変わった呼び方
「それでは、行ってまいりますっ」
本日のウォークライ領は快晴……どこまでも鮮やかな青い空の草原で、シメアゲカエンリュウの背中に乗ったティアーユ殿下が弾けるような笑顔を浮かべながら、私に向かって元気に声を張り上げると、その次にシメアゲカエンリュウの首筋を優しく撫でながら魔力を吸わせ、語り掛けた。
「さぁ、行きましょう。ゲオルギウス」
ゲオルギウス……そんな個体識別名をティアーユ殿下から与えられたシメアゲカエンリュウの背中には、その体の大きさと構造に合わせて作られた専用の鞍が取り付けられていて、そこに手綱を握ったティアーユ殿下と、その後ろに一人の女性兵士が並んで座ると、ゲオルギウスは殿下の合図と共に翼を羽ばたかせ、大空へと舞い上がる。
「おぉお……!?」
その様子を見ていた群衆……見学に来ていた辺境伯軍の兵士や、オーディスの住民たちから、どよめきの声が上がった。
彼らの反応も無理はない。空を舞うドラゴンの雄大な姿は、思わず目を奪われてしまいそうなくらいの迫力がある。特に体の大きいドラゴンともなると尚更だ。
それを私と並んで先頭で見ていたユーステッド殿下やセドリック閣下も、彼らと同じような反応をしているんだから、空を駆ける竜の威容は皇族ですら感嘆するんだろう。
「こうして目の前でドラゴンが空を飛ぶのは何度も見させてもらったが、それでも目を奪われそうになるが……どうなのだ? ティアーユとゲオルギウスは、上手くやっていけそうか?」
「そうですね。種族的にも些か気難しい個体ではありますけど、少なくとも取引相手……つまり魔力を対価に言う事を聞いてもいい、共生相手としては認めているみたいです」
私は今、ティアーユ殿下とゲオルギウス、この両者が上手くやっていけていけるかを詳しく観察し、今後の動向を予想しながら見守っている。
共存共栄なんて、口で言うのは簡単だけど、実際は大変なことだ。人間同士ですら同じ国の住民同士でも価値観が合わなければ一緒に暮らすのは難しいのに、人間とは全く異なる理屈の中で生きるドラゴンと共生しようと思ったら、かなり慎重に動向を見守らないといけない。
「なまじ知能が高いですからね。魔力だけじゃ割に合わないなんて思われたら、その時点で人間なんて簡単に切り捨てられる可能性が高い。だからこそ、ゲオルギウスと共に生きる選択をした以上、相方となるドラゴンの事を深く理解し、尊重する姿勢を示し続けてもらわないといけない」
それと同時に、ゲオルギウスに人間の事を理解してもらうよう、思念波を通じて教え込む必要がある。
これによって相互理解、相互尊重の域に達し、ゲオルギウスはティアーユ殿下と一生支え合うパートナーになる……かもしれない。
「結局、ドラゴンの研究はまだまだ始まったばかりの分野です。人間とドラゴンの関係が今後どうなっていくかは、慎重に事を進めながら経過を見守っていく他ありません」
「むぅ……やはり現状では、最後にはそこに行きつくか」
軍事転用から始まったドラゴンと人の共生に関して、私から確実に言える事はない。
何しろ、前例のない事だから。こればっかりは実際に実験と検証を地道に積み重ねていくしかないのである。
「上手くいかない可能性は否定しきれません。それでもやっぱり、上手くいく見込みは残されてるんです。ドラゴンは人の感情を詳しく理解できる生物……『私はこれだけ貴方の事を尊重していますよ』って本心から伝え続けることが出来れば、或いは」
実際に、私は今までこうしてドラゴンたちを手懐けてきた。ジーク然り、スサノオ然り、ジグルド然り、ドラゴンを手懐けると同時に、敬意と感謝も忘れずに伝え続けてきた。
これに効果があるのかどうかは一生かけて確認していくしかないんだと思うけど、少なくとも現状では上手くいっている。私も、ティアーユ殿下も。
「それに見てくださいよ、あの姿を」
私にそう言われて、ゲオルギウスの背中で手綱を握りながら、共に空を舞うティアーユ殿下の姿を、セドリック閣下とユーステッド殿下が見上げる。
そこにあるのは、もう病気の影に怯えて暗い顔ばっかりしていた陰気で辛気臭いお姫様なんかじゃない。生きるための活力を取り戻して、今と未来を笑顔で過ごそうとしている年相応の少女の姿だ。
