プロローグ・後編
何とか陸に戻りたい……そんな私の意思に反して、小舟はどんどん半島に向かって進んでいく。
今から全裸になって海に飛び込み、小舟をビート版代わりにしてバタ足で陸に行けないかとも思ったけど、小舟は割と勢いがある。小舟に引っ張られる形で、結局巨竜半島に流れ着くのが関の山だろう。
私を乗せてきた船も、とっとと踵を返して港へと戻って行ってしまった。つまり、私に同情して助けてくれる人間もいないという事だ。
(……ていうか、さっきからなんか変な音がしてない?)
小舟が海面を進む音とも、さざ波の音とも違う、ゴゥゴゥという大雨の後の河みたいな音だ。
嫌な予感がし、恐る恐る音がする方に顔を向ける。するとそこには、私を絶望を叩きつけるには十分すぎる光景が広がっていた。
「う、渦潮ぉおおおおおおおおおっ!?」
海面が大きく渦を巻く光景を見て、私は思わず叫んだ。
これでも前世は日本人だ。実際に見たことはなくても、その現象と危険性は知っている。
アイツら、よりにもよって私を渦潮に突っ込ませたのか……! このままじゃ、半島に辿り着く前に百パー死ぬんだけど!?
「あ、ヤバ……!」
そうこうしている内に、小舟は渦の力に負けて大きく揺らされ、転覆。乗っていた私は海へ投げ出された。
「た、助け……ゴボボッ……!」
ドレスが海水を吸っていることに加え、渦の力でどんどん海中へと引きずり込まれていく。
ただの生命体が……それもまともに泳いだこともない人間が、大自然の力に勝てるはずもない。私と言う人体は、持ち前の浮力を発揮することもなく、そのまま海中へと沈んで行ってしまった。
(駄目だ……息が……!)
こうなってしまったら、人間が死ぬのなんてあっという間だ。渦潮とドレスのせいで、海面に浮き上がることも出来ない。
(死ねない……死にたくない……!)
当たり前だ。運でも陰謀でも、この世界に来てやっとロクでもない人生をやり直せるんだと思ったのに、こんな終わり方は到底認められなかった。
しかし現実は何時だって無情なもの。前世を含めて、二度目の死が容赦なく迫ってきているのが分かる。今の私は、海水を呑まないように口と鼻を抑えるので精一杯だ。
(誰か……助けて……っ!)
この危機的状況に、私は恥も外聞もなく強く……それはもう強く願った。
こんな海中で助けてくれる人間なんているわけがない。そんな当たり前のこと、分かり切っていたはずなのに。
……そう、その筈だった。
(……え?)
私の背中に、何か硬い物が当たった……それを知覚した途端、私の体はグングン上昇し、ザパァンという音と共に勢いよく海上へと飛び出したのだ。
「ゲホッ! ゲホゲホ……ゲホッ!」
突然の事態にただ咳き込んでいた私は、気道に入った海水をあらかた吐き出すと、涙目になりながらもようやく現状の把握を始めることが出来た。
「な……何これ……? 私が、飛んでる……?」
どういう訳か私の体は、海面から数メートル上空を浮かびながら、半島に向かって進んでいた……と思ってたんだけど、手足から感じる感触を受け、視線を下に向けたことで、それは違うという事が分かった。
厳密には、深い藍色をした巨大な何かによって、私は運ばれているのだ。
「ちょ、速い速い速い!」
しかもその巨大物体は、渦潮をものともせずに海上を突っ切り、かなりのスピードで巨竜半島に向かっていく。
一方、私の方は振り落とされて再び海に落ちないよう、這い蹲ってしがみ付くのがやっとだ。体感的には自動車並みだろうか……こんな速度で移動する物体の上で立ったり座ったりしたら、絶対に転がり落ちるから。
「つ、着いた……?」
そして私は、あっという間に巨竜半島の浜辺に辿り着いた……かと思えば、私を運んだ巨大物体が突然傾き、そのまま砂場に向かって転がり落ちてしまう。
