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ユーステッドの悪夢

書籍化決定! 詳しくは活動報告をチェック!


『ごめんね、ユーステッド。弱いお母さんで……フィオナ様みたいに強くなくて、ごめんね』


 皇族と呼ぶにはあまりになっていない言葉遣いで、まだ二十歳にもなっていない歳の母は、泣いて息子に謝っていた。

 ユーステッド・グレイ・アルバランは定期的に夢を見る。それは一見すると、亡き母を思い起こす吉夢に思えて、実際のところは母が泣いてばかりの悪夢だった。


『良いのです、母上。どうか泣かないでください。何時か私が必ず、母上の皇宮から解放してみせますから』

『ごめんね……ごめんね……』


 椅子に座って項垂れる母親の手を取り、真剣な表情で誓いを立てる幼い皇子。

 夢の中では決まって、その親子二人の姿を遠巻きから眺めるところから始まる。


(あぁ……私と母上だ)


 八年前、産後の肥立ちが悪く、体調を大きく崩したことに加え、皇宮で巻き起こる皇帝妃同士による苛烈かつ陰湿な権力争いに巻き込まれた末に死んだユーステッドの実母、アンナは決して強い人間ではなかった。

 アンナは元々、皇宮の洗濯婦という平民でも就ける仕事に就いていただけの、貴族でも何でもない一般人でしかなかった。

 城下町には家族が居て、友人が居て、恋人だって居た、将来の穏やかで細やかな幸せを夢見て生きているだけの、何処にでも居るありふれた極々普通の平民であり、決して上流階級の仲間入りをするような人間ではない。


 しかし、気まぐれで色狂いな皇帝に、不運にも目を付けられたことで彼女の人生は激変することとなった。


 ユーステッドたち皇子皇女の父親である亡き皇帝、アルフォンス・グレイ・アルバランは紛うこと無き暗君である。

 皇族に生まれながらも勉学を怠り、武芸や魔法、芸術文化などと言った教養にも興味を示さず、政治にも関心を抱かない、酒と煙草と賭博と女だけが生き甲斐の、帝国に巣食う既得権益を貪り国を弱体化させる貴族たちに都合のいい操り人形でしかなかった。

 

(いいや、それだけだったらまだマシだったのかもしれない)


 アルフォンスの厄介な点は、身分が下の人間であれば何をしても良いと、本気で思い込んでいたところだった。

 甘言で唆す貴族たちに幼少期から甘やかされ続けたのだろう。皇族という紛れもなく高貴な血筋であることも相まって、自分は何をしても許される特別な存在であると、信じて疑っていなかった。だから血税で暮らしておきながら、それを還元しようという気概も、他者を尊重する心も抱かなかった。


(そういう点では、ジルニールは正しく父帝の血を引いた皇子だ)


 高貴な青い血も、実態が伴わなければ宝の持ち腐れ。情けない事に、ユーステッドの父親はそんな人間だったのである。


(だから父帝は、平民である母上を傷付けることにも躊躇が無かった)


 気まぐれで皇宮で働いている洗濯婦だったアンナに目を付け、母の事情も恋人の有無も関係なく、寝室に引きずり込んだ。

 その結果、ユーステッドが生れ落ち、アンナは皇族の権力分散を止めるために、側妃の一人として迎えるという名目で、皇宮に監禁される日々を死ぬまで送る羽目になった。

 そんな不遇な環境にも歯向かえる強い心があれば、母の人生もまた違っていたのかもしれない。しかし彼女の気質はそこまで強かではなかった。

 下手に逆らえば、家族も、友人も、恋人も見せしめとして生活すらままならなくさせられるかもしれない……平民が当たり前のように上流階級に感じている恐怖は、アンナも抱いていたのである。


(平民は税を納める事を対価に、国から自由と安全を保障される立場だ。それを理不尽に奪われた母上は、どれだけ悲しかっただろう)


