『芍薬の歌』あらすじ 4(四十五節~五十八節)
[妖艶なアンチヒロイン、夜鷹のお舟の再登場と、三浦柳吉との大川船上での出会い。そしてもう一人のヒロイン、豪商の娘お京の潔白な姿が点描される。]
その夜、深川六軒堀の河岸では、妖艶な夜鷹のお舟が、例の幽霊を演じて威かす通行人を待ちかまえていた。
そこへ通りかかったのは、宴会場を出て道に迷った柳吉で、さっそくお舟はこいつを鴨にしようと、彼の前に姿を現す。しかしコップ酒でしたたかに酔った柳吉は、
「出たのか、おいらん」
と、亡き菊川を思い出したようで話が噛みあわず、脅しも利かない。
お舟はそのまま立ち去った柳吉を見ながら、それまでどこかに身を隠していた、手下で用心棒役の彦造に、あれは恋に憑かれた男だよと言う。家路ではなく洲崎の方へ向かおうとしている柳吉は、お舟が直感したように、菊川の幻影を追っているかのようだ。
その姿に興味を惹かれたお舟は、戯れに彦造に我が身を背負わせながら、柳吉を追跡しはじめた。
一方の柳吉は隅田川のほとりにたたずみながら、小船で寝そべっている吉兵衛という親仁に声をかけた。道に迷ってもう歩けないから、洲崎近くまで舟で送ってくれと頼んだのである。快く引き受けた親仁の船に身を任せてはみたが、操舵は危なっかしい。親仁は漁師ではなく、腕はいいが怠け者の、深川の大工なのだった。
他人を乗せて操るのは初めてだという吉兵衛のことばにひやひやしながらも、やがて船は上の橋にさしかかる。たもとの石垣から川面を覗く女の影を認めた二人は、「身投げか!」と色を変えた。できれば助けようと、岸辺に船を寄せたとき、女が石垣の上から身を投げる。と、なんと船の胴の間に、みごとに着地した。
命を助けたと思った女は、船に置かれた釣り竿で石垣を突くと、船は岸辺を離れた。
「御苦労様、小父さん」
流し目でニヤリとしたのは、夜鷹のお舟だった。
「鳥だよう。くたびれちゃったんだから、羽を休めようと思ってさ」
とはぐらかす婀娜めいたお舟に、「勝手にしやがれ」と吉兵衛も苦り切っている。お舟から手拭いを頭にかけられて、「稗蒔の殿様」などとからかわれた酔っ払いの柳吉は、「宝物を所持いたす」と応じて、懐から例の翡翠の玉を取りだすと、お舟に見せるのだった。
その玉がお舟の手に渡ったとき、吉兵衛が「叱っ」と二人を制した。
見れば岸辺にそびえる豪邸の二階の窓に、寝衣姿の艶やかな美女の姿があった。その美女が何やら一束にしたものを空中にパッと投げると、波間にパラパラと紙が散る。窓辺にもう一人の女中らしき女が姿を現すと、美女の手に水差しから水を濯いでその手を浄めた。
「まあ、涼しい」
美女が細く透る声を響かせるとすぐに、女中が窓を閉じてしまった。
「また始めたぜ」
何やら吉兵衛は事情を知っているようである。
親の代から当家に出入りしているのだという吉兵衛大工の話によると、あの美女は稲村という大問屋の末娘の秘蔵娘、お京で、人柄が良く、おっとりとして、ちょっとお侠な諸芸万端の娘なのだが、その美貌と財産を狙って次々に転がりこむ縁談を断り続けているのだという。
なるほど娘が川に投げ棄てたのは、四、五十枚あまりの見合い写真なのだった。
波間からお舟が取りあげた一枚には、大間久一男爵の姿があった。