探偵やねんから
まさか、こんな狙い澄ましたようなタイミングで、宗介会長から電話がかかってくるだなんて。蒼一社長は僕たちに断ってから、後ろを向き、その通話に応じる。
「もしもし? ああ、倉橋さんたちなら、ちょうど今お見えになったところだよ。……え? あ、ああ、わかった……」
短いやり取りを経て、こちらを振り返り、
「父がみなさんと話したいと言っているんだが、構わないね?」
三人とも異論はなかった。
社長は何やらスマートフォンを操作すると、開いた手帳型のケースに立てかけるようにして──彼のスマホケースはスタンドになるタイプだった──、テーブルの上に置く。先ほどの操作はビデオ通話を行う為の物だったらしく、横向きになった画面の中には、書斎らしき場所で革張りの椅子に腰かける老人の姿が、映し出されてた。
間違いない。この人が、鷺沼宗介会長だ。
宗介会長は、寝巻きの上から高価そうなガウンを羽織っている以外、以前テレビCMやインターネットのインタビュー記事で見かけた時の容姿、そのままだった。オールバックにセットされた白髪と口周りを覆う髭。太い眉毛と目つきの険しさから少々威圧的な印象を受けるものの、若い頃は相当女性にモテたであろうダンディな顔立ちをしている。
まるで老俳優のような風貌の宗介会長は、感情の読み取れない顔のまま、モゾモゾと口髭を動かし、嗄れた声を発した。
『……初めまして、鷺沼宗介と申します。このような形での挨拶となってしまい、大変申し訳ない』
「あ、あの、体調を崩されていると伺ったのですが、お体の方は大丈夫なのでしょうか?」
『……あなたが、倉橋凛果さんですね? タイミング悪く風邪を引いてしまったのですが、一晩休ませてもらったお陰で、たいぶよくなりました。どうも、ご心配をおかけしました』
その言葉どおり、若干血色が優れないものの、さほど無理をしている様子は感じられない。
『ところで、もう話は聞いていただけましたか?』
「は、はい。たった今……」
『……そうですか。さぞや驚かれたでしょう。私からの手紙も、大変急なものでした』
「一つ、伺ってもよろしいでしょうか?」
二人の会話に、緋村が割り込む。
『そちらは、お連れの方ですか?』
「緋村という者です。一応、倉橋さんの家庭教師をやらせてもらっています」
『家庭教師?』
会長は眉根を寄せる。「聞き捨てならない」とばかりに。
「ええ。どうかなさいましたか?」
『……いえ、なんでもありません。それより、何かご質問があるようですが?』
「どうして今頃になって、倉橋さんにお母さんのことを伝える気になられたのでしょう? 会長は、かなり以前から、全てご存知だったようですが」
『それは……』
返答に迷っているらしく、間が空いた。何かよほどの事情があるのかと、僕は身を乗り出して、続く言葉を待っていた。
『……今、この場で十全にお伝えするのは、少々難しいことです。なので、可能であれば、今度こそ直接お会いして、説明させていただきたい』
「そこまで面会に拘る理由は、何なのでしょう? 倉橋さんに、見せたいものでもあるとか?」
こういう時の緋村は物怖じしないというか、相手の立場や地位に関係なく、無遠慮に質問を放つ。横で見ているこちらの方が、ハラハラしてしまうほどに。
『……そうです。倉橋さんにお見せしなくてはならない品がございます。そして、私の口から伝えなければならないことも。……明日の朝には、そちらに着くように致しますので、できればそれまで、我々の町に留まっていただきたい』
宗介会長が急遽来られなくなったと聞かされたばかりだというのに、今度は明日の朝に出向くから、一晩滞在してほしい、か。あまりに状況の変化が目まぐるしく、緋村でなくても疑いたくなってしまう。
そもそも、こうしてビデオ通話をできているのだから、直接顔を合わせているのと大差ないだろうに。
「へえ、ちゃんとあんたもここに来てくれるんやな。なら、万事予定どおりってわけか」
