嵐の中のデッドレース
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時間の融通が利きやすい私たちと違い、確認役のティア様は忙しい。
流石に実務をこなしているユーステッド殿下ほどじゃないにしても、病気の影響で遅れ気味だった皇女教育とやらを取り戻すべく、日夜勉強を頑張っているだけではなく、ゲオルギウスに乗って隣領へ社交に向かってたりしているのだ。
セドリック閣下曰く、「第一皇子派の事業基盤を形成する為」らしい。
ドラゴンの事業利用と言っても、実際にドラゴンを扱う人間は慎重に見極め、限定的なものになるらしい。
まぁ当然だ。一般人が戦車を扱えないのと一緒で、卸された生体部位からドレスだのナイフだのを作るだけならともかく、強大な力を持つドラゴンそのものを飼育し、実際にその背中に乗って戦う人間には制限を掛けなきゃいけない。
(いつか平和な世の中が訪れたら、国中の人がドラゴンに乗れる時代が来るかもしれないけど……少なくとも、今の時代じゃ無理だろうしね)
政争の真っただ中で、第三皇子派が隣国の兵器まで持ち込んできた今のアルバラン帝国は、決して一枚岩なんかじゃない。
まかり間違っても、政敵の手元にドラゴンを渡すような真似は出来ないのだ。
(ティア様が隣領に向かったのは、中立派の辺境伯家を第一皇子派に引き込むためだ)
当たり前の話だけど、国防の要でもある辺境伯家はウォークライ家一つだけじゃない。巨竜半島がある海に面した東以外は大陸の内部に位置している帝国は色んな国と近接していて、その隣国の軍隊が攻め入ってこないようにする辺境伯というのが何人か存在する。
セドリック閣下は違うけど、国防という立場の関係上、内政にはあんまり関与しない辺境伯というのは多いらしく、そいつらを味方に付ければ第一皇子派の権力はさらに盤石になるって訳だ。
どうもレオンハルト殿下や正妃様は、分裂気味な帝国を一つに纏めようとしているらしい。上手くいけば帝国での生活の安定にもなるし、ぜひ頑張ってほしいところだ。
(……まぁ、今のままじゃ味方に引き込めない辺境伯家とかもいるみたいだけど)
特に北側諸侯……レイディス王国と隣接する、北側の辺境伯家たちにドラゴンは渡せないと、閣下は言っていた。
それも当然かもしれない。なにせつい最近、レイディス王国から第三皇子派の支援を目的とした巨大兵器と大人数の傭兵部隊が入り込んで来たんだ。普通に考えて、北側の辺境伯家が黙って見過ごしたとしか考えられない。
要するに、第三皇子派とズブズブな関係の辺境伯家が北側にいて、レイディス王国の兵器と傭兵がそいつの領地を経路にして侵入してきたって訳である。
(そりゃ北側の辺境伯家に対して慎重になるのも当然だよね)
レイディス王国と隣接する領地の、どこからどこまでが第三皇子派に協力してたかは現在調査中みたい。
なのでその間に、私の故郷であるエルメニア王国と隣接する南側の辺境伯家とズブズブな関係になろうと、第一皇子派は動いている。
巨竜半島からドラゴンの襲撃(実際は手出ししない限りは無用な心配だったけど)に備えつつ、エルメニア王国軍の監視をしていたウォークライ辺境伯家は、代々皇族が受け継いできたという。
時には連携して事に当たっていた縁もあって、南側の諸侯たちと皇族は関係が深いみたい。
(その曖昧な信頼関係を実利でしっかりと結ぶために、ドラゴンの力をチラつかせようって寸法か)
脅す……というよりも、誘惑するって形で。第一皇子派になるんなら、将来的にはドラゴンをお宅の領地で飼育しても良いですよーって感じでね
軍事費捻出のために苦労しているのはどこの領地も同じ。ドラゴンの力で軍事力が上がり、生産業が活発になるって言うんなら、中立派を気取っていた連中も第一皇子派にコロッと鞍替えするだろう。
ティア様はそのアピールの為に、隣領に向かったって訳である。
(おかげで次のサファリツアーまでの間に、少し時間が出来た)
本来なら野外調査に……と思ったんだけど、今日は生憎の台風。助手であるクラウディアが風邪を引くのは良くないので、今日のところは資料室で管理されている、私が七年間書き溜めてきたドラゴンの研究資料で自主勉強してもらっている。
