戻ってきた日常
その後、私たちは無事にドラゴンを連れてウォークライ領まで戻ってくることが出来た。
シメアゲカエンリュウもティアーユ殿下とはフィーリングが合っていたのか、殿下の指示にも従っていて、船に同乗する形で軍港まで行き、そこからはティアーユ殿下を乗せてオーディスまで飛んで行った。
(……突然街の上空に現れたドラゴンに、住民の間で軽い混乱は起こったけどね)
まぁこれに関しては事前に分かっていたことなので予め通達はしていたし、辺境伯軍の兵士たちがすぐに動いたのもあって、混乱はすぐに収まったけど。
いずれにせよ、今回シメアゲカエンリュウという体の大きなドラゴンが、オーディスで飼育されるようになったことは、皇女であるティアーユ殿下の体調快復の為ってことで、住民たちにも受け入れられた。
(元々、ヘキソウウモウリュウを飼育し始める前から、住民にはドラゴンに対する理解を深めるように、セドリック閣下やユーステッド殿下たちが動いてたし)
人を導き、混乱が起きないように努めるのは、人間という動物が形成する群れを率いるリーダーである、統治者の務め。
この事に関しては私も協力したし、その甲斐もあってオーディスでドラゴンを受け入れる下地は、着実に進んでいるのである。
「……以上が、今回の巨竜半島での出征の際に起きた一部始終です」
そんなこんなで、無事に戻ってきた私たち三人は、セドリック閣下の執務室で諸々の報告を済ましていた。
ユーステッド殿下からの明快で分かりやすい報告を黙って聞いていた閣下は、『うむ』と満足そうに頷く。
「まずは三人とも、よく無事に戻ってきたと言っておこう。トラブルもあったようだが、結果的に新たなドラゴンをオーディスに迎えられたのは僥倖である……それで、ティアーユの症状はどうだ?」
「かなり良くなったと、そう判断してよろしいかと」
話を振られたテオル先生は、ティアーユ殿下の方に視線を向けながら微笑みを浮かべながら答える。
「慢性的な体調不良の原因となっていた過剰な魔力……これが吸い出されたことによって、症状が劇的に改善されています。オーディスから巨竜半島までの往復に加え、ドラゴンとの戦闘を間近で見るというトラブルを経て一度は発作が出たというのに、ここまで体調が安定しているというのは、今まで考えられなかったことです」
普段なら、一度体調を崩せば数日間はベッドの住人だった。
それが今こうして帰った直後に、立ちながら報告の場に居続けることが出来るんだから、テオル先生の言葉も当然だろう。
「勿論、ティアーユ殿下は魔力の生成量が非常に多いため、毎日定期的に魔力を吸い出してもらう必要があります。しかしそれさえ済ましてしまえば、毎日寝室から出られない状態から脱却するだけでなく、激しい運動だって行うことが可能でしょう」
その言葉に、場の雰囲気が一気に明るくのなったのが分かる。
元々、ティアーユ殿下は魔蝕病という点を除けば、極端に筋肉が無いとか骨が脆いとか、肺や心臓などに疾患を抱えている……みたいな合併症も無かったらしい。
魔蝕病自体が治ったわけではないけど、体調不良の要因さえ毎日取り除き続けられるのなら、健康体の人間と同じような生活が送ることが可能なのだ。
「生まれた時から闘病生活をしていたので、平均的な十四歳の女性と比べれば体力や筋力は依然としてありませんが、それも今後のリハビリ次第で取り戻せることでしょう。例えば……体力作りの為にドラゴンに騎乗したりなどしてね」
「そうか……そうか……」
他の誰でもない、専門医であるテオル先生から太鼓判を押されて、セドリック閣下は感慨深そうに呟く。
隣を見てみると、ユーステッド殿下は目頭を押さえて思いっきり目を閉じていた。どうやらまた涙腺を刺激されたらしい。
「ユーステッド、よく二人を守り抜いてくれたな。こうして三人とも無事に戻ってこれたのは、其方の判断と行動の賜物だろう。本当によくやってくれた」
「いえ……っ。私は、当然のことをしたまでです」
そう謙遜するユーステッド殿下だけど、ちょっと鼻声になってる。
もしかしてこの人、意外と涙脆いのかもしれない。
「そしてアメリア。全ては其方の地道な調査が切っ掛けとなったおかげだ。根幹的な治療についてはまだまだ課題が残っているが、ティアーユの症状は間違いなく回復へ向かうだろう。この国の一員として、一人の叔父として、心より感謝する……其方には、毎度毎度驚かされてばかりだな」
「あー……そういうのいいですって、閣下。言ったでしょ? 私は自分の研究環境を守るためにやってるんだって」
どこか嬉しそうに口角を上げるセドリック閣下に、私は面倒くさいとばかりに手首を振る。
