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白亜の町に死す ドラマツルギー  作者: 若庭葉
第一章:追憶の町
6/42

行けばわかるよ

 二〇一九年、四月二十八日。


 倉橋さんの依頼を受けた日から、約二週間後。集合場所であるK駅前に到着した僕は、すぐ後に現れた緋村の一服に、つき合わされていた。

 ゴールデンウィークの二日目ということもあり、普段は閑静な駅前も人通りが多く、旅行鞄やキャリーケースを手にした人の姿も、少なくない。

 慣れ親しんだ平成も、今日を含めて残り三日。翌月には令和元年を迎えるわけだが……さりとて何かが劇的に変わるわけでもない。社会人であればまた少し違って来るのかも知れないが、学生の身の上であれば、誰であれそんなものだろう。せいぜい令和という耳馴染みのない単語に戸惑う程度で、それも一、二年──いや、数ヶ月も経てば、慣れてしまうはずだ、

「それにしても、緋村先生は大忙しだな。つい二週間前、殺人事件に遭遇したばかりなのに、今度は教え子の為に、奈良まで遠征だなんて。そろそろお祓いにでも行ったらどうだ?」

 緋村が倉橋さんと二人きりで動物園に行ったと聞いた時は、少なからず驚いた。のみならず、そんな場所でさえ死体を発見したと言われた時には、呆れる他なかった。

 こいつはどれだけ呪われているんだ、と。

 お陰で倉橋さんは、当初の目的──例の手紙について緋村に相談することができず、帰路に就く途中で立ち寄った《えんとつそうじ》にて、ようやく切り出した、ということらしい。

「岩尾刑事にも同じことを言われたよ。俺だって、好きで厄介ごとに巻き込まれているわけじゃねえのに」

 武人のようにイカつい警部補の顔を、思い浮かべる。あのいかにも寡黙で堅物そうな人が、そんな冗談めいた言い回しをするとは。少々意外だ。

「そんなこと言って、本当は事件を感知するアンテナがついていて、望んで死体のある方に向かってるんじゃないのか? ほら、今も髪の毛ハネてるし」

「ただの寝癖だろ。つまんねえことばかり言いやがって。つうかお前、あれもお得意の()()()()に認める気じゃねえだろうな?」

「まさか。解決したのは警察だし、今回は書かないよ」

 緋村と共に事件に巻き込まれる度に、僕はその時体験した出来事や、緋村の解き明かした真相を、「事件記録」として書き残していた。と言っても、特に誰かの目に触れさせるつもりはなく、あくまでも単なる自己満足でしかない。これはある種の儀式であり、文章に書き記すことで、自分なりに事件を分析する、あるいは乗り越えるのだ。

 しかし、例の動物園での事件は、緋村の出る幕などはなく、早々に解決してしまった。緋村が男性の変死体を発見した五日後には、犯人逮捕の報が出た上、謂わゆる「痴情のもつれ」が犯行動機であることまで、明かされたのだ。

 犯人──被害者に毒物入りの洋菓子を手渡した実行犯──は、動物園に勤めていた男性スタッフだった。が、正確には彼一人で犯行に及んだのではなく、被害者の男性の交際相手だった女性も、関与していたらしい。

 本来の計画であれば、被害者は帰宅後にその洋菓子──毒物の混入に気づき難いように、味の濃いチョコ菓子を選んだのだろう──を口にし、絶命する算段だった。

 しかし、犯人の想定どおりにことは運ばず、被害者は園内で菓子を平らげてしまう。

「杜撰な犯行だったな。機転を利かせた犯人が、被害者の跡を着けていたから、運よく君に発見されるより先に、洋菓子の入れ物を回収できたけど……そうじゃなかったら、その日のうちに捕まっていたんじゃないか?」

「そんなもんだろ。小説に出て来るような複雑巧緻な犯罪なんて、そうそう起こってたまるかよ」

 緋村はすでに、この事件への興味を失っているらしい。

 それは世間も同様で、犯人逮捕の報道が出たのも束の間、動物園側の不祥事が相次いで発覚したことにより、世の関心はそちらに攫われてしまった。飼いきれなくなってしまった動物の処分方法や、職員への様々なハラスメント、一部賃金の未払いや横領などなど……むしろこれまでよく隠し通せて来たなと驚くほど、多くの問題行為が噴出したのである。

 かくして、一躍世間の耳目を集めることとなった動物園の騒動は、最終的に責任者である園長が、涙ながらに謝罪会見を行ったことで幕引きとなり──実際に全ての問題が解消されたか否かはさておき、話題としては、すでに風化しつつあった。

