二人でお見舞い
その後、私はユーステッド殿下と一緒にティアーユ殿下の部屋まで向かうことにした。
単なるお見舞いってだけじゃない。ティアーユ殿下からの視点で見た、ジークの行動観察記録を回収しに行っている。私以外の人が書いた、ドラゴンのそうした記録は初めて見ることになるから、実に楽しみだ。
「テオル医師もティアーユの状態が安定したと言っていたし、目も冴えていると言ってたからな。丁度公務が一段落着いたところであるし、私も同行しよう」
「それは良いんですけど、その資料の束はどうしたんです?」
私の隣を歩くユーステッド殿下は、両手に資料の束を抱えている。
覗き込んでみると、その一番上の紙に記されていたのは、見覚えのある記録内容だった。
「お前が巨竜半島で書き溜めていた研究試料の模写、その一部だ。この手の物は、より多くの人の目に触れてもらう必要があるというからな。今後は本として各方面に広められるよう、史料編纂部が励んでくれている」
「……私の資料が、本になるんですか?」
私は思わず目を見開く。
てっきり、私の研究試料はウォークライ辺境伯邸の資料室で公開情報として管理されるものかと思っていたんだけど、どうやら閣下たちは内容を整理して体裁を整え、学術書として世に広めるつもりらしい。
「紙媒体の資料を管理してもらうにあたって、所有権については辺境伯家に譲渡するつもりでしたから、私的にはいつでも確認できる状態にしてくれていれば文句はありませんけど、そんな話になってたんですね」
「これらの資料は世に広め、後世に残す価値があると判断した上での決断だ。尚、書籍化に当たって得られた金銭は、編纂部へ渡す作業費を除けば、大半がお前への研究報酬に上乗せする形で渡させてもらう手筈になっている」
「あぁ、そうなんですか?」
正直、お金に関しては割とどうでもいいので、好きにしてもらってもいいんだけど。
「まぁ知識って世間に広めて初めて意味がありますし、媒体としてデータが残ってさえいれば、そこら辺は好きにしてもらってもいいんですけど……なんとも落ち着かない話ですね。私の研究が大勢の目に触れるって言うのは」
これまでは、完全な趣味としてドラゴンを研究してきた。資料を書き溜めたのだって、誰かに広めようって気持ちがあったからじゃなく、単なる自己満足によるものだったし……こうして世間の目に触れることになるなんて思わなかったから、正直どう反応したらいいのか迷う。
「別に悪い気はしないんですけど、嬉しいかと言われればそうでもなく……意義があるのも分かるんですけど、ちょっと照れるというか恥ずかしいですね」
「何を言っているのだ、お前は」
自分が抱いている感情に名前が付けられず、何とも面映ゆい気持ちになっていると、ユーステッド殿下が呆れたような表情を浮かべる。
「これらの資料は、お前が七年かけて積み上げてきた叡智と執念の結晶だろう。全力で綴ってきたお前の文字の、一体どこが恥ずかしいと言うのだ。前にも同じようなことを言ったが……お前は自分の為してきたことに、もっと胸を張るべきだ」
そんな真っすぐな言葉を向けてくる殿下を見て、私は少し腑に落ちた気分になった。
「…………うん、そう言うところです殿下」
「……? どういうことだ?」
「あぁ、分からないならいいです。聞かないでください」
殿下の言葉を聞いて分かった。
多分私は、誰かに認められるっていうのに慣れてなさすぎるんだ。だからユーステッド殿下みたいに何の他意もなく評価されると、思わず気恥ずかしくなってくる。
これまで好き勝手やってきてたからなぁ……誰かに褒められようなんて考えたこともなかったから反応に困る。
(まぁポジティブに考えよう。私の資料に対して、色んな角度からの意見が集まって来るって言うんなら、むしろ大歓迎だ)
これから世に出ようとしているドラゴンの学術書がどんな評価を与えられるかは分からないし、批判したければ好きなだけすれば良いとすら思う。
それらの意見を受け止めることで、私の研究的な視野もさらに広がるだろうから。
「それより、どうしてその資料をティアーユ殿下のところに持って行こうと?」
