ビバ、理想の半島生活
エルメニア王国では今、聖女が現れたと話題になっている。
七年前、あくまでも事故によって隣国であるアルバラン帝国と断交レベルの大きな摩擦を起こしてしまった不運の第一王女、カーミラ・ユニテッド・エルメニアは、故意ではないとはいえ、犯してしまった罪を雪ぎ、隣国の怒りを収めるため、自ら罰を受け入れた。
それはすなわち、恐るべき人食いドラゴンたちが跋扈する巨竜半島への禊の試練。
現代では野蛮過ぎて廃止すべきという声すら上がっている刑罰だ。凶悪な竜たちが数多く生息する半島から、無事に戻ることが許されるとされているが、当時僅か十歳の子供でしかなかったカーミラの生存は、誰の目から見ても絶望的だった。
国民の誰もが、幼い王女の潔さに感服し、犠牲にならざるを得なかったことを悲しんでいたが……驚くべきことに、奇跡は起こった。
カーミラが巨竜半島に島送りにされてからしばらく経ったある日、何と彼女はエルメニア王国に戻ってきたのだ。
それはすなわち、かつて同じように巨竜半島に送られながら、神からの許しと寵愛を受けて生き延びることを許され、それと同時に賜った加護を用いて自らが犯した過ちの償いとして王国に多大な恩恵を与えたという、伝承や歴史に残る聖人の再来でもある。
『私は逃げることなく全ての罪を受け入れ、どのような結末になっても最後までエルメニアとアルバラン、両国の平和を祈っていました。そしてとうとう恐ろしい竜に見付かり、大きな咢に吞み込まれようとした、まさにその時。私は確かに、神の御声を聞いたのです』
命からがら、巨竜半島から祖国に戻ってきたカーミラはそう言った。
あなたはまだ死ぬ時ではない、真の償いとは生きて働きで返すことだと、神は無上の慈愛と共にカーミラを恐ろしいドラゴンの牙から救い、心優しい行商人の元に送り届けたのだという。
まるで神話のような出来事だが、そのくらいの奇跡でもなければ、幼子が巨竜半島から生きて戻れるはずがない。
その結果、カーミラは神からの許しと恩恵と寵愛を賜った現代の聖女として教会や民衆から神聖視され、敬われるようになった。
これは国や民衆にも恩恵が与えられることを期待されている、という事も大きい。
歴史や伝承を振り返れば、巨竜半島から戻って罪を贖った者は皆、根っからの悪人というわけでもなく、カーミラのように不注意で罪を犯したり、政争に巻き込まれたりして島送りにされてきた者ばかりで、神の加護によって国に多大な恩恵を与えてきたとされている。
エルメニア王国に生きる数多くの人間が、カーミラもそうなのではないかと期待しているのは、否定できない事実だ。
かくして、エルメニア王国の第一王女、カーミラは奇跡の体現者として、国に恩恵を与える神の寵愛を受けた聖女として、民衆からの期待と尊敬を一身に受ける身となり……その話題の陰に飲み込まれるように立ち消えた、病死したリーヴス伯爵家の娘、アメリアのことは、誰一人として話題にしなかった。
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本日は快晴。秋の涼やかな海風を浴びながら、十七歳になった私……ドラゴンを間近で観察、研究が出来る身代わりの島送り生活をエンジョイしまくっている、元リーヴス伯爵家令嬢のアメリアは、巨竜半島から最も近い場所に位置している、ポルトガという漁村に来ていた。
アルバラン帝国の最南端に位置する、年中気候が穏やかな土地で、中央から離れた田舎ではあるけれど、中々賑やかな村だ。
「珍しい海水氷で冷やした魚やエビ、イカにタコは如何ですかー!? キンキンに冷えてて鮮度抜群ですよー!」
そんなポルトガの中央広場で私は、サイズの合っていないブカブカのフード付きのローブをわざと着た状態で、海産物と一緒に海水氷が張られた大きなタライを前に置いて、露天商売をしていた。
商品は魚をメインに、貝やエビ、食用の軟体動物。いずれも漁港でもあるポルトガではよく食べられる物だけど、これだけじゃない。
「他にも、ポルトガじゃ滅多に食べられない新鮮な果物は如何ですかー!? こちらも氷で冷やしていて鮮度抜群! 乾燥した香辛料なんかもありますよー!」
農園から遠く離れているらしい漁村では、鮮度が落ちるのが早い果物類は非常に珍しい。そんな馴染みのない高級品と、普段から食べている物を並べると、まるで安心と物珍しさに惹かれたかのように、村の主婦たちが、色んな物を抱えて集まってきた。