 やはり、平成最後のゴールデンウィークという一大イベントの前では、ありきたりな事件など霞んでしまうのだろう。そんなことを考えながら緋村と駄弁っているうちに、倉橋さんが現れる。

 当然制服姿ではない。今日はギンガムチェックのワンピースに、薄い色味のデニムジャケットを羽織っていた。少し背伸びした雰囲気ではあるものの、春らしいコーディネートで大変結構──なのだが、それより僕が気になったのは、彼女の荷物の方だ。倉橋さんはどういうわけか、新品らしいキャリーケースを引き摺っているではないか。

「遅れてすみません!」

 倉橋さんは真っ先にそう謝ったが、まだ予定していた時刻には、五分以上も早い。僕と緋村が早く着きすぎてしまったのだ。

 無事に合流することができた僕らは、挨拶もそこそこに、駅のホームへと移動する。時刻は午前十時前。目的地に着く頃には、午後になっているだろう。

 ──今回の旅先は、奈良県は吉野郡、大阪との県境に横たわる山の頂付近にあり、K駅を出た後は、途中で吉野行きの急行へと乗り換え、降車駅であるS駅を目指すことになっていた。そこから先は路線バスに乗り、山の麓にある終点まで、約三十分の道のりを、車窓を眺めて過ごす予定だ。

「正直なところ、許可をもらえたと聞いた時は驚きました。この間の話だと、お父さんもお祖父さんも、あまりいい顔をしないんじゃないかと、思っていたので」

 吊り革を握って立ちながらの車中で、僕は倉橋さんに言う。彼女の母親の話は、倉橋家の中ではタブーらしい。いや、たとえそんな事情がなくとも、大事な愛娘を男二人と一緒に旅行させるなど、おいそれと容認できることではないはずだ。

「そうですよね。私も怒られるんかなって身構えていたんですけど、意外とアッサリで。まあ、祖父は少し不機嫌そうでしたけど」

「手紙のことも、打ち明けたんですよね?」

「はい。実物も見せました。リビングで父に手紙を渡したんですが、すぐに祖父のところに持って行ってしまったので、どんな反応やったかまではわかりません。十分くらいして父が戻って来て、『行くつもりなんか?』と訊かれたので、そうだと答えました」

「鷺沼さんのことは、何か言っていましたか? 以前交流があったとか、お母さんと関係があるとか」

 今度は「いいえ」とかぶりを振った。

「特には。ただ、鷺沼さんのことはある程度信用しているようでした。『旅行に反対するんやったら、今すぐお母さんのことを教えてほしい』と言ったら、『あの人の都合もあるから、俺らが勝手に話すわけにはいかん』って」

 鷺沼宗介氏のことを全く信用していないのであれば、そもそも娘を送り出してはいないだろう。少なくとも、倉橋家と鷺沼家の関係は、険悪なものではないと見てよさそうだ。

「あ、それと、緋村さんと若庭さんによろしく伝えておくように言われました。改めて、ありがとうございます。無関係な立場やのに巻き込んでしまって、すみません」

 僕は「どうせ暇だったので」と返したが、緋村は何も言わず大欠伸をかましていた。


 電車の中もバスの中もやはり混んでいたが、景色が(ひな)びた物へと変わるうちにそれも落ち着いて行き、終点を兼ねるバスの車庫に到着する頃には、僕たち以外の乗客は、地元の人らしきお婆さんを除けば、たったの二人になっていた。

 バスから降りてすぐ、そのうちの一人が、声をかけて来る。

「こんにちは。みなさんも、鷺沼家に招待されたんですか?」

 振り返ると、小ざっぱりとしたボブヘアーの女性が、人好きのしそうな笑みをこちらに向けていた。服装は白いブラウスシャツの上から紺色のジャケットを羽織り、下はベージュ色のセンタープレスパンツという組み合わせで、アシンメトリー気味の洒落た髪型も相俟って、オフィスレディー然とした印象を受ける。

 女性の年齢を推し量るのは苦手なのだが、若く見積もっても、四十は過ぎているだろう。

「そうです」平板な声で、緋村が答える。「『みなさんも』ということは、あなたも?」

「はい。私と彼も、別荘に招いていただいたんですよ」

 彼女は半歩ほど後ろに佇んでいた男性を、手で示した。

 緩くパーマを当てたような髪も、スキンケアに拘りのありそうな肌も、一様に色素が薄く──サングラスをかけている為目元の様子はわからないが──、彫りの深いハーフ顔の美男子であることは間違いない。水色のリネンシャツに浮かび上がる胸板や二の腕が逞しく、白皙の肌も合わさって、ギリシャ彫刻のような肉体美が、容易に想像できた。田舎のバス停には全く似つかわしくない、海外のファッションモデルのような男性だ。

