表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ギャンブル狂いの旦那様とは離婚しましたので、今さら泣きつかれても困ります~契約魔術で真実を暴いてざまぁして、私は最高の幸せを掴む~

作者: 猫又ノ猫助

 私はごく普通の平民の娘だった。口減らしのために物心つく前から働き詰めの日々で、王都の小さな商家の手伝いをしながら、毎日を必死に生きていた。ただ、他の子たちと少し違ったのは、本を読むことが好きで、独学で様々な知識を吸収することに長けていたことだろう。数字に強く、法律や慣習にも明るかったため、店の帳簿付けや、時には関係のない揉め事の仲裁まで押し付けられることもあった。そんなある日、思いもよらない話が舞い込んできた。子爵であるディラン家の四男、ディラン様との結婚の話だという。


 初めてディラン様にお会いしたのは、ディラン家の屋敷の応接室だった。緊張で手汗が止まらない私を前に、彼はにこやかに微笑んだ。


「ようこそ、セリナさん。お会いできて光栄です。まさか、これほど聡明で美しい方が、私の妻になってくださるとは」


 彼の言葉は、貴族らしい丁寧なものだったけれど、その響きは驚くほどに優しかった。漆黒の髪に深い青の瞳は、まるで夜空のようだと噂に聞いていたが、間近で見ると吸い込まれるような魅力があった。彼は私のために椅子を引いてくれたり、緊張を解そうと穏やかに話しかけてくれたりした。


「どうぞ、お掛けください。今日はこうしてお会いできて、本当に嬉しいです」


 私は恐縮しながらも、ディラン差し出された椅子に腰かけた。


「いえ、とんでもございません。このような立派な屋敷に足を踏み入れること自体、恐れ多いことです」


 すると、ディラン様はくすりと笑った。


「そう堅苦しくなさらないでください、セリナさん。これからは夫婦になるのですから、どうぞ気兼ねなく。あなたの持つ知識と、その聡明さに、私は心惹かれました。これから二人で、素晴らしい家庭を築いていけることを、心から願っています」


 彼の言葉一つ一つが、私の心を温めていく。彼は私のどんな質問にも嫌な顔一つせず、穏やかに答えてくれた。この国の一夫一妻制度について、貴族の暮らしについて、領地の様子について、そして彼の趣味について。話せば話すほど、彼の爽やかで誠実な人柄が伝わってくるようだった。彼の周りだけ、いつも花が咲いているような、そんな錯覚さえ覚えるほどだった。


「これでようやく幸せになれる」。下積みの人生に、ようやく終わりが来たと安堵した。彼はまさに、絵本の中から飛び出してきたような理想の王子様に見えた。私はこの結婚で、ようやく本当の幸せを掴めるのだと、期待に胸を膨らませていた。そう、この時の私は、彼の完璧な笑顔の裏に隠された、とんでもない地獄を知る由もなかったのだ。


 ◆


 結婚して数ヶ月、ディラン様との新婚生活は穏やかに過ぎていった。しかし、その甘い日々は、ある発見によって終わりを告げた。ある日の午後、掃除のためにディラン様の書斎に入った時、机の上に無造作に置かれた紙切れを見つけたのだ。それは、見慣れない文字と数字が羅列された、借金証文だった。それも一枚だけではない。他にも何枚もの証文が存在していた。


 血の気が引くのを感じながら、私はその証文を手にディラン様の帰りを待った。夜遅く帰宅した彼に、震える声で尋ねた。


「あの、ディラン様……これは、一体どういうことなのでしょうか?」


 証文を差し出すと、彼の顔から一瞬にして笑顔が消え去った。そして、次の瞬間には、私の見たことのないような怒りの形相で捲し立て始めた。


「貴様、勝手に俺の書斎を漁ったのか!とんでもない女だな!それはお前には関係ないものだ!だいたい、お前のような平民の分際で、俺のすることに口を出すとは何様のつもりだ!」


 彼の怒鳴り声が屋敷に響き渡る。その日から、ディラン様の態度はまるで別人のように豹変した。


 ある日はテーブルに並べたばかりの料理を、突然目の前でひっくり返された。皿の破片が飛び散り、温かいシチューが床に広がる。結婚前には決して見せることのなかった、冷酷な眼差しが私を射抜いていた。