やはり冷笑的な表情で、三黄彦さんが言った。「万事予定どおり」とは、何やら意味ありげな言い回しだ。
『ああ。みんなも、不安な思いをさせてすまなかった。──それで、いかがでしょう、倉橋さん。私と、会ってくださいますか?』
再び、宗介会長は画面越しの視線を少女へ、向ける。名指しされた倉橋さんは、逡巡するように俯いたが、
「……私は構いません。むしろ、是非お会いしたいです。母の借金のことで、直接お礼も言いたいですから」
『ありがとうございます。……お二人はどうなさいますか? 家庭教師の緋村先生と、そちらのお友達の方は?』
緋村は迷っているらしく、教え子から同行を依頼された時と似たような顔をして、黙り込む。その横顔を、倉橋さんは懇願するような顔つきで、怖々と盗み見ていた。
そして、僕はというと──倉橋さんとあまり変わらなかった。つまり、自分で判断を下すことを早々に放棄し、友人に返事を委ねたのだ。
「……わかりました。今晩は、みなさんのお世話になることにします」
『快いお返事、感謝致します』
「ただ、ここで全く何も教えていただけないというのは、いささかアンフェアに思います。明日の朝までやきもきして過ごしたくないので、できればあと一つだけ、こちらの質問に答えたいただけませんか?」
『もちろんですとも。……ただ、なにぶんまだ病み上がりですので、できれば手短にお願いします』
「先ほど蒼一社長から伺ったのですが、聖子さんのご両親は、彼女が幼い頃事件に巻き込まれ、不幸にも命を落とされたそうですね。それは、どういった事件だったのでしょう?」
『倅は、そこまで話していましたか……』
ゆっくりと言葉を紡ぎ、会長はしばしの間瞑目した。
『……もう、三十年も前のことになります。鬼村夫妻は自宅にいたところを、暴漢に襲われ、お亡くなりになりました』
宗介会長曰く、二人を惨殺した犯人は、自ら警察へと通報し、そのまま駆けつけた警官らによって、逮捕されたという。
事件発生時、小学校にいたお陰で難を逃れた聖子さんは、その後、豪造氏の知人宅に引き取られた──会長は、そう語った。
倉橋さんにとっては、実の母親のみならず、祖父母までもが非業の死を遂げていたことになる。僕は、倉橋さんの反応を見るのが怖くて、しばらく目線を伏せていた。
硬質な緋村の声が、静まり返ったリビングに響く。
「ご自宅で、ということは……もしかして、この町で?」
『ご推察のとおりです』
重々しい声音で、会長は首肯する。それが意味するものを理解した途端、僕はゾワゾワと総毛立つのを感じた。
倉橋さんも、緋村も、二人ともギリシャの彫像のような白い顔で、スマートフォンの中にいる老人を、凝視している。
『十七年前、聖子さんが自殺したあの家こそが……鬼村夫妻が殺害された事件の、現場なのです』
──なんということだ。
僕は眩暈を覚えた。雲が太陽に被さり、急激に陽が陰るかのように、周囲の景色が昏く陰鬱なものに見えて来る。
どうやら僕たちは、呪われた町に足を踏み入れてしまったらしい。
あるいは、呪われているのは……僕らを取り囲んでいる、鷺沼家の一族の方か……。
※
鷺沼宗介会長との通話を終えた後、僕たち三人は、今晩使わせてもらう家に移動した。案内役は、例により紅二さんが務めてくれたが、今度は蒼一社長も一緒だった。先に宿泊場所に向かっていた橘さんたちと、仕事の打ち合わせをする為だ。
鷺沼家の別邸を出て、広場を横切り、上り坂となった狭い通りを歩くこと、十分足らず。会話らしい会話もないまま、僕らは目的の場所に到着した。
周囲には似たような外観の小さな建物が軒を連ねており、一目見てわかる違いといえば、ドアの左右に一つずつ置かれた鉢植えの、ブーゲンビリアの色くらいか。
僕と緋村には通りの中程に並んだ二軒の家、倉橋は道を挟んだ斜向かいの家を割り当てられる。それぞれのブーゲンビリアの花の色──厳密に言えば、この色のついた部分は花びらではなく、包葉という葉っぱらしい──は、倉橋さんの家が薄ピンク色、緋村が赤と白の二色、そして僕が黄色だった。
