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白亜の町に死す ドラマツルギー  作者: 若庭葉
第一章:追憶の町
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頑張ってくださいね

 橘さんと天道さんが引き返して来たのかと思ったが、違っていた。

 間もなく建物の陰から現れたのは、痩身の中年男性。黒いスラックスに、白の開襟シャツという少々味気ない出で立ちのその男性は、僕らの姿を認めると、鶴首(かくしゅ)を揺らすようにして、会釈して寄越す。

「どうも。えっと、父の招いたお客様ですね? 確か、倉橋さん」

 温和な表情ではあったものの、話し方は少々ぎこちなく感じられた。

 名前を呼ばれた倉橋さんは、立ち上がりつつ、礼儀正しく首を垂れる。

「そ、そうです。『父の』ということは、鷺沼宗介さんの……?」

「ええ、不肖の次男坊です。鷺沼紅二(こうじ)と申します」

 その言葉を聞いて、思い出す。宗介会長にはご子息が三人おり、現在グループの経営は、長男である蒼一社長が、取り仕切っていることを。

「みなさん、休憩されているんですよね? 先ほどお見えになった橘さんから、伺いましたよ。車酔い、もう大丈夫そうですか?──そう、それはよかった。では、屋敷まで案内しますんで、ついて来てください」

 どうやら、ご子息自ら迎えに来てくれたらしい。恐縮しつつ、ご厚意に甘えることにする。

「ご家族みなさんでお見えになっているのですか?」

 歩き出してすぐ、緋村が尋ねた。

 紅二さんは、「あ、いや、全員と言いますか……」と、やけに曖昧な返事をする。

「兄の奥さんには、留守番をしてもらってるんです。実は、家族の一人が調子を崩してしまって、その看病も兼ねて」

「お一人で看病なさっているんですか? 大変ですね」

「そうでもないと思いますよ。家政婦さんもいますし。それに、兄の部下も、見舞いに来てくれていますから」

 細い通りは緩やかな上り坂へと変わり、それを上りきると、歪んだ多角形のような開けた場所に出た。その広場を挟んだ先に立つ、庭付きの瀟洒な邸宅が、鷺沼家の別邸である。

 他の建物同様、白いブロックを切り出したような、洒落た外観をしており、ドアや雨戸──一箇所だけ、両開きの雨戸が、閉じられていた──、各所の手すりの色は、美しいコバルトブルーで、統一されていた。

 また、正面口の真上にあるバルコニーでは、鮮やかなピンク色の花が、見事なまでに、咲き乱れる。

 いや、「溢れ出る」と形容するのが、適切か。

 無数の花弁らしきものをつけた蔓が、手摺を乗り越え、(すだれ)のように、階下へと垂れ下がっているのだ。

「ブーゲンビリアだ。熱帯性の花で、実際のミコノス・タウンでも、よく軒先やベランダなんかに、飾られている」

 僕の視線を辿ったらしく、訊いてもいないのに、緋村が教えてくれた。ブーゲンビリア……寡聞故、初めて耳にする名前の花だ。

「まるで、本当に行ったことがあるような言い草だ」

「ああ。大昔に、一度だけな」

 こともなげに言い、緋村は紅二さんに続いて、スタスタと歩き出してしまう。幼い頃に海外旅行をした経験があるとは、羨ましい限りだ。

「それは羨ましい」僕が思ったのと全く同じ言葉を、紅二さんが口にする。「実は僕、まだ本物のミコノス島に行ったことがないんですよ。こんな別荘を持っていておかしな話ですが……いや、むしろここがあるからこそ、なかなか足が向かないんですかねぇ」

 しみじみと語る紅二さんを先頭に、僕たちは青々とした芝生の庭を進み、バルコニーの作る日陰の中に入った。

「どうぞ。みんな、もう待っていますから」

 広々とした玄関でスリッパへと履き替える。

 何気なく振り返ってみると、青いドアの真ん中には、額に入ったイコン画が一枚、画鋲に紐で引っかける形で飾られていた。『ウラジーミルの生神女(しょうしんじょ)』──という作品だと、後で教えてもらった──だ。

 ギリシャ風のこの町には、確かに似合いの品ではあるが……わざわざ玄関のドアにかけているのには、何か理由があるのだろうか?

