踊ってでも奪い取れ
「……という訳で、お前がパーティー会場で恥を晒さないよう、最低限のマナー教育を施すことになった。手始めにダンスレッスンから始めていくが、私が相手役を務めさせてもらう。分かったか?」
「……うぇーい……」
辺境伯邸の空き室。今日も元気にハキハキと喋るユーステッド殿下の言葉に、私の口からすっごい気力がない声が漏れた。
正直に言って、全く気乗りがしない……何故この私が、研究時間を削ってまでダンスの練習なんぞをせにゃならんのか。
「何という気の抜けた返事を……! 貴様どれだけやる気が無いのだ!?」
「だってぇ……」
仕方ないじゃん……モチベーションが全然上がんないんだもの。
なし崩しでパーティーに参加することになっちゃったけどさ、こんな事をする意義を実感できないって言うか……意義も見い出せず、興味のない事をやるって言うのは中々苦痛で、全身の筋肉が弛緩してるような気がする。
「とりあえず踊りゃいいんでしょ? ほーら、グニャグニャァ……」
「踊ると言いながら地面に倒れようとするんじゃないっ! スライムか貴様は!?」
いかん、やる気が出なさ過ぎて関節に力が入らない。もういっそ、このまま地面に寝転がったまま踊った方が良いんじゃないかとすら思えてくる……立たなきゃいけないって言うのは頭では分かってるんだけどなぁ。
理性ではなく、本能に体が支配されてしまっているというか。殿下の言う通り、マジで体がスライムみたいになってしまった気がする。地面を跳ね回る普通のゼリー状の奴じゃなくて、ドロドロした感じの体を地面に引き摺って移動するタイプの種ね。
「お姉様、少しの辛抱ですから頑張りましょう? 終われば好きなだけ研究に没頭できますから」
「そう言われてもぉ……」
ダンスの練習の時の音楽を鳴らす為、バイオリンを持って手伝いに来たティア様にそう言われても、体は正直だ。
この七年間にも及ぶ自由気ままな生活によって、私は何時の間にか上品な貴族の教養とやらをやらさられるのが駄目な体になってしまったらしい。
「全く貴様と言う奴は……だが、正直こういう展開になるのは読めていた。お前との付き合いも、いい加減長くなってきたからな」
ユーステッド殿下は深々と溜息を吐きながら、床にぶちまけられたヘドロのように寝そべる私の傍で片膝を付く。
「今回のパーティーにお前が参加する事については、我々は本来の依頼業務とはまた別の仕事であると認識している。故にその分の対価も示すべきだろう」
「対価ぁ……? そんなこと言ってもねぇ……」
私のやる気は富だの名声だの地位だのでは買えない。それは殿下も理解しているはずだ。
一体何を対価にしようとしてるのか……少し興味を持った私は、緩慢な動きで顔を向けると、ユーステッド殿下は懐から手のひら大の木箱を取り出し、その蓋を開けて中身を私に見せてきた。
「……何ですコレ? 石?」
そこにあったのは、白と黄褐色が入り混じった、不思議な色合いをした石だった。
少なくとも、そこら辺に落ちてるただの石って訳じゃなさそうだ。それでいて宝石の原石っって訳でもなさそうだし……。
「これは先日、オーディスで飼育しているヘキソウウモウリュウが口から吐き出した物だ。恐らく、体内で生成された結石だと思われるが……お前は金銭などよりも、こういうものが好きなのだろう?」
「っ!?」
ドラゴンの結石……その言葉に、私は思わず驚愕した。
龍涎香……そう呼ばれるものは前世にあった。クジラが餌であるイカを食べた時、イカの堅い牙が消化器官の内壁に刺さり、その傷を治癒しようと牙の周りに肉が寄せ集まってできる結石の事で、最終的にはフンに混じって体外に放出され、海流で洗われながら陸地に漂着する。
手に入りにくく、上品な甘い香りを放つことから、高級香料として取引されているけど、正直名称に関しては完全に名前負けだと思う。だって原料はイカの牙とクジラの体組織で、ドラゴンの体から出来たわけじゃないし。
(でも今目の前にあるのは、正真正銘ドラゴンの口から排出された、真の意味での龍涎香ってこと……!?)