 後でわかった事だが、彼はギャンブルにのめり込んでいたのだ。最初は小さな賭け事から始まり、それがいつの間にか巨額の借金へと膨れ上がっていた。私が長年必死に働き、コツコツと貯めてきた大切な持参金は、あっという間に底を突き、屋敷の金目の物も次々に消えていき、ディラン様のご実家からも愛想を尽かされている様子だった。


「まだ金が用意できないのか!?お前は本当に役立たずだな!優秀だと言うから汚れた血を我慢して結婚してやったのに、これっぽっちも稼げないとはな!」


 言葉の暴力は日常となり、彼の怒鳴り声が屋敷に響き渡る日々だった。私が少しでも言い返そうものなら、彼はさらに怒りを募らせた。


「この家の財産を食いつぶしたのはお前だろ!お前がもっと金持ちだったら、こんなことにはならなかったんだ!ああ、そうだ。お前が体を売ってでも稼いでくれば、こんな苦労しなくて済むんだ!なんなら俺から娼館に紹介してやろうか?」


 彼の暴言はエスカレートするばかりだった。そして、借金の返済に困窮すると、彼は屋敷にほとんど帰ってこなくなり、夜な夜な王都の歓楽街にある水商売の店へ通い詰めるようになった。彼が帰宅した時に服から漂う甘ったるい香水の匂いが、私をさらに絶望させた。


 それでも私は耐えた。いつか元の優しいディラン様に戻ってくれるのではないか、と淡い期待を抱き続けていた。しかし、ある夜、酔って帰ってきたディラン様は、私の胸倉を掴み上げた。


「お前なんかいなければよかったんだ!この疫病神め!」


 その手が、私の頬を叩いた、まさにその瞬間だった。私の心の中で、何かが音を立てて砕け散った。もう、これ以上耐える必要はない。この地獄から、私自身の手で抜け出さなければならないのだと、私は決意した。


 ◆


 ディラン様に胸倉を掴まれ、その手が振り上げられたあの瞬間、私の心は完全に冷え切った。同時に、不思議な感覚が全身を駆け巡った。それは、まるで視界が一変したような、世界が言葉で構成されているように見えるような、今まで感じたことのない異様な感覚だった。


 私は水面下で離婚の準備を進め始めた。夫がギャンブルと浮気に明け暮れている間に、私は密かに証拠を集め、弁護士と連絡を取り合っていた。ディラン様がいつも隠していた借金証文。あれらの文字が、まるで私の脳裏に直接語りかけてくるような気がして、これが世にいう魔術の片鱗だろうことは理解ができた。


 しかし、魔術について学んだことのない私は、その現象が一体何なのか、どうすれば活用できるのか、全く見当もつかなかった。文献を探しても見つからず、途方に暮れる日々が続いた。


 そんなある日、貴族の妻と言う身分を使い調べ物をしていた図書館で、偶然にも魔導騎士団の団長・レオナルド様と知り合う機会があった。彼は不正や曲がったことを何よりも嫌う、誠実な人物だと評判だった。恐れ多くも思い切って、私の身に起こっている不思議な現象、言葉が光って語りかけてくることについて相談してみた。私の話を真剣に聞いたレオナルド様は、驚きながらも言った。


「それは、まさしく『契約魔術』の適性です。非常に稀な能力で、本来は高度な修行と知識が必要とされます。しかし、あなたは天性の才能をお持ちのようだ」


 彼は私の能力に目をつけ、その力を正しく使うための手助けをしてくれた。私の身の上を理解して下さったレオナルド様は、ディラン様には気づかれないよう秘密裏に私の師となって下さり、契約魔術の基礎から応用までを指導してくれたのだ。


 借金証文を読めば、そこに書かれた金額だけでなく、それがどのような経緯で作られたのか、誰が本当の貸主なのか、さらにはディラン様が私に隠している財産までが、鮮明に「見ることができた」。