「来てたのね、アメリア! 今日も大物を獲ってきたじゃないの!」
「今日は何と交換してくれるの!? すぐに家に戻って取ってくるから!」
「紙とインクはあればあるだけ、それから石鹸と靴下とかあると嬉しいですね。私が持ってるの、どれも穴だらけになっちゃってて」
「じゃあ、この魚と果物とエビ! 紙百枚とインク瓶三つでどう!?」
「こっちは果物と香辛料! お古だけど靴下三足と、おまけに干し肉も付けるわ!」
「はーい、毎度ありー!」
……とまぁ、見て分かる通り、物々交換に励んでいる私は順調に商品を捌いていく。
無人の半島暮らしも楽ではない。生きるために必要な物を全て、自然の中で調達するのは無理がある。
特に紙とインクみたいに、私の楽しい楽しいドラゴン研究には必要不可欠な物に限って、こうやって人里まで来なくては調達できないのだ。
だから私は、人里で需要がありそうなものを巨竜半島で調達し、物々交換に出している。服も靴を始めとした日用品もそうやって調達したわけだが……。
「それにしても、毎度のことながら採算は取れているの? こっちは助かるけど、香辛料だけじゃなく、氷付きの鮮魚とか果物みたいな高級品、こんな安物や中古品と交換しちゃって……それに女の子が一人でこんなの売ってたら、危ない人に襲われたりしない?」
そう客の方に心配されるのも無理はない。
この世界では冷却保存技術はまだまだ未発達で、こうやって氷で冷やした食品を売るには、氷魔法を使える魔法使いの協力が必要不可欠な訳だけど、そうなれば当然食品自体の値段は高くなる。氷とセットになっている生鮮食品は、もっぱら金持ちの食べ物なのだ。
(しかも私が売ってる海産物はどれも大物……どう見てもコストと対価が釣り合ってるようには見えないだろうしね)
紙やインクを筆頭に、私が求めたものはいずれも大量生産がとっくの昔に確立され、庶民でも安値で手に入る物ばかりだ。
そんな物で、高級品である氷付きの生鮮食品や香辛料と交換できるんだから、そりゃあ村の主婦たちにも、私の露店が人気になるというものだろう。
「まぁこっちも特殊な仕入れ先がありまして。その分、露店を出すのは不定期ですけど」
しかし、それを人に教えるつもりはない。
別に真似されたら売り上げが下がるとか、そういう意味じゃないけど、それでもネタ明かしすると不都合が多いからだ。
「それにもし暴漢が襲ってきても……コレで返り討ちにしてやりますよ」
そう言って私が不敵な笑みを浮かべながら手を掲げると、手のひらの上にバチバチと電流が迸る。それを見た客は、驚きと同時に納得の表情を浮かべる。
「それってもしかして魔法……!? あ、だからか! 氷は魔法を使って自前で用意できてるから、安物と交換できるのね!?」
「あはははは」
まるで推理小説の犯人が分かったかのような得意顔をする客に、私は否定も肯定もすることなく笑って誤魔化すのだった。
=====
そして全ての商品を必要物資と交換し、手に入れた品々を大きなリュックサック(物々交換で入手)に詰めた私は、ポルトガから離れた場所に位置する海岸まで来ると、周囲に誰も居ないのを確認し、軽く息を吐いてから後ろに話しかける。
「もう出てきていいよ……ジーク」
すると、私のローブがモゾモゾと動き出し、布地で覆われた背中から、猫と同じくらいの生物……額から一本の角を、背中から一対の翼を生やした小さなドラゴンが這い出てきて、そのまま私の肩に乗っかった。
「今日も付いてきてくれてありがとね。約束通り、戻ったらとびっきりの餌を上げる」
そう言ってジークと呼んだドラゴンの顎下を優しく撫でると、ジークは気持ちよさそうに目を細め、頭の角から微弱な電流を放出しながら、グルルルと喉を鳴らす。
……七年前のあの日、生半可なサバイバル知識で挑んだ巨竜半島の生活は過酷を極めた。予想はしていたことだけど、十歳の女児が身一つで暮らすには想像を絶する厳しさがあった。
そんな私だったが、七年もの間、人里での物々交換ありきとはいえ、無人の巨竜半島で暮らしていけた最大の要因。それは、ドラゴンを手懐けることに成功したことだろう。
ドラゴンたちは、当初私が想定していたよりも遥かに頭が良かった。言語を用いているわけではないようだが、完全に別種族である私の意図するところを読み取り、餌で釣るなどの交渉次第で協力してくれるという、下手をすれば人間にも引けを取らない知能と、それを可能とする特殊な能力を有していたのである。
