第四皇女は物腰の低い
正妃様に勧められ、ティアーユ殿下に会いに行くことになった私たちは、離宮へとやってきていた。
帝都の象徴である皇宮は、一つの建物とは思えないくらいに広く、ただ歩いて人に会いに行くだけでもやたらと長い時間をかけてここまで来たんだけど、この離宮も離宮でやたらと大きい。
「今更思うんですけど、皇族の人って不便とか思わないんですか? 家が広すぎるのも考え物でしょう」
「王侯貴族ともなれば、国内外の人間へ威を示さなければならないからな。平民の感覚では不便だとしても、皇族の離宮などの住居がみすぼらしければ、国外から『帝国の経済は困窮している』と思われ、付け入られる隙となる。そこに実情など関係ないのだ」
そんなものかなぁ……でも殿下がそういうなら、そうなんだろう。
「……そういうお前こそ、かつては貴族であったのだから、その辺りの事情は学ばなかったか?」
「んー……どうでしたっけねぇ。何せ七年も前の事でしたし、忘れてるだけかもしれないです」
ただでさえ、普段は関心のない話だ。人間って、変にインパクトのある内容じゃなければ、どうでもいい記憶から順番に忘れていくっていうし、私も皇族やら貴族やらの事情に関してはさして興味が無い。
そんな話をしながら離宮の廊下を歩いていると、隣を歩いていた殿下が不意に立ち止まった。
「殿下? どうかしたんですか?」
思わず数歩ほど前に歩いてから立ち止まり、殿下の方に振り返る。
日の光が差し込む、まるで芸術品みたいな造りをした屋根付きの渡り廊下で、ユーステッド殿下はこれまで見たことないくらいに真剣で、それでいて何か吹き出しそうな感情を抑えているみたいな顔で私を見ていた。
「お前は……本当に何とも思っていないのか? 伯爵家から……故国から捨てられたことを」
「えぇ……その話、蒸し返すんですか?」
もうとっくに終わった話だと思ってたって言うのに、まさかこうして掘り返されるとは……。
一体何が気に食わないのか、殿下は憮然とした表情で私に語り掛けてくる。
「リーヴス伯爵家とエルメニア王家の行いは、決して許されるべきことではない。直接被害を受けたお前が抗議の声を上げるのなら、それは正当化されるべきだ。だというのに、この様な泣き寝入りをするような決断で、本当にいいのか?」
「……まぁ、普通の人の尺度で言えば、そうでしょうね」
弱肉強食の理に従い、生存をかけた闘争の結果に納得するかどうか……それもまた個々人の自由だ。
敗者が勝者に復讐したいと願うならそうすることも、ただ生き永らえた幸運に感謝しながら逃げ隠れ続けることも、私は悪だと思わない。
そして大抵の人間は、危害を加えられれば、何とかして報復したいと考えるのが普通……私も昔はそうだった。
「でも私の答えは、正妃様の前で言ったことが全てです。撤回する気はありません」
私としては、実家の事も故郷の事も、最早どうでもいい事だ。
そんなことに時間を割くくらいなら、ドラゴン研究に専念する……そんな明確な優先順位が私の中にはあり、十歳以前の話は過ぎ去った過去の事と、すでに自分の中で整理を付けている。
(だって言うのに……何でこの人が怒ってるんだか)
私と話しながら、殿下は妙に怖い顔をし、震える手を強く握って抑えていた。
それなりに付き合いも長くなってきたから分かる。この人って、しょーもない事にはすぐに頭に血が上る割には、こういうデリケートな話になると必死に感情を抑え込もうとする、不思議な堪忍袋の持ち主だ。
ケイリッドで火災が発生したと聞かされた時もそう。この人は自分じゃない誰かが傷つけられたと知った時、よくこういう反応を見せる。
(本当に不器用な人だな、この人)
当人がどうでもいいって言ってるんだから、適当に流せばいいのに……クソ真面目で頑固で融通が利かなくて、自分の事よりも他人の事が気になってしまうとは、随分と損な性分しているとつくづく思う。
「そんな変な顔しないでくださいよ、殿下」
私は苦笑しながらそう言うと、ユーステッド殿下は心外と言わんばかりに顔を歪める。
