を飛行するとなると、魔力の節約も必要になって来るでしょうし」
「魔力の増幅……だと……? お前……もしかしてこれは、とんでもない代物ではないのか?」
「もしかしなくても、とんでもないですよ。魔道具文明に与える影響力は、色んな意味でヤバいです」
この風切り羽から少量の魔力を増幅させる技術のヒントを人類が得れば、膨大なインフラを支えるエネルギー源の確立にも、大量破壊兵器の誕生にも繋がりかねない。今私が握っているのは、そういう代物なのだ。
「そんなものがあるなら早くに報告せんかっ! それは絶対に人に渡すなよ!? 正妃殿下や兄上と協議した上で、厳重に管理する必要がある!」
「分かってますよ。アーケディア学院の魔力学の教授にだって、どんなにおねだりされても渡さなかったんですから」
魔力を増幅させる風切り羽というのは、魔力を研究する学者にとっては喉から手が出るほど欲しい代物だったらしい。ドラゴン研究協力の為にこの風切り羽の構造と仕組みについての参考意見を貰いに行ったら、『譲ってくれ!』と全力で服にしがみ付かれたけど、私は拒否した。
下手に人に渡すと危険だから……ではない。単にドラゴンの生体部位というサンプルを手放したくなかったからだ。
私から研究サンプルを奪おうなんて……欲しければ、自分の手足で手に入れてきてほしいものである。
「お二人が何の話をしているのか、イマイチ呑み込めませんが……どうやら道は開けたようですよ」
ヴィルマさんの言う通り、風切り羽から発せられた突風が濃霧をかき消し、まるでトンネルを作るかのように霧に穴が空いて、足元が露出された。
天然の魔道具の効果は絶大。この調子なら、アラネス湧水山の調査に大きく役立ってくれるだろうという事を確信しつつ、私たちは山道を進み始めるのだった。
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