ヤンデレが檻の中
車に轢かれる危険が最も大きいのは、一台目の車をうまくよけた直後だ(フリードリヒ・ニーチェ)
まさか、まさかこんな事になってしまうとは。想定外の出来事に困惑しつつ私はこの状況をどうすべきなのか考える。落ち着け、良く考えろ。この状況でまず私は不測の事態なに驚かなければならない。
「はわっ、はわわ…何です、何ですこれぇ?」
私は七節点灯。ドアに付いていた小窓の向こうで状況が飲み込めずあたふたしている日傘明先輩の運動部の後輩だ。叔父さんの所持してる別荘は敷地が広く自主練には持って来いの場所だ、なんて言葉で唆して家に引き込んだはいいが監禁部屋に案内した際に部屋にいた大きな蜘蛛が怖いなんて可愛い事を言うので逃がしてやろうと入って自らオートロックの部屋に入ってしまった。
監禁してからの事はみっちり考えていたが、うっかり自ら檻に入ってしまうなんて想定外でそれからの事なんて全く考えていない。私はややわざとらしいぐらい取り乱した演技をしながらどうしたものかと考えていた。
「フッシー、多分オートロックだよ。内側から開くはず」
焦ってケアレスミスをリカバリしようとするとミスを重ねてしまうものだ。彼の指摘は尤もで普通のドアの鍵は内側から開くのだ。世間知らずのフリでもして誤魔化そう。私はドアの周りを調べたりドアノブをガチャガチャと回す。当然ながら開かない。
「ど、どおしてえ〜?」
すっかり困り果てた様に言う。ここは監禁部屋なので外側から開く様にできている。なので日傘先輩にこのドアは外から開くのだと気付いてもらう必要がある。
「内側から開かない…?おかしいな、そんなはず…」
「開かないよお〜!助けてください、先輩ぁ〜い!」
「そ、そうしたいのは山々だが…そもそもどうしたら開くのだろう?」
「内側から開かないなら、外側に開く方法があったりしませんかあ?」
「いや、それらしい物は見当たらない」
…なんだって?
ドアの外側に解錠するための仕掛けがない?そんなはずはない、外側にあるに決まってる。この部屋はそうできてるはずなのだ。なのにない?
!!…いや、あり得る。案内する部屋を間違えたのだ。この家の監禁部屋は沢山ある。管理者の管理能力や監禁対象の脱走能力に応じて初心者向けから上級者向けまであるのだ。私は叔父さんの解説DVDを見て勉強したが私は初心者な上に先輩も脱走のプロでもあるまいし、私も監禁初心者なので初心者向けの監禁部屋を使う事にしていたのだ。
しかし、ドアの外側に解錠方がないのは中級者向けの以降の監禁部屋だ。私はうっかり中級者向けの監禁部屋に入ってしまったのだろう。上手く事が運ぶ時ほど肝心な所でミスしがちな私だ。監禁に都合の良い家を手に入れ、先輩を上手く言い包めてここまで連れて来れだのだ。大晦日の夜ぐらい盛大に浮かれていた。
監禁部屋の事はみっちり勉強した。しかしこの家の構造は大雑把にしか把握していない。この別荘は実家から12km以上離れた森の奥にある上に下手に部屋に入ってしまえば脱出は容易ではない。中々時間がなく下見を充分にできなかったのだ。クソ、交際経験なんてないしデートの下見がこんなに大事なんて思わなかった!