「……これまで、手紙に関しては頻繁にやり取りをしていたのだが、見舞いの品となると正直何を送ればいいのか、何時も頭を悩ませていた」
そう、ユーステッド殿下はどことなく不甲斐なさそうに呟く。
「ティアーユは私が何を送っても礼を欠かさなかったが、正直、中には扱いに困る品もあったやもしれん。不甲斐ない事だが、女性への贈り物に関しては知見が無くてな」
「ふぅん……ちなみに、これまでは何を送ってきたんですか?」
「紅茶や花、詩集を始めとした本だな。部屋の中でも楽しめる物を中心に送ってきたのだが…………為になるかと思って武器や鎧を贈った時は、少し困ったような反応をされた」
「あららー……そりゃ使い道に困ったでしょうね」
「やはりそう思うか……くっ! 病身の妹に逆に気を使われるとは……不覚だっ」
心底後悔しているとばかりに顔を歪める殿下。
本人的には大真面目に選んだつもりだったんだろうけど、人間の価値観は性別で大きく左右されるしね。絶対にコレって言うものは存在しないけど、少なくともティアーユ殿下は武器とか防具を贈られても困るだろう。
思い返せば、今朝ティアーユ殿下の部屋に行った時に、そこはかとなく女性っぽい、私にはよく分からないけど、何となくオシャレな感じの部屋の角に、明らかに不釣り合いな無骨な剣や鎧が飾ってあった。扱い切れなくて、部屋のオブジェにでもなったんだろう。
「だがティアーユはどうやらドラゴンに興味があるようでな。資料室まで足を運ぶのも負担だろうから、こうして模写が済んだ資料の一部を借りてきたのだ」
今回は自信ありとばかりに、ユーステッド殿下はフンスと鼻息を吐いて、少し得意げになる。
私なんて同性なのに、女性が何を貰えば嬉しいのかなんて全然分からないけど、正直今回のチョイスは当たりだと思う。
「それにしても殿下って、ちゃんとお兄さんしてたんですね。腹違いの兄妹って聞いた時は、どんな関係なのかなってちょっと不安でしたけど」
なにせ現在進行形で、同じ父親を持つ異母兄弟相手に皇位継承争いをしている真っただ中だ。不仲を疑わない方がおかしい。
「そうだな……第二以降の妃殿下や、彼女たちが生んだ皇子や皇女たちとは良好な関係を築けていないが、正妃殿下や兄上、そしてティアーユには昔から良くしてもらっていてな。庶子である私の事も家族だと、そう受け入れて周りから庇ってくれた」
「……そうですか」
やっぱり、皇宮という場所で庶子って言う立場で生まれると、色々あるんだろう。
私はそこに関する事情とかは興味もないし、深く踏み入るつもりはないけど、少なくともユーステッド殿下には血の蟠りを超えて大切に思っている人たちが居るって言うのは分かった。
そんな話をしていると、私たちはティアーユ殿下の部屋の前まで到着する。見張りの人を介して入室の許可を貰い、中に入ると、ペンとメモを持った手を所在なさそうに軽く掲げたティアーユ殿下の膝上で、ジークが体を丸めながら眠っていた。
「ユーステッドお兄様、それにアメリア様も、ようこそお越しくださいました。このような体勢で申し訳ありません」
「いやいや、そうなったら中々動けなくなるんで仕方ないですよ」
前世で動物に関して色々調べたところによると、ネコが膝上で眠ったら動けなくなる人が多いらしい。
今のティアーユ殿下は、まさにそれと似たような心理状況なのだろう。私も同じような経験があるけど、起こすのも悪いから動けなくなったことがある。
「これは、随分と懐かれたのか?」
「どうでしょうね? 同じような行動を取るネコは、人の体温や柔らかさが寝心地が良いと感じるから、信頼を置く飼い主の膝で寝ることがありますけど……ジークは結構図太い気質をしているみたいですからね。初めて見た相手にも気後れしないって言うか」
これもドラゴンにおける個体差って奴だ。スサノオがやけに人懐っこく、ブリュンヒルデは走るのが好きと言った具合に、ドラゴンには性格の違いのようなものがあるように見受けられる行動を取ることが多々ある。
