災禍に舞う氷の竜
アルバラン帝国、ウォークライ領に位置する農村、ケイリッド。
世界各地から高い評価を得ているオリーブオイルの産地として有名な、普段は緑ある長閑なこの村は今、混乱の渦中にあった。
「逃げろっ! 火の手が迫ってきてるぞ!」
「でも農園が……!」
「いいから早く! ここも長くはもたない!」
突如として、落雷が落ちたわけでもなければ火を吹く魔物が現れたわけでもないにも関わらず、非常に不可解な状況下で村周辺を囲む防風林から火災が発生したのである。
地中の根から根へと燃え移ることで広範囲の樹木を焼き尽くす森林火災の火の勢いは凄まじく、村には紅蓮の炎が迫り、黒い煙が立ち込めていた。
当然、この事態に辺境伯軍は即座に動いた。水属性の魔法の使い手を順次に派兵し、火災の鎮火のためにありったけの魔力を振り絞って放水を繰り返したが――――。
「どうなっている……!? 火が消えるどころか、勢いが増すばかりだぞ!?」
「口を動かす暇があれば動け! 閣下や殿下が直に駆けつけてくれる! 家屋や農園には絶対に火を届かせるな!」
火の勢いは衰えを知らず、ジワジワと勢いを強めているのだ。
森林火災は水を掛けても鎮火し難いのが特徴だが、魔法による放水を繰り返しても火の手を押し留めることすらできないというのは、ハッキリ言って異常な光景だ。
ましてや今回の火災が発生した時、辺境伯軍は早期に事態を把握して消火部隊を送り込んだのだ。本来なら大規模な火災になる前に抑え込めるはずだったのに、火の手は人間の抵抗など嘲笑うかのように広がり、村や農園の目前へと迫ってきていた。
「防御結界の展開、それから木の伐採はまだか!? このままでは炎が村を燃やすのも時間の問題だぞ!」
「ダメです! 火の広がり方が早すぎて間に合いません!」
まさに異常火災……自然現象だけでは説明が付かない、放水しても勢いが衰えない業火がケイリッドの周辺の林に広がっていき、村の家屋や農園を囲んでいく。
一刻も早く火の手から逃れようと、避難誘導する兵士たちに従って次々と村を脱出した住民たちが、故郷が焼かれた喪失感と、生活の要であったオリーブの木を失ってしまう事による将来への不安に打ちひしがれていると、一人の住民が空の方に向かって指をさし、叫んだ。
「あ、あぁ……! あ、あれを見ろ!」
その声に滲んでいた感情は、明確な恐怖。生物の生存本能に紐づけられた根源的な本能に揺さぶられて、思わず口から漏れ出したような、そんな叫び声に周囲の人々も空の方を見上げ……そして更なる絶望の淵に叩き込まれた。
「ド……ドラゴンだぁあああああああああああああああああっ!?」
恐るべき人食いの怪物にして、最強最悪の生物……ドラゴン。その恐ろしさは、巨竜半島と地続きになっているウォークライ領の人間であれば皆、子供の頃から教え込まれてきた。
そんなドラゴンが空の彼方から十一頭、地獄絵図と化したケイリッドに向かって飛んで来ているのだ。人間からすれば泣きっ面にハチと言う言葉すら生温い、文字通り、この世に地獄が顕現したかのような光景である。
「い、今まで巨竜半島からドラゴンが出てくることなんてなかったのに……! 先日平原に現れた時と言い、一体どうなっているの……!?」
「こ、この地は神から見放されてしまったのか……!?」
背後には燃え広がり続ける業火。前方には空から迫りくるドラゴンの群れ。
まさに引くも進むも地獄としか言いようがない状況に、ある者は呆然と立ち尽くし、ある者は両膝を地面について頭を抱え、またある者は逃げ惑う。避難誘導をする兵士たちの呼びかけにも応じず、人々は完全な混乱状態に陥る中、避難中だった一人の住民が、ふとある事に気が付く。
「お、おい……あのドラゴン、誰かが乗っていないか……?」
=====
ハシリワタリカリュウの背中に乗せてもらい、私たちが辿り着いたのは、巨竜半島に存在する万年雪で覆われた氷山地帯。
私が拠点を設置した温暖な地帯とは異なり、独自の気候の関係上、年中凍えるような寒さをしているかの地では、氷属性を司るドラゴンたちが多数存在している。
森林火災は水を掛けても消えにくい。であれば鎮火方法を変え、強烈な冷気によって炎から熱そのものを奪うという方向にシフトした方が良い……そう考えた私は、ユーステッド殿下を氷山地帯まで案内し、ジークの能力によって辺り一帯に存在している氷竜たちを無差別に呼び寄せ、魔石を餌に一斉に交渉をしたのだ。
その結果、今私たちは十一頭の即席の群れを成した、飛行が可能なドラゴンたち……その内の一頭の背中に乗って、ケイリッドに向かって超特急で向かっていた。