硬い魔石を噛み割りながら呑み込むという食事方法から、可能性としてはあり得ると思っていた。魔石の破片が口内や食道に刺さり、龍涎香と同じようなプロセスで結石を作り、それが排出される可能性については。
しかし、それを実際にこうして目にするのは初めてである。事実が判明すると、黄金に光り輝いているように見え始めたドラゴンの結石を前に、次に私の取る行動はもはや必然的だった。
「それをこっちに渡せぇえええええええええーっ!」
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」
寝転がった状態から跳ね起きる勢いで上空に飛び上がり、私は猛禽類さながらにユーステッド殿下から結石を奪いに行くけど、殿下は恐怖と困惑に満ちた表情で咄嗟に回避してしまった。
「チィ……っ! 外したか……! では次は、腕ごとバッサリ持って行かせてもらいますよ、殿下ぁ……!」
「何だこいつは……!? 目つきが完全に魔物と同じだぞ……!? ついに人間であることすら辞めたというのか……!?」
野生の開放具合もついにここまできたか……そう言わんばかりの視線と引き攣った表情もなんのその、私は肉食獣のように身を低くしながら飛び掛かり、殿下らの体をよじ登りながら、上に掲げられた手にある木箱に向かって必死に手を伸ばす。
「頂戴そのサンプルっ! これは私が有効活用してあげますからぁっ!」
「えぇい、落ち着け! 落ち着かんかっ! これは元々、仕事の報酬として渡すつもりなのだ! お前がきちんとパーティーに参加するというのなら、今すぐにでもくれてやるっ!」
「やりますやりますっ! 超頑張りますよ私っ!」
「本当だな!? 受け取るだけ受け取って、後で約束を反故にはしないだろうな!?」
「しませんしませんっ! だから早くドラゴンの結石を!」
「よし! では取って来いっ!」
「ワンワンッ!」
明後日の方向に向かって放り投げられた結石入りの木箱を、私は空中に跳んでキャッチする。
こんな形で極上のお宝である、今まで未発見だったドラゴンの結石が手に入るなんて僥倖以外の何物でもないだろう。
「やった! やった! やった! やった! 龍涎香♪ 龍涎香♪ 私の龍涎香♪」
「……恐ろしかった……完全に血に飢えた猛犬のようだったぞ貴様……とにかく、これでパーティーにもやる気を出したな? 約束通り、ダンスレッスンを真面目に受けてもらうぞ」
「イエッサー!」
木箱を掲げて小躍りする私を、殿下は完全にドン引きしたような表情を向けてくるけど、安心してほしい。
貰う物を貰った以上、きちんと働きで返すという筋道くらい、私だってちゃんと通す腹積もりだ。
「さて、これからダンスレッスンを始めるわけだが、お互い職務もあるのであまり時間は取れず、パーティーまで猶予も左程ないので、基本ステップだけを徹底して覚えてもらう。最低限、それさえ習得してしまえば、後は男性側のリードである程度様になる。まずは右手で私の左手を握り、左手を私の脇下から右肩甲骨に添えろ」
「分かりました」
私はユーステッド殿下の正面に立ち、教えられたとおりにやる。
こうして手と手を取り合い、正面から向かい合ってみると、私と殿下の体の大きさの違いを改めて実感させられた。
「本来なら左手は肩に置くのが一般的だが、私とお前とでは身長差が大きいからな。こうしていた方が肩も疲れないだろうし、踊る相手の身長が高ければこうするといい」
「うす」
「そのまま背筋を伸ばし、ステップは力を入れずに、私のリードに合わせて足を動かせ。難しく考える必要はない……ただ私が力を入れる方向を意識しろ」
そう言うと、ユーステッド殿下はティア様に視線だけで合図を送り、それを受け取ったティア様はバイオリンを構える。
「それでは、始めます」
そんな短く静かな声と共に、部屋の中にバイオリンの音色が響き渡る。
社交ダンスの時によく流れる、定番の曲らしい。皇女教育の一環として仕込まれていたのか、素人の私の耳にも聞き心地が良い音楽と共に、私はユーステッド殿下が引っ張る方向に向けて静かにステップを踏んだ。
「……あれ? 思ったよりも何か、踊れてる? 最初だから、もっと苦戦するもんだと思ったんですけど」
