5 聖堂の影
深夜の静寂を切り裂くように、古びた聖堂の鐘が低く響いた。
東京の喧騒から外れたその場所は、まるで時代に取り残されたかのようだった。
塔の上から垂れ下がるツタが月光に照らされ、不気味に揺れている。
俺は魔石の脈動に導かれながら、慎重に聖堂の中へ足を踏み入れた。
中には古い木製のベンチが整然と並び、ステンドグラスから差し込む微かな光が床を彩っていた。
その奥に、暗闇に溶け込むように立つ一人の男の姿があった。
「よくここまで辿り着いたな、一条零。」
その声は、記録装置の中で聞いた低い声と同じだった。
男はステンドグラスの赤い光を背にして立っている。
「お前がこの事件の首謀者か?」
俺は魔石を右手で軽く撫で、いつでも戦闘に入れる準備を整えながら問いかけた。
男は薄く笑みを浮かべた。「首謀者か…そんな小さな枠で語られる存在ではない。だが、君には理解しやすい言葉で言っておこう。そうだ、全ては私の計画だ。」
彼の声には冷徹な響きがあり、胸の奥を震わせるような圧を伴っていた。俺は魔石の光を強め、周囲の空間を照らした。その瞬間、聖堂の壁に埋め込まれた複雑な紋章が浮かび上がった。
「これは…呪印か。」
俺は驚きを隠せなかった。その紋章は、異世界で何度か見たことがある高度な魔術によるものだった。
「その通りだ。一条零、君は異世界帰りの存在だろう?私が君をここに引き寄せたのは、君の力を試し、そして利用するためだ。」
男の言葉に、俺は一瞬息を飲んだ。だがすぐに冷静さを取り戻し、問いを投げかけた。
「利用?一体何のためにだ。」
男は聖堂の中心に向かって歩み寄った。その足元には、魔法陣が淡く光を放ち始めている。
「世界の均衡を崩すためさ。君の魔力とこの魔法陣が融合すれば、新たな次元の扉が開く。君の力を使えば、どんな次元にも干渉できる。それが私の目的だ。」
「ふざけるな。」
俺は魔石に力を込め、燃え立つような赤い光を男に向けた。「そんなことに俺の力を使わせるわけにはいかない。」
男は冷静に微笑むと、ステンドグラスから差し込む光を手に収めるような仕草を見せた。「君の力を拒否するならば、この聖堂全てを呪印で焼き尽くすだけだ。その結果、君自身が力を解放するしかなくなるだろう。」
その瞬間、俺の中で魔石が大きく脈動した。俺の意思とは無関係に、魔力が体を駆け巡る。
「くそ…!」
俺は自分を抑え込むように、魔石に両手を添えた。だが、その光はますます強くなり、男の計画を後押ししようとしていた。
「やはり君の力は素晴らしい!」
男の声が狂気じみて響く中、俺は意識を集中させた。
「…俺の力を舐めるなよ。」
俺は魔石の力を逆流させるように制御し、炎の刃を作り出した。そして、その刃を呪印の中心に向かって振り下ろした。
「《焔消の紋、断つ》!」
赤い炎が魔法陣を焼き尽くし、呪印を一瞬で破壊した。
聖堂全体が揺れ、光が溢れたかと思うと、静寂が訪れた。
男は跪き、驚愕の表情を浮かべていた。
「そんな馬鹿な…!君はただの戦士ではなかったのか…」
俺はその言葉に答えず、静かに魔石を収めた。
「俺はただ、俺自身の道を守るだけだ。それが誰かの計画を壊すことになったとしてもな。」
その言葉を最後に、俺は聖堂を後にした。
男の行方は、その後の調査で掴むことができなかった。
だが、一つだけ確かなのは、この街で再び呪印が使われることは当分ないだろうということだ。
夜風が肌を撫でる中、俺は再び東京の夜景を見上げた。
「厄介な事件だったが…これで一区切りか。」
魔石の脈動が静まったことを確認し、俺は静かに歩み去った。
新たな闇が俺を待つ…だがそれはまた別の話だ。
■「元勇者 シリーズ1」 で続く。