「新しい事を始める際は、常に可能性とリスクが混在している。魔法を始めとした人間の技術全般もそうでしょう。そういう意味では、あの人もこれまで人類がやってきたのと同じことをしようっていう覚悟を決めただけです。不安も心配も当たり前の感情ですけど、手伝いながら見守っていけばいいんじゃないですかね?」
「……ふっ。そうだな」
優しい眼差しで薄く笑うセドリック閣下。そんな大人らしく見守る姿勢を見せた閣下に対し、私を挟んで反対側に居るユーステッド殿下はと言うと……。
「……殿下。貴方まだ涙腺治ってないんですか?」
「う、うるさいっ。泣いてなどおらんわっ」
目元を手で覆い隠して、ちょっと泣いていた。
ここ最近、ティアーユ殿下の体調が劇的に改善されたからなぁ。その事に感極まり過ぎて、ユーステッド殿下の涙腺がユルユルになってしまっているみたいだ。
「そ、そんな事より! 前々から不思議に思っていたのだが、ドラゴンはあの巨体と体重でどうして空を飛べるのだ? 飛行魔法の研究開発をしている魔法使いたちも、非常に不思議に思っていたようだが」
「あ、誤魔化した。まぁ良いですけど……確かにそれに関しては不思議に思って当然ですよね」
虫とか鳥とか、当たり前のように空を飛ぶ生物は数知れないが、実は生物が生身で空を飛ぶには相応のリスクがある。その代表的なのが、鳥の骨だろう。
鳥は天敵から逃れるため、餌を確保するためなどの理由から空を飛ぶことに特化して進化してきたけど、その為には体重を軽くする必要があった。
その結果、鳥の骨は薄かったり空洞になっていたりしていて、これによって空を飛び、着地の際には衝撃を吸収する身体構造を作り上げてきたのだ。
「でもこうした身体構造は、骨折の危険性を非常に高めるものでもあります。鳥を始めとした多くの飛行生物は、身軽さと引き換えに肉体の耐久力を失ったと言えるでしょう」
勿論、全てがそうという訳ではないけれど、空を飛ぶ生物の多くが、人間を始めとした哺乳類よりも頑丈じゃないというのは事実だ。
空を飛ぶ古代の巨大生物として有名なプテラノドンとかも、骨が空洞になっていて、体重も見た目よりずっと軽かったというし、更に言えばそこまでのリスクを取っても、翼の力だけでは飛行し続けられない生物も多い。
「鳥も翼を動かして空を飛ぶ羽ばたき飛行と併用して、風を翼で捉えて滑るように飛ぶ滑空飛行をすることで、翼の筋肉を休ませながら移動してますからね……だと言うのに、ドラゴンはそう言ったリスクを負わずに空を飛んでるんです」
ドラゴンの骨密度は非常に高く、頑丈だ。私は昔、喧嘩しながら崖から転がり落ちる二頭の翼竜科のドラゴンを見たことがあるけど、その二頭は喧嘩が終わると元気に翼を羽ばたかせて飛び去って行った。
そもそもシメアゲカエンリュウを始めに、体の大きさに比例して体重がバカみたいに重いのに空を飛ぶドラゴンが多い。もし人間が生身で空を飛ぼうとしたら、自身の体の何倍も大きい翼を生やし、毎秒三桁回数は羽ばたかせないといけないのに、ドラゴンは自分の体よりも小さい翼だけで空を飛んでいる。力学とかだけで見れば、明らかにおかしい話だ。
「私もずーっと不思議だったんですけどね。でもその答えは、つい最近身近なところで生み出されました」
「……生み出された? どういうことだ」
「竜車ですよ、竜車」
ドラゴンによる人や物資を移動させるための、まだ開発段階の新しい乗り物。これは浮遊魔法によって車体を浮かし、地形や速度に左右されずに高速で物を運ぶことが出来る代物だけど……。
「竜車の浮遊魔法の原理術式を見させてもらいましたけど、後の調査で実はドラゴンも同じような魔法を使って自身の体を浮かせているのが分かったんです」
ドラゴンがあの体重を浮かせているのは、翼の力によるものではなかった。自らの体を魔法の力で浮かび上がらせていたのである。
確かにこの方法なら、あの翼の大きさで空に舞い上がることも出来るだろう。だって航空力学や体重が絡んでくる、地球における飛行の常識なんて無視できるんだから。
「そして体を浮かび上がらせれば、そこから翼の出番です。ドラゴンの翼は体を浮かすものではなく、空中での方向転換や推進力を得るためのオールのような役割を持っていましてね。そこに更に魔力を噴射することで高速飛行も可能にしているんですよ」