「お客様用の建物は、どこもシャワーとトイレがついていて、水もお湯もちゃんと出ます。温度調節が難しいんですが、そこは目を瞑ってください。日用品なんかも最低限取り揃えていますんで、一晩過ごすだけなら問題ないでしょう。他に何か必要な物や要望があったら、遠慮なく申しつけてください」
紅二さんはそれぞれの家の鍵を配りなら、そう説明した。何から何まで至れり尽くせりで恐縮する反面、本当にこの町に留まってよかったのかという不安が、どうしても拭い切れない。
すると、考えが表情に出てしまっていたのだろう。紅二さんが心配そうにこちらを見据え、
「……すみませんね、父の我儘につき合わせてしまって。あの人はああ言っていましたけど、本当に嫌なら、帰ってもらっても構いません。まだバスもありますし、本当に、無理強いはしませんから。──兄さんも、いいだろう?」
「あ、ああ……」
社長の返事は鈍いものだった。何故か強張った面持ちで、こちらの様子を見守っている。
いずれにせよ、僕は断る勇気が出せず──そして何より、不安と同等以上の好奇心を抑えられず──、改めて、一晩世話になることへの感謝を述べた。まあ、こうなってしまった以上仕方ない。乗りかかった舟ならぬ、泊まりかかった町だ。
それに、たとえ僕や緋村が断ったとしても、倉橋さんだけは留まると言い張りそうで、心配だったのもある。
「まあ、せっかくだから、存分に羽を伸ばして行くといい。我々も精一杯もてなすよ。──それじゃあまた、ディナーの時に」
蒼一社長は通りの先へと歩き去り、紅二さんは「夕食の前にまた迎えに来ます」と言って、別邸の方へ引き返して行った。
二人を見送った僕の視線は、自然と彼女の方に向いてしまう。倉橋さんは、しばし鉄製の鍵を握って俯いていた。艶のある栗色の髪が、肩からハラリと垂れる。
きっと、ショックを受けているのだろう。蒼一社長の語った話が真実であれば、ここは彼女の祖父母が惨殺された場所であり、母親が亡くなる直前に訪れた地なのだ。
何か声をかけなくては。そう思ったのだが、大して気の利いた言葉が見つからず……。結局僕は「大丈夫ですか?」と、意味のない問いを発してしまった。
「え?──は、はい、平気です! あまり実感の湧かないことばかりで、戸惑いはしましたけど……でも、本当に落ち込んでませんので」
顔を上げた倉橋さんは、可愛らしいえくぼを浮かべ、はにかんだ。かえって気を遣わせてしまうとは、我ながら不甲斐ない。
「あの、私、夕食まで休んでますね。さすがにちょっと……疲れてもうたので」
今は一人にしておいてもらいたい、ということか。
僕はうまくいかなかったが、緋村であればもう少しマシな励まし方ができるかも知れない。そう期待したのも束の間、彼は一言だけ、
「無理するなよ」
と、味気なく言い放ったきり、黙り込んでしまった。
「……とんでもねえ町に来ちまったな」
解散し、それぞれの家に荷物を置いた後、僕の家へやって来た緋村は、紫煙と共にそう吐き出した。窓辺に寄りかかり、煙草を喫むその姿を、僕はテーブルとセットになった椅子の片方にすわり、だらしなく手足を投げ出して見上げる。
「いや、勝手に吸うなよ、煙草」
「許可は得ているさ。さっき蒼一社長が言っていただろ?『ここにいる間はどこでも好きに吸って構わない』って」
「そうだっけ? ずいぶんと気前がいいな」
こんな内側も外側も白い壁の建物で煙草なんて吸ったら、たちまちヤニで黄ばんでしまいそうだが。
「じゃなくて、ここは僕が借りた家なんだから、僕にも許可を取るべきだろ」
当然の抗議をしたつもりだったのだが、特に弁明や謝罪の類いは寄越されない。ニコチンを摂取するのに忙しいと言いたげな横顔を、こちらに向けて来る。
