風呂を巡る戦い、そして命の誕生
「おー、よしよしよし。今日も鱗の艶は好調みたいだねー」
ハシリワタリカリュウが卵を産み落としてから十日後。調査開始から自分のテントを毎日少しずつ、少しずつ群れへと近付けていた私は今、餌を手ずから与えたハシリワタリカリュウの顔を両手で挟んで、鱗に覆われているのに意外とフニフニしている頬を撫で回していた。
毎日餌となる火属性の魔石を与え、傍で見守り続けた結果、彼らは私のことを無害であるどころか、利益を与えてくれる存在として認識したのである。
(大抵の動物でも、同じようなことを続ければ人間に懐くけど……流石はドラゴン。懐くのが早い)
動物が特定の個人を味方……というか、自身の生命活動を助けてくれる存在として認識するには、それなりに長い時間が必要だ。
人に懐く代表的な犬や猫でも、店ではなく野良から飼い始めれば、人に慣れるのに数か月かかるケースもある。そこに関しては、個体ごとの経験や飼い主の接し方で変わってくるから一概には言えないけど、それでも私がこうやって触れ合えるまでに掛った時間は、初めて顔を合わせた時から数えて約四日。
野生生物の中では、異例の早さと言っても良いだろう。
(しかも卵の孵化を待ち、警戒心が強まる時期に……こういうところが、ドラゴンの知能の高さと、それに基づく理解力の高さを表してるよね)
別種族の感情を読む力も相まってのことだ。こんな厳つい外見で、人間からは恐れられているけど、こうして接して見ると案外接しやすい生き物なのである。
と言っても、頭が良いからこそ自分がやられたことは忘れないし、接し方を間違えれば、人間には絶対懐かない個体とかもいそうだけど……。
「ほーら、ここか? ここがええのんかー?」
少なくとも、このハシリワタリカリュウはそうではないらしい。
こうやって顎の下の優しく撫でると、気持ちよさそうに目を細めて、されるがままになっていて、その背中には、ジークが寝そべって日光浴をしながら眠っていた。
正直、反則級だと思う。普段は体大きくて力強く、そして何よりも雄々しくてカッコいいのに、こういうちょっとした仕草がやけに可愛いなんて……これが世に言うギャップ萌えって奴か。
「アメリア」
そんな風にドラゴンと触れ合っていると、遠くから声が聞こえてきた。
振り返って見ると、馬に乗ってきたユーステッド殿下が、ドラゴンたちを刺激しない離れた距離で下馬をしていた。
「叔父上に報告するための資料を取りに来た。それから、補充が必要な物資があれば、それも報告してくれ」
「はいはーい、ちょっと待っててくださいねー」
思いっきり後ろ髪を引かれる、名残惜しい気持ちになりながらも、私はテントの中から書き溜めた資料を引っ張り出し、殿下に手渡す。
その内容を目で追い、真剣な表情を浮かべていた殿下は、満足そうに頷いた。
「ふむ……今日も随分と事細かに書いてあるな」
私がこの平原でハシリワタリカリュウの群れを観察し始めてからというもの、毎日のようにレポートを書いている。殿下はそれを定期的に取りに行って、セドリック閣下に提出しているらしいんだけど……。
「バケツに入れた水を飲んだ回数から、個体ごとにおける行動や移動距離まで……毎度のことではあるが、以前資料を取りに来てからたったの三日で、よくここまで書けるな」
「それだけドラゴンには、書きたいことが沢山あるんですって」
殿下に手渡した三日分の資料は、ちょっとした辞典のような分厚さにまで達していた。
正直な話、今回の調査は普段よりも筆が乗っている。殿下や兵士の人がサポートに来てくれて、色んな雑事をこなしてくれるから、その分ね。
「とは言っても、そっちからすれば書き過ぎて読むのが大変とか?」
「いや、そちらに関しては問題ない。資料整理班が報告すべき要点を纏めてくれているし、レポートの内容が細かくなる分には問題ない。むしろこれだけ細かいのに、素人目でも分かりやすい内容になっていて、我々も感心させられている」
おぉう……なんか、そう褒められるとちょっと気恥ずかしいな。
レポートの書き方に関しても私は独学で、自分流に好き勝手に書きまくってただけなんだけど……。
「恐らく、スケッチ図付きの文章なので、頭に入りやすいのだろう。しかも妙に上手く、ドラゴンの特徴をしっかり捉えている……まさかお前に絵心があるとはな」