「窓から出られない?」
私は窓の辺りを探る。しかし当然の事ながら開かない。空調は床下と天井で行われているから問題ないがここの窓は見た目通りほど普通ではなく出入りはもちろん開閉もできない。先輩を怖がらせた蜘蛛がカサカサとその辺の壁を這っている。やれやれ、お前も何でこんな所に迷い込んだかな。
「駄目っぽいですぅ」
「うーん、こうなったら警察を呼ぶしか…」
彼はスマホを弄る。しかし電話が繋がらない様で首を傾げてばかりいる。それもそうだ、ここに来るまでにひっそりと彼のスマホには細工しておいた。更にこの家の電話線は繋がってる様に見えるが隠し部屋以外の電話機は全てダミーで、隠し部屋の電話線は普段は外してある。連絡手段は問題ない…のだが。
「おかしいな、全然ネットに繋がらない。電話も駄目そうだ。フッシー、この家の固定電話機はどこにあるか知ってる?」
「い、いえ…」
「探して来るから待ってて!」
「ちょ、ちょっと待っくださいぃ!私を独りにしないでくださいぃぃ」
「で、でもこのままと言う訳には…」
ぐぬぬぬぬ、考えろ、考えろ私!1番の懸念は彼が助けを求めて家の外に出てしまう事だ。ここは元々手放された複数の耕作放棄地を買い取られた小山で細々とした道はそこら中にあり道に迷いやすく車の鍵は私が持っているため彼は徒歩で下山しなくてはならない。仮に無事に下山して警察に駆け込んだとしてもそほ場合は私の悪事が世間にバレれば先輩との恋路は一生閉ざされてしまう。
何とか彼の行動を制限してこの家から出ない様にしなければならない。なおかつ私は彼の目を盗んでここを出なければならない。そうだ、敵だ!この状況を企てた第三者を作ればいい!
「叔父さんは旅行中と聞いていますが、監禁目的でこの家を貸したのなら近くにいてもおかしくありませぇん。なので日傘先輩も危ないですぅ。日傘先輩に万が一の事があったら私も助かりませぇん!」
叔父さんは欲しい物は手段を選ばず手に入れろと言って私にこの家を託した人だ。そう責めたりしないだろう。何より遠くに住んでるのでこの別荘で遭遇してしまいピンチに陥るとも考え難い。我ながらナイスアイデアだ。
「ううう、それじゃあ僕は一体どうしたら…」
先輩は頭を掻きむしって取り乱す。かぁ〜わいぃ〜♡♡♡取り乱す先輩かわいい♡♡先輩は日頃からしっかり者で真面目だが想定外の出来事にはめっぽう弱い。自分の命のみならず後輩の命もかかってるのでプレッシャーに耐えかねているのだろう。可愛い。監禁してその目を曇らせて、人間不信に陥った所を思い切り甘やかしたい♡♡
「何もここから動くなと言ってる訳ではないですぅ。相談し合って慎重に行動しようという話ですぅ。なりふり構わず先輩が独りでここから走って逃げれば先輩は助かるかもしれませんが、先輩は私を置いて逃げたりしませんよねぇ?」
「当たり前だ!一緒に脱出するんだ!…参考までに聞きたいのだが、叔父さんってどんな人なんだ?」
「可愛い甥にご馳走食わしてやるって言って野山に分け入って体高90cmのイノシシを素手で絞め殺して帰って来る様な武闘派です」
「ひゅっ」
先輩が変な声出して怯え、首元を手で守る仕草をする。かーわいぃー♡その顔を写真に撮って額縁に入れて寝室に飾りたい♡♡先輩はホラー映画好きの兄のせいで節足動物と爬虫類とサイコホラーが苦手だ。そんな事も知らずにサイコホラー映画に誘った時はしばらく口を聞いてくれなかった。でも怖がってる先輩はとても可愛い。
先輩に萌えている間に物を考える冷静さと心の余裕が出て来た。手段は限られているが何とかしてこの窮地を脱せねば。DVDの内容を思い出しながら有効な手立てを考える。
先輩はやや青ざめたままドアに手をつき勇ましい目つきで私に慰めの言葉をかけた。
「フッシー、僕達のコンビネーションは無敵だ。絶対に何とかなる!僕が手足になるから、君の知恵と知識を貸して欲しい」
