コルセットは凶器
ダンス自体は、割と簡単に身に付けることが出来た。
基礎的なステップだけだったとはいえ、私はそこそこ飲み込みが良い方だったらしく、ユーステッド殿下からも早々に及第点を貰えたのだ。
「お前は運動神経が良いだけでなく、地頭も良いようだからな……普段の言動はともかくとして」
「最後の一言は余計な気はしますけど、まぁ褒められたと受け取っておきましょう」
とりあえず、これで何とかダンスパーティーでも恥を掻かないレベルにはなれたらしい。
ようやく面倒臭い事から解放されて、ドラゴン研究に精を……。
「では次は、会話術のレッスンだ。パーティーなどの貴族同士の会合では、迂闊な発言一つが付け入られる隙になる。当たり障りのない会話を心がけ、最低でも機密事項を漏らさないようにするぞ」
「……おぉう」
どうやら私はまだ解放されないっぽい。
でも、ここまで来たらもうやるっきゃないか。貰える物は貰っちゃったし……そう腹を括った、まさにその時。
「失礼いたします、両殿下。帝都より先触れの手紙が届きました」
辺境伯邸に努めている文官の人が、一通の手紙を持って私たちがダンスの練習をしていた部屋までやってきた。
「差出人は?」
「正妃殿下でございます。内容はすでに閣下が確認済みです」
「……お母様から?」
また随分と急なことだ。一体どうしたんだろう?
そう怪訝な表情を浮かべている私に対して、ユーステッド殿下とティア様は思い当たることがあったのか、ハッとした表情を浮かべている。
「もしかして、お姉様のドレスの件では?」
「十中八九そうだろうな。土地柄の関係上、ウォークライ領には貴族が着用するようなドレスを手掛ける職人が居ない。帝都から皇族御用達のスタイリストやデザイナーが来るのかもしれない」
内容を予測しながら手紙を受け取ったユーステッド殿下は、皇族の紋章付きの封蝋付きで、すでにペーパーナイフか何かで開封された封筒から手紙を取り出し、中身を確認する。
目を素早く動かして書かれている内容を確認していた殿下だけど、不意にその目を見開いたかと思うと、その手紙をティア様に差し出した。
「こちらに関してはティアーユ、お前に差し出されたものだ。読むといい」
「私に? パーティー用のドレスを、お姉様と一緒に仕立ててもらうように……という事でしょうか?」
手紙を受け取り、その文章を噛み締めるようにゆっくりと目で追っていくティア様。
すると、今度はティア様の目が見開かれたかと思ったら、その目尻に涙が浮かび始めた。……え? 何? 一体何が書かれてるの?
「兄妹揃って妙なリアクションを……どうかしたんですか?」
「あ、いえ。ごめんなさい、驚かせてしまって……悲しいことが書かれていたわけではないのですが」
私に話しかけられたティア様は、慌てた感じで零れそうになった涙を指で拭う。
この人の言う通り、悲壮感がある表情って訳じゃない。まるで安心して緊張の糸が切れた拍子に思わず泣いてしまったかのような、そんな表情を浮かべている。
「快復の祝辞と、再会を楽しみにしているとの旨のお言葉を頂きました。それに伴い、私用の騎乗服もパーティー用ドレスと合わせて依頼した……と」
「……要は、快復祝いのプレゼントだ。あの一件以来、ゲオルギウスに騎乗するのが日課であると、報告書に記していたからな」
ユーステッド殿下からの補足説明に、私は納得する。
ティア様は前に、正妃様から邪魔者扱いされたんじゃないかって言ってた。それは客観的に見れば間違いでもないんだろう。なにせ政争が激化し、離宮に侵入者が現れるような状況だ……狙われた当人が病弱では、出来る対処も限られてくるだろう。
政略結婚をしようにも、病気では貰い手が無いから本気でお荷物になってるって、他でもないティア様が症状が改善する前に言っていたし。
(でも……そう言う手紙を送ってきたってことは、一個人としてはティア様の事が大切だったんだろうなぁ)
