『芍薬の歌』あらすじ 9(百十五節~百二十六節)
[高輪にある峰の屋敷に、観星堂からの言づてをたずさえて、柳吉と吉兵衛が訪ねてくる。大間男爵をはじめとする縁談を次々に押しつけらるのに耐えられず、お京は家出をして、浄玄寺に籠城しているのだという。そんなお京を救うために、彼女が恋心を抱いている貴方が結婚相手になってほしいと、二人は峰に迫るのだった。]
高輪にある峰の家は、門を入ってから玉石を敷きつめた坂を、およそ七曲がり上ってようやく玄関にたどりつく、広大な屋敷である。
その途上に立っている、汚れた着物を着た男は、三浦柳吉。坂の上からは、珍しく半纏を羽織った吉兵衛大工が駆け下りてきた。
「どうしたい、小父さん」
「どうにも、からッきし世界が違って、足が舞台に着かねえや」
行方不明の柳吉を連れてきた吉兵衛は、まずは自分が訪ねて峰桐太郎を呼び出そうとしたが、あまりに屋敷が広大なうえに、西洋の笙篳篥の音がするのに驚いたところを、袴をはいた取り次ぎの老人から「いずれから」と問われると、動転して逃げだしてしまったのだという。
柳吉もまた、友だちの家とはいえ、俥でも玄関までひと息で上れないほどの敷地の広さには、来るたびに驚かされている。
そもそも柳吉が吉兵衛に見つけられたのは、墓掃除の日雇い仕事に応募したからだった。その墓掃除というのは、先日浄玄寺を墓参した際に目にした、暴風雨で倒れた無縁墓や石仏を修復し供養をしようと、お京が金主になったものである。吉兵衛が人集めの役を買って出て、「お墓の掃除どなたでも出来ます」と貼り紙をして人夫を募った。お京と係わりのある仕事とは露知らぬ柳吉が作業をしているところを、「やあ、先生」と吉兵衛に胸倉をつかまれたのだった。
棟梁に引っぱられてまず連れて行かれたのが観星堂如海のところで、そこで柳吉は、友人の峰に何かを伝えてほしいと頼まれたらしい。……
柳吉が描いた夜鷹の絵を、お京が買い求めたがっているという話を吉兵衛から聞きながら、今度は柳吉が先に立って峰邸を訪れようとしたところを、
「三浦さん」
と背後から峰が声をかけてきた。彼の在宅を確かめる電話があってから、先ほどの不審な訪問があったので、あれは三浦さんの眷属ではないかと取り次ぎの老人が気づいたのだという。
応接間に招き入れられると、柳吉は峰を相手に、なぜかお京の結婚に関する自論を長々と唱えはじめた。
「貴方が貴方の外に一人もないごとく、佐賀町のお京さんはただ一人のほかないのです。おまけに生まれてから今年二十を一つ二つの妙齢まで、男の顔なんざ振向いても見たことのない娘です。それが一世一代の縁談の場合に遊女のように婿を強いられる。強欲な伯母なんざ、遣手婆のようなもの。あの嬋娟たる容姿の上に、少なからぬ財産が附いているのだから、富くじを引く気で結婚の申し込みが引けを切らない。
だが、女の身になってご覧なさい。そうそう縁談を断り続けてもいられないから、我慢して目をつぶって受け入れたとたん、あっという間に子どもが出来て、ママなどと呼ばれるものにされてしまう。
先日も、その伯母という人がお京を離家の二階に呼ぶと、今度という今度は否とは言わせませんといって見せたのが、あの大間男爵の見合い写真だったんだ。お京がそれを軽くいなすと、叔母さんは激怒して、仏壇からお京の母親の位牌を取りだして振りまわしながら大騒ぎ。……お京は泣いて謝ったが、くやしまぎれに、その晩、あり合わせの見合い写真を隅田川に流してしまった。
お京さんは常々言っている。見ろと言うから写真を見るが、見たときにポッと瞼が紅くなったら、アイと言うんだと思って下さい、と。それを親類の年寄りたちが、お転婆だ、生意気だと揶揄するものだから、一枚見るたびに慄然として青くなって、面窶れがするんだそうです。結局、その伯母をはじめとする連中が次から次へと婿、養子の世話をしようとするのは、お京というきれいな娘が爛漫と花を咲かせているのに嫉妬して、早くボテ腹の女房にしたいからなんだ」
峰はちょっと言を入れて、
「じゃあ、そのお京さんは、結婚をしない主義なんですか」
「いや、自分が選んだひとのところに嫁きたい、と言うんです。それが当前じゃあありませんか。まだ、世間にそれが間違ってると言う人があるんですかね」
「世間は面倒です。実際お京さんに同情します」
「有難い」
と、柳吉と棟梁が揃っておじぎをする。
「実は、お京さんは家出をしたんです。例の伯母が、男爵の見合い写真に落第と書かれて川に棄てられたことを、『どうなされて下はります』とネコ万が、懐中から拳銃をちらつかせながら詰め寄ります。その伯母という人も、ネコ万を信じ切っていて、ねちねちとお京さんをいじめるから、具合が悪くなってしまった。ついに『うるさいわ、叔母さん』と言い返すと、そのまま裸足で庭に出て、癇癪まぎれに隅田川に石を投げこんだ。その音を聞いて、お京さんが身投げをしたと店の者たちが集まったところを、お京さんは辻車を拾って浄玄寺に行くと、母の墓前に泣きついたんです」
そこへ観星堂が迎え出て、お京はそのまま浄玄寺に籠城しているのだという。
「峰さん、そんなお京さんが貴方の名を聞けば、あの垣根で抱きかかえられて以来、瞼も耳も紅潮となるんです。その抱き方にひと息気を入れて、生涯の力になってやってください」