 こちらは連れよりも幾分か若いようだが、二人はどういった関係なのだろう? 親子というには歳が近すぎるし、姉弟(きょうだい)にしては少しも似ていない。ならばカップルなのかとも思ったが──どうもシックリ来なかった。

「もしかして、鷺沼宗介さんのお知り合いの方ですか? 私は宗介さんから、お手紙をいただいたのですが……?」

 今度は倉橋さんが、少々人見知りした様子で尋ねる。彼女の問いに対し、二人はそれぞれ全く異なる反応を示した。

 女性の方は何故か()()したように顔を強張らせ、男性の方は無表情のまま、倉橋さんの姿を見つめ返す。この二つのリアクションには、何か意味があるのだろうか?

「え──ええ。宗介()()には、昔大変お世話になったことがあるんです。今回もまたお仕事をいただけるみたいで、『打ち合わせがてら、羽を伸ばしにお越しください』と。それで、ご厚意に甘えることにしたんです」

「お仕事というと、やはり鷺沼グループと関係のあることですか?」

 今度は緋村が尋ねる。

 鷺沼グループは、日本でも指折りの大企業で、ホテルや百貨店の経営に、福祉事業や都市開発など、様々な分野で業績を上げていた。来年開催されるオリンピックの協賛企業の一つとしても有名であり、テレビでもしょっちゅうコマーシャルが流れている。

 今回の事前調査によって得た情報の中で、個人的に最も衝撃を受けたのはこれだった。というのも、鷺沼グループの現社長は、メディアにはほとんど顔を出しておらず、むしろ未だに前社長である宗介会長のイメージが強かった──のだが、さすがに名前を見ただけでは、結びつかなかったからだ。

「まあ、そんなところかしら」女性の答えは、やけに歯切れが悪かった。「みなさんは、鷺沼さんとはどういったご関係なんですか? 三人とも、ずいぶんお若いようですけど……」

 どのように答えるかは、倉橋さんに任せるべきだろう。そう考えて、僕は何も言わないでおいた。

 倉橋さんは返事に悩んでいる様子だったが、すぐに、緋村が助け舟を出す。

「この()のお母さんが宗介会長の知人で、その縁で招かれました。生憎、親御さんは一緒に来られなかったので、僕らが付き添いとして同行することになったんです。なので、直接関係があるのは、彼女だけですね」

 倉橋さんの許可もなく本当のことを言うわけにはいかないし、この辺りの答えが妥当だろう。女性はまだ何か問いたげであったが、結局それ以外追及して来ることはなかった。

 すると、ここで初めて、連れの男性が口を開く。

「ふうん、じゃあ君らも災難だね。せっかくのゴールデンウィークだってのに、あんな気味の悪い町に行かなきゃならないなんて」

「ちょっと琴矢(ことや)くん。あまり失礼なこと言わないの」

 すぐさま窘められ、「琴矢くん」と呼ばれた男性は、露骨に唇を尖らせる。

「お二人は、その町を訪れたことがあるんですね?」

「ああ。一時期()()されていたからね」

「幽閉?」と、緋村が繰り返す。

 突然物騒な言葉が飛び出した。が、すぐさま女性の方が、苦笑を浮かべた顔の前で、手を振り、

「大袈裟に言っているだけなので気になさらないでください。実は彼──天道(てんどう)琴矢くんっていうんですけど──これでも一応、俳優なんですよ。で、私はそのマネージャーなんです」

「何だよ『これでも』って。芸歴三十年越えのベテランなんだけど、俺」

「でも、今の人はあまりあなたのことを知らないでしょ。もう長いこと、ローカル番組や舞台のお仕事がメインだし」

「ロートルって言いたいの? 酷いなぁ。どんな仕事でも手を抜いちゃダメって言ったの、美佳(みか)ちゃんじゃない」

「それはそれ、これはこれよ。──あ、すみません。話が逸れてしまいましたね」

 それから彼女はつけ加えるように、自身の名を教えてくれた。(たちばな)美佳さんというらしい。

「もうかなり前のことですけど、琴矢くんが出演したテレビドラマのロケ地に、今から向かう町を、提供していただいたんです。主演を務めた琴矢くんは、撮影の為に、その町に泊まり込むこともありました。まあ、だからって『幽閉』は大袈裟すぎますけど」