皇族として家族よりも優先しなきゃいけないものってあると思う。動物のリーダーだって、場合によっては仲間が肉食獣に食われているのを簡単に見捨てたりするから。群れの保全の為には冷酷にならざるを得ない時だってあるだろう。
そんな中でも、気持ちを伝えて貰えるだけでも幸せかもしれない。言動に移さなきゃ、そう言うのって分からないから。
「そっか。なら良かったんじゃないですかね?」
「はい……本当に、そう思います」
……いかん。何かちょっとしんみりしてきた。心なしか、部屋の湿度が上がってきたように感じるくらいだ。
とっとと話題転換して、このジメジメした空気をどうにかしようっと。
「それにしても騎乗服ですか……私は全然馴染みないですけど、そんな良いもんなんですかね?」
「お前の場合、鞍も付けていないドラゴンにも乗れるし、服装も常に動きやすさ重視だからな。着替える必要がないと感じるだろうが、騎乗服には滑り止めなども備え付けられていて、より安全な騎乗が可能なのだ」
「ふふ……そうですね。実際にあるのと無いのとでは大きな違いもありますし……何でしたら、お姉様の騎乗服も一緒に仕立ててもらうのも良いかもしれません」
「いやいや、流石に遠慮しますって。ただでさえドレスとやらでお金かけてるみたいですし、そこまで厚かましくないつもりですよ、私は」
どこか楽しそうに、キラキラと目を輝かせるティア様の視線を手のひらで遮りながら、私は遠慮した。
……ここ最近、こうした話題になってもすぐにジメジメした雰囲気が無くなるようになった気がする。
その事は素直に良かったと、ティア様の姿を見て思うのだった。
=====
さて、それから数日後。オーディスの辺境伯邸に、帝都から皇族御用達のドレスショップに所属するデザイナーとスタイリストだっていう、何だかお洒落な格好をした二人組が、護衛の兵士に守られながらやってきた。
ただ服を作るために来たって言うのに、随分と物々しいなって思ったけど、どうやら代々皇族の礼装を任せられている由緒正しい店の人間らしく、盗賊や魔物に襲われないよう、普段は皇宮の護りを任されている近衛騎士の一部を貸し出されるくらいの影響力がある人間らしい。
ティア様とも馴染みのある人みたいで、正妃様からの信任状を預かった二人組はあっさりと屋敷の部屋に通され、私の寸法とかを図ってデザイン作りをすることになったんだけど……。
「ぐぇええええええええええええっ!? ぐ、苦じぃいいいいいいいいいっ!」
「お姉様! 息を吐いてくださいっ! 息を吸ってはダメです!」
私は今、コルセットとかいうやたらと堅い革製の物で、胴体をギュウギュウに締め上げられていた。
一応、これでも元は貴族令嬢だったからコルセットの存在自体は知っていた。けれど十歳の子供が装着するようなものではなかったらしく、こうして実際に身に着けるのは初めての経験なんだけど……これアホほどキツい。
「何これマジでキツいって肋骨イカれるって! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
私の喉から汚い悲鳴が上がる。
正直、内臓が全部締め上げられてるような感覚だ。ティア様や貴族の令嬢たちは、こんな物を日常的に付けてるっていうけど、全く頭がおかしいんじゃないかって思う。
「よし、出来ましたよ。それでは早速、試着を繰り返してみましょう」
そんなもはや新手の拷問器具にも思えてきたコルセットを装着された状態で、私は持ち込まれた試着用のドレスを何着も着て、もはや完全に着せ替え人形状態になった。
ぶっちゃけ、最初の方は息が苦しいわ、内臓への圧迫感は半端ないわでそれどころじゃなかったんだけど、人間って言うのは慣れる生き物らしく、時間が経ってくるとコルセットを付けている状態にも何とか適応できるようになってきたけど……それでもキツいことには変わりはない。
(は、早く終わって……!)