 一方で知りたくもなかった水商売の女性と交わしたという甘い言葉の数々も魔術は暴き立てた。レオナルド様は、私が集めた証拠が法廷でいかに有効かを指南し、時には証言の裏付けとなる情報収集にも協力してくださった。彼の揺るぎない正義感と、私への信頼が、私の背中を押してくれた。


 私は集めた確たる証拠を手に、ディラン様を法廷に引きずり出した。裁判は王都でも注目の的となった。平民出身の私が、貴族の夫を訴えるという異例の事態に、傍聴席は人で溢れかえった。


 ディラン様は、いつものように爽やかな笑顔を作り、私が嘘をついていると主張した。


「妻は心労で錯乱しているのです。お騒がせして申し訳ありません。借金も微々たる金額出して、すぐに返済出来る見込みです」


 しかし、私は彼の言葉を遮るように、集めた証拠を突きつけた。


「ディラン様、あなたはご自身の借金の額すら把握できていらっしゃらないようですね。これは、あなたが水商売の女性に支払い、あまつさえ個人的な関係を持った末に渡した、高額な宝石の領収書です。そしてこれは、あなたがそれを返済しようとしてギャンブルで背負った借金の数々です。私には、ここに書かれた経緯も全て見えています」


 魔術で偽りを暴かれたディラン様は、顔を真っ青にして狼狽し、今まで見たこともないような醜い形相を晒した。彼の弁護士も、次々と提示される証拠に言葉を失った。私の契約魔術は、真実を炙り出し、ディラン様の欺瞞を次々に暴き立てた。法廷は騒然となり、傍聴席からは驚きの声が上がった。


 結果は明白だった。ディラン様は、ギャンブルによる巨額の負債と、浮気の事実を全て認めざるを得なくなった。貴族の身分は剥奪され、家から追放されるという、彼にとって最も屈辱的な判決が下された。


「お前なんかが、この俺を…!」


 最後に彼が叫んだ言葉は、私にはもはや響かなかった。清々しいほどの解放感だけが、私の心を包み込んでいた。


 ◆


 離婚後、私はディラン様の屋敷を後にし、新たな生活を始めた。私の中には不思議なほどの充実感と、未来への希望が満ち溢れていた。裁判で公になった私の契約魔術の能力と、それに裏打ちされた知識は、思いがけない形で私の道を切り開いてくれた。


 私はこれまでの経験と、レオナルド様との出会いを通じて磨かれた魔術の知識を活かし、王都で自身の商会を立ち上げた。 最初のうちは小さな規模だったが、契約魔術を使って不正を見破り、公正な取引を行うという私の経営方針は、瞬く間に評判を呼んだ。信頼と実績を積み重ねるうちに、商会は順調に成長し、私はあっという間に王都でも名の知れた商会長となっていた。


 そんな私の活動を、温かく見守ってくれていたのが、魔導騎士団の団長・レオナルド様だった。彼は公務の合間を縫って、時折私の商会を訪れ、他愛もない会話を交わしたり、困っていることがあれば惜しみなく助言をくれたりした。彼との時間は、私にとって何よりも安らぎを与えてくれるものだった。


 ある日、商会の大きな契約が無事に終わった夜、レオナルド様が私の屋敷を訪れた。窓から月の光が差し込む静かな部屋で、彼は真剣な眼差しで私を見つめた。


「セリナさん。貴女が、どれほどの苦難を乗り越えてきたか、私は知っています。貴女の強さと、その真っ直ぐな心に、私は惹かれました。そして、貴女が自分の力で掴み取ったこの成功を、心から尊敬しています」


 私の過去をすべて受け止めた上で、彼はゆっくりと、しかし確かな言葉でプロポーズしてくれた。


「どうか、私と結婚していただきたい。これからも、貴女の隣で、共に歩んでいきたいのです」


 彼の言葉は、ディラン様の言葉とは全く違う、真実の重みを持っていた。私を道具としてではなく、一人の人間として見てくれる彼の存在が、何よりも嬉しかった。私は迷うことなく、彼のプロポーズを受け入れた。彼の誠実さと、揺るぎない愛情が、私の心を深く満たしていくのを感じた。


