まさかの誘い
殿下を含む兵士五人を引き連れた巨竜半島への出征、結果から言えばその成果は上々だった。
セドリック閣下曰く、今回の選抜者は、ドラゴンに対する偏見が年長者と比べて頭に強く根付いていない若年者が中心に立候補していたらしいんだけど、皆最初の方こそおっかなびっくりといった様子だったものの、時間の経過と共に徐々に慣れていき、最終的には馬と同じ要領で触れ合うところまで来ていた。
(元々、ドラゴンに関しては色々話だけは聞いてたけど、実際に見たことが無いって人が大半だったしね)
子供の頃から教えられてきた常識と言うのは根が深いものだけど、実体験が伴っていなければ案外脆い。
実際に触れ合ってみて価値観が変わるなんて言う話はよくあることだ。クマだって、女の子の人形のモチーフになることがあったりして可愛いイメージが先行してたりするけど、実際は畑を食い荒らし、人を殺すこともある害獣だし、その逆もまた然り。
一見すると気味が悪い外見をしているミミズだって、土壌を改良する力を持った益虫だと知れば、悪戯に殺そうとしなくなるのと同じである。
(そういう感じに、ドラゴンへの偏見が解けたって言うなら、素直に嬉しいかな)
敵対心は無理解から生まれてくる。生きるために殺し合うのが、あらゆる生物が逃れられない宿命だけど、種族間の衝突を避けることで争いを減らそうと足掻くことも、私は否定しない。
その為には、やはりちゃんとした調査に基づいた実態の理解は必要だという事だろう。
(結果、初日からいきなりドラゴンの背中に乗れる人も出てきたりしたしね)
何を隠そう、ヴィルマさんのことである。
他の兵士たちは初めてドラゴンと接触することに流石に緊張していて、誘導したり体を触ったりするのが精一杯だったけど、彼女は早々にドラゴンに背中を預けられた。
聞いたところによると、ヴィルマさんは領内の牧場出身で、子供の頃から馬や牛などの動物と触れ合っていて、騎兵部隊の中でもトップクラスの実力者らしい。
ハシリワタリカリュウを巨竜半島に戻す時みたいに、緊急時の伝令役としても活躍していて、辺境伯軍が保有する軍馬の世話も任されているとか。
(やっぱり、そういう人ってドラゴンとも触れ合えるだけの下地があるってことかな?)
ドラゴンとの接触に、他の動物との触れ合いと同じ要領が通じる……この可能性については、私も前々からあり得ると思っていた。
人だろうが、動物だろうが、魔物だろうが、ドラゴンだろうが、いずれも同じ世界に生き、同じ時代を経て太古から進化を繰り返してきた種族だ。まるで別の生命体であったとしても、この星で起こったであろう数々の絶滅危機を乗り切ってきただけあって、体の作りには共通する部分もある。
(代表的な例を言えば、脳だろうね)
クラゲなどの一部を除けば、人間とは姿形が全く異なる、ありとあらゆる生物にも脳があり、それを軸に生命活動を維持している。脳が無いと言われてたりする虫だって、実際は神経節という独自の形状に進化した脳を持っているのだ。
それと同じように、ドラゴンだって顎下を撫でられれば、ネコみたいに気持ちよさそうにしたり、鳥のように卵を温めて孵したりと、他の動物と共通する部分が散見されたりする。
(うーん……実に興味深い……! これまではドラゴンの事を片っ端から調べまくっていたけど、たまには何かテーマを決めて調査してみるのもいいかも)
ドラゴンと他種族の共生が及ぼす互いへの影響……セドリック閣下が踏み切ったドラゴンの軍事転用を切っ掛けに、これから人とドラゴンの接触が増えるだろうし、その過程を追ってみるというのもいいし、ドラゴンと他の動物との共通点を洗い出してみるのもいい。
あぁ、でもドラゴンには他にも興味が尽きないところが一杯あるんだよなぁ……! それらを追求しようとしたら、時間も人手も足りなさすぎる。
(なのにそれ自体を苦とも感じない……まさに嬉しい悲鳴って奴か……!)
……いずれにせよ、まずは身近な仕事の話とも関連する、人とドラゴンの共生が及ぼす影響については、しっかりと調査し、良い側面と悪い側面を広い視野から冷静に見定めないとね。
(……それはそれとして、この人どうにかした方が良いのかな?)