それは生物の飛行というよりも、ジェット機による飛行に近い。
聞いたところによると、この世界では同じようなやり方で高速飛行ができる魔物もいるようだけど、そこで終わらないのがドラゴンだ。
「その上、ドラゴンの翼って、鳥の翼と人間の腕関節の良いとこ取りみたいなもんでしてね。上下左右に動かすだけじゃなく、捻ったり背中に回したり出来るんですけど、これを駆使することによって、ただ前に向かって飛ぶ以外の高度な飛行テクニックを有するようになったんですよ……あんな感じに」
そう言って私が上空を指差すと、その先には一定の座標に留まり続けるホバリング飛行をするだけに留まらず、空中でバックする後退飛行まで披露しているゲオルギウスの姿があった。
同じような飛行をする生物として、ハチドリとかが有名だと思う。ハチドリはその名の通り、8の字を描くように翼を高速回転させることでホバリングや後退飛行を可能とする鳥だけど、ドラゴンの飛行はそれの上位互換。
飛行を可能とするために毎秒数百回も羽ばたかないといけないハチドリと違い、ドラゴンは一度の羽ばたきであらゆる方向へと飛ぶことが出来るパワーを有している。
「そこに魔力噴射を加えることで、ドラゴンは鳥を遥かに超える飛行能力まで持つようになったわけですね」
まぁこれも現段階における私の仮説だけど。今後の研究次第で、全く違う理屈で空を飛んでいることが判明するかもしれない。
「……浮遊魔法中に風属性や火属性などの魔法を発動する魔力噴射によって推進力を得る……これは我々人類が長年かけてもまだ実用化ができていない飛行魔法の理論なのだが、それをドラゴンは先んじて実現していたと? 安定した前方飛行のみならず、空中停滞や後退飛行まで……!?」
「驚くのも分かりますよ。人間が同じことをやろうと思ったら、姿勢制御とか魔力消費量とか色んな課題ありますもんねー」
ドラゴンは栄養に変換するために外部から魔力を取り込むのとは別に、ブレスや飛行などの魔法を発動する為に使う魔力を体内で生成できたりする。
つまり魔力の供給方法が二種類存在しているんだけど、そうなれば当然、体内で魔力を生成することしかできない人間よりも多くの魔力を持つようになるし、しかもその供給率は人間の比ではない。人間なら大量に見える魔力量も、ドラゴンからすれば大した量じゃないってパターンもザラだ。
そんなドラゴンと人間の差にユーステッド殿下が頭を抱え、セドリック閣下も目を見開いていると、飛行を終えたゲオルギウスが地面に舞い降りてきた。
「どうでした、ヴィルマさん。初めての空中飛行は」
「ふむ……中々良いものですね。揺れも少ないですし、思っていたよりも安定的と言いますか」
そんなことを呟きながらゲオルギウスの背中から降りてきたのは、ティアーユ殿下と同乗していた女兵士、ヴィルマさんである。
「ですが個人的には、刺激が少ないのがネックですね。やはりスピードだけでなく、地面を踏みしめる時の振動や振り落とされそうな揺れが無いとスリルに欠けると言いますか……やはり私の相棒はブリュンヒルデしかいないと、再確認させられました」
スピード狂の走り屋らしいコメントをしながら、ヴィルマさんはティアーユ殿下の手を取りながら丁重にその体を地面に降ろす補助をする。
今回は辺境伯軍の兵士として、将来的に飛行を可能とするドラゴンの軍事転用も視野に入れて、ティアーユ殿下と一緒にゲオルギウスに乗ってもらい、ドラゴンに騎乗しながら空を飛んだ時の感想を求めたのだ。
「いずれにせよ、方向転換する時などは振り落とされるリスクは感じましたが、思っていたよりもずっと安定的でしたし、兵士が騎乗して軍事作戦を実行するのに問題はないのではないでしょうか?」
「そ……そうか……安定的だったか……」
とまぁ、本来なら喜ばしいはずの報告をするヴィルマさんだけど、ユーステッド殿下や他の男兵士たちは揃いも揃って、顔を引き攣らせた微妙そうな顔をする。
この世界では飛行魔法の研究が進められているけど、人間が上空を飛ぶというのは一般的ではない。有り体に言えば、高いところから落ちたら死ぬという常識だけは広まっている分、食わず嫌い気味な高所恐怖症の人間が多いのである。日頃から魔物と戦っているユーステッド殿下ですら、初めての飛行の際には悲鳴を上げていたくらいだ。