 金銭も敬意も払っていた皇族に裏切られ、家族と過ごす時間も、友人と遊ぶ日々も、恋人と愛を紡ぐ一時も、何もかも奪われた。

 口さがない民衆や貴族からは、『上手く皇帝に取り入った』だとか、『地位と富の為に皇帝に股を開いた売女』などと好き勝手に言われていたが、そんなことはない。

 ユーステッドの記憶の中にいるアンナは、何時も項垂れては泣いてばかりだ。


『お父さん……お母さん……皆……会いたいよ……! 手紙も送れないなんて……何で……?』


 権力分散防止のために皇宮に閉じ込められたアンナだが、制限されていたのは移動だけではない。手紙のやり取りもだ。

 皇宮内の事情を悪戯に市井に流すわけにはいかない。その可能性を徹底的に排除するべくに決定したことだが……その結果、アンナが市井に残してきた人々は詳しい経緯も聞かされないまま、アンナが側妃になったという事実だけを、一方的に通達された形となってしまったのである。


(だからあの時の私は誓ったのだ……母上の大切な人たちに、母上を会わせようと)


 ユーステッドが傍におらず、一人の時間が出来れば、会うことも別れを告げることも出来なくなったアンナは、大切な人たちの事を思っては何時も泣いていた。

 その涙を拭いたくて、ユーステッドは力を求める、勉学にも武芸にも熱心にようになった。権力闘争の坩堝、平民出身の妃への陰湿な嫌がらせが横行するこの場所から、アンナを解放しようと。

 

(本来忌むべき存在であるはずの……思い描いていた未来を奪った父帝の血を引く私を、母上は決して恨まなかった)


 生まれてきただけの子供に罪はない。そう言って抱きしめてくれた母親を、どうして蔑ろに出来るだろう。

 片や平民出身、片や平民の血が流れている皇族の親子同士、ユーステッドとアンナは共に身を寄せ合うように、魑魅魍魎が跋扈する皇宮の中を生きていたのだ。


(正妃殿下方が、私たち親子に味方をして、皇宮での生活を整えてくれたことで、ある程度余裕を持てたというのも大きい)


 今でこそ国内最大派閥ではあるが、アンナが亡くなる以前の当時は皇宮内の権力基盤もまだ弱かったので、出来ることは限られていたが、フィオナたちが居なければユーステッドとアンナの皇宮生活は悲惨なものになっていたのは目に見えていた。そのくらい、他の妃から向けられる視線の厳しさや、当事者である父帝の無関心ぶりは酷かったのだ。

 身の回りのことだけではない。ユーステッドが勉学や魔法、武芸に励めるようにしたのも第一皇子派の計らいである。


(間違いなく、打算はあったのだろう)


 皇族や貴族たるもの、最後には国と民衆全体の利となる選択をし続けなければならない。単なる同情心でユーステッドに皇子教育を施した訳ではないという事は察していた。

 現にユーステッドを次期ウォークライ辺境伯に据えたのも、地方……それも国境沿いという重要な土地における、第一皇子派の権力基盤を維持し、強くするためだ。

 それでも、自分たちに向けられた個人としての優しさに嘘はない。こんな自分たちに同情し、支えてくれる人がいる……その恩に報いるためにも、一刻も早く権力を身に付け、アンナを皇宮から解放しようと、遊ぶことも休むこともせずに研鑽に身を費やし続けた。


(……それでも、間に合わなかった)


 そんな努力も空しく、アンナは産後から続いた体調不良と、長年積み重なったストレスが原因で大病を発症し、あっという間に帰らぬ人となった。

 ユーステッドがまだ九歳の時だ。皇子教育を受けてきたと言えど、直面した現実は幼子の心にはあまりにも辛く、当時は目の前が真っ暗になり、足元の地面が無くなってしまったかのような感覚に陥ったことを、ユーステッドは今でもありありと思い出せる。