 少々奇異に感じつつ、僕は体の向きを変える。

 こちらから見て左手側には、上階(うえ)へ続く階段、廊下を挟んだ反対側にある壁の先──ドアなどで仕切られておらず、蒲鉾を縦に伸ばしたような形に、壁がくり抜かれている──には、リビングらしき空間があった。

 そこでは、先に到着していた橘さんたちを含め、五人の人物が、僕らを待ち構えていた。

 紅二さんと同じような年恰好の男性が二人と、高齢の女性が一人。彼らはそれぞれ別々の場所から身を乗り出し、あるいは体ごと振り返って、僕らのいる玄関へ顔を向けている。その六つの瞳には、いずれも好奇心と不安と動揺──ともすれば()()──の色が滲んでいるようで、それぞれ僕や緋村の姿を一瞥しつつも、最後にはその全てが、倉橋さんただ一人にフォーカスする。

 先ほどからどういうわけか、倉橋さんと出会う人はみな、奇妙な反応を示す。橘さんの狼狽に始まり、鷺沼家の人々の、この眼差しである。

 まさしく、一座の注目の的となった少女は、面食らった様子で、半歩ほど後退った。

 一瞬の間訪れた、気まずい沈黙。それを打ち破ったのは、僕らから見て右奥のソファーに座わる、この場において最年長であろう女性だった。

「ごめんなさいねぇ、ジロジロと見つめちゃって。あなたが倉橋さんで、そちらの二人がつき添いのお友達ね? 会えて嬉しいわ。さあさあ、こちらへ来て座ってください。長旅でお疲れでしょう?」

 彼女は口許に手を当てて、上品に微笑んだ。白髪染めをしていないベリーショートの髪型と、濃い紫のハイネックセーターを着た姿は、お金持ちのおば様というよりも、思慮深い女性学者のように見える。

 あまりにも様子が一変した為に、かえって安心できない。が、従わぬわけにもいかないし、一応歓迎してくれているようなので、へいこらしつつ──緋村だけは不遜なほど、堂々としていた──、リビングにお邪魔した。

 室内は意外とインテリアが少ない。部屋の片隅に観葉植物が置かれている他、目立つ品といえば、最奥の壁に飾られた、二枚の肖像画くらいか。

 一つは、山羊髭を蓄えた、厳しい顔つきの老人を描いた物で、おそらくこの人物こそが、この町を造らせたという豪造氏なのだろう。油絵具で構築された豪造氏は、僕たちの方ではなく、斜め横を見るようなポーズをしており、その目線の先──少し離れた場所には、肖像画がもう一点かけられていた。

 こちらは安楽椅子に座り、艶然と微笑む和装の女性。紺色──いや、瑠璃色の高価そうな着物を纏ったその姿は、今から数十年ほど前に描かれたらしい。

 それを察するのは、もう少し先──その女性の正体が、鷺沼三兄弟の母であることを、知った後だった。

 にも拘らず……彼女の黒い二つの(まなこ)を見た僕は、どういうわけか身動きが取れなくなってしまう。まるで、メデューサと目が合ってしまったかのように……。

 もっとも、実際に立ち尽くしていた時間は、ほんの須臾のうちだろう。僕の全身が石化してしまうより先に、出窓の前に佇んでいた男性が、こちらに歩み寄って来る。

 少々()()しているように見える瞳を細め、彼は和やかな笑みを湛えた。そして、僕らではなく倉橋さんに対し、右手を差し出し、

「はじめまして。長男の鷺沼蒼一です。ようこそ、我が一族の町へ」

 深みのある低い声色と、いかにも辣腕家といった余裕タップリの表情。どうやらこの人が、宗介会長に代わり、グループの経営を取り仕切っている、蒼一社長らしい。

 蒼一社長は、ズボンとセットになったツイードのベストを着こなしており、フォーマルな場でもないだろうに、ワインレッドのネクタイを、カッチリと締めていた。白髪混ざりの髪をジェルで塗り固めた頭や、青々とした髭の剃り跡からも、寸分の隙も見せまいという意思が感じられる。今は鷹揚な顔をしているものの、おそらく本来の性格は、厳格なものなのだろう。