僕達のコンビネーションは無敵…か。私は嬉しさ半分と罪悪感半分な気持ちでそれを聞きドア越しに手を合わせる。私はまず彼にこの部屋の近くを探る事を提案した。叔父さんと遭遇するのは危ないがこの場で手を拱いていても仕方がない。先輩を捕らえ損ねたのに次の行動が見えないのは不気味だ。相手が1人とも限らない。そんな話をする。監禁トラップの可能性を含め個室には入らない様に言い含めると彼は少々怯えながらも提案に乗って探査に出かけて行った。
これだけ脅せばいない敵を恐れて慎重に慎重に探索するだろう。私はその間にこの部屋について調べる事がある。
私と先輩はとある運動部で出会った。私は子供の頃から何をやっても人並み以上に出来てしまうので何をやっても面白くなかった。身長は幼少期から他のクラスメイトより目立つほど高かく目をつけられる事も少なくなかったが親のおかげで早々と世渡り術を身に着けていたため可愛いいじられキャラに徹する事はあってもいじめられる事はなかった。
好きな食べ物は?好きな色は?趣味は?正直に言って特別嫌いな物なんてなかったし特別好きなも物もなかった。趣味らしい趣味と言えば空の雲を眺める事と寝る事とえっちな事を考えるぐらいだ。私は他人に好かれそうなキャラクターを作って演じる事で距離を作った。
何となく生きて何となく死ぬんだろうな、なんて思ってた。親が勧めた学校に進学し、誘われるままに部活も入った。どうせ大して努力しなくても人並み以上はできるんだ。何でも良かった。
『七節君、手抜きは良くないな』
生まれて初めて私の手抜きを見抜いたのは日傘先輩だった。それまで威勢のいいチビぐらいにしか思っていなかったが、彼は洞察力がある…と言うより他人に関心を持てる人間だった。私の微妙な表情の変化や仕草から感情や体調の変化を誰よりも正確に察知した。初めての事で戸惑った。
知った風な口ぶりに不快感を覚えて部活動に真剣に取り組み、先輩としての立場を無くして鼻柱を折ってやろうと思った。しかし彼は私が成長した分だけ一回りも二回りも成長して私に立ちはだかった。血の滲む様な努力をしてるのを知ったのは彼が部活動中にぶっ倒れてからだ。
お見舞いに行ったら独りでわんわん泣いていたので日を改めて出直す事になった。人って好きな物のために泣くほど真剣になれるんだって思った。私の世界に初めて現れた異質な存在。私は彼と言う人間に関心と下心を抱いた。
どんな食べ物が好きなのか。何色が好きなのか。休みの日はどこで何してるのか。好きな花は?好きな音楽は?何を見て、何を感じてるのか。私の事をどう思ってるのか。ちんちんは何センチなのか。
いつしか彼に抱いた興味関心は執着によく似た恋心へ変わった。彼のつま先から頭の髪の毛1本に至るまでを愛で漬け、心ゆくまで彼を観察したい。彼をもっと立体的に識りたい。そのためにも信頼関係が壊れる事を覚悟の上で始めたこの監禁計画、何としても完遂させねば。
この部屋にはベッドが1つ、トイレが1つ、シンクが1つ、床に小さめのテーブルとカーペットがある。壁には額縁付きの果物の絵画があるがこれは確か…ブドウの1房を選んで押す。すると絵画の真下から穴が引き出しの様に開いた。中には上部パーツと下部パーツで分かれためがね橋の様な重さ15kgの手枷が開いた状態で置いてある。穴の中に手首を入れると手枷が自動で締まり私は自由にこの部屋を出る事ができる様になる訳だ。
しかしこの手枷を付けた状態で玄関から脱出しようとするとセンサーが反応してまず手枷の締め付けが強くなる。諦めて家に戻ればいいが家から離れようとすると5m後に電撃が流れ、10m離れると手枷内部の毒針が手首に撃ち込まれ死亡する。手枷を解くにはこの部屋に戻りこの場所に手枷を戻す必要がある。ドアは開いていようと自然に閉まってロックされる。手枷のロックが解錠されるのはドアが閉まってる状態でロックがかかった瞬間なので冷蔵庫でも置いて無理矢理開けたままにして逃げる事なんて事もできない。