 叶う事なら、このまま崩れ落ちてしまいたい……そんな絶望感に苛まれたユーステッドを救ったのは、アンナが死に際に残した言葉だった。


『泣かないで……お母さんは、どうにもならなかったけど……ユーステッドはまだまだこれからだから……立派な皇子様になって、誰にも負けないように生きて、ちゃんと幸せになって。……お母さんみたいには、ならないでね……?』


 そう言って、一番辛いはずのアンナは、無理矢理笑みを浮かべながら息を引き取った。

 母は弱い人だった。けれど同時に、最後まで人を思いやる気持ちを忘れなかった優しい人でもあったのだ。そんな敬愛する母の遺言と、葬式の日に共に泣いてくれたレオンハルトやティアーユの支えもあって、何とか立ち直ることが出来たユーステッドは、自分なりに考えた立派な皇子様になれるよう、懸命に生き抜いてみることにした。


『見ていてください、母上……! 私はいつか必ず、天国の母上が安心して胸を張れる、立派な皇子になってみせますから……!』


 アンナの死後からしばらくが経ち、ユーステッドは母親の墓前で『母に恥じない自分になる』と心に固く誓う。

 そこからは怒涛のように時間が過ぎていって、ユーステッドの王子として山と谷が交互に訪れるような人生を送っていた。

 勤勉で真面目な性根が幸いして、『努力し、着実に成長している』と周囲から認められることもあれば、融通が利かずに生真面目過ぎるがゆえに『政治的やり取りが不得手』と評され、上手くいかない事もある。


(それでも私は、今日まで立ち止まらずに進むことが出来たと思う)


 母親との誓いを守る為、第一皇子派への恩義と親愛に報いる為、良くも悪くも波乱の多い人生を全力で駆け抜けてきたが……。


『ユーステッド殿下は、今日も大変麗しくあらせられますわね!』


 そんな声は、どんなに脇目も振らずに努力をし、走り続けても、ユーステッドの耳に付き纏う。

 ユーステッドは成長するにつれて、大勢の人間の目を奪うほどに美しく成長していたのだが、それは同時に欲望に塗れた人間を引き寄せることにも繋がっていた。

 主に貴族の女性だ。如何に彼女たちが淑女の象徴などと言っても、それは千差万別。尊敬に値する貴族女性がいる一方で、権力に胡坐をかいて欲望のままに振舞う者も一定数存在する。

 特に帝国の場合、長らく続いた傀儡政権の影響もあって、皇族の権威は失墜し、貴族たちも敬意を忘れていっていた。


『ご覧になりまして!? ユーステッド殿下のあのご尊顔に肢体! 成長するにつれてますます素敵になられて……!』

『あれだけの美貌であれば、私の婿として我が家に迎え入れるに相応しいですわ。何とかお近付きになれないものかしら』

『庶子とは言えども皇族。それも次期皇帝として最有力視されている第一皇子殿下との繋がりも深いだけでも好条件なのに、あのお顔まで付いてくるなんて、これは私の物にする他ありませんわね』

『武芸や魔法の才に溢れ、勉学でも優秀。その上、あれだけ端麗な容姿の皇子を夫にできたとなれば、この先のお茶会で自慢し続けられますわ!』


 話しかけてくる貴族女性たちが、表では淑女然とした態度を崩さず、裏ではそのような醜悪な会話をしていることは、ユーステッドの耳にも入っていた。

 ただでさえ、庶子として軽く見られていたのだ。皇族の権威の失墜と合わせて、自分の容姿は強欲な女性を引き付けるものにしかならなかったのである。

 しかも中には、身の回りの手伝いと称して紅茶に媚薬を盛ろうとした侍女も居れば、浅知恵を巡らせて二回り以上は年の離れたユーステッドを後夫として迎えようとした五十路の未亡人までいるのだから、我慢強いユーステッドでも流石に嫌気が差す。


(その結果、将来は領地運営を任された身でありながら、人類の半数に値する女性に苦手意識を持つようになるなど……情けなくて笑い話にもならん)


 全ての女性がそうであるなどとは思っていない。しかし、自分の容姿などと言った表面的な部分を讃えながら近付いてくる女性を見ていると、ユーステッドは不安になる。

 自分がこれまで積み上げてきた努力や成果は、実は大したものではないのではないか? 