私は病院も病人も苦手だ。辛気臭い雰囲気が漂わせている奴がいると何だか放っておけなくて、目の前の事に集中できなくなってしまうから。
「だから今回私が自分から手を貸すようなことをしたんです。体調不良さえ起こさなきゃ、辛気臭くなる余裕も無くなるってもんでしょ。おかげで私も清々しましたし、これまで通り気兼ねなく楽しくドラゴン研究に没頭できるってもんですよ」
多少の感傷があったことは認めるにしても、それはそれ、これはこれだ。
私はどこまでも自分の為に、自分の好きなようにやった……ただそれだけである。
「大体、今回は偶然ティアーユ殿下の体調回復の力になれるドラゴンが生息してたってだけで、運が味方したところが大きかったですからね。しかもシメアゲカエンリュウが人間の言うことを聞くかどうかも、正直ギャンブルでしたし」
野生動物が人間の味方をするような行動をするケースは確かに実在する。しかし懐くとなると話は変わってくるのだ。
ライオンやワニが人間に懐くという話もあるけど、そういうのは幼体の時から人間が傍で世話をしているからであって、成体になるまで人間と関わらずに過ごしてきた動物は、基本的には人間に懐かない。
自然界では非常に知能が高いゾウですら、人間と接してこなかった野生の個体だと、文字通り死ぬほど狂暴なのだ。
「今回は人間並みの知能と、テレパシー能力を持つドラゴンが相手だからこそ行動に移しましたけど、他の野生動物とか魔物を相手に同じことをしようとするのは絶対に止めておいた方が良いですねー、あははははは」
そのドラゴンですら、手懐けるのに怪我は付き物なのだ。ドラゴンも手懐けられたんだから、他の動物もいけるだろうなんて考えられても困る。
「そんなことより、今度は何だかしんみりしちゃってて、これはこれで辛気臭いですねぇ。せっかく事態が好転したんですから、もっとテンション上げてったらどうですか? ウェーイッ! って感じで」
「何だその訳の分からない馬鹿みたいな掛け声は……それではまるで頭のおかしな人間のようではないか。ティアーユの快復祝いだというのなら、きちんとしたパーティー会場を抑え、厳選した招待客を招いて、もっと厳かにだな……」
「いやいや堅いですって殿下。身内の事なんですから、身内の間だけで気軽に楽しめばいいじゃないですか」
「皇女が主役となるのだぞ? そうはいかん。皇族の威信にも関わってくる話なのだから、平民が酒場で騒ぐようなものではなく、皇族に相応しい格式高い催しにするべきだ」
呆れながら前世の陽キャ全員にナチュラルに喧嘩を売りつつ、大真面目に身内の大袈裟な快復祝いを開催しようとしているユーステッド殿下と、呆れながら気軽にやればいいと反論する私。
そんな私たちの様子を見ていたティアーユ殿下が、クスクスと鈴を転がすような声で笑った。
「そうですね……お兄様のお言葉は当然の事ですが、アメリア様の言うように、親しい方たちと気兼ねなく過ごすのも良いのかもしれません」
「ほら見たことですか。他の誰でもない主役がこう言っているんですから、それが全てでしょう」
「ぐ……っ! では対外向けのパーティーとは別に、ティアーユが気兼ねなく楽しめる細やかな祝いの席を用意すべきか……」
どこまでも生真面目に頭を悩ませるユーステッド殿下。正直、私が適当なノリで言い始めた話題なんだから、そこまで真剣に悩まなくてもいいんだけどなぁ。
収拾でも付けた方が良いのかな? でも面倒臭いしなぁ……みたいなことを考えていると、ティアーユ殿下は口を開いて、静かな声で呟いた。
「……本音を言わせていただければ、この様な日が来るなんて思いもしませんでした。病の症状が無くなるなんて、私にとっては想像の中の話でしたから」
その小さな声に、執務室に居た全員の視線がティアーユ殿下に集中する。
「今だからこそ言いますが、本当はずっと苦しかったんです。生まれた時から手足を思うように動かせないのも、体の中に重石を入れられたかのような感覚も……私は死ぬまでずっとこの苦しみを味わい続けるのではないかと思うと……正直、未来の展望なんて何も見えませんでした」
自分の人生を振り返るようなティアーユ殿下の言葉に、執務室はまたしてもしんみりとした雰囲気に包まれ始めた。
「でも今は、生まれて初めて将来に不安を感じていないのです。それも全ては叔父様やテオル先生、今回の一件で動いてくださった方々……そして何よりも、その身を挺してくださったお兄様やアメリア様には、感謝してもし切れません」
そう言って、ティアーユ殿下はこれまでのような陰気な愛想笑いではなく、泣きながら晴れやかな笑顔を私たちに見せる。