本当にさっきから何なんだ……!? 私は口に入った砂をペッペッと吐き出してから振り返って見ると、そこにいたのは、この目で実際に見ることなどあり得ないと思っていた、巨大な生物だった。
「え……プ、プレシオサウルス……?」
前世で図鑑で見た、海生の首長恐竜の復元予想図に類似している姿を見て思わず呟いたけど、違う。
姿形こそは似ているけど、頭から生えている巨大な一対の角に、背部全体を覆う甲殻は、私の知識にあるプレシオサウルスとは大きく異なる……そんな生物の正体を直感で察した私は、その答えを思わず呟く。
「……ドラゴン……」
見るからに屈強で強大な巨体。これといった魔法の練習をしていない私でも感じ取れる、絶大な魔力の波動。そしてあらゆる物を噛み砕き、千切りそうなほどに発達した、太く長い牙。
それだけで、目の前にいるこの生物こそが、この世界においては人間をも下に敷く、全生態系の頂点捕食者であり……数多くの伝承に残る、巨竜半島の人食いドラゴンであると察するに容易かった。
「……綺麗」
そこまで察していても尚、私は目の前の生物に目を奪われた。
その巨体もさることながら、天を突くような角も、鍛え抜かれた刃のような牙も、私の目には前世で写真や動画で見たどんな動物よりも雄々しく、そして雄大に映る。
人間社会における美男美女なんて、このドラゴンの壮麗さには到底敵わない。こんな美しい生物が、この世に実在するものなのかと、目の前にいるのに疑いたくなるくらいだ。
(しかもドラゴン……前世じゃ絶対に見ることも出来なかった動物が目の前に……!)
私が関心を惹かれた動物は、何も実在する生物だけではない。かつて地球上に存在していた、恐竜を始めとした絶滅生物。そしてドラゴンを始めとした、空想の産物である幻獣も、私の興味を大いに引いた。
もし実際に幻獣が実在していたら、それは一体どんな姿で、どんな生態をしているのだろうと妄想し、出回っている数々の絵から内臓や骨といった身体構造を想像したものである。
目の前にいるのは人食いドラゴンと恐れられている生物であることを忘れ、迂闊にも感動に打ちひしがれていると、突如として海から大きな水飛沫が上がり、ライオンほどの大きさの生物が姿を現す。
「ド、ドラゴンがもう一体……!?」
何と二頭目のドラゴンが海から姿を現したのだ。姿形こそは、私をここまで連れてきた個体と同じだが、体の大きさはずっと小さい。
恐らく、子供か何かなのだろう。ドラゴンの親子という光景に、全身がゾクゾクするような興奮を味わっていた私だったけど、ふとあることに気が付いて興奮が冷める。
「ヒレに網が……」
子ドラゴンの海亀を連想させるヒレ状の前足に、恐らく漁業用の物と思われる網が絡まっているのだ。
私がその事実を確認すると、子ドラゴンは腹を引きずりながら私の前まで進み、親ドラゴンはせっつくように頭で私の体を軽く押した。
(もしかして、この為に私をここまで……?)
前世でも、動物の中では頭が良いとされるシャチの子供が、ヒレに網が絡まった親シャチを助けてもらおうと、人間を頼ったという事例を聞いたことがある。今回の出来事は、まさにその事例と酷似していた。
(だとすると、相当頭良くない……?)
少なくとも自分たちで体では絡まった網を外せず、手先が器用な人間なら外せると判断したのだ。少なく見積もっても、シャチと同等かそれ以上の知能がある。
(とりあえず助けよう……!)
私は子ドラゴンの前にしゃがみ込み、前肢に絡みついた網を十本の指で外しにかかる。
結構複雑に絡まっていて、十歳の力では中々苦労させられたけど、時間をかけて何とか網を外すことが出来た。
「さぁ、これでもう大丈夫……うわっ」
すると、子ドラゴンは自身の頭を私の体に優しく擦り付けてきた。それに続くように、親ドラゴンも頭を優しく私に押し当ててくる。
その仕草はどこか甘えているようにも見えて、私は凄い微笑ましい気持ちになった。
(これが人食いドラゴン……? マジで言ってる?)