その事を島暮らしと並行して観察・実験を繰り返すことで推察した私は、ドラゴンが最も好む、とある餌の安定的な入手方法の確立に成功し、半島のドラゴンを手懐け、共生関係を築くまでに至った。
(その中で特に協力的なドラゴンの内の一体が、ジークだ)
私の半島生活を積極的に協力してくれる数体のドラゴンには、私が勝手に付けた種族名とは別に、個体識別名を付けている。
日頃から身近にいるし、個体名があった方が何かと便利なのだ。ちなみに名前の由来は有名な竜退治の英雄、ジークフリートから。
ちなみに、ポルトガで客に見せた電流。あれは私が使った魔法でなく、ジークが私の合図に合わせて使った魔法だ。ドラゴンは人間とは異なる方法で魔法を発動でき、ドラゴンの中では特に小さい種族のジークでも、大男を感電させて動けなくさせることなど朝飯前だ。
(おかげで私も、悪党を気にせず人里で大手を振って高級品を売り捌けるんだよね)
私が人里で活動している時、ブカブカのフードに隠れて、誰にも気付かれずに悪漢を撃退してくれるボディガード……それがジークだ。
ドラゴンの存在を恐れているこの国の人間に、ドラゴンとの繋がりがあるなんて知られたら商売上がったりだから公には出来ないけど、それでも非常に頼りになる存在であるのに違いはない。
「さて、それじゃあもう一仕事……スサノオを呼んでくれる?」
私がそう言うや否や、ジークの角を中心に大気が僅かに震えるような感覚が伝わってくる。
その微弱な振動に呼応したかのように、海から巨大な影が飛び出し、砂浜に上がってきた。
七年前、私が渦潮から生還できた切っ掛けとなった、プレシオサウルスに似た骨格のドラゴン……前肢に網が絡まっていた、あの日の子ドラゴンだ。
「お迎えありがとう、スサノオ。帰りもよろしく」
子ドラゴン……いいや、この七年で、あの日私を助けた親ドラゴンに匹敵する体格にまで成長したドラゴンの個体名は、八岐大蛇を倒した須佐之男命からとって、スサノオ。
出会いが出会いなだけに、私が一番初めに手懐けたドラゴンであり、海の移動・探索まで手助けしてくれている。
ちなみに、私の海産物の入手経路も、スサノオを始めとした水棲のドラゴンたちの助力によるものだ。
「よし、じゃあ帰ろう……巨竜半島へ」
ジークを肩に乗せた私が、藍色の甲殻で覆われた背中に乗ると、スサノオは海へ戻ってゆっくりと海面を進んでいく。
背中に乗っている私を振り落とさない、まるでこちらを気遣ったかのような速度だ。高度な知能を持ったドラゴンは、脆弱な人間である私がどれくらいの力、速さに対応できるのか、それを長い付き合いの中から学んだのだろう。
その事を嬉しく感じながら、私はスサノオの背中の上で、ふとウミネコが飛び交う青い空を眺める。
(こういう時間って、なんか良いな)
雄大で幻想的、雄々しく知的、そして力強くも美しい巨大生物の背中に乗り、ゆっくりと海を遊覧する。
それは前世では勿論のこと、この異世界でも誰も経験したことがないような、他に代えがたい貴重な経験だろう。それを普段から私は経験しているわけだが、ふと改まってこの体験がどれだけ貴重であるのか……生物学者にとって、本来どれだけ垂涎ものなのかを思い返すと、私を巨竜半島に送り込んだ連中に感謝すらしたくなってきた。
「はあぁぁ~~~~……巨竜半島生活最高ぉ~~~……もう一生あの半島に住んでいたい……」
独学とはいえ、生物学者を志した一人の人間として、これほど至福に満ちた生活はない。一帯の野生生物……それもドラゴンと言う、この世界の誰もが恐れて近づかなかった生き物を軒並み手懐け、その生態を間近で思う存分観察し、実験と研究が出来る人間など、歴史を振り返っても私くらいではないだろうか?
自分が如何に恵まれた境遇にあるのかを改めて実感しながら、視界に広がる海原を眺めていると……私はふとある物を発見した。
「何あれ? 岩……とかじゃないよね?」
この数年間、何度もこの海路を通ってきたけど、あのようなものは見たことがない。
一体なんだろうかと目を凝らしてみると……それは真ん中から真っ二つになった、巨大な木造船だという事が分かった。
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