ドラゴンの可能性
「巨竜半島に残してきた研究資料を、オーディスに移動させたい?」
セドリック閣下から正式に、ドラゴンの軍事転用を目指した研究協力の依頼を受けた私は、朝食をご馳走になった後に閣下にそう頼み込んだ。
「はい。半島にある私の拠点には、この七年間貯め込み続けた、ドラゴンの生態や行動を纏めたレポート用紙が大量に保管されているんですけど……正直、野外で紙媒体の資料を、一人で保全や保管するのって大変でして」
石や岩のコの字になるように配置して作った三つの拠点、その内の資料製作用の拠点には、私がこれまで積み重ねてきたドラゴンの研究内容が記録された、膨大な枚数のレポート用紙が存在している。
しかし、紙は湿気や虫が原因で劣化するもの。きちんと管理するには、相応の手間が必要なのだ。
こういう時こそパソコンが欲しくなるというものだけど、無い物強請りしていても仕方ないし、膨大な時間と手間をかけて何とかやってきていたって言うのが、これまでの経緯である。
「今までは、虫干しをしたり、除虫花の煮汁を紙に沁み込ませたり、色んな手段を講じてきましたけど、それもいい加減限界でして……これまで書き溜めてきた資料を保管できる場所が欲しいんですよ」
「なるほど、そういう事であったか。確かに、七年にも及ぶ巨竜半島での生活が綴られた資料は、世界のどこにも存在しない貴重な代物だ」
巨竜半島での生活が充実していたのは確かだけど、ドラゴンの研究に集中するにあたって、不便なことも多かった。
その不便を解消するためのサポートをしてくれるというし、こういう時こそセドリック閣下を頼りにしたい。
「よかろう。ではこの館の余っている部屋の幾つかを、アメリアに貸し出そうではないか。正規の研究施設が建設されるまで時間も掛かるゆえ、それまではそこを資料作成などの研究活動に使うとよい。野外活動においては、持ち運びができるテントなどの提供を始め、いずれは巨竜半島に小屋などを建てることも視野に入れている」
「わーいっ! ありがとうございます! 閣下ってば本当に太っ腹ぁ!」
他分野の研究者の招集や研究資料の取り寄せとかもしてくれるというし、閣下には本当に頭が下がる。
閣下がパトロンになってくれたおかげで、研究とは直接的に関係のない雑務に時間を割く必要性が無くなる目途が完全に立ったし、これで単独ではできなかった、ドラゴンの生態をより詳しく解き明かすための研究に時間が使えるぞ。
最初は面倒臭くて断りそうになったけど、結果的にはユーステッド殿下の頼みを聞き入れたのは正解だったかも。
(…………で、そのユーステッド殿下は、どうして私の方をジロジロ見てきているんだろう?)
しかもただ見てくるだけじゃない。顎に手を添えて、心底怪訝そうな目で私を見てくるのだ。
時折、「友……? これが……?」とか、「どちらかと言うと、近所に棲み付いた野犬では……」とか、何かブツブツ言ってるのが聞こえてくるし、怪訝な眼で見たいのはむしろ私の方なんだけど……。
「それでは、今日中にでも資料を移動させるか?」
「あぁ、そうですね。こういうのはとっとと済ませた方が良いと思いますし」
不穏な気配を発していて、どうツッコミを入れたらいいのか分からないくらいに不気味だった殿下から視線を外し、資料移動……つまり私の引っ越しの話に意識を戻す。
あの拠点での生活にも、大変だったなりに思い出はあるし、正直名残惜しい気持ちもなくはないんだけど……これも全てはドラゴン研究の為。私の研究環境にも、変革の時が来たのだと考えよう。場合によっては、あの拠点も何らかの形で活用すれば良いし。
「うむ。ならば、ユーステッド。アメリアと共に巨竜半島へ赴き、彼女の研究資料を持ち出して来てくれるか?」
「え……わ、私がですか?」
訝しそうに私を見ていたユーステッド殿下はセドリック閣下にそう声を掛けられると、弾かれたように顔を閣下の方に向ける。
正直、資料運びは私にとって大事なことではあるけど、言ってしまえば雑用だ。皇族であり次期伯爵である殿下に頼むって言うのもどうかと思うんだけど……。
「七年にも渡る資料が貯め込まれているのなら、男手があった方がよいというのもあるが……何よりも、其方自身が巨竜半島に赴き、その実態を直に見極め、無事に戻ってきて、私や兵士たちに伝える役割を担ってほしいのだ」
あぁ、なるほど。閣下の言いたいことが分かった。
ハシリワタリカリュウの一件を乗り越え、私という巨竜半島で七年間も暮らし続けた人間が実在していることが判明した今でも、巨竜半島を人食いドラゴンの巣窟である地獄と、恐れている人間は数多くいる。
閣下の狙いは、そんな巨竜半島の実態を、どこの馬の骨かも分からない私にではなく、ユーステッド殿下の口から人々に伝えさせることだ。