気質は違えど私とは同好の士なだけあってか、資料の内容には相当興味があるみたい。すごく楽しそうに資料を読み込んでいた。
「そんな助手が真面目に頑張ってる内に、私はフィールドワークと洒落込もうかな」
クラウディアについては風邪を引かないように配慮したけど、私自身は台風なんて気にしない。雪が降ろうが雷が降ろうが、私の研究意欲が削がれることは無いのである。
「というわけで早速巨竜半島にレッツゴー!」
そう言って、雨合羽を着た私が辺境伯邸のドアを開け放ち、一歩外へ足を踏み出した……その瞬間。
「わー」
私の体は強風にさらわれ、真横に向かって吹き飛んでしまった。
これもう台風って言うか嵐だ。遠くでは看板らしきものが空を舞っているし、体重が軽い私も宙に浮かぶほどである。
(こりゃ、このまま地面に投げ出されるな)
せめて受け身を取れるようにしよう……そんなことを考えながら空中で体勢を整えていると、誰かが私の体を抱き留めた。
「わー、ではないわっ! こんな嵐の中で何をしているのだお前は!?」
「あ、殿下」
その正体は、私と同様に雨合羽を着たユーステッド殿下だった。
飛ばされた私を見てダッシュで近付いてきたんだろう。これまた私と同様にフードが外れて、焦りと安堵と怒りが入り混じったような顔が目の前にあった。
「何してるはこっちのセリフですよ。殿下こそ、こんな嵐の中で何してるんですか?」
「強風で厩舎が壊れたりしていないかを見て回っていたのだ。結果は私の杞憂だったがな」
「あ、それは助かりました。ありがとうございます、殿下」
私も出かけるついでに厩舎の状態を確認しておこうと思ってたし、丁度良かった。
前世みたいなしっかりとしたコンクリとか鉄とかで出来た建物って無いしなぁ、この世界。台風で建物が壊れるのってそれほど珍しくない。
「とにかく、この強風の中で外に出るのは危険だ。今日のところは屋敷の中で大人しくしておくがいい」
「え? 嫌です」
「…………おい」
私は全力で殿下から体を離し、ジリジリと靴裏で地面を擦るようにしながら距離を取り始めると、殿下は思いっきり顔を引き攣らせ、地を這うような低い声を漏らした。
しかし、そんな威嚇に動じる私じゃあない。強い雨と風の中、ユーステッド殿下としばらく睨み合った後、私は体を反転させ、全力でダッシュする。
「待たんかこの馬鹿者ぉおおっ! 台風の中で出歩く奴があるかぁああああっ!」
「それはこっちのセリフですよっ! ユーステッド殿下こそ、屋敷の中にいた方がいいんじゃないんですか!?」
必然、全力で私を追いかけてくる殿下。
最早嵐の中でも変わらない日常風景と化した、何時もの追いかけっこの始まりである。
「風で飛ばされてた奴に言われる筋合いなどないわっ! いいから戻って来いっ! 体を冷やしたら風邪を引いてしまうぞ!」
「ヤですヤです! 私なら風邪引かないから大丈夫っ! だってここ数年一回も風邪引いたこと無いし!」
「何だその根拠のない自信は!? どうして貴様は自分の事となると適当になるのだ!? そういう油断が命取りなのだとなぜ分からんっ!? こうなったら、貴様を風呂に入れてハチミツとショウガを混ぜた熱い飲み物を飲ませた後、布団でしっかりと睡眠をとらせてくれるわぁっ!」
「いぃいいいやぁああああああっ!? 体温を上げた良質な睡眠で貴重な研究時間を削りたくないぃいいいいいいっ!」
殿下こそなぜ分からないのだろう? 私が嵐の中でもフィールドワークに出かけるのには正当な理由があるというのに!
「お願い殿下っ! 嵐や雨の中だからこそ見られるドラゴンの生態っていうのがあるんですよ! そのチャンスをみすみす逃すなんて研究者の恥です! それにほら、殿下だって忙しいんじゃないんですか!? 事務仕事とか色々っ!」
「何ら問題ないっ! 次期辺境伯たる者、まさに今のような非常事態に備えて日々の業務は常に余裕を持てるようにしておくもの! この先一週間分の業務は、すでに終えておるわぁっ!」
「何それ立派すぎません!?」
この人の仕事量、軍事訓練とかを抜いてもかなりあるはずだよね? それを一週間分前倒しで終わらせてるとか、領主って皆こんなんなの?