「本当にありがとう……! 私に希望を指し示してくれて……私は今、初めて未来が純粋に楽しみです……!」
「ティアーユ……うぅっ……!」
またしても泣きそうな顔をし始めるユーステッド殿下の隣で、私は気恥ずかしさを誤魔化すように溜息を吐きながら頭を掻く。
「そんな感謝されるような事をしたつもりはありませんけどねぇ……何度も言いますけど、私は好き勝手やってただけですし。ティアーユ殿下も適当に『儲けた、ラッキー』くらいに思ってればいいのに」
「そんなことはありません! アメリア様と出会ったおかげで、私はこれまで知る由もなかったことを沢山知れたんです! 症状のない体の軽さも、空を駆ける時の風の音も、ドラゴンの力強い鼓動も……」
なぜかティアーユ殿下の方が少しだけムキになりながら、指折り私のしてきたことを数えていく。
あー……本当に勘弁してほしい。そういう風に私のしたことを良いように捉えられると、反応に困るって言うか――――。
「後それから……人間の垢と老廃物は完全に別物であるとか、動物のフンは殆どが水で出来ているとか、皇宮では教わらなかった知識も沢山教えてくれました!」
「アメリアああああぁぁぁぁーっ!」
その瞬間、私は身を翻して執務室のドアを蹴り破り、廊下の窓を開けて外に逃げ出そうとして窓枠に足を置いたところで、ユーステッド殿下に服を掴まれて、屋敷内に引きずり戻された。
なんて言う反応速度だ……! 私はコンマ一秒で動き出したって言うのに、完全に追いついてくるなんて。
「またか!? またなのか!? またしても妹にそんな下品な話を吹き込んだのか貴様はぁっ!?」
「えぇ、吹き込みましたよ! 吹き込んでやりましたとも! それが一体何だって言うんです!?」
「開き直るな馬鹿者がっ! 一体どこまでだ!? どんな知識をどんなところまでティアーユに吹き込んだ!?」
「それはもう、生物の体表面で生み出されるゴミの話から、食事に伴う消化と排泄の過程まで何もかも吹き込んでやりましたよ。命が生きるのを意味することを、包み隠さずにね!」
「そんな事だろうと思ったわっ! どうして貴様の話はそういう汚らわしい内容ばかりなのだ!?」
汚らわしい? 動物の排泄の話が?
なるほど、確かに人間の尺度で言えばその通りだろう。排泄物には人間に様々な悪影響をもたらす菌が含まれているのも事実だけど……。
「いいですか、殿下。人間を含めた全ての生き物には、清潔なところも不潔なところも等しく存在しているんです。そんな純然たる事実をまるで存在しないかのような論調で教えを乞う人間に話すのは、その人の為にもなりません。知り得た知識は何一つ隠さない……それが私の信念です」
「それらしいことを言って誤魔化そうとするんじゃないっ! 貴様に影響されて、ティアーユの会話のボキャブラリーが下品なものになったらどうしてくれるのだ!?」
「いいじゃないですか、それでも。言いたいことも遠慮して言えない人間になるより、自分の言いたいことを臆さずに言える……そんなティアーユ殿下の方がイケてますよ」
「無駄に爽やかで凛々しい表情で下品な会話を肯定するなあっ! どうして皇女という高貴な身分の人間に汚物の話ばかりをしたがるのだ、貴様の頭はぁあーっ!?」
「んごぉおおおおおおおおおおっ!? 頭が割れりゅううううううううううううううっ!?」
怒り狂うユーステッド殿下にアイアンクローをされ、そのまま体を持ち上げられる私。
この馬鹿力め。殆ど片手だけで人間一人を持ち上げ、指の力だけで空中にキープし続けるなんて……!
「でも私がいつまでも反抗しないと思ったら大間違いですよ殿下……! この、この!」
「んぐぅっ!? ひ、人の顔を足蹴にしながら逃げようとするんじゃないっ! 自分で言うのも何だが、曲がりなりにも皇子の顔をよく蹴れるな貴様!?」
「へんっ! 攻撃するのに身分もクソも無いんですよ! どんな小さな命にも、反撃する権利はあるんですからね! これ以上顔面に靴跡付けられたくなかったら、とっととアイアンクローを外せぇぇぇぇ……!」
「だ、誰が離すかぁぁぁぁぁ……!」
そんな私たちの争いの発端を思わず作ってしまったティアーユ殿下はオロオロとしながら、セドリック閣下やテオル先生は呆れて苦笑しながら、遠巻きから私たちの喧嘩を眺めている。
何と言うか……戻って来たなって感じだ。お互いに醜態晒し過ぎて、惜しむ気にもなれないくらいに色々と酷い、そんな私たちの日常が。
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