これをどうにかするには隠し部屋のコントロールルームにてセンサーの解除を行わなくてはならない。しかしコントロールルームでも手枷そのものは解除できない。しかしこの部屋を利用すればこの部屋ごとのロック機能はオフにできるので、でこの手枷をつけた状態でコントロールルームに向かいそこでこの部屋を常にロック解除状態にして部屋に戻り手枷を戻す事で手枷を外した状態でこの部屋を自由に出入りできる様になる。尤も、あんな手枷を付けたまままともにパソコン操作ができればの話だがこればさりはやって確認するしかない。
日傘先輩を使ってコントロールルームに向かわせれば今すぐにでもここを脱出する事は可能だが、被害者と言う体を取っている私がその部屋の存在を知っているはずはなく借りに上手く説得できても彼をここに監禁したい私としてはその場所を知られたくはない。不在の叔父さんを上手く利用して日傘先輩に見つからない様に隠れながらこの部屋を開錠しなければ…。
足音が聞こえた。どうやら先輩が戻って来たらしい。私は引き出しを中に戻してその場に落ち込んでる様に座り込む。のそのそと戻って来た先輩が小窓から顔を覗き込ませやけに甘ったるい声で私を呼んだ。何かやけに顔が赤いな。
「食べ物沢山あったよ。賞味期限が過ぎてる物も多々あるけど」
「先輩ぁ~い、点灯、お腹空いたですぅ~。何かくださぁーい」
「えっと、でもどこから手渡せばいいんだろう…」
この部屋は丸ごと檻になっている。装置を起動させれば部屋の壁が檻になるので、そうすればその隙間から物を手渡せる。まあその辺は先輩に何とかしてもらおう。ドアに受け渡し用の穴でもあると思ってか調べているうちにその装置を起動させてしまった様で部屋の壁が降りて代わりに上から檻が降りて来る。
「うわーっ!へへっ、部屋が檻に…!わわわ、どうしようどうしよう…」
「わぁ〜すっごい!どうなってるんだろう!これで物のやり取りできますねえ」
「き、君は呑気だな…」
「んまあ悲観的になってても仕方ないじゃないですかぁ?」
この状態でもドアはしっかりあるし、手枷つければこのドアもちゃんと開く。私にとっては何一つ焦る状況ではない。私は先輩を通してこの家の詳細を聞く。叔父さんにビビっってた割にはしっかり調査した様だ。この家の中にはガレージがあって私達が乗って来た車の他に車がある話をしていた。
「あの車、長らく使われてないみたいだった。まだ確認してないけど鍵さえあればガレージのシャッターは電動で上げられるみたいだし使えそう」
「私達が脱走した事がバレたらその車で追いかけて来れる訳ですねぇ。給油口に水を入れておけば追跡を阻止できるかもしれませぇん」
「それなんだが…もし叔父さんがこの家にいて監視カメラで僕らを見張っているなら僕の行動は筒抜けだったはずだし、彼が襲って来る事もなかった。彼は車を複数持っているだけでまだこの家には帰ってないのではなかろうか?」
「うーん…そうすると、叔父さんが人にバレると困る様な別荘を私達に貸した理由が不明になりませんかぁ?日時は伝えて借りてるんですぅ」
「うーん…そうか…」
叔父さんがこの家にいると言う思い込みが解ければ疑いの矛先が私に向くのも時間の問題だ。バレる前に脱出して彼を捕らえなければ。叔父の車の鍵の位置は私も知らない。先に入手されれば逃げられる可能性がある。急がねば。
お互いに話に夢中になっていたが先輩は自分が持っ来た物を思い出した様で私に食べ物を分けてくれた。お菓子や缶詰めや保存食。賞味期限が切れてるものも多々あると言っていたが実はお菓子だけは私が作ってこの家に持ち込んだ物なので比較的に新しい。用意した媚薬が存外に甘過ぎたので自ら作らなければならなかったのだ。実際に出す時は皿に盛り付ける予定だったが見られても手作りを疑われない様に簡易的なラベリングしていたのは不幸中の幸いだった。
ただでさえ先輩をお預けにされて辛いのに媚薬入りのお菓子なんて食べても辛いだけだ。私は保存食のクラッカーを開けてポリポリ食べ始める。すると何やら先輩が落ち着き無くお菓子の方をチラ見する。
「フッシー、そっちのお菓子も美味しいよ」
ふと先輩がそんな事を言った。食べた事がなければ言えない発言だ。そう言えば先輩、お酒でも飲んだみたいに顔が赤い。