「へ、変な顔とは何だ!? 私はだな……!」
「まぁまぁ。これでも現状に満足してるんですよ、私は。ウォークライ領の人には良くしてもらえてるし、何よりもドラゴンと巡り合える切っ掛けになったし、島送りされたから今があると思うと、そんなに悪い気分じゃない。むしろ身代わりにしてくれてありがとうって感じですよ」
これも決して嘘なんかじゃない。
今世の私の人生は、結果オーライの連続だ。巨竜半島での生活は、文字通り死にそうになったことも数え切れないくらいあるけど、結果として私は充実感のある人生を送れて、今なおこうして生きている。
前世で病院から出られず、何もできずに終わった人生と比べれば、随分とマシだと胸を張って言えるくらいだ。
「ついでに言えば、私の代わりに怒ってくれる人とも会えましたしね」
「な……っ」
私の言葉に、殿下は口をあんぐりと開く。
この七年間で、私はすっかり怒りの沸点が高くなり、性格に冷めた部分が多く表れるようになったように思う。
弱肉強食……その真理を知れば知るほど、私は自分の命がいつ潰えても自然の成り行きだと、思考が変化していった。
それでも、シカの母親が子ジカを助けるために肉食獣と戦うように、時に生存本能をも超越する命の煌めきを尊いと感じている。
自分が子ジカと同じような立場に立たされるなんて、考えたことも無かったけど……これはこれで悪くない気分だ。
「か、勘違いをするなっ! 私はあくまでも法に基づいた秩序安定のために、罰せられるべき相手を罰した方が良いと提言をしているだけだ! 断じてお前の為に怒っている訳ではないのだからな!?」
「そんな顔を真っ赤にしながらツンデレ発言されても説得力ありませんよ、殿下。このこのぉっ」
「訳の分からんことを言いながら人を指で突くんじゃない無礼者っ! 貴様という奴は、すぐに図に乗りおってからに!」
そんなことを話しながら離宮の中を進んでいくと、私はふと違和感に気が付いた。
「……ちょっと待ってください、殿下。ここら一帯の魔力濃度が、異様に上がってませんか?」
私は魔力感知の魔法も使えるんだけど、離宮の奥に進むにつれて、大気中に漂う魔力濃度が異常なくらいに上がっているのが分かるのだ。
例えるなら、そう……ウォークライ領から巨竜半島の中間地点を見たかのような……。
「……ティアーユの部屋の前まで来たからな」
「もしかして、帝都に来る道中で言っていた持病って奴ですか?」
確認するように問いかけると、殿下は重々しく頷いた。
「ティアーユの病は、先天性魔力過剰生成症……通称、魔蝕病と呼ばれる奇病だ」
「魔蝕病……セドリック閣下から貰った、魔力関係の学術書に記述がありましたね」
この世界の生物には、魔力を生成する器官が備わっている。
生成量に関しては種族によって異なるけれど、極稀に、自分の肉体の許容量を超える魔力を生成してしまい、その結果として熱病の症状にも似た発熱や倦怠感に襲われる病気があるという。
それが魔蝕病。魔力に体が蝕まれる、現代医術では治療不可能とされる難病だ。
「確か、魔力の制御や生成のコントロールが全然できなくなるって言うのも特徴なんでしたっけ?」
「あぁ。軽度のものであれば定期的に魔法を発動することで過剰な魔力を発散してしまえばいいのだが、ティアーユのように重度のものだと、魔法を発動してしまえば暴発する危険性が高い」
私は直に見たことが無いけれど、話を聞くところによると、魔法の暴発は拳銃のそれとは比べ物にならないくらいに危険らしい。広範囲に及ぶ、攻撃魔法のような破壊力を伴う形で現れるケースが大半だからだ。
(この世界では、人間社会に多大な恩恵をもたらした魔力が、却って仇になるなんて……)
この大気中に漂う高濃度の魔力は、ティアーユ殿下の体から処理し切れずに溢れ出ているものなのだろう。
何ともままならない話だ……私はティアーユ殿下を取り巻く状況をそんな風に捉えていると、大きな扉が見えてきて、その両脇を固めている見張りの兵士が敬礼と共に声をかけてきた。
「これはユーステッド殿下。ティアーユ殿下とのご面会ですか?
