アメリアの主義
ハシリワタリカリュウの群れを無事に巨竜半島へ送った、その次の日の夜。
セドリック閣下がせめてもの感謝の印にと、私の為に食事の席を設けてくれた。
今、辺境伯家城館の食堂には肉や魚、野菜に果物、貝やエビにパンと様々な料理が並んでいて、いずれも一般人ではなかなか手が出せなさそうなくらいに豪勢だ。
フルコースみたいに一品一品出てくる形式ではなく、食卓に一斉に料理を並べる庶民的な食事形式なのは、多分セドリック閣下なりの、現平民である私への気遣いだろう。
「此度の苦難は、其方のおかげで解決できた。細やかではあるが、報酬とは別に感謝の場を設けさせてほしい」
「それを言い出したら、閣下を始めとした大勢の人のおかげでもあるんですけど」
私自身、群れを巨竜半島に送るために、岸から向こう岸まで続く長大な氷の橋を作ってほしいなんて、無茶を言った自覚がある。海を越えた先には狂暴な人食いドラゴンがいると教えられ続けた兵士たちからすれば、与えられた任務は正に命懸けの気分だっただろう。
そんな仕事を完遂できたのは、この領地で一番信頼が厚い閣下が自ら、誰よりも前に立って兵士たちの陣頭指揮を執ったおかげだ。
「しかし、本当にいいんですか? 貴族の食事って作法とかそう言うのが重要なんですよね? 私、テーブルマナーとか出来ないですよ?」
出来ない……というか、正確には忘れた。
この世界に生まれて、この心が付いたあたりからテーブルマナーに関しては叩き込まれてきたけど、その内容は七年に及ぶ半島生活で使わないものばかりだったし。
「この場は公的な場ではない。私とて、軍事作戦中に食器が確保できない状況下では素手で食事をする時もあるし、何よりも恩人である其方に、そのようなマナーを押し付けるつもりは毛頭ない。気にすることなく、遠慮なく食べてくれ」
「それじゃあ、遠慮なく」
人が作ったものを食べるなんて久しぶりだ。次は何時食べられるか分からないし、今の内に堪能しておこう。
「ん、この海鮮のオイル煮って奴ですか? 美味いですね、コレ」
流石は貴族が用意したものなだけあってか、調理が良いのは当たり前で、肉も野菜も果物もパンも、ポルトガではなかなか手に入らないくらいの品質だというのは口に入れた段階で感じられて美味しかったけど、何より私が気に入ったのは、私自身も食べ慣れている海鮮を使った料理だ。
白身魚、タコ、イカ、エビ、貝、ジャガイモ、ニンニク、鷹の爪をオリーブオイルで煮た具沢山の料理で、海鮮の出汁が出ていてパンを浸してもとても美味しいんだけど、そんな具の出汁に負けないくらい、オリーブオイル自体の風味が鮮烈で、油っこい料理のはずなのに爽やかなのだ。
「これって殿下、ケイリッドで採れたオリーブで作った油ですか? 名産って言ってただけあって、美味しいじゃないですか」
「あ、あぁ……そうだな」
……どうしたんだろう? やけに歯切れの悪い反応だ。
というか、この食堂で私と顔を合わせた時から、ユーステッド殿下はすでに気まずい様子なんだよね……これは、何かあったかな?
「しかし其方の報告書にはなかなか驚かされることも多かったぞ。これまで凶悪狂暴と教えられてきたドラゴンたちが人である其方と共存していたこともそうだが、今回我が領地に現れたハシリワタリカリュウの群れ……彼らがメスを中心とした、非常に社会的な習性を持った種族だったとはな」
セドリック閣下からそう切り出されて、私の意識は知らず知らずの内にそちらの方へ集中する。
ドラゴンの話題を振られたんだから、それも世界の理、致し方ない事って奴だろう。
「今回の一件で、私の方でも色々と分かってきたことも多いんですけど、メスを中心に活動していると推察したのは、オスの個体がメスを守るように群れの外周を囲み、魔石を与えてもメスの元に運ぶ習性があったからですね」
メスの方が強く優位な種族は数多く存在する。女王を中心に巣を構成するアリやハチなんかがその代表だし、オスよりも十倍近い大きさを持つジョロウグモのメスは、産卵のための栄養を得るためにオスを捕食することで有名だ。
ドラゴンの雌雄に関しては、生殖器や体の大きさで判別できるんだけど、今回ハシリワタリカリュウたちの雌雄を確認し、行動を観察した結果、彼らはメスが優位の種族なのではないかという説を立てたという訳である。
「まぁこの説も、今後研究を重ねれば覆されるかもしれませんけど……少なくともハシリワタリカリュウは、群れで生きる種族の中では非常に社会的であるというのは確かだと思います」
「なるほど。それ故に、人間である其方がドラゴンを手懐けることが出来たという訳か。……では訊ねたいことがあるのだが」
食事をしながらそんな話を夢中でしていると、いつの間にか料理が全て食べ終わっていて、閣下は皿が下げられた食卓に両手を組んだ腕を置いて、真剣な面持ちで問いかけてきた。
「ドラゴンを手懐ける……それは我々であっても可能だろうか?」
