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『芍薬の歌』あらすじ 1(一~二十三節)

[洲崎(すさき)遊郭大門近くにある鮨屋菊川を訪れた、実業家の(みね)桐太郎(きりたろう)と、画家の三浦(みうら)柳吉(りゅうきち)は、翡翠(ひすい)の玉の縁によって菊川の看板娘、幾世との因果の糸で結ばれる。まずは峰と幾世の馴れ初めの一幕。ヒロインの一人、夜鷹のお舟もちらりと顔を見せる。]


 洲崎(すさき)遊郭大門前の(さえずり)新道にある煙草屋で朝日を買い求めた三十一、二の男がいた。彼は名を(みね)桐太郎(きりたろう)といい、英国留学から帰国したばかりの、高輪の富豪の次男である。峰は遊廓には向かわず、煙草屋の隣にある鮨屋(すしや)、菊川の暖簾をくぐった。

 煙草屋の主人は、なぜかその様子を気にしているようだ。


(ここで本文では、三~五節のあいだ、夜鷹(私娼)撲滅を唱える救世軍(キリスト教プロテスタントの慈善団体)の若者、木内甚右衛門が、木場の恵比寿橋で魔物に襲われるエピソードが挿入される。魔物の正体は、この「1」の幕の二十三節末尾で明かされる。)


 菊川の看板娘は幾世という美人で、雇女(やといおんな)のお鉄とともに店を切り盛りしている。

 鮨屋とはいっても、鮨を握って出すわけではない。客にはよそから取った料理を出して、馬蹄形のカウンターの内から女がお酌をする。客は、あわよくば女を待合に連れ出そうと狙って集まってくる。そんなたぐいの店のようだ。なるほどカウンターには、幾世に執心らしき水兵と書生が居座っている。

 そんな店を峰が訪ねたのには、いささか理由があった。


 一ヶ月ほど前、峰は友人で画家の三浦柳吉と、神戸の社長とともに洲崎遊郭を見物した帰りぎわ、三人で菊川を訪ねた。といっても彼らは女目当てではなく、店の名前に惹かれたのである。菊川とは、かつて洲崎遊廓で三浦と深い仲にあった、非業の死を遂げた遊女の名前だった。

 その店の棚の上に、売りものの札が貼られた夜鷹の人形が飾られているのに目を留めた峰は、紙製の簡素な作りに興味を惹かれて買い求めた。帰宅後に人形を改めたところ、着物の胸のあたりに翡翠(ひすい)の玉が隠されていた。人形の値段にはまるで釣り合わない宝玉の価値に気づいた峰は、それを返却に来たのだった。


 聞けば幾世は、その玉のことは知らない、人形は見知らぬ僧形の老人が、売り物として置かせてくれと、店に託したものだという。峰は幾世を外に連れ出すと、人形から取りだした翡翠とともに、もう一つの同じような翡翠の玉を幾世に与えた。世慣れた峰は、幾世のような商売の女に高価な玉を渡しても、きっと旦那か何かに取りあげられるに違いないと考えて、替え玉までも準備していたのだった。

 そしてもう一つ、峰は幾世に提案をした。

「おい(ねえ)さん、もし商売なら、あの、水兵さんとねてやらないか、ご祝儀は心得た」

 海軍の短い休息時間を利用して店に来た水兵が、あれほど幾世に執心の様子だと、帰隊しても事故で怪我をするのがおちだ、慰めてやってくれないかというのである。

 知らず知らず思いを寄せていた峰に、そんな頼み事をされた幾世は、涙を流すしかなかった。


 まもなく峰が用意した越野屋という料理屋の一室で、幾世は言われた通りに水兵と逢ったのだが、相手は幾世に指一本触れず、はれやかな顔で帰っていった。峰はといえば、沢海橋を渡っていった幾世とは道順を変えて、平久(へいきゅう)(はら)添いの裏道を通って高輪の自宅方面へ向かっていた。

 洲崎神社を越えたあたりで、巨漢の男が峰に襲いかかる。男は菊川にいたもう一人の客で、金持ちらしき峰が幾世を連れ出したことに嫉妬したのだった。峰は柔道三段の腕前を発揮して、即座に書生を追いはらった。


                      囀新道

      平野橋    沢海橋      | |鮨屋菊川

至     越野屋| |     | |    | |煙草屋

高輪←―_____| |_____| |    | |

方面  ―――――――――――洲崎神社―――大門―――――

                |             |

                |             |

       平久ヶ原     |    洲崎遊廓     |

                |             |

                |             |

                |      弁天町「鶴兼」|

                ―――――――――――――


 やがて峰は、料理屋から戻ってきた幾世と行き会った。峰は彼女と話すうちに、軽々しく身を売るような娘ではないことを察知したようだ。幾世は帰り道で、母の形見の大切な櫛を失くしたのだという。じつはその櫛に彩色の絵を描いたのは、一ヶ月前に菊川を訪れた三人客の一人、画家の三浦柳吉である。


 峰と別れて店に戻る幾世には、闇から湧いて出たような男二人の姿がつきまとう。

 一方の峰は、ぶらりと立ち寄った茶飯屋で、近頃夜の深川に出没する、幽霊か、弁天様かと思われる怪しい影の噂を小耳にはさんだ。つい先日も、木内甚右衛門という、夜鷹を取り締まる救世軍の若者が、恵比須橋でその影と鉢合わせをして失神をしたばかりだという。

 店を出て永井橋を渡ろうとする峰を、案の定、その影が襲った。豪胆な峰はいささかも動ぜず、怪しい影の胸を押さえつける。

「何だ、化け物かと思ったら人間か……」

 言ったなり立ち去っていく峰を、

「まあ、呆れた」

 と見送ったのは、幽霊を演じて深夜の通行人を驚かせ、財布の金を奪う凶行を繰り返していた、夜鷹のお舟だった。


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