「えぇいっ! このまま捕まってたまるかっ!」
お互いに身体強化魔法まで使って追いかけっこをし続け、厩舎の中まで逃げ込んだ私は騎装具も付けずにシグルドの背中に乗り、そのまま厩舎の入り口までやってきたユーステッド殿下を飛び退かせながら、嵐の中を悠々と駆け出した。
「おまっ!? そこまでするか!?」
「はーははははははっ! さようなら殿下! 晩御飯までには戻ってきまーすっ!」
基本的に、私以外の人間がドラゴンに騎装具無しで乗るのは自殺行為である。今から騎装具をヘキソウウモウリュウに装着して追いかけている内に、嵐をものともしないドラゴンの背中に乗って一気に距離を離してしまおうって魂胆――――。
「逃がさんぞアメリアぁっ!」
「な、何ぃいいいいいいいいいっ!?」
そう思っていたのに、何とユーステッド殿下も騎装具無しでヘキソウウモウリュウの背中に乗り、そのままシグルドと同じくらいのスピードで追いかけてきた。
あの人、何時の間に裸馬……もとい、裸竜を乗り回せるようになったんだ。前に乗せた時は、背中から落ちないようにしがみ付くので精一杯だったのに、今では上体を上げて視線を私から外さないようにしながら、ヘキソウウモウリュウに思念波で指示を送りながら追いかけてきている。
「観念しろアメリア! 今すぐに捕まえて普段からまるで足りていない睡眠時間のせいで浮き上がったその隈を、この嵐を機に取り払ってくれるっ!」
「そんなこと……させるもんかぁあああああああああああああっ!」
そこからは、白熱のデッドヒートレースだった。
吹き荒ぶ嵐の中、ウォークライ領に平原からガドレス樹海に突入し、そのまま巨竜半島の荒野地帯を抜けて森林地帯を駆け抜ける私たち二人と二頭。
殆ど脚力に差がない二頭のヘキソウウモウリュウに乗っての競争だっただけに、最初の方こそ距離が縮まなかったんだけど……ユーステッド殿下は騎乗技術も巧みだった。
どの方角に向かって、どの様に走れば相手との距離を詰められるのか……それを的確に指示することで、少しずつ私と距離を縮めていき――――。
「捉えたぞっ! うぉおおおおおおおおっ!」
「うげっ!? ちょ、まっ……!?」
ついには私たちと並走し始めると、殿下は自分が乗ってきていたドラゴンの背中を足場にしてジャンプ。隣を走っていた私の体をダイビングキャッチして、そのまま自分の体ごと、私をシグルドから引きずり落とした。
痛みは……特に無い。どうやら殿下は私を両腕で捕まえることで、自分諸共ドラゴンの背中から地面に落下しつつも、私に怪我をさせないように庇ったらしい。
「……まったく、殿下も無茶するようになりましたね」
「無茶ばかりするお前の相手をするのに、こちらばかりリスクを避けられんからな……とにかく、ようやく捕まえたぞアメリア」
「えぇ、降参です。本当に速くなりましたね、殿下」
仰向けの状態になった私は、覆い被さっている殿下を見上げながら素直に負けを認める。
確かに、私は捕まってしまった。ここまで距離を詰められては、逃げるのはちょっと無理っぽい。
「とりあえず退いてくれません? 流石に重い」
「っ!? す、すまない……っ!」
今になってようやく自分が私の体に覆い被さっていることを知ったのか、ユーステッド殿下は顔を赤くしながら飛び退く。
……いや、そんな恥ずかしそうな反応されたら、何かこっちまで恥ずかしくなってくるんだけど。あんまり過剰に反応しないでほしい。
「と、とにかくっ。今日のところは諦めろ、アメリア。嵐の中でフィールドワークは流石に無理が……」
無理がある……そう言いかけた殿下は、ふとある事に気が付いて絶句した。
その視線の先には、嵐特有の曇天ではなく、眩い太陽の光が差し込む蒼天が映り込んでいた。
「馬鹿な……すぐ傍では雨が降り続けているんだぞ? なぜこの場所だけが晴れている?」
ユーステッド殿下の疑問は尤もだと思う。
別に嵐が消え去ったわけではない。私たちの目と鼻の先では大雨が降り注ぎ、暴風が木々を揺らすという台風特有の光景が広がっているけど、そんな私たちが立っている場所は風こそ強いものの雨は降らず、陽の光すら差し込んでいるのだから。
「ここまで追いかけてきておいてなんですけど、折角です。どうせなら雨宿りがてらに、私のフィールドワークに付き合いませんか?」
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