思わず、私は目を瞠る。話が少し意外な方向に向かって舵を切ったと思ったからだ。
「質問に質問で返すのも何ですけど、答える前に一つ聞きたい。なぜそのような質問を?」
「そうだな……其方に隠し事をしたまま協力を仰いでも、信頼関係を築けないゆえ、全てを語ろう」
そう言ってセドリック閣下が私に話したのは、このウォークライ領……ひいては現在、アルバラン帝国全体を取り巻く話だった。
ウォークライ領は巨竜半島と地続きになり、凶悪な魔物の巣窟であるガドレス樹海と隣接する領地。魔物やドラゴンの生息域を広げるのを抑え、帝国人たちが暮らす土地を守るのが使命であり、その為の軍事力の増強は責務だ。
「しかし、今の我々は魔物だけではなく、内部で巻き起こる政争……我が兄である皇帝陛下が急死したことで激化した、次期皇位継承争いへの対応も迫られている」
今から一年以上も前、色狂いの暗君として有名だったこの国の皇帝が、性病を拗らせまくって死んだらしい。
アルバラン帝国ではここ数世代に渡って政治に興味のない人間ばかりが皇族から生まれていて、結果的に貴族たちによる傀儡政権が続いていたのだとか。
幸か不幸か、その政権による国家運営とやらは上手く機能していて、民間人への生活の影響は出ていないんだけど、その裏では皇帝の死による暗闘が繰り広げられるようになったそうだ。
「次期皇帝の座を巡り、政治を担っていた貴族たちはそれぞれ支持する皇子を次の皇帝として擁立し、次代の権力を盤石にしようと動いている……これが今、アルバラン帝国で起こっている政争だ」
「はぁ……もしかしなくても、ちょっとした内乱中ってことですか。ということは、ユーステッド殿下も次期皇帝に立候補を?」
「……いいや、皇族と言っても私は庶子でな。私では血筋の問題があるので、早々に臣籍降下をしたのだ」
まぁそれもそうか。そういう事情でもなければ、次期辺境伯としてウォークライ領まで来ないだろうし。
「ちなみに、お二人はどの皇子を支持してるんです?」
「国内でも有数の権力と財力を持つ公爵家出身の、正妃殿下を後ろ盾とした第一皇子派だ。彼は数世代越しにようやく生まれた、高貴な血筋を持ち、政治に精力的な皇族でな。その後ろ盾も含め、私もユーステッドも、緩やかに衰退へ向かう帝国を立て直すに足る人物だと判断している」
ふむ。私は会ったことも見たことも、何なら話題や名前すらも聞いたことが無いから……いいや、それ以前に政治そのものに興味が無いから分からないけど、この二人が信頼しているというのなら、その通りの人物だと、ひと先ずはそう推察してもいいんだろう。
「しかし他の次期皇帝候補である皇子たちも、側室から生まれたとはいえ錚々たる後ろ盾を持っている。正妃殿下が生んだ第一皇子だからと言って、無策で皇位に就けるというわけではない。後ろ盾となっている我々が力を付けなければならないのだ」
……あぁ、なるほど。ここまで説明されると、私だって閣下の言わんとしていることを理解できる。
「要するに、ドラゴンの力を軍事転用したいということですね?」
ドラゴンの力を軍に取り込むことが出来れば、魔物や他国からの侵略に対する防衛力が跳ね上がるだけでなく、国内に向けた影響力も計り知れなくなるのは、私にも想像に難くない。
国を外部からの脅威から守り、内部抗争を制するための絶対的な戦力増強……その一挙両得の為に、実は人が手懐けられる可能性があると判明したドラゴンに目を付けるのは、セドリック閣下からすれば当然だろう。
実際、スサノオがクラーケンを一撃で吹き飛ばしたのを見てただろうし、ドラゴンが味方になればと考えるのは実に自然なことだ。
「強大な軍事力は抑止力ともなり、侵略や内乱を抑え、国家の安定を図ることにも繋がる。その為ならば、其方への報酬と研究支援を惜しまない。どうかこの国の未来のために、ドラゴンの研究者である其方の力を貸しては貰えないだろうか」
「いいですよ。可能か不可能かで言えば、まぁ可能でしょうし」
重苦しい雰囲気を発し、貴族の身でありながら私に頭を下げるセドリック閣下に、あっけらかんとした風に答えると、閣下もユーステッド殿下も呆気を取られた表情を浮かべる。
「な、何です……? 二人してそんな鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして」
「うむ……こうも簡単に頷かれたのが、正直意外でな。魔物を駆除する立場故、生物学者とも付き合いがあるが……彼らの中には、何かと道徳問題を重視する者もいる。軍拡の為にドラゴンを利用するなど、反対されるのではないかと思っていたのだ」
あぁ……そういう人がいるって話は、前世でも聞いたことがあるように思う。
動物愛護の精神が行き過ぎた結果、菜食主義を他人に押し付けるようになって、畜産業や漁業の廃止やら、レストランへの営業妨害やら、色んな問題行動を起こす輩が。