いずれも氷を司る真っ白な体色をしたドラゴンたち。翼竜科を筆頭に、四脚竜科に多頭竜科、蛇竜科と中々多彩な種のドラゴンたちが揃ったが……今私たちが乗っているのは、蛇竜科のドラゴンである。
「ぐああああああああああああっ!? お、落ちるぅううううううううううううっ!?」
備考だが、ここは剣と魔法のファンタジー世界ではあるものの、飛行魔法というものは実用化されていない。体幹や魔力放出の制御がすごく難しくて、使える人間は世界でもごく僅かなんだとか。
だから当然、殿下にとっては飛行は初めての経験……それも蛇竜科という、ドラゴンの中では特に騎乗が難しい竜に乗ってとなれば、叫んでしまうのも無理はないんだけど……。
「うるさいですよ殿下。そんなに叫ばないでください。ドラゴンたちがビックリする」
「話しかけるな、気が散るっ!」
とまぁ、こんな調子で凄い一杯一杯だ。
私の場合、ドラゴンの背中に乗って空を飛ぶとかテンション上がりまくるだけなんだけど、やっぱりそこは個人差が合ったりするらしい。人間が空を飛ぶなんて常識の外にある、この世界の人間なら尚更だろう。
「そもそも貴様、どうしてよりによってこのドラゴンなのだ!? もっと他に乗りやすそうなドラゴンが居ただろう!?」
「そんなこと言われましても……『誰か乗せてってー』ってドラゴンたちに頼んだら、真っ先に来たのがこの子だったんですよ。緊急事態なんですから、乗るドラゴンを一々選んでられないでしょう?」
そう言うと、殿下は押し黙った。事態が事態なだけに、我儘を言っている暇はないと分かっているんだろう。
「まぁ、良いじゃないですか。角を両手で掴めて安定して乗れる頭の後ろを譲ってあげたんですから、文句言わないでください」
私なんて人生初の飛行で体幹の維持に四苦八苦してる殿下の後ろで、頭の後ろから尻尾の先にかけて生えているドラゴンの鬣を掴んでいるだけだ。
(それでも、殿下は根性ある方だけどね)
ハシリワタリカリュウによる高速移動から乗り継ぐ形で、今度は蛇竜科のドラゴンに乗って人生初の高速飛行だ。
大抵の人間だったら最初の段階で足と手がプルプルの状態になると思うけど、それを根性と使命感で乗り切っている。鍛えているというのも、やっぱり伊達ではないらしい。
「……ケホッ。煙たくなってきましたね」
そうして、巨竜半島の氷山地帯からガドレス樹海を飛んで超えいくと、あっという間にケイリッドの近くまで辿り着いていた。
……多分、空を見上げた人が居ればパニックになっていることは想像に難くない。それでも、村や農園を守ることが最優先だと思って、我慢してもらうしかない。
「これは酷い……防風林が半分近くも燃えている……!」
上空からは森林火災の様子がより鮮明に見渡すことが出来て、殿下の言う通り、炎はすでに防風林の半分ほどを侵食し、そこから黒い煙が無尽蔵に立ち上っている。
このまま火事の上空に居続ければ、私たちも煙で喉を傷めそうではあるけれど……。
「アメリア、やれそうか!?」
「問題ありませんよ……ブレスを使うまでもない」
このくらいの火事を消すのに、ドラゴンの強烈な攻撃手段であるブレスを使うのは、むしろやり過ぎ。
ドラゴンたちはただ、飛ぶだけでいい……そう私が思念波を発すると、氷竜たちは炎に向かって急降下を始めた。
「……舞え、氷竜たち」
氷竜目のドラゴンは、全身から冷気を発する力を持ち、ただ空を飛ぶだけで局所的な吹雪を巻き起こす。
私の合図に合わせて、氷竜たちは燃え盛る防風林のすぐ上を、思い思いの軌跡を描いて通り過ぎた……その瞬間。ドラゴンたちが発する強烈すぎる冷気で吹雪が巻き起こり、一気に熱を奪われたことによって、炎は瞬く間に消え去り、燃え残った防風林は瞬く間に樹氷の群生地となった。
氷竜たちはまるで踊るように空を舞い、その軌跡に残った大気中の水分がダイヤモンドダストさながらに凍り付き、まだ空に浮かんでいる太陽の光を受け、樹氷と共に光り輝く。
一歩間違えれば村一つが焼き尽くされていた火災の後とは到底思えない、目を奪われそうな酷く幻想的な光景を紡ぎ出していた。
(満月の夜空の下なら、もっと綺麗だったんだけどね)
その事を少し残念に思いながらも、私と殿下は上空から被害状況を一通り確認する。
氷と霜と雪に閉じ込められた防風林は、半分ほどが燃え尽きてしまっていて、元の状態に戻るのに長い年月が掛かることは想像に難くはない。
けれど肝心の家屋や住民……そしてウォークライ領を支えるオリーブ農園には、目に見えるほどの被害は見受けられなかった。
燃える森から飛んできた火の粉による延焼でも起こったらどうしようかと思ってたけど……この様子だと被害は最小限に抑え込めたと考えていいと思う。