「あー……まぁ、絵は少し得意な方ですよ、はい」
……実を言うと、私が絵を描くのが得意なのは、今世ではなく前世から受け継いだところが大きい。
前世で私が入院していた小児科病棟の共有スペースには、図鑑などの本だけでなく、暇潰しに絵を描くための紙とペンが常備されていた。私はそこで動物の絵を描きまくってたりしていて、絵を描く時のコツというか……そう言うのを生まれ変わっていても覚えていたのである。
「こういう事細かく、配慮に行き届いたところを、資料作成だけでなく、生活にも活用できれば、言う事はないのだがな……」
そう深々と溜息を吐いた殿下は、残念そうなものを見るかのような眼で私の顔や頭に視線を送ってくる。
ちなみに私、今日も朝起きてすぐにハシリワタリカリュウの元に飛びついたから、起床した瞬間と同じ姿のまま……分かりやすく言うと、髪の毛は寝癖でグチャグチャで、顔もまだ洗っていない。
「いくら野外活動中とはいえ、今はもう昼だぞ……!? せめて顔を洗うくらいのことは……と言うか貴様、目の下の隈が日に日に酷くなっていないか!?」
「いやぁ……産卵や孵化の決定的瞬間を見逃したくないって気持ちと、誕生の一部始終をこの目で見られるのかって興奮で、何時もに増して眠りが浅くて……ここ三日くらい、寝た記憶が無いです」
「いい加減に死ぬぞ貴様!?」
三日三晩の徹夜くらい、慣れてるから大丈夫……そんな私の言い分なんて通用し無さそうな気迫が、殿下から発せられ始める。下手なことは口に出来ねぇ……そんなオーラだ。
「しかも日を追うごとに薄汚くなっていくし……今まで大目に見てきたが、もう我慢できん! これ以上は衛生的にも健康的にも危険だ! 今日という今日は、風呂に叩き込んでベッドに括り付けてくれる!」
「絶ぇぇぇぇぇっ対嫌です! 言ったでしょう!? 私は子供が生まれてくるまでこの場所から離れないって! 私は何が何でも、この場所から離れたりしませんからね……って、あぁ!? ちょ、何引っ張って行こうとしてるんですか!? 止めてくださいよ! このヘンターイ! セクハラー! 痴漢冤罪で訴えてやるぅうううううっ!」
「人聞きの悪いことを大声で叫ぶな馬鹿者がぁああっ!」
私は風呂は好きな方だけど、それでも風呂より優先しなくてはいけない使命があるのだ。
そんなこんなで、風呂に入って寝ることに抵抗する私と、私を無理矢理風呂に入れようとする殿下が大暴れしていると、草原の草を踏みしめるような音が近付いてきた。
「あの、殿下……お取込み中のところ失礼します」
色んな意味で醜態を晒す私たちの前に現れたのは、群れの監視役として、時には私の着替えを用意したり、清拭の時にはバケツと布を用意してバリケードまで作ってくれたりした、女兵士の人だった。その腕には何やら資料と思しき紙束が抱えられている。
「こちら、ケイリッドの収穫量を纏めた資料となります。群れの監視に戻る途中、執政官の方が殿下に渡すようにと頼まれまして」
「う、うむっ。ご苦労であった」
すると殿下は慌てて私の服から手を離し、顔を赤くしたり青くしたりしながらも、何とか姿勢を正す。
正直、今更取り繕っても完全に手遅れ感が否めないんだけど……それを私も女兵士さんもツッコまず、 殿下は資料を受け取る。
……その瞬間、殿下が女兵士さんから僅かに後退って距離を取ったのが、少しだけ気になった。
「……はぁ~」
「お疲れですか? 大変そうですね、次期辺境伯って言うのも」
「多忙であるというのは否定しない……この疲れに関しては、殆ど貴様のせいだが」
む、これはいけない。またしても私を風呂に入れようとしてきそうな気配だ。何とか話題をすり替えなくては。
「そう言えば殿下、ケイリッドって言うのは?」
「ふむ……私は今、叔父上からウォークライ領の統治を部分的に任せられている。無論、未だ勉強中の身なので執政官たちの手伝いをしながら学んでいるというのが現状だが……ケイリッドは、私が初めて領地運営に関わった農村の名前だ」
そう言って、殿下はある方角に向かって指をさす。私はそちらの方に向かって、首から下げていた紐付きの双眼鏡を覗き込むと、そこには小さな林に囲まれ、木造の家屋と共に、やけに背の低い木が無数に並んでいる、見るからに長閑そうな村があった。
