七年前に島送りにされた少女
「さて、そろそろ話の続きをさせて貰えるだろうか?」
「は……!? し、失礼しました叔父上! とんだ醜態を……!
とりあえず、気落ちしてる殿下の調子を取り戻した対価に頬を引っ張り回され、そろそろ泣きそうになっていると、セドリック閣下の鶴の一声によって、私の頬はようやく解放される。
私が原因とは言え、本気なのか手加減してるのか、ちょっと判別できない絶妙な力加減だった……唇が切れてるとか、そう言う怪我みたいなのは特に無いから別にいいけど。
「では最後の確認だが、ドラゴンの軍事転用については賛成も反対もしないが、知恵と知識は貸してくれる……というスタンスを其方は取っていると認識しても良いな?」
「はい、それで合ってます」
ドラゴンの力を軍に組み込むのも、人間という種が生き延びるために選んだ選択。そこに善も悪もありはしない。
半分野生に還りかけていたとはいえ、私だって曲がりなりにも同じ人間。同族に対する義理として、嘘偽りのない情報は提供しようと思う。
(それに、人の手が及ぶのは、ドラゴンを始めとした動物たちや生態系にとって悪い事ばかりじゃないしね)
生態系が壊れれば、連鎖的に全ての生命に影響を及ぼす。例えば、皆が絶滅してほしいと考えてそうなゴキブリだって、落ち葉や朽ち木を分解し、土壌の活性化を促進する能力がある。人間がどんなに煙たがる命も、居なくなったら居なくなったで、最終的に困るのは人間だったりするのだ。
なら生物を殺さないようにする動物愛護の精神が最も重要かと言われると、実はそれも違う。
(その最も代表的な例は、クジラの過剰な保護だ)
前世のとある国では、クジラを神聖視して過剰に保護をし続けた結果、クジラが魚を食べ過ぎて漁師たちに大打撃を与え、更にはクジラの死骸を食べるサメがビーチなどの近海に増加し、人が食い殺されるという事件まで起こっている。
何とか方針を切り替えようにも、その国はホエールウォッチングを観光資源に据え、更には国民からの信仰心にも似た反発によってそれも出来ず、結局は生態系が破壊され続けているのを見過ごしているというのが現状だ。
(人が動物を殺しても殺さなくても、結局は弱肉強食の理によって生態系は壊れるもんなんだよね)
ドラゴンも、いずれ同じような道を辿るのかもしれない。どんな種族も絶滅する時は絶滅するし、それ自体は仕方のない事ではあるんだけど……じゃあそれを防止するなと言われると、それも違う訳である。種族が絶滅することを良しとしたい訳ではないのだ。
生態系と、それに組み込まれた全ての生命を守るためには、増えすぎた種族は減らし、減り過ぎた種族は増やすという、科学的根拠に基づいた生態系の管理を人間の手によって行う必要があるというのは否定できない事実だ。
(もしこれから先、ドラゴンという種が絶滅の憂き目に遭いそうになった時の為に、ドラゴンに人の管理の手が及ぶように動くというのも、選択肢として入れ続けておきたいしね)
その為にも、これからも存続していく為に、人の営みにドラゴンを組み込むというのは現実的な手段だ。ドラゴンの事を理解し、ドラゴンが居なくなったら困ると、人間たちが周知するようになれば、私が寿命か何かで死んだ後でも、ドラゴンが絶滅しないように知恵を振り絞る人が現れるだろうから。
(ついでに……研究者としてではなく、一個人としての感想を言わせてもらえば、ドラゴンがいなくなるような事態になったら、やっぱり悲しいし)
弱肉強食の理は理解しているつもりだし、殿下たちの前であんなに偉そうに言っておいてなんだけど、そう感じてしまうのが、理性とは別に本能が「ドラゴンという種の存続」を訴えかけてくるのが、紛れもない私の本音だ。
そう考えてしまう時点で、生物学者としてはまだまだ未熟である証なのかもね。私に出来るのは、せいぜいそれを表に出さないようにするくらいか。