「…つまみ食いしちゃったんですかぁ?」
「えっと、毒見だよ。ほら、僕達を捕まえようとする叔父さんが普通のお菓子を用意してくれてるとは限らないだろう?」
「でも本当は?」
「…お腹が空いちゃってて」
そう言ってはにかみ笑いを見せた。やべえ、萌え殺される。これもうキュン死を堪えるために頭を撫で回しても正当防衛でしょ。否、こんな可愛いものを目にして愛でてはならないなどという悪法があろうか!私は両手を広げて先輩めがけてダイブした。そしてでこの所が鉄柵に当ってゴッと鈍い音がした。痛みに悶絶して転げ回る。
「だ、大丈夫?」
「先輩の匂いを肺いっぱいに吸わせてくれれば痛みもマシになるかも」
そう言いながら膝歩きでカサカサと歩み寄り檻越しに先輩に抱き着く。お菓子のおかげか今日はいつもの様にスキンシップに抵抗がなくむしろ私の頭を撫でてくれた。先輩と私の間にこの鉄柵がなければなー。はあ、先輩の体温感じる♡いい匂い♡ここが楽園か…。
「うん、大丈夫そうだね」
「しぇんぱぁぃ…」
このまま蕩ければ檻の向こうに行く事は可能かもしれないが現実はそうも行かないので私は先輩に抱きついたまま心を引き締め話をする。
「ところで先輩ぁい、ガレージがあるなら工具もあるかもしれませぇん。パイプカッターを探して来てもらってもいいですかぁ?」
「ぱいぷかったあ?」
「はぁい、小型パイプレンチの取っ手あたりがピザカッターみたいになってる様な感じの工具ですぅ」
「パイプ…れんち?」
「糸鋸の取っ手側の所がピザカッターみたいになってて、円筒状の物にあてがってハンドルをグルグル〜って回すと切れちゃう便利なお道具ですよぉ〜」
「なるほど、何となく分かった。それにしてもフッシーは物知りだなぁ。先輩として立つ瀬がないよ」
「もっと頼ってくれてもいいんですよ、先輩ぁい♡」
「フッシー…。僕が君を助ける側じゃなければもっと素直に感動できたんだけどな」
「てへ☆」
話を終えて出発しようとする先輩。しかし私が抱きしめたままなので身動きできない。
「そろそろいいかな、フッシー?」
「もう少し吸わせてくださぁい。先輩の匂いを摂取しなければ先輩欠乏症でのたうち回る事になります。私は深刻な先輩不足で困ってるんですよぉ〜」
それを聞くと先輩はニコッと不敵な笑みを浮かべてするりと私の拘束から抜けた。それから口元に指を当てる。
「それじゃあもっと困ってもらおっかな」
そんな言葉を残して彼はパイプカッターを探しにガレージへ向かった。うーん、ますます独占したい。
叔父さんの趣味からかガレージの工具はとにかく量が多い。探すのには時間がかかるだろう。何とか誤魔化し続けているが先輩の疑いはそろそろ私に向く。そうなればもう彼をここに捕らえる事はできない。これが最後のチャンスになるだろう。
ひとまずここを脱出し、コントロールルームでこの部屋のロックを解除しままにして戻る。そしてこの部屋に手枷を置いてキッチンの調味料の瓶の中に中身を入れ替えて置いといた睡眠薬をハンカチに染み込ませて準備を済ませる。後は部屋の近くの死角に潜んで叫び声を上げ、私を助けに戻って来た先輩を死角から襲って寝かせて初心者向けの監禁部屋に連れて行くだけだ。
早速と手枷をはめてドアノブを捻る。外に出てすぐに目的地に向かおうとするがふと私は何かが気になって動きを止めた。何故か目の前のドアが気になって仕方がない。何だ、何が気になるんだ?自分でも分からない。しかし何か猛烈に違和感を覚えたのだ。何の変哲もない鍵付きのドアだ。それが何だと言うのだろう。…まあいい。今はそれどころじゃない。
コントロールルームへ向かう道の途中はガレージに繋がるドアの近くを通る。ここで見つかったら終わりだ。私は聞き耳を立てて先輩の動きと距離を推測する。うん?やけに静かだな。工具を漁ってるなら物音でもしようものなのに。叔父さんを警戒しての事か?いや、私との話から考えるにおそらくこの家にいないと考えているはずだ。では何故?