巨竜半島から船に乗って軍港に戻り、辺境伯邸までヘキソウウモウリュウの羽を始めとした研究試料を持ち帰ってホクホクな私だったけど、その気分に浸らせないかのように、隣を歩くユーステッド殿下がブツブツ言いながらメモ帳にガリガリと、何かを一心不乱に書き込んでいた。
「ドラゴンを撫でる角度は下から約四十八度が理想的か……? アメリアやニールセンがドラゴンと接触していた時は撫でるように触れていたが、力加減は私の全力の十パーセント以下になるよう意識して、実際に撫でる場所は下顎の骨の内側を……」
……ぶっちゃけよう。なんか鬼気迫り過ぎて、ちょっと怖い。
恐らく史上初となるであろう、交流を目的とした人とドラゴンの集団接触は、概ね成功と言ってもいい。ヴィルマさんは些か規格外だけど、他の兵士たちも概ね上手くドラゴンと触れ合えていた。
初回だからまずはドラゴンに顔を覚えてもらうだけだったけど、あの調子なら近い内にヘキソウウモウリュウを数体ほど、ウォークライ領に連れて帰ることもできるだろう。
(ただし、殿下を除けば)
他の兵士たちがドラゴンとの触れ合いに成功していく中で、ユーステッド殿下だけは上手くいかなかったのである。
ドラゴンと接触する時、妙に圧が強くなる上に、送る思念波の内容が政治的なものが混じって複雑化しているんだろう。いくら知能が高いと言っても、動物であるドラゴンにはまるで関係ない話として認識されてしまい、キョトンとした顔をしたと思ったらすぐにどこかへ行ってしまうのである。
「随分と意地になっているみたいですけどね、殿下。そこまで気にしなくても良いと思いますよ、こういうのって本当に個人差ありますから……まぁ殿下はちょっとアレですけど」
「い、意地になどなっていないっ。皇族として、次期辺境伯として、兵士たちと同じことが出来なければ示しがつかないから、次こそ成功させるために予習復習を繰り返しているだけだ」
それを意地になっているというと思うんだけど……この人ってどうしてこうも不器用なのか。
「……殿下って、あんまり動物に懐かれないタイプでしょ? 乗馬も相当苦労したんじゃないですか?」
「うっ……」
痛いところを突かれたとばかりに胸を押さえる殿下。
動物と接する時にやけに圧が強い上に、契約書まで持ち出して協力を迫ったり、触り方の角度やら力加減やらにわざわざ数字を持ち出すなんて頓珍漢な事を素でやってのける人だ。この調子だと、ドラゴン以外の動物相手にも同じことをしてた可能性は高いと思ってたけど、どうやら当たりっぽい。
個体差が激しいから、動物との接し方に正解なんて言うのは無いんだけどな……なんかもう、色んな意味で放っておけない人だと思う。
「ま……頑張ってるところは素直に感心しますし、私で良ければ協力しますよ」
「いいのか?」
「えぇ。ドラゴンの反応を探るという意味では、殿下はなかなか興味深い観察対象ですし」
「……ありがとう。助かる」
……なんか素直にお礼を言われてしまった。どういう訳か、この人とこういう空気になると、妙に落ち着かないんだよなぁ。
妙に胸の中がムズムズするというか、場の空気を混ぜっ返さないと気が済まなくなるというか……。
「……あ、そうだ。もしお礼を言ってくれるんでしたら、最新の研究所でも使われているような防護魔道具を、これから建てられるドラゴンの研究所にも組み込んでください」
私が言っているのは、主に病原体の調査とかをしている最新設備にも採用されている、細菌一つ外に漏らさないようにするための防護結界を建物全体に張る大型魔道具の事だ。
話を聞いてみるとかなりの高額で、これは貴族のスポンサーが相手でも、気軽におねだり出来ないかなって思ってたんだけど、正直我慢が出来なかったところである。
「また随分と高価な物を……流石にそれだけの代物となると、返答は叔父上との審議次第になるが、一体何に使うというのだ?」
「よく聞いてくれました!」
そう聞かれた私は、意気揚々と、そして高らかに叫ぶ。
「ドラゴンの排泄物を調べるのに使うんです!」
「ぶふぉおおおおっ!?」
生物学と尿検査は非常に密接な繋がりがある。特に動物を媒介にした感染症が発生した時とか、動物の尿や血液を調査することで原因の早期解明に繋がったりするし、ドラゴンだって何時病気になるか分からない。
そうなった時に備え、ドラゴンの尿を日常的に観察し続け、平時と異常時の変化を調べる施設を作るのは必要不可欠だ。