が、いずれにせよ、わざわざ僕のところに来たのだから、話をしたくないわけではないのだろう。そう思い、こちらから話題を振ってやった。
「さっき蒼一社長から聞いた話だけど、どう思う? 倉橋さんの母親だけじゃなく、祖父母まで悲惨な最期を遂げていただなんて、簡単には信じられない」
「……全て嘘ってことはねえだろう。あとで調べられたら、簡単にバレちまう」
「確かにそうだけど」
「もし鷺沼家が何かを隠しているのだとしたら、そもそも倉橋さんを手紙で誘い出す必要がない。向こうからコンタクトを取らなければ、彼女の母親と鷺沼家の繋がりは、永遠に明かされなかった──かも知れない」
「じゃあ、やっぱり事実なのかな。宗介会長や他のみなさんは、完全なる善意でこの面会を企画した?」
「さあな。もちろんその可能性もあるし、疑うに足る根拠は何もない。ただ、あまりにも突飛な内容で、すぐには受け入れ難いってだけだ」
「で? 結局のところ、君はどう考えているんだ?」
「この町と同じで真っ白──とは思えねえな。勘でしかねえけど」
目の覚めるような見解には程遠い回答だった。しかしながら、緋村の勘がよく当たることも、また事実。
少なくとも、鷺沼家には何らかの思惑があると見るべきか。
「だいたい、あの話が全て事実だとして、本当に善良な人間が、わざわざこんな曰くつきの場所に招くか?『あなたのお母さんはこの町ので亡くなりました』とか、『お祖父さんとお祖母さんも同じ家で殺害されたんですよ』とか──そんなことを教えられて、ありがたがる奴なんかいねえよ」
仄かに語気が強まるのを感じた。ついさっき倉橋さんを見送る際は素っ気ない態度を取っていたが、どうやら内心では憤りを覚えていたらしい。
「……何か言いたそうだな」
「いや、別に」
こちらの考えを悟ったのだろう。緋村はわざとらしいほど不機嫌そうに舌打ちし、煙草を携帯灰皿で揉み消すと、すぐさま新しい一本を取り出して、口の端に咥える。
「一応言っておくが、俺とあの娘は別にいかがわしい関係じゃねえからな。普段の授業だって、彼女の部屋じゃなくて、リビングでやってんだ。しかも、いかにも頑固そうな祖父さんの監視つきでな。お陰で、やり辛いったらねえよ。そんなに孫娘が心配なら、ちゃんとした塾へ通わせるか、同性の教師を雇えばいいんだ。オマケに授業の前と授業中、合わせて三時間近くも禁煙しなきゃならねえし……ハッキリ言って、あまり長く続けたいとは思わないね」
たった三時間で禁煙とは、大袈裟である。
「……そう言う割に、わざわざ個人的な旅行につき合ってあげるんだな」
「うるせえ。──それよか、少し不自然じゃなかったか? いや、気にしすぎかも知れねえけど……」
鷺沼家の人々や、橘さんの反応──主に、倉橋さんに対するもの──のことを、言っているのだろうか? 尋ねようとした僕を遮るかの如く、テーブルに置いていたボディバッグのポケットが振動する。
どうやらメッセージではなく着信のようだ。僕は先ほどの宗介会長の姿を思い浮かべながら、スマートフォンを取り出した。
果たせるかな、そこに表示されていたのは、大企業の長とは対極に位置するような男の名前だった。
「誰からだ?」
答える代わりに、僕はスマホの画面を緋村に向ける。それを見た途端、緋村は穢らわしいものにでも触れたかのように、深々と眉皺を刻んだ。
「出なくていいぞ」
「そうしたいけど……無視したらしたで、後々面倒だろ。それに、なんだかんだ話すのは久しぶりだし」
「やめとけって。どうせロクでもねえ用事に決まってる」
「まあまあ」
多少の躊躇いはあったものの、僕は制止する緋村を宥め、通話に応答じた──直後、気味の悪い猫撫で声が、スピーカーから発せられる。
『若庭クンは偉いなァ、ちゃあんと先輩の電話に出られるんやから。どこぞのヤニカスくそ野郎とは、大違いやで』
「……相変わらずみたいですね、田花さん」
その先輩──田花純さんは、変わりない様子で、僕は少しだけ安心した。