生物学者の中にだって、そこまで極端でないにしろ、自然の中で生きる動物に人間の手が及ぶことを、感情的に否定する人だっているだろう。
「初めに言っておきますけど……私は人間が動物を支配することを悪だと断じる気は一切ありません」
世界のあらゆる生物は、別の生物を殺し、食らうことでその命を維持している。この弱肉強食の理は、人間だって逃れられない、自らの身体構造に基づく絶対的な本能によるものだ。
それは、閣下がドラゴンを軍事転用しようとしているのも同じだ。人間だって広義的に見れば自然の一部であり、皆生きるのに必死。自分の生活を守るため、自分の外敵を排除するために、あらゆる手段を講じているのは他の生物も同じであり、人間だけが悪く言われるのは筋が通らない。
「生きるという事は殺し殺され、食って食われるの連続です。この事実を否定し始めれば、私は人間の行いだけでなく、人がこの世界に生まれる前から連綿と続いてきた全ての生物の歴史と、今この瞬間にも捕食を繰り返している生物たちの生命活動まで否定しなくちゃいけなくなる。そんなのやってられないでしょ?」
もちろん、命は尊いものだと思っているし、いたずらに生態系を壊すのは反対だけど、食われる時は食われるという事実は納得しないといけない。
それはドラゴンに対しても同じスタンスだ。確かに私はドラゴンをこよなく愛し、その生態を何よりも熱心に研究している自負があるが、他の生物と比べて特別扱いまでする気はない。
ドラゴンだって、誰が味方になり、誰が敵になったとしても、弱肉強食の理の中で生きるなら、食われたり支配されたりしても、それが自然の摂理だと思う。
「だから私は、曲がりなりにも研究者となった時に誓ったんです。命の在り方そのものに善悪なんて感情論は持ち込まず、真っすぐな眼で命と向き合い、判明した事実と起こりうる可能性だけを淡々と語ろうと」
生物と深く関わるなら、こういう割り切り方が必要になるんだと、私はこの七年で思い知った。そうしないと、生命の神秘を解き明かすことなんてできないと思ったから。
「この国に生きる人間たちも自然の一部である以上、種の存続の為に別の種族を利用しようとするのなら、それを悪とは言いません。求められればあらゆる知識と、人間が干渉することで起こりうる変化の可能性を包み隠さず話しますし、ドラゴンの軍事運用だって、やれるもんならやってみろ……というのが、私の意見です」
私はどちらかと言うと、人間よりもドラゴンを始めとした動物の方が好きだという自覚はある。
しかし、動物の権利だけを主張し、人間だけ死に抗うな……みたいな論調を並べ立てる気は一切ない。命が本当に平等であるのなら、なおの事そう思う。
「もしかして殿下、私がドラゴンのことが好きだからって、ドラゴンの軍事転用を反対すると思ってました? だからさっきから微妙な顔してたんですか?」
「それは……そう思って当然だろう。お前のドラゴンを見つめる目は、何よりも輝いていたのだからな」
……何というか、色んな意味で真面目な人だと思う。
大方、食事会の前にセドリック閣下が切り出そうとしていた内容について聞かされていたんだろう。それでも私の心情と、アルバラン帝国の現状に板挟みになって、なんて話しかければいいのか分からなくなったってところか。
(……本当に融通が利かない人だなぁ、この人)
私の事なんて気にせず、閣下に適当に合わせておけばよかったのに。
まぁそう言うところは、一個人としては嫌いじゃないにしても、何時もお小言が多い殿下がずっとこの調子だと、何か調子狂うな。
……ここは一発、かましたるか。
「それはそうと殿下……私ついついスルーしてたんですけど、ずっと殿下に言いたかったことがあるんです」
「……? 何だ?」
「殿下が私と同い年の十七歳ってマジですか? アラサーとかじゃなくて?」
「はぁああっ!?」
「お、お前! 私の事をそんな風に見ていたのか!?」
「いやだって、何となく年上だと思ったんですよ。目つき悪い上にずーっと眉間に皺寄せててしかめっ面なのが原因なのか、あんまり子供って感じがしないというか……何でしょう? 殿下って、意外と老け顔なんですね」
この時、顔を真っ赤にして目尻を吊り上げ、普段よりも眉間の皺を深くした殿下の方から、ブチリという音が聞こえた気がした。
「貴様にだけは目つきの悪さを指摘されたくないわぁっ! 事が事だけについ気を使ってしまったが、貴様のような風呂にもまともに入らない野生児にもデリカシーがあると思っていた私がバカであったっ!」
「んぁぁあああああっ!? いひゃい、いひゃいでひゅでんひゃああああああああっ!?」
飛び掛かってきた殿下に、私の両頬はグイグイと引っ張られる。
上流階級……それも皇族ともあろう者とは思えない醜態だと思うけど、その様子を見ていたセドリック閣下はどこか温かい微笑みを浮かべて、私たちを見守っていた。
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