「…………はぁぁぁ…………」
その事に一番安心した様子で息を吐いたのは、顔をクシャクシャにして泣きそうになっているのを我慢している、ユーステッド殿下だった。
ドラゴンへの慣れない騎乗をしてまで急いだ甲斐があって、壊滅的な被害は免れたんだから、このままお疲れ様とでも言ってあげたいところだけど……そうするにはまだ早い。
地表を見下ろせば、ケイリッドの上空を飛ぶドラゴンたちを見上げ、人々が混乱状態にあるのが分かる。火事が突然消えたことで頭の中がグチャグチャになって、事態が呑み込めていないようではあるだろうけど、時が過ぎれば恐慌状態になるのは目に見えている。
「……私に出来るのはここまでです、殿下」
私は地面に着地するよう、乗っていたドラゴンに思念波で頼むと、蛇竜科のドラゴンはその白く長い体をくねらせながら、ゆっくりと地面に舞い降りる。
巨体に比例した重量が地面に降りてきたことで、軽い地鳴りのような着地音が響き渡り、村の住民や兵士たちは明らかに怯えたような様子を見せるが、そのドラゴンに乗っている人物を見て顔色を変える。
「で、殿下……? ユーステッド殿下ではないのか!?」
「ど、どうして殿下が……? そのドラゴンたちは一体……」
人々の混乱はさらに深まるけれど、それも当然だと思う。狂暴凶悪な生物として伝わっているドラゴンに、皇族にして次期辺境伯として顔が知られている殿下が乗って現れたのだから。
普通の人間じゃあ、もう収拾が付かなくなっていそうなこの状況。これをどうにかできる人がいるとすれば、この場には一人しかいない。
「趣味でドラゴンの研究に没頭していた、ただの一個人に過ぎない私には、災害に見舞われて思いも寄らない事態に混乱しているこの人たちを落ち着かせる力はありません。彼らの心に響く声で人々を立ち直らせれるのは、人の上に立ち、人から信頼を勝ち取るための努力をしてきた人だけなんです」
それは他のどんな種族でも出来ない、人間と言う群れを形成する種族の中でも、リーダー格と群れから認められた、ごく限られた個体だけが出来ることだ。
私は、次期辺境伯として、毎日忙しそうにしていたこの人なら、それが出来ると思っている。
「この地を治めようって言うんです。ここで良いとこ見せてくださいよ、将来の辺境伯閣下!」
一緒にドラゴンから降りた殿下の背中をそう言って押すと、殿下は気を取り直すように息を吐き、何時ものように眉間に皺を寄せた気真面目そうな表情を浮かべた。
「人に良いところを見せる見せないは関係ない。私は皇族の一人として、辺境伯の後継に選ばれた人間として、為すべきことを果たすのみだ」
キリッとした表情で、ピンと背筋を伸ばす殿下。
巨竜半島から立て続けの強行軍で、すっごい体力を削られただろうから心配してたけど、この様子だと上手く混乱を収めるだろう。その姿にひとまず安心していると、殿下は小さく、しかし私にはしっかりと聞こえる声で呟く。
「一度ならず二度までも領民を救ってくれたこと……心より感謝する、アメリア博士」
真っ直ぐに私の顔を見据えながら、何の皮肉も裏も感じない声でそう言い残した殿下は、混乱している住民たちの元へ走って行く。
その背中を見送った私は、頭の後ろを掻きながら、何とも言えない気持ちになった。
「博士って……私はそんな大層な人間じゃないんだけどな」
博士とは、学者の中でも最高位に位置する人間を指す言葉だ。好き好んだ趣味で独学の研究に明け暮れ、まだまだ知識不足が否めない私は、ドラゴン学者と言うよりも、ドラゴンオタクと呼んだ方が適切だと思う。
少なくとも、今回の鎮火はドラゴンの力によるものだし、世に誇れる研究結果を発表しているわけでもない私には、博士なんて過ぎた肩書だ。
「……ま、悪い気はしないけど」
やっぱり、殿下に褒められるとそう思ってしまう。裏も皮肉も無い真っ直ぐな言葉だから、気恥ずかしくはあるけど、嬉しくもあるというか。
そんな複雑な気持ちになっていると、私たちを乗せてここまで来たドラゴンが、その大きな頭で私の体を軽く押す。
「あー、はいはい。魔石ね、分かってる。本当、今回はありがとねー。沢山用意するから、ちょっと待っててねー」
そのドラゴンの顎下を撫で、鼻先に顔を押し付けながら、私は強い感謝を意思を伝える。
とりあえず、ここまで来て消火活動をしてくれたドラゴンへのご褒美を与えることから始めよう。
……中型以上の個体が十一頭もいるから、私の魔力だけじゃ足りなさそうだけど、そこは辺境伯軍の魔法使いたちを勝手に頼りにさせて貰おっと。
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