 自分は見た目だけのハリボテで、亡き母に誓ったような立派な皇子様とは程遠いのではないか?

 むしろ優れた容姿や周囲からの色欲交じりの好意を、国や民の為に利用できない自分は未熟者なのではないのか?

 そんな一寸先も覆い隠す闇のような不安を抱えながら、夢という舞台の上で、過去という寸劇を、観客目線で遠巻きから眺めていると――――。


『ユーステッド殿下』


 ふと、聞きなれた少女の声が鼓膜を揺らし、ユーステッドは後ろを振り返る。

 そこに居たのは、薄い鼠色のボサボサの髪をした、淑女の対極に位置するような少女、アメリアであり……。


『見てください、この排泄物を! 未消化の餌が混じってて、何を食べていたのかが肉眼で調べられる状態なんです!』


 その手には、お茶の間では修正なしでは決して見せられない汚物が突き刺さった木の枝が握られていた。


『ぎゃあああああああああああああっ!? 何を持っているのだ貴様はあああああああああっ!? 早く捨てろそんな物ぉおっ!』

『捨てるなんて勿体ない。これは立派な研究サンプルですよ! ユーステッド殿下もよく見てくださいよ、さぁさぁさぁ』

『よせ、来るなぁあああああっ!』


 真っ暗な闇の中、ユーステッドはアメリアから背中を向けて全力で逃げ出す。

 しかしその先には、汚物が刺さった枝を握りしめたアメリアが、闇の中から現れた。


『『さぁさぁさぁ、ここにあるのは命のサイクルの結晶です。よく見てください、殿下』』


 しかも何故か二人に増えている。

 ユーステッドは愕然としながら深い絶望を味わっていると、二人のアメリアはそれぞれ左右にスライドするように移動しつつ、何十人……下手すれば百人以上に分身しながら、ユーステッドを包囲していく。


『『『さぁ殿下、私と一緒に生命の神秘を体感しようじゃありませんか』』』


 分身した無数のアメリアが、排泄物が突き刺さった木の枝をユーステッドに向けながら、上下左右、三百六十度、四方八方から一斉に飛び掛かり、突撃してくる。


『『『行くぞ! 排泄物、祭りだぁああああああああああああああっ!』』』

『や、止めろ……止めろぉおおおおおおおおおおおおおおっ!』


   =====


「私に汚物を近づけるなぁあああああああああああああああっ!」

「うぉおわあああっ!?」


 そんな怒号を上げながら、ユーステッド殿下がベッドから飛び起きてきて、傍に居た私は思わず肩を大きく跳ね上げる。


「ビッックリしたぁ……いきなり何ですか?」

「はぁ……はぁ……! ア……アメリア……? 一人に戻ったのか……? 排泄物祭りは……?」


 何言ってんだこの人? アルコール摂取しすぎて脳味噌が壊れちゃったのか?


「寝ぼけてないでしっかりしてください、殿下。貴方は気化したアルコール吸い過ぎて酔って気絶したんですよ、覚えてます?」

「……そうだ、そうだった……私はあの時、ヒマワリ畑で倒れて……ここはどこだ?」


 ようやく夢から戻ってきたのか、ユーステッド殿下は木造の綺麗で高級感のある部屋の中を見渡す。


「ここはミリセントにある、私たちが滞在予定だった観光客向けのホテルです」



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現実的な悪夢の後にピーーが押し寄せる悪夢ww
悪夢の終わりが綺麗な何か……と思ったら、まさかの特級悪夢www
ちょっ、夢の最後っっっwww そりゃ悪夢だわ。
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