あれこれ考えてると中から歩く音と金属音が聞こえ出した。何だ、目視で確認してる途中だったのか。結構結構。私はガレージに通じるドアの横を抜き足差し足で通ってコントロールルームを目指す。
ゴッ…。
「!!!」
一瞬の油断で壁に手枷をぶつけてしまった。全身の毛が逆立ちぶわっと嫌な汗をかく。まるで授業が暇で学校のパソコンでアダルトサイトを見てたら変なウイルスに感染して画面中に卑猥なポップアップ広告が大量に出まくったあの時の様な緊張感だ。これは、これは非常にまずい!
ガレージのドアからこの廊下まで造花を飾った花瓶のある台、掃除道具を入れたロッカーがある。花瓶を床に置いたって花瓶が独りでに落ちる訳がない。誰かが通ったと疑うだろう。ロッカーは隠れるにしては細く手枷を隠せない。来た道を戻れは当然姿を見られる、進めばひと先ずは誤魔化せるだろうがその先には個室に繋がるドアが6つあるばかりで隠れられる場所などどこにもない。
日傘先輩は無謀ではないが勇敢だ。音の正体を確かめにこちらに来るだろう。歩けば追いつかれる、走れば音を追って来る、どのみち15kgの手枷をしたままじゃ逃げきれない!かと言って反撃に出れば圧倒的に私が不利で、更に下手に暴れて先輩に頭にでも手枷があたったら…。
ここまでか、もはや最早これまでなのか?
否!断じて否だ!!私は人生に降りかかるどんな困難も咄嗟の機転と勇気で乗り越えて来たんだ!!あの人生が詰みかけたあの日、私はぼんやり眺めていたネットの尖った知識の中にあったOS破壊コマンドを正確に思い出して入力し実行してあの窮地を脱したのだ!!私にならできる!!
私は不退転の決意で前進し先輩から距離を取る。まるで資格取得の参考書の間にエロ本を挟んでレジに並ぶがごとく堂々と。曲がり角の先は個室へ通じるドアが6つ、片方の壁に3つずつ。耳を澄ませると小さな影が歩み寄る音が聞こえる。先輩、足音は消せても服が擦れる音でバレバレですよぉ?私はできるだけ静かに、なおかつ素早く個室のドアを開いて行く。
そして左側の2番目のドアの後ろに隠れた。中には入れない。中に入ればセンサーが反応して閉じ込められてしまうからだ。先輩の足音は1番目のドアの近くまで来た。私は高鳴る心臓を堪らえようとする。目をきゅっと瞑って祈るような思い。やがて服の擦れる音は遠ざかって言った。私はホッと胸をなで下ろす。
先輩は音を気のせいだと思って踵を返したのではない。仮にガレージを通った人物がいるとしたらパイプカッターを探すその金属音で先輩の存在は知ってる上で素通りしてるはずで、なおかつ廊下を進んだ先はドアで大量の死角が作られ物音がしない。わざと気を引き待ち伏せしてると睨んで引き換えしたのだ。今頃ガレージで隠れてるかドアの前で工具を握りしめて待ち伏せしてるかのどちらかだろう。
第三者の存在を確認した以上は先輩は待ち伏せか隠れるのを諦めた後に急いでパイプカッターを探し出すだろう。そうせずに私のいる所に戻っても助けようがないからだ。あの部屋のドアの外側には初心者向け監禁部屋みたいに捻れば開くようなつまみもなければ鍵穴もない。だから檻の前で待ち伏せなんて事は…しないと信じたい。