「ドラゴンと人間が交わって暮らすことに、どのような悪影響が出てくるのかはこれからの研究で解明する必要がありますが、少なくとも短期的には人と竜の双方の利になる部分もあります。ドラゴンを研究する人間としては現状、忠告できることはありません。せいぜい急進的に行うのではなく、少しずつ様子を見ながらやりましょうってくらいです」
だから私は反対も賛成もしない。両種族への悪影響を訴えようにも、研究が足りなさすぎるから。
「ただし、忠告はなくても警告はありまして……ドラゴンに限らず動物を扱うというのは大なり小なり危険を伴います。私だって、ドラゴンと接する中で引っ搔かれたり嚙まれたりと、沢山怪我してきましたからね。おかげで体のあちこち、細かい古傷だらけです」
人間の理屈は動物には通用しない。普段人が乗り回している馬の背後に不用意に立つと、そのまま蹴り殺されたりすることがあるように、接し方を間違えれば最悪死ぬことだって大いにあるのだ。
「ドラゴンは頼めば何でもしてくれるような、人間にとって都合のいい生物ではありませんし、個体差というものがある以上、私自身、絶対に大丈夫と言えるドラゴンとの接し方はありません。セドリック閣下たちが選ぼうとしている選択肢は未知と比例して危険も多いので、何があっても自己責任としてもらいますけど……それでも大丈夫ですか?」
人が生きるために別の種族を食い殺し、支配するのも自然の摂理……しかし、その逆もまた然りだ。
あらゆる種族は生きるために、外敵を排除する権利を持っている。人間が危険な動物を駆除するように、動物が危険な人間を殺すことも自然の摂理だと思う。
「あぁ、それで構わぬ。元より危険もなく力を得られるとは考えていない」
そんな私からの忠告を聞いても、セドリック閣下は判断を覆さなかった。ユーステッド殿下も頷いていることから、同じ結論なのだろう。
「分かりました。なら私も協力しましょう。人がドラゴンにどのような影響を与えるのか……そういう実験にも興味ありますしね」
ドラゴンの研究は私一人ではどうしても限界がある。そこに色々と手伝ってくれる人が現れるというなら、こちらとしては大歓迎だ。
「ところで閣下、研究支援をしてくれるって話でしたけど……それってどのくらいのことまでしてくれるんですか?」
「ふむ。私は門外漢であるし、研究内容にもよるだろうから一概には言えないが……研究環境の利便性を上げ、研究結果の報告を円滑に行うために、このオーディスにドラゴンの研究施設を建てようと考えている。他にも、其方が望むものがあれば、可能な限り揃えよう」
おぉ……流石は貴族様。支援内容が思ったよりもずっと気前がいい。
研究にはお金が掛かるし、こちらとしても助かる。なんだか大口のパトロンでも見つけた気分だ。
「……それって、国中から色んな学者を呼べたりします? 植物学者とか、力学研究者とか、数学者とか……」
「恐らく、問題ないだろう」
「マジっすか!? ひゃっほぉおおおおおおおおおおおおおおおおいっ!」
実を言うと、私のドラゴン研究は行き詰まりを見せていた。理由は色々あるけど、その最たるものは知識不足にある。
生物学と言っても、生き物の事だけを知っておけばいいというものじゃない。生物の挙動を解き明かす力学、生息域を把握する気候学や植物学、個体数を把握するための統計学、そしてこのファンタジー世界ならではの魔力研究学……他にも沢山の知識が求められるのだ。
(人間一人じゃ、そんな幅広い知識を蓄えながら研究するとなると、普通は時間が足りなくなるけど……)
各分野を専門にしている有識者と協力することで、より詳しい生物の生態を解き明かすことが出来るという訳だ。鳥インフルエンザみたいな動物を媒介にした伝染病も、人間の医者と獣医が協力して原因究明できたっていうし、それと同じように色んな分野の学者が集まって判明した事柄は、数え切れないくらいにある。
色んな研究者との伝手をどうするか、それがずっと課題だったんだけど、流石は貴族のコネ。こういう時は特に頼りになる!