「でも野生動物の尿って、取り扱いを間違えるとパンデミックとか起こしかねない危険な代物ですから。今の私じゃ扱え切れない試料ですし、こっちに来てから今までサンプル回収する機会があっても、泣く泣く処分してきましたからね。領主邸で感染爆発とか洒落にならないし、知識や技術も含め、扱えるようになるための下準備をしておきたいんですよ」
「前々から貴様がドラゴンの汚物に並々ならぬ関心を抱いていることは知っていたが……だからと言って、この様な人目のある場所で声高に叫ぶんじゃない! 侍女や兵士たちが可笑しなものを見るかのような眼で見ているだろう!?」
人目なんか気にして汚れることを恐れていたら、生命の神秘……その深奥には辿り着けない。時には汚泥に塗れてでも追及する姿勢っていうのが大事なのだ。
「まぁ貴族の館に汚物を持ち込むほど常識外れではないと分かって安心はしたが……他に可笑しな物を持ち込んでいたりしないだろうな?」
「変なのって……そんな排泄物ほどの代物なんてそうそう……………………無イ、デスヨ……?」
いかん、ちょっと思い当たる節があって、思いっきり言葉と表情に出てしまった。実際、あの部屋には私が巨竜半島で入手した、排泄物ほど感染リスクのありそうな物じゃないけど、ある意味排泄物以上の研究試料が眠っているから、下手な嘘も言えないし……。
殿下はそんな私の事を信じられないものを見るような眼で見た後、踵を返して早足で私が借りてる部屋がある方へ進み出してしまう。
「ちょいちょいちょいっ! どこへ行く気ですか殿下!?」
「貴様の部屋を一度検める! 辺境伯邸に何が持ち込まれたのか、それを確認せねば同じ屋根の下で安心して過ごせんっ!」
「何も持ち込んでない! 大したものは何も持ち込んでいないですよ私は! ほぉら、良い子だから自分の部屋に帰りましょう殿下! 女の子の部屋に無遠慮に立ち入るのって、どうかと思うんですよね!」
「黙れ! 数日にも渡って風呂にも入らず平気で過ごしているような人間が、都合の良い時だけ自分を女性扱いするな! そんなに慌てながら必死に止められたら、ますます怪しいわっ!」
腰にしがみ付いて止めてるのに、そんな私を引き摺りながらズンズンと廊下を進んでいく殿下。
何つー力だ……! 私の筋力じゃ止められん……! こうなったら……!
「このヘンターイ! 不法侵入者ー! 私の部屋に入ったら、下着泥棒の冤罪を被せて領内に触れ回ってやるぅううううううっ!」
「何をとんでもない濡れ衣を被せようとしているのだ!? 誰が貴様の下着など盗むかああああああああああああああっ!」
とまぁ、そんなこんなで私と殿下が廊下で大暴れしていると――――。
「何をやっているのだ、其方たちは」
セドリック閣下が、呆れた表情を浮かべて近づいてきた。
「ち、違うのです叔父上。廊下で騒いでいたことは私の不徳の致すところでありますが、これには少々事情がありまして……!」
「ユーステッド殿下が私の服とか下着とかある部屋を漁ろうとしてくるんです!」
「貴様!? 誤解を招くような言い方をするんじゃない!」
それを見たユーステッド殿下は顔を青くしながら弁明しようと瞬間に声を被せてやる。
へっ! 好きにやらせて堪るか! 別に嘘も言ってないしね! あの部屋に眠っているとびっきりのお宝は、絶対に没収させたりしないんだから!
「仲が良いのは結構だが……その話を聞く前に、こちらの話を聞いてほしい」
はて? こんな私たちの様子が仲がいいように見えただろうか? こっちはお宝を守るために、本気で対決中だったんだけど?
そんな私の疑問が口に出るより前に、閣下は一枚の封筒……それもご丁寧に紋章付きの封蝋付きの、ペーパーナイフで開けられた奴を私たちに見せる。
「其方たちが戻ってくる前、皇宮の正妃殿下より手紙が届いた。その内容を端的に言わせてもらえば、我々に対する様々な用事の申しつけと……アメリア。其方を一度皇宮に招きたいという旨のものであったのだ」
その言葉を聞いて、私もユーステッド殿下も思考が停まったかのように静止する。
それからしばらく。多分、数秒ほど間をおいてようやく動き出した殿下は、ドラゴンの排泄物の成分を観察することを夢見ていると豪語する私を、あり得ない物を見るような眼で見てからセドリック閣下の方に向き直ると……。
「しょ……正気ですか……?」
ただ一言、誰もが首を縦に振らざるを得ない言葉を発するのだった。
面白いと思っていただければ、評価ポイント、お気に入り登録よろしくお願いします