「気候や地質の関係で、国内ではあの場所でしか生えない、非常に質が良いと評されるオリーブの産地でな。ガドレス樹海と隣接し、地産地消が主のウォークライ領では、貴重な輸出事業の一つを担っている」
村について語る殿下の口調は、聞いたことがないくらいに穏やかなだ。
「最初、叔父上から未来の辺境伯として、領民に向けて顔と働きの周知をするようにと言われて領地運営に関わり出した当初は、少なからず問題や衝突が起こったものだが、この過酷な地にあっても逞しく生き、大陸に名だたるオリーブオイルを生み出す村民たちは、未だ十七歳の未熟者に過ぎない私を受け入れ、応援してくれるようにまでなってな……私がこのウォークライ領で、誇りを持って働いていけると思わせてくれた、その切っ掛けとなった村なのだ」
ふと、隣に立つユーステッド殿下の顔に視線を向けて見ると、殿下はどことなく誇らし気な表情を浮かべていた。
……私は人の営みよりもドラゴンの生態に惹かれ、巨竜半島にまで住み着いたような人間だ……けれど、そんな私にでも、あのケイリッドの村が殿下にとって、とても大切な場所だという事がわかった。
いいや、きっと殿下にとってはこの領地の全てが大切なんだろう。大変だと言いながらも、次期辺境伯として励むその表情は、充実しているように見える。
「……それはそうと、貴様いい加減に風呂に入って寝てもらうぞ。話をすり替えようとしても無駄だからな」
チィッ! 有耶無耶にしようとしたのに気付かれたかっ!
「それなんですけど、勘弁してもらえませんか? 後もうちょっとで、卵が孵りそうなんですよ」
爬虫類みたいな見た目のドラゴンだけど、実は自力で体温を維持する恒温動物で、卵は親竜に温められて孵る。
そんな母竜に温められている卵が三つとも、数日前から時折動いているのだ。その頻度は時間が経つにつれて短くなってきて、おかげで私は先ほどから卵に意識が半分持っていかれている。
「そうは言うが、卵がどれだけの時間で孵化するのかは分からないのだろう?」
「えぇ、まぁ」
鶏だったら、産卵から約二十一日ほどで孵化するが、ドラゴンだと種族によって孵化に掛る時間は大きく異なる。
たった数日で孵化することもあれば、半年近く親竜に温められてようやく孵化する種もいるのだ。
「でも私の経験的に、ここまで卵が動き始めたという事は、中のドラゴンが肉体を構築し終え、意識が宿った証でもあります。こうなったら、後はもう早いですよ」
現に、透視魔法で卵の中身を透かして見ると、そこには鱗や爪、角までしっかり生やしたドラゴンが、殻を破ろうとしているのが分かった。
それが分かると、ユーステッド殿下も何も言わなくなり、私はゆっくりと地面に寝そべる母竜の元に近寄る。
それからどのくらいの時が流れただろうか……恐らく数分ほどが経った頃、卵に変化が訪れた。
「卵が三つとも、割れ始めました……っ!」
「な……!? ど、どうする!? 何か用意した方が良いか!?」
「大丈夫、ドラゴンたちを刺激しないよう、深呼吸をして気持ちを落ち着かせながら待っていてください」
そう慌てふためきそうになった殿下を宥めながら、私は静かに待ち続ける。
こんな時に、紙にペンを走らせるのは余計だと思ったのだ。今から目の前で起こる事象を、チリ一つ見逃さずにこの目で記憶する……それこそが、ドラゴンの研究者として私のすべきことだと。
「お、おぉ……おぉぉ……!」
そうこうしている内に、卵のひび割れはどんどん大きくなり、中から口や後肢の爪が飛び出し始める。
今まさに、命がこの世界に生まれ出ようとしている。そんな何事にも代えがたい、生命という存在が紡ぎ出す奇跡の瞬間に感動すら覚えながら、ただ黙ってひたすら待ち続け……。
「……あぁ……!」
卵は三つとも、無事に孵ることが出来た。
成体よりもずっと小さい、骨格の関係上、ジークよりも少し体高がある程度の赤ちゃん竜たち……その内の一体が、ヨタヨタと頼りない足取りで何とか立ち上がると、か細く小さい、それでいて甲高く力強い鳴き声を上げながら、まるで祝砲のようにボウッと小さな炎を口から吐くのだった。
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