 ◆


 レオナルド様との結婚を控え、私の人生は順風満帆だった。商会はますます発展し、信頼できる部下たちに囲まれて仕事は充実していた。レオナルド様との関係も、日を追うごとに深まり、私は心から満たされていた。


 そんなある日、商会の門前に、見覚えのある、しかし変わり果てた男が立っていた。みすぼらしい衣服を身につけ、顔は痩せこけ、目の下の隈が痛々しい。その男が、かつて私の夫だったディランだと認識するまで、少し時間がかかった。彼は貴族の身分を剥奪され、家を追放されてから、さらに転落の一途を辿っていたのだろう。ギャンブル癖は治らず、残っていた僅かな財産も食いつぶし、水商売の女性たちにも見放され、もはや廃人同然の有様だった。


 彼は私を見つけるなり、地面に膝を突き、両手をついて泣きつき始めた。


「セリナ……!お願いだ、助けてくれ!あの頃の俺はどうかしていたんだ!本当に、本当に悪かった!お前がどれだけ辛い思いをしたか、今ならよくわかる…!だから、もう一度、俺とやり直してくれないか?君なしでは、俺はもう生きていけないんだ!」


 彼の声は震え、目からは涙が溢れ出ていた。かつて私に吐きかけた暴言の数々が、まるで嘘のように弱々しい。しかし、私の心には、何の感情も湧き上がらなかった。彼への怒りも、憐れみも、もはや微塵も残っていなかった。ただ、目の前にある惨めな光景を、他人事のように眺めていた。


 私は冷たい笑みを浮かべ、彼を真っ直ぐに見下ろした。


「ディラン様。あなたのその言葉に、何の真実も魔力も感じません。あなたは今、私を必要としているから、そう言っているだけでしょう?残念ですが、もう二度と、あなたの顔を見るのも嫌です。あなたと関わる必要など、もうありません」


 私はそう言い放つと、彼を追い返すよう部下に指示した。地面に伏し、まだ何かを叫んでいるディランの声は、私の耳には届かなかった。


 その数日後、私はレオナルド様との結婚式を挙げた。ディランのことなど、私の記憶から消え去ったかのように、純粋な喜びと幸福に満ちた一日だった。


 ◆


 レオナルド様との結婚は、私にとって人生で最も輝かしい転機となった。魔導騎士団の団長の妻として、私は社交界の場にも顔を出すようになったが、そこで私を待っていたのは、過去の境遇を揶揄する声などではなかった。むしろ、私が自らの力で商会を成功させたこと、そして何より、ディラン様との不毛な結婚生活を乗り越えた強さに、多くの人々が敬意を払ってくれた。私の商会はますます栄え、人々の生活を豊かにする新たな事業にも挑戦するようになった。


 レオナルド様は、私が何をしようとも、常に私の隣にいてくれた。私が商会の仕事に没頭する日もあれば、彼と共に慈善活動に参加する日もあった。彼は私の意見を尊重し、決して私を束縛することはなかった。彼との間には、言葉にはできないほどの深い信頼と愛情が育まれていった。彼の腕の中にいると、私は心から安らぎを感じることができた。あのディラン様との地獄のような日々が、まるで遠い過去の悪夢のように思えた。


 そして、結婚から数年が経った頃、私たちの間に新たな命が宿った。


 小さな命を腕に抱いた時、私はこれまで感じたことのない、温かい幸福感に包まれた。レオナルド様もまた、慈愛に満ちた眼差しで子供を見つめ、優しく頭を撫でてくれた。私たちは、共に子育ての喜びを分かち合い、穏やかで満たされた日々を送った。


 魔導騎士団の団長の妻として、そして成功した商会の主として、私は人々を守り、社会に貢献する立場となった。信頼できる仲間たちに囲まれ、愛する夫と、愛しい我が子と共に過ごす日常は、私にとって何よりも尊いものだった。


「やっと、本当の意味で幸せになれた」


 窓から差し込む柔らかな日差しの中で、子供を抱き、愛と温もりに満ちた家庭を築く私は、心からの笑顔を浮かべていた。あの頃の私が想像すらできなかった、真の幸福がここにあった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