「ドラゴンの研究に軍事転用……それらに伴い、多くの人間が巨竜半島へ出入りする必要があるが、その前には恐怖や不安という心情的なハードルがあるだろう。そのハードルを低くするために、皇族であり次期辺境伯である其方が実際に巨竜半島に出向いたという事実が必要なのだ。一度半島に出向いた其方であれば、他の者よりも冷静かつ広い視野で半島の実態を見極められるであろう」
「なるほど……そういう事でしたか」
ユーステッド殿下は納得したとばかりに頷くと、真剣な面持ちで胸に手を当てる。
「承知いたしました。資料運び及び、巨竜半島の視察、確と達成して参ります」
相変わらず大真面目な殿下は、文句の一つも言わずに巨竜半島行きの指示を請け負う。
まぁ私としては人手がある方が助かるからいいけど……巨竜半島に行くのが二度目や三度目だろうと、怖がるのが普通だと思うんだけどな。
私も人のことを言えたもんじゃないけど、殿下も大概、世間一般からズレてそうな感じはする。
「あ、そうだ。出発前に閣下、こちらを渡しておきます」
そう言うと私は、用意しておいた紙束を手渡すと、閣下は訝しそうにしながらも、そこに書かれている内容に目を通す。
「これは……飼育と軍事転用が出来そうなドラゴンの一覧か?」
私が手渡した資料……それは閣下の言う通り、私が昨晩の内に纏めた、あくまでも私の見解では人間と共に戦えそうなドラゴンをピックアップしたものだ。
「ドラゴンは外敵と対面し、戦うか逃げるかの選択を迫られれば戦うことを選ぶことが多く、近くで爆発が起きても怯まない勇猛な種も多いですけど、必ずしも人間との共闘に向いているとは限りませんからね。特に騎乗……閣下は兵士をドラゴンに乗せて、戦闘も出来る機動力の確保を期待しているみたいですけど、背中に突起とかがあって、人が乗れないドラゴンもいたりしますから」
背中に無数の突起があったというステゴザウルスや、前世では超有名だった某大怪獣のような体をしたドラゴンもいるし、中には背中に乗れても殆ど移動しない種族もいたりする。
そう言ったドラゴンであっても害意を向けられれば攻撃はするけど、流石に人間の軍隊に組み込むのなら、速く移動できる種族の方が良いだろうというのは、私にも想像に難くない。
「という訳で、人が乗れそうな体で、厩舎とかでの飼育も出来そうなドラゴンの情報をスケッチ図付きで纏めさせてもらいました。その中から、軍備に加えたいのを選んでもらえると」
「承知した。兵士たちとも意見を交換するので、その間に、其方はユーステッドと共に研究資料を取りに行ってくると良い」
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そうして、私はユーステッド殿下を伴ってスサノオの背に乗り、久しぶりに巨竜半島へ戻ってくることが出来た。
七年前にこの半島に追放されて以降、こんなに長い間この地を空けたのは初めての事なので、なんだか感慨深い気持ちだ。
「それにしても……スサノオと言ったか? あのドラゴン、船を引いて泳ぐことも出来たのだな」
半島にある私の拠点に向かう道中、後ろを歩いて付いてきていた殿下はどこか呆れたような、或いは感心したような口調で話題を振ってくる。
私が貯め込んだ資料の数は膨大だ。それを海を越えて運ぼうとすれば、船が欲しくなるのは当たり前だけど、今回はドラゴンの力を改めて実感してもらうという趣旨も込めて、スサノオと中型船を魔法で作り出した鎖で繋ぎ、引っ張ってもらったのだ。
風を受けたヨットよりも明らかに高い速度で、自分よりも大きな物体を引いて悠々と泳ぐスサノオの姿には、殿下も圧倒されっぱなしだった。
「もし今後、鰭竜科のドラゴンに引かれて航海が出来る体制が整えば、これまでの操船の歴史が全てひっくり返るぞ……! 移動速度だけでない、魔物や海賊が現れた際の対処も、ドラゴンが居れば万全……船の動力源として見ても、防衛兵器として見ても、これ以上の存在はない……!」
現状、この世界では帆船が主流だ。魔法の力で外輪を回して推進力を得るパドルシップというのもあるらしいけど、ポルトガで知り合った漁師のおっちゃんが言うには、パドルシップの外輪は壊れやすく、安定的な実用化には至っていないらしい。
その点、鰭竜科のドラゴンであれば、パドルシップ以上の推進力が得られる上に、魔物や海賊まで追い払ってくれる。船乗りからすれば、夢のような存在なのかもしれない。
「しかし……海での移動とは違って、陸路では歩きなのだな。お前の事だから、半島でもドラゴンに乗って移動しているかと思っていたが」
「そうする時もありますよ。ただ、今日は足になってくれるドラゴンを見かけないってだけです」
巨竜半島は確かにドラゴンの数は多いけど、それ以上に面積が広い。狙って探せば別だけど、ドラゴンと対面しない時はしないのだ。
一抱えほどの大きさの小型のドラゴンや、遠くの空を飛ぶドラゴンとかはそこかしこに見かけるけど、どうやら私たちの進行経路付近に、人を乗せて移動できるドラゴンはいないらしい。