意外なことに、滑り出しは私が思っていたよりも順調だった。
ちゃんとダンスの教育とか受けてきた人間の目には、まだまだ拙く見えるんだろうけど、少なくとも私が気付くような失敗はないというか……言葉にしなくても、体が引っ張られる方向や雰囲気で、ユーステッド殿下の動きが何となく分かるっていうか……。
「社交ダンスの出来の大半は、男性側のリードで決まると言って過言ではないからな。競技用の演目となれば話はまた変わってくるが、パーティーでのダンスであれば、女性側は基本ステップさえ踏み間違えなければ問題ない」
「へぇ、そうなんですね」
という事は、今こうして私が踊りやすいと感じているのは、それだけ殿下のリードが上手いという事か。
そう思った私は、何となく殿下の顔を見てみる。そこにあるのは、いつも通りの真剣な表情に、どこか私を気遣うような眼差しが混ざった、一人の男の人の顔だった。
「まぁ……!」
そんな私たちの事が、傍目にはどんな風に映ったのか、ダンスの様子をずっと見ていたティア様の侍女たちの方から、小さく感嘆の息が漏れたような気がする。
すると、ティア様の演奏が佳境に入ったのを機に、ユーステッド殿下が私の腰を引いたことで、私たちの顔が至近距離まで近づいた。
外仕事が多い割りには、シミとか全然ない色白な人だなって思った。こんなに近い距離からは初めて見る切れ長の瞳は宝石みたいに綺麗で、どこまでも真剣に『私に恥をかかせない』という気遣いに満ちているように見えて……。
「……ぶふぉっ!? く、はははは……!」
「…………おい」
私は思わず吹き出して笑ってしまい、ユーステッド殿下は地の底から響くような低い声を漏らした。
「なぜ急に笑い出すのだ、貴様と言う奴は」
「す、すみません殿下……! なんか笑えてきちゃって……!」
だってこの人、普段から私の事を野生児だって言って憚らないのに、こんないきなりエスコートなんて似合わない真似してくるんだもの……!
そのギャップと言うかなんというか、普段との落差が謎の笑いを誘引したというか……!
「ちょちょ、もう一回。もう一回やりましょう殿下。次は笑わないようにするんで」
「全く……今度こそ気を引き締めるがいい」
それから私は、一通り社交ダンスの流れと言うものを実践形式で教えてもらい、いったん休憩ということで練習を中断することにした。
とりあえず、殿下の足を踏むとかそう言う失敗はしなかったのが良かったのか、ユーステッド殿下は『ふむ』と満足そうに呟く。
「想定していたよりも、随分としっかりステップが踏めていたな。七年以上はダンスとも無縁の生活を送ってきたと思っていたが、それにしては大したものだ」
「えぇ、本当に。体の動きと音楽の調和もしっかりと図れていましたし……とても素敵でしたよ、お姉様」
「そうですか? 自分じゃあよく分からないんですけど」
でも確かに、私はフィールドワークが主で運動神経にはそれなりに自信があったりする。それがダンスでも活きたって感じかな?
「音楽に関しては……まぁ普段から時々歌ってたりしてますからね」
主に巨竜半島の移動時間中や、研究中に凄い興が乗ってきた時とかに。
ちゃんと歌ってるって訳でもないけど、それでも音楽とは完全に無縁って訳でもないし、音感が全く無いってほどでもないと思う。
「…………ん?」
その時、ふと私の視界の端にあるものが映った。ダンスの練習の為、床に降ろして待機させていたジークだ。
ジークは物臭な気質で、普段の移動とかも私や他のドラゴンに乗って移動するくらいであり、それ以外の時は体を丸めて寝そべっていることが多い。
そのジークが、今日はなぜか頭を上げて私たちの方を見ていた。そんなちょっとした事が、私にはやけに気になった。
「アメリア? どうかしたのか?」
「あぁ、いえ。何でもないです。それより、練習再開しましょう。ダンスなんて面倒なことはとっとと覚えて、研究時間をガッツリ確保です」
その後、ユーステッド殿下とティア様の協力もあり、私は順調に社交ダンスを覚えていったわけだけど……その際、私はジークの様子もつぶさに観察し続けるのだった。
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