「ドラゴンに魔石を与えるところを見て学習でもしたのか、私と初めて会った時にはすでにこんな感じでしたね。害がない状況と判断すれば、あんまり動きたがらないみたいです」
とは言っても、食欲に正直なのはどんな生物にも共通することだ。
私が雷の魔石を生成すると、それに反応したジークは顔を上げて身を起こし、翼を羽ばたかせながら私の元に飛んできた。
「……あ」
そんなジークを名残惜しそうに見るティアーユ殿下。
うん、気持ちは分かるけど、何時までも膝上に乗せ続けるのもね。
「ところで、観察レポートは?」
「あ、実はその……まだちゃんと纏められていなくて」
「へぇ、どれどれ?」
私は殿下が持っていたメモ用紙を見せてもらう。そこには、私が出かけてから戻ってくるまでにジークがしていた行動が、事細かいけど分かりやすい文で、端的に箇条書きで記されていた。
「ご、ごめんなさい……せっかく観察を任せてくれたのに、きちんと文面に出来ていなくて……」
「いや、こういうのでいいんですよ」
落ち込みそうになったティアーユ殿下に、私は率直に思ったことを言う。
「観察記録って分かりやすさ重視ですからね。余計な感想とか、小難しい言葉が並ぶ文章は、後から読む人間にとっては邪魔になりかねないんです。だからこういう端的な箇条書きで、起こったことをそのまま記すって言うのは、レポートを書くのにあたって正しいです」
「そ、そうなのですか……でもあまり大したことは書けていないと思ったのですが……」
「そうでもないですよ。無駄な観察記録なんて、この世に存在しませんからね」
例えばこのレポートに書かれている、ジークが何回寝返りをうったとか、歩き回った歩数とか、こういう些細な情報がデンシンコリュウというドラゴンの生態の解明に繋がってくるかもしれない。
私たちが生きている間には何も分からなくても、こうして情報を残しておけば、後世の研究者が何かに気付く……それが生物学ってものだ。
「私なんて全部独学だったから、最初期に書いたレポートなんて要点とか全然纏めれてないのも多かったのに、殿下ってこういう仕事に向いてるんじゃないですか?」
「あ……ありがとう、ございます」
私はそう言うと、ティアーユ殿下はどこか照れたように顔を赤くする。
ちなみに私のこの言葉は、何の忖度も無い本心からのものだ。下らない嘘を吐く意味なんて、何もないしね。
あくまで自己評価だけど、私は些か行動的過ぎる。部屋から動かずに過ごしていたティアーユ殿下と接していたジークの行動の中に、私が見たことも無いのもあって興味深いのも事実だ。
「ではティアーユ、アメリアが記したこちらも読んでみると良い。ドラゴンに興味がある様であれば、きっと関心が惹かれると思う」
「これは……もしかしてドラゴンに関する資料ですか? あ、ありがとうございますっ。大切に読ませていただきますね」
どこか遠慮がちに、それでいて嬉しそうに資料を受け取るティアーユ殿下。その様子を見ていたユーステッド殿下も、妹が喜んでいるのが伝わってきて嬉しそうだ。
「あ、そうだ。ついでだから、私の最新レポートも見てみてくださいよ」
「まぁ……そのようなものが? 一体どのようなことが記されているのですか?」
よく聞いてくれた……そう思った私は、興味深そうにしているティアーユ殿下に対し、声高らかに告げる。
「ドラゴンの交尾に関する観察資料です!」
「ひぇっ!?」
『『『ぶふぉおおおっ!?』』』
なぜかティアーユ殿下は一気に顔を赤くし、ユーステッド殿下や周りの侍女の人たちが一斉に噴き出したけど、私は気にせずに説明を続ける。
「ドラゴンも人間と同じく、オスが生殖器をメスに挿入して卵を作るんですけど、種族によって産卵するか、体内で孵化する卵胎生かで分かれますし、生殖器自体の形状も人間とは全然違う、鉤状だったり棘が生えてたりと、交尾中に抜けないように工夫された進化の過程が見て取れて……」
「あ、あわわわわ……っ」
「えぇい、止めんか貴様っ! 前回の時と言い、妹に何という話をしているのだ!?」
せっかく興が乗ってきたというのに、なぜかユーステッド殿下が邪魔をしに割り込んでくる。