「では、詳しい話は明日から詰めていこうではないか。……これからよろしく頼むぞ、アメリア」
「はーいっ!」
これでドラゴンの研究に大きな進展が見られる目途が立った。その事にルンルン気分になりながら、私は辺境伯邸に泊ることとなった。
=====
アメリアが非常に上機嫌な様子で食堂を後にした後、ユーステッドとセドリックは人心地着いたとばかりに息を吐く。
「初めはどうなるかと思ったが、何とか彼女の協力を得られたのは僥倖であったな」
「えぇ。どうやら研究意欲を優先しての決定のようですが、それが逆に功を奏したと言いますか……」
人里から距離を取り、巨竜半島で暮らしていたアメリアは、良くも悪くも政治に興味が無く、特定の人物や集団に対する忠誠や帰属意識も無い。
ユーステッドたちが支持する第一皇子に対しても、関心はないが敵対する気も無いからこそ、協力を拒む理由が無かったのだろう。その証明に、研究支援をチラつかせれば、むしろ意気揚々と協力姿勢を示してきた。
「それで、叔父上……アメリアの出自については、何か分かりましたか?」
そんな政敵にはなり得ないアメリアだが、ユーステッドたちが協力を求めるに当たって、当然身辺調査は行われた。
どんなに信頼できる性格をした個人が相手でも、周囲の人間も同じとは限らない。協力者にとって身近な血縁者や知人から、様々な情報が漏れることは珍しい話ではない。
今回、辺境伯軍にドラゴンを組み込む事になったのも、政敵への対処の一環として、しばらくは情報規制を行うつもりだし、だからこそアメリアの関係者を介して情報が政敵に流れるのを防ぐつもりだった。
「いいや。アメリアの家族や友人に関する、これといった情報はまるで得られていない」
しかし、辺境伯家の調査結果は、芳しくなかったのである。
「少なくとも、ウォークライ領では七年前に、アメリアという十歳の少女が行方不明になったという事件などは発生していない。発音の訛りもこの地域の人間とは少し違う。となると、他領の人間か……下手をすると、国外から巨竜半島に流れ着いた可能性があるな」
「国外……というのは、エルメニア王国ですか?」
ウォークライ領と隣接し、セドリックたち辺境伯軍が警戒しているのは、ガドレス樹海と、そこから出てくる魔物だけではない。
隣国であるエルメニア王国とも地続きになっていて、もし仮に、アルバラン帝国とエルメニア王国が事を構えることになれば、このウォークライ領が真っ先に戦場になり得るのだ。
「……ユーステッド。眉間の皺が深くなっているぞ」
「……っ。し、失礼しました」
エルメニア王国……そんな自分の発言に、ユーステッドは知らず知らずの内に表情を険しくしていた。
「やはりまだ、不信感は拭えないか?」
「……非礼を承知で言わせてもらえれば、あの国の王家は信頼できません」
そう断言するユーステッドだったが、彼がこうも頑なな態度をとるには理由がある。
今から七年以上も前。国際交流のパーティの場で、エルメニア王国の第一王女であるカーミラが、アルバラン帝国の正妃の娘である第四皇女を、口論の末に階段から突き落とすという、重大な事件が発生した。
階段と言っても、王宮の正面出入り口前にある三段ほどの短いもので、第四皇女の怪我自体は軽かったのだが、そういう問題ではない。
ただでさえ第四皇女は体が弱いのに、他国の皇族に怪我を負わせたとなれば、如何に王家の姫と言っても処罰は免れない。帝国側も、自国の威信にかけて、賠償と共にカーミラに厳しい沙汰を下すよう、エルメニア王家に強く求めた。
しかし、これにエルメニア王家は第一王女可愛さに強く反発。賠償金の支払い自体はスムーズに行なわれたが、カーミラへの処罰を渋ったのだ。