昨年度、僕らの通う阪南芸術大学を、奇跡的に──在籍する学科の教授を脅して単位を取得したのだと、実しやかに噂されている──卒業した田花さんは、在学中からかなりの自由人だった。もちろんこれは「よく言えば」という注釈のつく評価で、ようするに傍若無人で面倒臭い先輩だったのだが……まあ、一応悪い人ではないし──パワハラとアルハラは日常茶飯事だったが、セクハラはしない主義らしい──、僕自身、それほど嫌いではなかった。
もっとも、緋村はこの先輩のことを、毛嫌いしているのだが。
「あ、もしかして、緋村にもかけてました?」
『せやで。どーせお前ら、今も一緒におるんやろ』
「まあ、はい」電話を口元から離し、「そっちにもかけていたみたいだけど」
「そういや、スマホ置いて来たな」
目線を逸らしこともなげに言う緋村に呆れつつ、田花さんとの通話に戻る。
「で、今日はどうしたんですか? 緋村に用があるのなら、代わりますけど」
『緋村チャンってよりかは、お前ら二人にや。お前ら、今──鷺沼家の町におるんやってな』
まさに寝耳に水だった。どうして田花さんが、それを知っている?
僕の絶句がお気に召したのか、『ヒヒヒ』という引き笑いが聞こえて来る。
『どや、驚いたか? せやろうなァ、せやろうなァ』
「いや、本当に、なんでなんですか? なんでそんなこと」
『お前らと一緒や。実はな、俺も今調べとんねん。例の、鷺沼家の事件を』
鷺沼家の事件? それはつまり、この町で起きた、鬼村夫妻惨殺事件のことなのか?
しかし、先ほど聞いた話だと、再度調査する必要もなさそうなのだが……。犯人はとうに逮捕されているのだし。
「事件の調査をしているってことですか? 田花さんが?」
『別に、そんなおかしな話ちゃうやろ。探偵やねんから』
探偵、という単語を耳にした僕は、思わず嘆息する。どうやら、あの噂は本当だったらしい。
本当に、何がどうしてそのような結果になったのか、理解に苦しむが……田花さんは現在、西成区の一隅にある探偵会社で働いていると、小耳に挟んだことがあった。卒業前からまともに就活を行っている気配は感じられなかったので、しばらくはフリーターでもして糊塗するつもりなのかと、思ったのだが……。
ただ一つだけ、確かに言えるのは、誰かの役に立ちたいとか、そういった使命感を持って探偵業を志望したのではなく、「面白そうだから」という不純な理由で決めた進路ということか。そういう人なのだ、この先輩は。
「けど、普通そんな仕事しないでしょ。小説じゃないんですから」
『何言うとんねん。俺はこういうんがやりたくて探偵になったんや。浮気調査だのペット捜しだの、あんなん下民の仕事やで』
全国の同業者に一回ずつ殴られても文句は言えまい。
『それよか、そっちの首尾はどないや。もう、トリックの目星くらいはついとるんか?』
「トリック? って、いったい何の」
『何のってお前──密室や。みっしつ!』
密室だと? まさか、田花さんが調べているのは十七年前の方──聖子さんの死について、なのか?……しかし、あちらはあちらで、自殺であると、警察が結論を下しているはずだ。
僕の困惑が伝わったらしく、こちらを眺める緋村が、怪訝そうに片眉を吊り上げた。
『もしかして、さすがの緋村チャンも、苦労しとる感じか? まあ、無理もないわな。相当古い事件やし、当事者もほとんど残ってへんのやから』
「あの、さっきから何の話をしてるんですか?」
『あァ? なーにすっ惚けとんねん。なんや、試しとんのか? 俺のこと』
続いて、電話口から放たれた言葉に、僕はまたしても絶句することになる。
『五十年前に鷺沼家の別邸で起きた、密室殺人に決まっとるやろが!』
どうりで、話が噛み合わないわけだ。
田花さんは、僕らもまだ知らない事件のことを、調べていたのである。
そして。
この「五十年前の事件」こそが、鷺沼家に纏わる全ての惨劇の、始まりだった……。