「ちょっとなんですか殿下、これからが良いところだって言うのに……今回は排泄物の話はしてないんですし、良いじゃないですか」
「何一つ良くないわっ! 貴様という奴は言うに事欠いてこ、交尾、だの……せ、生殖器だの…………その……は、破廉恥だろうっ!?」
そう言って、ユーステッド殿下は顔を真っ赤にして捲し立てるけど……ちょっと何言ってるのか分からない。
「何を言ってるんですか。交尾はあらゆる生命が種の存続のために行う、美しく神聖な本能によるもの。恥ずべきことなど何一つありません。そもそもお二人だって、自分の父親と母親が交尾をしたから生まれてきたっていうのに、それを破廉恥なんて意味の分からない言葉で誤魔化そうとしないでくださいよ」
「人の母親や正妃殿下まで巻き込んで何という言い草をしているのだ!? 貴様とて一応は一人の女性だろう!? だというのに、口から出てくる言葉は品性のない話題のオンパレード……貴様の会話のレパートリーはどうなっているのだぁっ!?」
「会話のレパートリー? あっはははははは! 何を訳の分からないことを! そんなものを気にしてこなすべき議論をせず、生命の神秘に辿り着けると思ったら大間違いですよ! 目的と手段を履き違えるのはいただけませんねぇ、殿下」
「年頃の娘に! それも皇女に対する会話内容の配慮くらいはしろと言っているのだ! もう我慢ならん……この口か!? 人の妹におかしなことばかりを吹き込むのは、この口なのかぁあああっ!?」
「んにゃあああああああああああっ!? ひゃめふぇ殿ふぁっ!? ほっへはほひうぅううううううう!?」
そんなこんなで、頬っぺたをグイグイ引っ張られていると、隣から噴き出すような声が聞こえてきた。
「あはは……あはははははははっ」
その声の主は、ティアーユ殿下だ。一体何が琴線に触れたのか、もう我慢できないとばかりに目尻に涙さえ浮かべながら、声を出して笑っている。
そんな妹に何を思ったのか、ユーステッド殿下は慌てて私の頬から手を放した。
「す、すまない。人の部屋でとんでもない醜態を……っ」
「ち、違うのですお兄様……今のお二人の姿が、可笑しくて……あはははははっ」
「可笑しいって、私は割と痛かったんですけど」
「ご、ごめんなさい……で、でも……うふふふふふふっ」
震える体を丸めながら笑い声を何とか抑えようとしているティアーユ殿下。そんなお姫様を前に、私とユーステッド殿下は顔を見合わせて困惑するしかできなかった。
何か滅茶苦茶ツボに入ってる……そんなに笑われるような事をしてたかな?
「はぁ……はぁ……ご、ごめんなさい……お二人が、あまりに楽しそうで、仲が良さそうだったから……」
そうして、ようやく笑い終えたかと思ったら、ティアーユ殿下は全くもって意味の分からないことを言う。
仲がいい? 私とユーステッド殿下が? 前にも似たようなことを言われたけれど……。
「どこをどう見たらそう見えるんですか? 私は今、ユーステッド殿下から不当に研究内容を口にするのを邪魔されてたんですよ? これはもう言論弾圧です」
「そうだ。私はこんな半分野生動物のような輩と仲良くしているつもりなど微塵もない。こうやって躾をせねば、所かまわず粗相をしてしまうから、私が仕方なく手綱を握っているだけだ」
そう二人して詰め寄るようにティアーユ殿下に言い募ると、殿下はやっぱり笑った。
「たとえそうだとしても、私は安心しました……ユーステッドお兄様が、ここまで遠慮なく接することが出来る女性が現れてくれたことに」
「…………」
その言葉にユーステッド殿下が、どう反応したらいいのか分からないとばかりに言葉を噤むと、ティアーユ殿下は私に向かって穏やかに微笑みかける。
「ありがとう、アメリア様……貴女のような人がお兄様と出会ってくれて、本当に良かった」
「……はぁ」
その言葉に、私はどう反応したらいいのか分からず、気の抜けた返事をするしかできなかったのだった。
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