そんな私の念が通じたのか、それとも単に手際が良いのか、スタイリストさんは素早く私の試着を済ませていく一方で、デザイナーさんが私の姿を見ながらスケッチブックにペンを走らせていく。
おかげで思ったよりも早くにコルセットが外され、私がゼェゼェと深呼吸をしていると、その傍らでティア様が二人と一緒になって盛り上がっていた。
「アメリア様は年若く、小柄でいらっしゃいますので、スタンダードなフリルドレスなどもお似合いになると思いますが、ウエストが細く、手足も引き締まっておられますので、スタイルを強調するドレスもお似合いになるかもしれませんわ」
「フィールドワークが多いとお聞きしますし、運動量もそれに比例しておられるのでしょうか……とても健康的で魅力的なスタイルをお持ちですのね」
「そうなのですっ。アメリアお姉様は普段は無頓着ですけれど、磨けば必ず光ると思っていて……目元も大変凛々しくあられるので、下手に可愛らしさのあるドレスよりも、少し大人らしいデザインのドレスの方が似合うのではないでしょうか? 柄も上品に抑え、Aラインを意識した……」
「でしたら、無理をしてコルセットに頼るよりも、持ち前のスタイルで勝負した方が良いかもしれませんわ。着け慣れていないからか、大変苦しそうにしておられましたし」
……何やら、私が踏み込めない話題をしている、という事だけは分かる。
正直な話、混ざっても付いていける自信がまるでない。これが野生児じゃない女同士の会話か……排泄物の話が会話の切り口になっている私とは次元が違う女子力で、ひたすらぶん殴られ続けてる気分だ。
とりあえず、ドラゴンの膀胱の仕組みについて思い出しながら考察をし、話が終わるのを待っていると、ティア様が私にスケッチブックを広げて見せてきた。
「どうでしょう、お姉様。このデザイン案の中で、お姉様がお気に召した物はございますか?」
どうやらデザイナーさんが熱心に書き込んでいたものらしい。私にはどんなドレスが似合うか、その草案となるデザイン案が、簡単なイラスト付きで纏められていた。
私はスケッチブックを受け取り、ページをパラパラと捲ってみると、そこにはあの短時間で良くここまで出来たなって、思わず感心するくらいに色んなデザイン案が、簡単な捕捉説明文付きで
大量に描かれている。
正直大したものだと、私は素直にそう思う。……思うんだけど……。
「すみません、良し悪しとか全然分かんないんで、とにかく全部お任せでお願いします」
私にはどんなドレスが似合うのか、そう言うのはサッパリ分からん。ていうか、私にこの手の意見を求めること自体が間違ってると思う。
そんな私の至極当然の返答に苦笑しながら、三人は再びあーでもない、こーでもないって言いながら話し合っているのをそっちのけで、ドラゴンの生態についての考察に再び没頭をしていると、ふと思い立ったようにスタイリストさんが呟いた。
「ドレスそのもののデザインも大事ですけれど、小物や髪形……後はドレスの素材についても重要ですわね」
「そう言えば……風の噂で聞いたのですが、かつてこの領の服飾店に、見たことも聞いたことも無い素晴らしい質感と艶を持った動物の体毛が持ち込まれたのだとか! 私共もこの地に来たからには、噂の真相を探ろうと思っていたのですが、ティアーユ殿下は何かご存じでしょうか?」
「いいえ、寡聞に……恐らく、私がこちらに移り住む以前の話だと思いますが……」
「…………ん? それってもしかして、私が持ち込んだやつの事?」
何となく身に覚えのある話が聞こえてきて、私が思わず呟くと、三人は耳聡く私の方に振り向く。
「お姉様、何か心当たりが?」
「ん、ちょっと待っててください。今持って来るんで」
そう一言断ってから、私は一度自分の部屋に戻り、目当ての物を持って再び三人が待つ部屋に戻ってきた。
私が持ってきたのは、一抱えほどある大きめの木箱だ。本当ならプラスチック製の軽い容器に入れて持ってきたかったけど、無い物強請りをしていても仕方ないので、重たいのを我慢して持ってきたのである。
「お二人が言っていたのは多分これ……チョウモウユキリュウの体毛の事では?」
私が木箱の蓋を開けると、そこには光を僅かに反射するほどに艶やかな、雪みたいに真っ白な長い体毛がギッシリと詰まっていた。
チョウモウユキリュウは、巨竜半島の雪山地帯の麓にある、気温が低い高原を主な生息地にしている、その名の通り白くて長い体毛で全身を覆ったドラゴンだ。