「あぁ。すまないが、ティアーユに入室の許可を貰ってきてくれるか? 先触れはすでに出している」
「承りました、少々お待ちください」
そう言うと、兵士の人は一度部屋の中に入って行き、本当にすぐに戻ってきた。
「お待たせしました。どうぞ、中へお入りください」
どうやら無事に面会が出来るらしい。私たちは促されるがままに扉を潜って部屋に入っていくと、そこにはお付きのメイドさんと思われる女性が複数人と、天蓋付きの大きなベッドの上でこちらを出迎える、一人の女の子がいた。
「お兄様……ご無沙汰しております。息災でしたか?」
「久しぶりだ、ティアーユ。そう言うそちらは、少し瘦せたか……?」
予想の通り、その女の子こそがティアーユ皇女殿下らしい。
私の寝癖とは根本的に違う、フワフワした感じの長い金髪が特徴で、服装こそ白い寝間着姿だけど、それでも高貴なオーラみたいなのが滲み出ている、まさに深窓のお姫様って感じの見た目の人だ。
「顔も少し赤いようだし……もしや、また熱が……!?」
「ま、待ってお兄様……! 違うのです、数日前に熱が出てしまっただけで……今はお医者様が処方してくださったお薬を飲んで、次第に落ち着いてきたところですから」
「そ、そうか……であればいいのだが」
そうやって自分の兄を宥めると、ティアーユ殿下は私の方に向き直る。
「そして……貴女がアメリア様でしょうか……?」
「あ、はい。アメリアです、初めまして」
「お会いできて光栄です。アルバラン帝国第四皇女、ティアーユ・グレイ・アルバランです。寝床からの挨拶……無作法ですが、どうかご容赦くださいませ」
「いえ、皇女殿下が謝ることでもないんで、それは良いんですけど……」
病気で体調が悪いんだからそのくらい普通だ。気にすることなんて、何一つないはず。
「兄からの手紙で、貴女の事は伺っております。兄の命を救っていただいたこと、ケイリッドを救っていただいたこと、感謝してもし切れません。……だというのに、そのような恩人に遠路はるばるこんな場所まで足を運ばせて、本当に申し訳ありません……」
「いやいや、本当に気にしなくて大丈夫ですって。私も私なりの理由があって来ただけですから」
何だろう……妙に腰の低い人だ。
ユーステッド殿下しかり、セドリック閣下しかり、フィオナ正妃様しかり、皇族の人間とは何人かあってきたけど、皆大なり小なり尊大さみたいなのがあった。
けれどティアーユ殿下はまるでその逆……ただの平民に過ぎない私を様付けで呼んで、ここまで来させたことを申し訳なさそうに肩を狭めている。
(小さいのは態度だけじゃなく、体もか)
私も周りと比べたら小柄で、人のことは言えないけど、ティアーユ殿下はそんな私と比べても、より小柄さが際立っているのが、ベッドの上に居ても伝わってくる。
聞いたところによると、ティアーユ殿下は現在十四歳らしい。お互いに十代同士、三つも歳が違えば体格に差が出てくるのは当然ではあるけれど、それにしたって小さいように思う。
……そんな姿が、私の記憶を刺激する。私自身、前世では病弱で、食事量も運動量も少なくて体が小さい人間だったから。
「ティアーユ。正妃殿下から話は聞いているだろうが、皇宮を中心に巻き起こった政争の余波はこの離宮にまで及び、目的不明の侵入者までもを許してしまっている状況だ。今ここに留まり続けるのは危険であるし、情勢が落ち着くまではウォークライ領で療養をしよう。私も可能な限り傍に居るようにする」
「……分かりました。お兄様」
ユーステッド殿下の言葉に、ティアーユ殿下は文句の一つも言わずに頷く。
状況が状況だし、心配するお兄さんへ態度としては普通なのだろう……けれど私には、ティアーユ殿下が何か言葉を飲み込んだようにも見えた。
「体調が落ち着き次第、ウォークライ領への移動を開始することになるが、焦ることはない。ゆっくりと体調を戻し、万全の準備を整えてから向かおう」
「はい……お兄様、アメリア様。お手数ばかりをかけて大変恐縮ですが、道中何卒よろしくお願いいたします」
「…………」
そう言って、深々と頭を下げるティアーユ殿下を、ユーステッド殿下はどこか悲しそうな目で見下ろす。
私は私で、ティアーユ殿下の姿を見ていると、前世での入院生活が次々と思い起こされて仕方がなかった。
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