めっちゃ人懐っこいですやん。
いや、全てのドラゴンが同じとは限らないけれど、少なくともこの種族のドラゴンは温厚な性格に見える。
恐ろしい逸話ばかりが残る巨竜半島の伝承と言うのも、案外当てにならないな……なんて事を考えながら少し経つと、途端に現実が頭に過り始めた。
(これからどうしよう……)
何とか生き延びたのは良いけど、その先の当てがまるでない。確か巨竜半島は隣国に位置する土地……私にとって、土地勘が一切ない国外だ。
そこから元の場所に戻るための道が分からないし、道中には正真正銘、人を襲う魔物だけでなく、人攫いや追い剥ぎなどの犯罪者がいる。文化レベルが中世と同じくらいなだけあって、治安も悪いのだ。
(仮に戻れたとしても、またあの親の元でって言うのもなぁ。今度はどんな目に遭わされるか…………いや、待てよ?)
私は発想を逆転させる。すなわち、無理して帰らなくても良いのでは……と?
あんな毒親の元で王家への忠誠とやらを強要されながら暮らすよりも、前世で願ったように大自然の中を駆け抜け、私の意思で全てを決めながら生きる方が良いのではないか、と。
(それに、ここでなら叶うかもしれない)
前世の私には夢があった。病気のせいで叶うことはないと諦め、どこか現実味の無いボンヤリとしたものだったけど、それでも強く願い焦がれていた夢が。
それはいつの日か、生物学者となって、未だに未知な部分が数多く存在する生物たちの研究に身を捧げる事。そしてそれは、今世で前世を思い出し、健康な体を手に入れた今でも変わっていない。いつかあの家を飛び出し、生物学者になるのだと夢見ていた。
……まぁその前に酷い目に遭わされたけど、生きていたなら結果オーライ。
(そしてこの半島には、地球はおろか、この世界でも誰一人まともに研究したことが無さそうなドラゴンたちが、数多く生息している)
恐らく人類は彼らを恐れたんだろう。実家の書物室で調べた限りではあるけれど、きちんとドラゴンの研究をしたことがある人間は、歴史上一人もいないみたいなのだ。
そして私は図らずとも、窮屈な実家から抜け出し、ドラゴンたちを間近で観察できる環境に身を置くことが出来た。
未開の分野を切り開く最初の一人目になる。そう考えると、凄いワクワクしてきた。前世を含めても、こんな高揚感を感じたのは初めてだ。
(もちろん、大変な道なのは間違いない)
これまで文明の中で生きていた私が、大自然の中で生きていくのは、想像を絶する苦労が待ち受けているだろう。
それでも、このまま身一つで頼る当てがない人間社会に戻り、人間の食い物にされて死ぬよりも、自分の意思で自分の思うがままに、自分のやりたいことを全力で出来るのなら、最後は自然に還って死んだとしても、きっと悔いは残らない。
「よし……やろう」
生物は最後には死ぬ定め。だったら前世で出来なかった分、全力で人生を駆け抜けてみようと思う。
幸いと言うべきか、前世の私は〝病気が治ったいつか〟の自分が生物学者になった未来を夢想し、病死待ったなしの自分の心を慰めていたような奴だ。生物関連の知識だけでなく、野外活動をしている状況を想定し、サバイバル知識も多少は学んでたりする。
「えっと、まずは安全な場所と食料、飲み水と道具を確保から始めないとね」
そうして意気揚々と巨竜半島で住み始めた私は、それはもう色んな苦労を味わうことになった。
途中で何度も泣きそうになったし、怪我をしたことも一度や二度じゃない……それでも、二度の人生でこれ以上ないくらいに惹かれたドラゴンを研究しながら、自由に暮らす日々は、そんな苦労も吹き飛ばすくらいに充実していた。
そんな苦労と充実が交互に繰り返される、波乱と発見に満ちた私の新生活は過ぎていき……気が付けば、七年もの時が経過していた。
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次回からは本編、七年後の時間軸です。