エルメニア王家が美しい王女に甘いというのは有名な話だったが、法を犯して他者を害しても、それが自分の娘となれば法も道理も捻じ曲げる王家とは、健全な国際交友は出来ない。
皇族に危害を加えられた上に、面子を潰されたアルバラン帝国の上層部は当然のように怒り狂い、国交断絶も現実味を帯びてきたところで、ようやくカーミラへの処罰を与えることを決めたのだが……。
「カーミラ王女への処罰にしても、実際に行われたのか怪しいものです。あの時まで、蝶よ花よと育てられた十歳の王女が、巨竜半島に送られて戻って来るだけでも現実味が無いというのに、それが今や、神からの寵愛を受け、奇跡の生還を果たした聖女として隣国では持て囃されているのです。我が国の皇女を害しておきながら、厚顔無恥とはまさにこの事……」
そこまで言いかけて、ユーステッドは黙りこくった。
今から七年前、十歳の少女が巨竜半島に流れ着いたというタイミングと符合。甘やかされて育てられた王女が、遠く離れた巨竜半島から戻ってきたという現実味の無さ。そういった情報が、アメリアの存在と結び付いているような気がしてならないのだ。
「叔父上……まさか……!」
「言わんとしていることは分かるが、落ち着け。まだ何も確証の無い話だ」
そう宥められて、ユーステッドは深呼吸をする。
こういう時こそ、冷静に事態を見極めなくてはならない……正妃や叔父を始めとした人々からの教えを頭に思い起こし、ユーステッドは何とか気持ちを落ち着けることが出来た。
「いずれにせよ、その方面で調査はするとして……最終的に信用できるかは、やはり当人の気質次第だろう。ユーステッド、其方はアメリアという人間をどう感じた?」
「……率直に言わせてもらえれば、とてもだらしのない自由人かと」
これまでのアメリアの言動を思い出し、心底嫌そうな顔をしながらユーステッドは答える。
「自分の思ったようにばかりに好き勝手に生き、いざドラゴンのことになれば他のことが目に入らなくなり、研究や観察に夢中になり過ぎて眠るのも忘れて風呂にも入らない、半分野生児の無礼な馬鹿者ではあります」
当のアメリアがこの場にいれば、文句の一つでも行ってきそうなくらいにボロクソに言ってのける甥にセドリックは苦笑したが、ユーステッドは「ですが」と前振りをして口を開いた。
「それと同時に、命を慈しむ心と真理に基づいた死生観を合わせ持ち、独自の境地に至った非常に聡明な人物であると考えます」
「そうだな。あの若さであの考え方に至れる者など、そうおるまい」
生まれ持った気質によるものなのか、或いは過酷な大自然の中に囲まれて生きてきたからか、アメリアは一般的な人間の尺度からズレている人間であるのは間違いない。
しかし、アメリアは良くも悪くも真っ直ぐな気質で、純粋にドラゴンの神秘を解き明かしたいと願っているだけの人間だ。少なくとも、政治的な工作が出来る類の輩ではない……という点では、ユーステッドとセドリックの見解は一致していた。
「しかし、彼女と出会えたことは様々な意味で僥倖だったと思うぞ」
「そうですね。これで我が軍の戦力の向上と、第一皇子派の権力を――――」
「それもではあるが、今私が言いたいのはそういう事ではない」
不思議な言い回しをするセドリックにユーステッドが疑問符を浮かべると、セドリックは辺境伯という立場の顔ではなく、一人の叔父として甥に優しい表情を向ける。
「気付いているか? これまで女性とは一線を引いて接してきた其方が、アメリアに対してはまるで悪友か何かのように気安く接していることに」
そんな指摘を受けたユーステッドは、思いも寄らなかったとばかりに、目を真ん丸に見開くのだった。
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