私は廊下の先のトイレに入った。故障中と書いてあるがこれはここがコントロールルームに繋がるエレベーターだからなので修理される事はない。私はトイレに入って鍵を閉め、トイレのレバーハンドルを操作した。手枷付きで苦労はしたが何とかなった。するとトイレの個室が動いて地下に移動する。私は急いでコントロールルームの椅子に座ってパソコンを操作を試みる。
んん…駄目だ。ここまで頑張って来たがやはり手枷付きではまともにパソコン操作ができない手枷が当たって下手な所を押したらどうなるやらも分からない。…いいさ。なら手枷はここで外そう。この方法はあまり気乗りしないが。
「久しぶりにやるけどできるかな…。ふ…んっ!」
…左手の親指の関節を外した。子供の頃は隠し芸としてよくやっていたが親に叱られてやらなくなっていた。懐かしく思いつつ手首を捻って少しずつ手枷から手首を引き抜く。こんな方法で外そうとして毒針が打ち込まれたりしないかとヒヤヒヤしたが反応するのは飽くまで出入り口のセンサーのみのようだ。左手を引き抜くと左手の親指を付け直し、今度は右手の親指の関節を外して手枷から引き抜く。ゴトリ。手枷を床に置いた。
「はぁ…」
緊張したし疲れた。私は右手の親指を付け直してパソコンを操作し私がいた部屋のロックを解除した。これでもうオートロックはかからない。手枷は先輩…いや、明がこの存在を知る訳がないしこのまま置いて行こう。明ぁぁぁ♡♡もうすぐ君は私だけのものだぁぁぁぁあ♡♡♡
思ったより時間がかかり過ぎてしまった。急いで部屋に戻らないと。私はパソコンをスリープモードにしてさっさとトイレに戻り1階に戻る。鍵を開けて外に出て、檻を目指す。
ふと、曲がり角を曲がると私はそれを目にしてしまった。
「なんだ…あれ…」
私は何度か目を凝らしたが、そこにあるソレは疑いようがなくソレである。その物体が一体何をどうしてそこにあるのか分からない。私はおそるおそると近づきそれを拾い上げた。間違いない。明のパンツだ。脱いでそんなに時間は経ってない。
その刹那、私の意識は僅か数秒前の記憶に遡る。パンツがパンツである事を確認すべく足を踏み出すその前の映像の記憶だ。その時の私はパンツに気を取られある事を見落としていた。ロッカーがほんの僅かに開いていた事だ。
「まずい、罠だっ!」
考えるより先に出た自分の声に驚いて立ち上がろうとする。しかし、背後にいたそれは私の背中から覆いかぶさる様に抱きしめながらその手で布巾を私の口元にあてる。こ、この匂いは私が調味料の瓶の中に紛れさせておいた…。
「コントロールルームまで案内してくれてありがとう」
その声は聞き違いなどあり得るはずもなく、明だった。
「ふもっ、ふむぐっ…」
服越しに感じるこの体温…裸だ。何という事だ。明は、一体いつから…。
蛇が共食いをする夢を見た。蛇になった私は違う蛇に丸呑みにされてていた。卵を逃がそうと産んだが、卵も丸呑みにされてしまった。そんな夢を見て目が覚めたが、現実の意識も甘く蕩ける様な微睡みの中でまるで夢の中で見る夢のよう。月明かりの中でぼんやり開けた視界に明が現れる。
ここは…私がいた監禁部屋…?