(女三人が平然としているのに、大の男が揃いも揃って怖くて乗れないなんて言えない……って言ったところか)
私は言わずもがな、ヴィルマさんは平然としてるし、ティアーユ殿下に至っては皇女という守られる側の立場なのに、すっごい楽しそうに空を飛ぶドラゴンを乗りこなしているのだ。
ドラゴンに騎乗して飛行することが、いずれ辺境伯軍の戦略に組み込まれることを考えると、下手に拒否も出来なくて憂鬱になっているんだろう。
そんな心情を隠しきれていないユーステッド殿下たちに苦笑をしていると、ティアーユ殿下が私の方に近付いてきた。
「あの、私の騎乗はどうでしたか?」
「えぇ。経験が浅いのに、結構様になってましたよ、ティア様」
「……ティア様?」
私の呼び方に、ユーステッド殿下は思わずと言った風に怪訝な表情を浮かべる。
「ほ、本当ですかっ? 嬉しいです、アメリアお姉様っ」
「お姉様ぁっ!?」
すると今度は私の呼ばれ方に驚愕しながら、ユーステッド殿下は私たちを交互に見る。
「ちょっとうるさい。さっきから何なんですか殿下」
「す、すまない……しかし、何時の間にそのような呼び方に……?」
まぁちょっとビックリしても仕方ないか。突然互いの呼び方が変わったんだし、何かあったのかって勘繰りたくなるのは分かるけど、別に大したことはしていない。
「ま、これでも私たちは年頃の女ですからね。所謂ガールズトークって奴で仲良くなったんですよ」
「…………ガー、ルズ……? …………お前が……?」
「円らな眼をしながら心底不思議そうに首を傾げるの止めてもらえません?」
ユーステッド殿下が私の事を野生動物のメスくらいの認識でいるのは知ってるけど、分類学上は私だって人間のメスである。
それを完全に忘れていたんだろうか。皮肉でも何でもない、悪意が一切ない純粋な眼をしているもんだから余計に質が悪い。
「話してみたら結構ウマが合ったっていうか。私も皇女だからって遠慮しながら話すのは苦手ですしね。今じゃ結構、フランクに話せている間柄なんです」
「は、はい。恐れながら、呼び方についても私の方からお願いして……」
恥ずかしそうに両頬に手を添えて顔を赤らめるティアーユ殿下……もとい、ティア様。
平民の私が皇族相手に愛称とか有りなのって思いもしたけど、式典とかパーティーみたいな公の場じゃなければ問題ないらしい。
「それでも『お姉様』呼びには驚かされましたけどね。一応、貴族令嬢の間じゃ親しい年上の同性のことを、親しみを込めてそう呼ぶって聞いたんですけど……」
「確かに、そういう慣習もあるが……」
「じゃあ問題ないですね。それよりもティア様、ヴィルマさんと一緒にゲオルギウスに乗った時の様子とか、飛行時の翼や胴体の動きとかを事細かく聞きたいんですけど……」
私は基本的に、よっぽど変なのじゃなければ、どういう風に呼ばれても構わないタイプだ。
博士呼びは流石に恐れ多いから遠慮してほしいけど、別にこのくらいの呼ばれ方ならどうってことない。
そう思った私が早速データ採取の為に、騎乗していた本人に話を聞こうとすると、後ろからユーステッド殿下とセドリック閣下が、私には聞こえない小さな声で何かを話し合っているような気がした。
「あいつときたら……皇女が親族以外をその様に呼ぶことの意味を理解しているのか?」
「恐らく、興味すらないのであろう。皇族から尊敬と寵愛の念を向けられている何よりの証なのだが……そのようなことを意識するアメリアではあるまい」
「えぇ、でしょうとも。ティアーユの方は分かっていているようですが……これはますます、他の貴族たちが放っておかなくなりますね」
「なればこそ、尚更我らがしっかりと見守らなければなるまい。竜の聖女……この噂話が収束しないまま、皇女の病を癒して親愛を得たという話も帝国中に広まりつつある。となれば、これから多くの人間がアメリアとの接触を図ろうとするだろう」
「えぇ、そうした人間が現れた時こそ、我らの出番でしょう。だからこそ、ティアーユも周囲を牽制するつもりで呼び方を変えたようですから」
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