 社長のご尊顔を拝するのは、僕はこの時が初めてだったが……なるほど確かに、大企業の代表に相応しい風格をしている──と、一学生の分際で、生意気な感想を抱く。

「倉橋さんは、まだ高校生だそうだね。そちらの二人は?──そう、大学生か。みんな若いのに、シッカリしてそうだ。まだ就職先が決まっていないのであれば、一度弊社の説明会に参加してみるといい。知っているかわからないが、うちは関西で創業しただけあって、大阪や京都にも会社があるんだ」

 こんな形で進路の話が出るとは、思ってもみなかった。僕も緋村も、まだ就活には一切手をつけていない。それどころか、僕自身に関して言えば、将来の身の振り方など、まだ考えたくもないくらいだ。

「兄貴が妙なこと言うもんやから、二人とも困惑しとるやないか。だいたい、会社勤めをするだけが、真っ当な生き方ってわけちゃうし。余計なお世話やで」

 ソファーにもたれた恰幅のいい男性が、何故か関西弁で言い咎める。蒼一社長を「兄貴」と呼び、紅二さんが次男ということは、この人は末の弟なのか。

 フォーマルな出で立ちの蒼一社長や、シンプルな服装の紅二さんと違い、彼は派手な柄のアロハシャツを羽織っており、七分丈のズボンから、太い毛むくじゃらの脚を覗かせていた。また、シャツもスラックスも()()()()()()()紅二さんに対し、こちらは上下共にかなり()()()()であった。アロハシャツはボタンを溜められないように見えるし、ズボンの留め具はだらしなく開いている。

 痩せぎすと肥満という、対照的な体型の次男と三男であるが……僕が何より気になったのは、彼のふくよかな顔が、赤みがかっていること。そして、その丸っこい手に握られた、小さな瓶である。

 瓶の中身は酒──ウィスキーのようだ。

「……それは自分のことを言っているのか? 三黄彦(みきひこ)。お前には、もうそろそろ地に足をつけてもらいたいね。夢を追うような歳は、とっくに過ぎただろうに。いったいいつまで、売れない()()()()なんて続ける気だ?」

 棘のある言葉だった。今にも口論に発展しかねない緊張感が、瞬時に漂う。

 刺すような兄の視線を見つめ返していた三黄彦さんは──不意に、豪快な笑い声を上げた。

「がはははは! 違いない! 流石、兄貴は口が達者やわぁ。敵わんで。ふふっ。ホンマ、兄貴には敵わん敵わん」

 ニタニタと卑屈な笑みを浮かべつつ、三黄彦さんは、直接瓶に口をつけ、ウイスキーを啜る。その姿は、お世辞にも上品とは言えなかった。

「と、とにかく、みなさんも座ってください。──三黄彦はあまり呑みすぎるなよ。これから大切な話をするんだから」

 紅二さんに勧められるがまま、僕らはそれぞれ用意されていた椅子に腰を下ろした。今回の面会の為に、別の部屋から持って来たのだろうが、それでも全員分の席を賄うには足りず、紅二さんと蒼一社長の二人は、立ったままでいた。

 それから、社長は手ずから、ご家族の紹介をしてくださった。三兄弟の名前はすでにわかっているからいいとして、最初に声をかけて来た年配の女性は、彼らの叔母で、橙子(とうこ)さんというらしい。