「私には、ジークやスサノオを含めて、個体名を与えた協力的なドラゴンが全部で六体いますけど、飼ってるわけじゃないですからね。いずれも活動範囲が限られてたり、そこかしこを自由に動き回ってたりしていて、顔を合わせた時に手を貸してもらってるって感じです」
私の傍にいれば魔石を貰える機会が多いと学習したらしいジークや、他の個体と比べて突出して人懐っこいスサノオは、私の行動に合わせて動く傾向にあるけど、その他の四体は普段、野生動物らしく自由気ままに生きている。
私自身、日頃の行動までドラゴンに強要しているようなことはしていないしね。
「ただ、私の拠点の近くには、半島生活を支えてくれるドラゴンの内の一体が居付いていましてね。興味があったら、少し寄っていきます?」
「……そうだな。時間的にもまだ余裕はあるはずだし、少しだけ見に行くとしよう」
渓流の脇を歩いていた私は、殿下の言葉に応じると、少し進んだ先にあった、森の中へ続く道へと入っていく。
私が普段から通り続け、木の枝を切り分けることで出来た獣道だ。その自然の中にある細い通路を進んでいくと、そこには二つの長い首を持ち、カメのように脚が短く、甲羅で覆われた胴体を持った、いわゆる多頭竜科に属する大型のドラゴンが居たのだが……。
「これは……背中に木が生えているのか……!?」
そのドラゴンの甲羅には、一本の木が根を張っていて、その枝には青々とした葉が生え、瑞々しい木の実が成っていたのだ。
「カジュオイカメモドキリュウのマルタ。カメみたいな甲羅で覆われた胴体と、その背中から生えた果樹が特徴的な、地竜目多頭竜科に属するドラゴンです」
祈りでドラゴンを退散させた伝説上の人物の名前を個体名として与えたこのドラゴンが、背中から果樹を生やしている理由は未だに判明していない。なにせ一日の殆どを動かずに過ごしていて、行動原理や生態が観察だけでは見えてこない、ナマケモノみたいな竜だからだ。
しかし、このドラゴンが私が七年間も半島生活で生きることが出来た、言い換えれば恩人的な存在であることは否定できない。
「私がサバイバル生活を送るにあたって直面した食糧問題……肉類は勿論ですけど、野菜や果物の確保にはとにかく苦労させられました」
ウォークライ領では生野菜は地産地消、食用の果物は高級品だから、物々交換でも中々手に入らない。
人間ビタミンを摂らないと色んな病気を発症するし、安定的な果物の入手経路は必須だったのだが……そんな時に出会ったのが、このマルタである。
「マルタは背中の木から多種多様な木の実や果物を生やすことが出来る魔法を使うことが出来るドラゴンで、魔石を対価に私の栄養不足を解消できる果物を生やしてくれたんです。それで私は今日まで大きな病気に罹ることなく、ドラゴンの研究に励めたんですよ」
正直、マルタと出会えていなかったら、私は今頃白骨死体になって、巨竜半島の土壌の栄養になってたと思う。
さらに言えば、私がポルトガで物々交換に使っていた果物の入手も、全てマルタによって賄われていたので、物資補給の面でも大いに役立ってくれた。
それを話すと、ユーステッド殿下が愕然とした表情を手で覆い、震えながら呟く。
「人が食べられる木の実を生やす魔法を使うドラゴン……!? なんだその一頭で食糧難解決の一助になりそうなドラゴンは……!? そのような生物が、本当に……!?」
「世間では知られていませんけど、スサノオも然り、マルタも然り、ドラゴンが人間の助けになることが出来る力を持っているのは確かですね。他にもコレ」
私は懐から、鋭く長い爪を木の棒に紐でガチガチに括り付けて作った、即席のナイフを取り出す。
「偶然拾った、ドラゴンの古い爪で作ったナイフなんですけど、これ肉は勿論のこと、木の枝も蔓もバッサバッサ切れるくらいに鋭いんですよ。こういうドラゴンの体の一部が道具として活用できる分、人間社会にとってドラゴンが与える影響はかなり大きいでしょうね」
前世でも、ヒツジの毛やカイコの繭が人間社会に必須な布の材料として扱われていて、中には高級素材として高値で取引されていたりする物もあった。
ドラゴンの戦闘力を考えれば、流石に殺してでも奪うというのはリスクが大きすぎるけど、こういう自然と地面に落ちた体の一部が、この世界における高級素材として取引される可能性だって十分あるだろう。
「ちなみに、鱗じゃなくて長い体毛を生やし、定期的に自分の爪でカットして短くするなんていう、ユニークな生態のドラゴンもいるんですけど、実はそのドラゴンの毛を服屋に持ち込んだら、上質な布の材料になると驚かれ、入手経路をしつこく聞かれたことが――――」
「えぇい、話すのを一旦やめろぉお! それ以上は私の頭がおかしくなるぅっ!」
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