「こんばんは、フッシー。あまり起きるのが遅いから先にいただいていたよ」
「せ、先輩?」
これは夢?身動きしようとしても上手く動けない。両手首と両足首を縛られている。
「フッシー、君が悪いんだよ。君の前ではずっと良い先輩でいようと努めたのに、君が僕を執拗に挑発して来るから…。なんなんだい、あの僕を監禁するための計画ノート。ポップでキュートなフォントに可愛いイラストまでついて、修学旅行の旅のしおりみたいになってたじゃないか」
「ヴェッ?!あれ見ちゃったんですか?!」
「見たも何もあんな杜撰な計画が上手く行く様に後ろから根回ししたのは僕さ。でなけりゃ僕達2人きりで7日間も自主練で別荘に来れる訳ないだろう?それで、今夜やる予定だった愛の告白は5パターンのうちのどれを僕の耳元で囁いてくれるんだい?」
「〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」
恥ずかしくて身悶える私。手足をバタバタさせようにも縛られて上手く行かない。せめて両手首を顔の前にやって顔を隠そうとするが彼は私の手を掴んでそれをさせまいとする。
「もっと良く見せてよ。君の恥ずかしがる顔はレアなんだ。いつもは僕がおちょくられてばかりだからね」
「ううう…あまりイジメないでください。下心込みにしたって先輩への気持ちは本物なんでふむっ…」
言い終える前に先輩は淫靡な笑顔でキスをした。甘く蕩ける様な電撃が身体中を駆け巡り頭がショートしそうになる。
「知ってるよ。僕も君が好きだったんだよ、一目見たその時から。恵まれた体躯に猫を被ってなお隠しきれない熱い心。半ば馴れ合いの場になりかけてたこの部に必要なのは君だと思った。君の友達に頼んで入部させて、ちょいと燻ってた心に火を点けてやったら面白いぐらい打ち込んで部員の競争心を刺激してくれるじゃないか。惚れ直したよ」
色んな立場に挟まれておろおろするばかりの可愛い人だと思っていたが、存外に打算的で狡猾だ。本心を見抜かれて好きになったと言うのに彼の本性はまるで見抜けなかったとは。少し悔しくなったので嫌味の1つでも言ってやる。
「先輩ってば私に追いつかれまいと必死に頑張っていたのに、身体を痛めてわんわん泣いてましたもんねぇ?」
そう言うとまた唇を塞がれる。
「生意気な所も好きだ」
その時、明の頭に何かが降って来た。今朝見かけたきりどこへ行ったか分からなくなっていた蜘蛛だ。蜘蛛を見ても何とも思わないが体を這われるのはさすがに怖い。
明は笑顔のまま頭の上をワサワサ動いてる蜘蛛を動じる様子もなくそっと胴の付け根あたりを包む様に指でつまむとベッドの外に置いた。
「先輩!?蜘蛛は苦手なはずじゃ…」
「兄貴が指先まで伸ばした君の手より大きな蜘蛛を飼ってるんだ。でも遊び人で僕に世話を任せる事がしばしばあってね。最初は嫌で仕方なかったけど今ではすっかり慣れたよ。君の計画を知ってからは大げさに怖がって見せたけど本当は蜘蛛は大して怖くないんだ」
彼はニコリと笑うと私の体に指を這わせてまさぐる。
「ま、待って。まだ心の準備が…」
「フッシー、もう待てないよ。毎日毎日スキンシップされて、この間なんてマウンティングまでやっただろう?僕の情緒は滅茶苦茶だ。見てよこれ」
「わぁ…」
「僕の心に火を点けたのは君だ、後始末までちゃんとやってもらおうじゃないか」
その夜、山奥で2つの狂愛が1つ屋根の下であまりに激しく燃え盛るもので、空に昇った月で餅搗く兎もさぞや煙たかったろうに違いない。
終わり
ヤンデレが自ら監禁部屋に入ってしまって閉じ込められたら?と言うコンセプトで書く事にした本作。どう考えても出オチ過ぎて執筆は難航した。その上、某怪文書を読んで心の機微や情緒を表現するのにこんなに詩的表現が有効なのかと感動して新たな表現の幅を広げるべく試行を重ねていたので7日はかかった。面白くなってたらいいなあ