「あ、あのぉ……宗介さんは、どちらにいらっしゃるのでしょう? 挨拶をさせていただきたいのですが」

 倉橋さんの発した問いに、鷺沼家の一族は、何やら気まずそうに押し黙り、再びあの怯えたような表情を浮かべた。

 意外にも、それに答えたのは、鷺沼家の人間ではなく、天道さんだった。

「残念だけど、()()()()()()()()()みたいだよ」

 外で会った時とは違い、サングラスを外していた俳優は、ソファーの上で長い脚を組みながら、部屋の最奥にいる社長へと、不遜な笑みを向けた。

「どういうことですか? いただいたお手紙には、ゴールデンウィークの間、ずっとこの町にいると、書いてあったのですが……」

「……生憎、昨夜から体調を崩してしまってね。といってもただの風邪だから、心配は要らないと思うんだが……まあ、歳が歳だからね。無理せず家にいてもらうことにしたんだよ。こちらから呼びつけておきながら、申し訳ない」

 蒼一社長はジェルで固めた髪に手を当てながら、弁明するように言った。

「それでは、先ほど紅二さんが仰っていたのは、宗介会長のことだったんですね?」

 緋村が視線を向けると、紅二さんはバツが悪そうな顔で、首肯した。

 まさか、こんな形で出鼻を挫かれるとは。体調不良であれば致し方ないが、間が悪いことこの上ない。

「倉橋さんの用件は、我々も聞かされているよ。だから、安心してもらいたい。もちろん、橘さんたちもね。仕事の話なら、父の代わりに私が対応します」

「ありがとうございます」座ったまま、橘さんが低頭する。「私たちは後回しで構いませんので、先に倉橋さんの方を済ませていただけますか? お話が終わるまで、どこか別のところで待機していますので」

「よろしいですか? なら、お二人には先に、滞在中お貸しする家へ、移動してもらいしましょうか。──紅二、すまないが、もう一度案内役を頼む」

「了解。鍵を取って来るよ」

 兄の言葉に応え、紅二さんはリビングを出て行った。どうやら他の建物の鍵は、この屋敷の二階で管理しているらい。紅二さんの姿は、玄関にある階段の先へ消えた。

 それにしても、宿泊用の部屋ではなく、家一つを丸ごと貸してもらえるなんて。ずいぶんと贅沢な話だ。

 そんな風に、どこか別世界のことように考えていた矢先、

「あなたたちも、泊まって行くのよね? そう思って、ご飯やら何やら、準備してもらっているんだけど」

 橙子さんにそう言われ、僕は少なからず迷った。倉橋さんはともかく、部外者同然の僕や緋村がそこまでお世話になるというのは気が引ける。

 が、しかし、この町の景観は見事だし、可能なら散策してみたいと思っていたので、ありがたい申し出ではあった。はて、どうしたものか。

「お気遣いはありがたいのですが、遠慮させていただきます。そこまで遅くならなければ、帰りのバスにも間に合いますので」

 案の定というか何というか、緋村の返答は素っ気ない。

「けど、そういう割に」ウィスキーの瓶を手にしたまま、三黄彦さんは元から細い目を細め、「そっちの()は、えらい大荷物やけど?」

 確かに、倉橋さんは何故か大きなキャリーケースを携えていた。K駅の前で落ち合った時は、自分が勘違いしていただけで、本当は何泊かするのかと、少し焦ってしまったほどだ。

「これは、その……念の為に用意して来ただけで」

 倉橋さんが──おそらく、主に緋村に向けて──弁明するように言ったところで、鍵を取りに行っていた紅二さんが、戻って来た。

「お待たせしました。では、参りましょうか」

 リビングを出て行く間際、橘さんはどういうわけか、後ろ髪を引かれたように足を止める。不安げなその瞳の先には、やはり倉橋さんの姿があった。

「……美佳ちゃん? 何してんの」

 先に玄関へ向かいかけていた天道さんが、肩越しに振り返る。やけに冷淡(つめた)い声を浴びせられ、彼のマネージャーは、我に返ったかのように体を震わせた。

「そ、それじゃあ、私たちは失礼します。あの……頑張ってくださいね」

 何に対するものか判然としないエールを残し、橘さんは今度こそリビングを出て行った。

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