以前、ユーステッド殿下にも話したことがあるんだけど、このドラゴンは体温調整の為に長い毛で寒さを凌いでいるんだけど、伸びすぎて邪魔になったら自分の爪で、或いは同族に手伝ってもらいながら、体毛をカットをするという、同じく長毛の動物であるヒツジやアルパカなどと比べると一風変わった生態を持っている。
「こ、ここ……これは……! まるで絹と同等……いいえ、それ以上に滑らかで、秋風のように涼やかな肌触り……これが、野生動物から直接刈り出しただけの体毛……えぇ……?」
「しかもそれだけではありませんわ……この雪のように純白で艶やかな色合い……どんな染色にも合いそう。それがこんな雑な管理をしていて、しかも刈り出されてから長期間経っているというのに、艶と色味が失われていないなんて……こんな素材、初めて見ました……!」
デザイナーさんもスタイリストさんも、木箱に収められたドラゴンの体毛を直に触りながら、信じられない物を見るかのような眼で呟く。
私にはドラゴンの生態を解明するための、単なる研究サンプルとしての価値しか見出せていないんだけど、服飾のプロである二人からすれば、全く別の価値を見出しているみたいだ。
「ちなみにこの毛の断面を顕微鏡で見てみたんですけど、普通の羊毛とか人間の毛とは明らかに違うものになってましてね。魔力を流し込むことで柔軟性を保ちながら、驚くほど頑丈になって、斧を振り落としても切れないし、火を付けても燃えないんですよ。今は魔力が抜けてるんで、普通の毛と大差ないですけど」
恐らく、これこそチョウモウユキリュウが自分の身を守るために選んだ進化の形なんだろう。全身を覆う長い毛は、魔力を送り込むことで非常に頑丈になる構造になっていて、相手がドラゴンであっても生半可な攻撃では傷一つつかない。
そんな話を聞いた二人は、明らかに目の色を変えつつも、溢れ出そうな気持ちを必死に抑えながら私に向き合った。
「アメリア様っ。不躾ではありますが、こちらをお譲りして頂く訳にはまいりませんか? 勿論、金額はアメリア様がお望みの額を提示して頂ければ……!」
「あぁ、そう言うの良いんで。欲しけりゃ持って行ってください……大方、新しい布を開発する材料にって考えてるんでしょ?」
「え、えぇ……その通りです」
「じゃあ良いですよ。何だったら、私の部屋に溜め込んでるのもあげます」
ていうか、元々そのつもりで持ってきたのだ。
「よろしいのですか、お姉様? こちらはドラゴンの試料だとお伺いしましたけど……」
「まぁ確かに、チョウモウユキリュウの毛も大事なサンプルではあります」
普通だったら、私も貴重なドラゴンのサンプルを呆気なく手放したりしないし、中には誰が何と言おうと譲り渡す気が無い貴重な品もあるのは事実だけど……チョウモウユキリュウの毛は例外だ。
「チョウモウユキリュウは体毛をカットするスパンがそこまで長くないから、結構な頻度で手に入るんですよ。それも一度に大量に」
チョウモウユキリュウはナックルウォークで移動するゴリラのように、前肢を器用に動かせるように進化した氷竜目四脚竜科のドラゴンだけど、その全長三メートルは下らない巨体を有している。
その分、一度のカットで大量の毛が地面に落ちていて、私はそれをできる限り集めてきたんだけど……正直、多すぎて手に余っていた。
「現状では、そのサンプルを使って出来る実験にも限りがありましたし、何か別の方向からアプローチして、新しい発見が出来ないかってずっと考えていたんですけど、そんな時に丁度良く来たのが、このお二人って訳です」
ドラゴンの生体部位の加工と、それに伴う様々な変化の観察。これをやるには多様なジャンルの生産者の力を借りたかったところだ。
服飾店の場合だと、染色したり解したり……ただ観察するだけでは分からない、私では思いつかない生産者独自の発想でドラゴンの生体部位を加工すれば、それがどのように変化するのか……そう言う実験にも興味がある。
「お金は要りません。その代わり、チョウモウユキリュウの体毛が加工の段階でどのように変化し、結果としてどのような物に仕上がったのか、それを事細かくレポートに書き起こし、それを私に送ってください。そうすれば、私がサンプル用に保存する分を除けば、私の部屋にあるのを全部上げますよ」
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