「そのドラマなら、我々も知っています。確か、タイトルは『白亜の町に死す』でしたね?」

 これも、鷺沼宗介氏について調べる中で得た情報の一つだった。

『白亜の町に死す』は、今から二十年ほど前にテレビで放映されていた連続ドラマであり、ロケ地の提供以外にも、撮影には鷺沼グループが全面的に協力していたという。

 ネットで見た紹介文には、エーゲ海に浮かぶ観光地の島を舞台に繰り広げられる、ドロドロの愛憎ミステリ──とのことだったが、そんな作品の撮影が、海のない県の山頂付近で、行われていたなんて。意外というか、奇妙にさえ感じられる。

「そうです。私も琴矢くんも、そのドラマに携わった際、宗介会長と面識を得ました。当時はまだ、社長でしたけどね」

 その頃から俳優とマネージャーという関係を続けて来たのであれば、先ほどの親しげなかけ合いも頷ける。単にビジネスライクな間柄ではなく、気心の知れた相棒なのだろう。

「どんなところなんでしょう?『白亜の町』というくらいですから、なんとなく白い建物が多いことは、想像できるんですけど……」

 僕のしたかった質問を、倉橋さんが尋ねてくれた。

 答えたのは、天道さんだ。

「行けばわかるよ」

 素っ気なく言い放った天道さんは、僕たちの横をスタスタと歩いて行ってしまった。どこへ向かうのかと思っていたら、車庫の隅に設置された自販機の前で立ち止まり、少し首を傾けて、商品を吟味し始める。すでにこちらへの興味を失ってしまったかのように、「ロクな品揃えじゃないなぁ」と不満を漏らしていた。

「ごめんなさいね。あの人、ちょっと子供っぽいところがって」

 すかさず橘さんがフォローに回る。

「そうだ。せっかくですし、みなさんのお名前を伺ってもいいかしら?」

 今度は僕たちが、順に自己紹介をした。

「緋村奈生さんに若庭葉さん、それから、倉橋、凛果、さんですね」

 倉橋さんの名前──特に、「凛果」という下の名前──を繰り返す時だけ、わずかに声音が震えていたように感じたのだが、気のせいだろうか?

「あの、どうかされましたか?」

「い、いえ、何も。みなさん、珍しいお名前をしていますね……なんて言ったら、失礼かも知れませんけど」

 誤魔化すような笑みと共に、橘さんが言った時。

 迎えの車が到着した。


 現れたのは黒塗りの高級車──ではなく、古い型のハイエースだった。運転手を務めていた男性も至って普通のおじさんといった人物で、運転席から降りると、天辺の寂しくなった頭をペコペコと下げて、こちらに歩み寄って来る。

「会長様のお客さんたちですね。お迎えに上がりました。ささ、どうぞ乗ってください。──あ、荷物は荷台の方へ、今開けますんでね」

 こう言っては失礼かも知れないが、橘さんや天道さんと違って、田舎の景色がよく似合っていた。服装も野良着のような格好で、どうやら地元の方らしい。

 運転している間も、車窓を流れ去る景色や、この地域のことについて、色々と説明をしてくれた。

「今の看板、見えました?『この先、天国洞』って書いてあったでしょ? あれね、鍾乳洞なんですよ。昔は観光客向けに解放しとったそうなんですけどね。かなり広い上に道が枝分かれしとるんで、迷子になると危険やってことで、もうずいぶん長いこと、立ち入り禁止になっとるんです。ま、言うてもロープで簡単に封鎖されとるだけなんで、たまに地元の子やったり、他所から来た人なんかが、中に入りよるんですわ」

 正直、僕も中を探検してみたいと思った。複雑怪奇に入り組んだ地下地形に惹かれてしまうのは、洞窟に居住していた原始時代の記憶の名残り、なのだろうか?

 あるいは、横溝正史作品──『八つ墓村』や『悪霊島』など、言うまでもなく金田一耕助シリーズ──への憧れから来るものか。

 残念ながら、天国洞は立ち入り禁止ということだし、ジックリ探索している暇もないだろうから、今回は諦める他ないが……。いつか機会があれば、どこかの鍾乳洞を訪れ、原始時代に戻ったような気分で、心置きなく冒険してみたいものだ。

 僕は密かに、そんなことを考えていた。

 しかしながら……。

 このささやかな夢が、まさかあんな形で叶うだなんて。この時はまだ、想像すらしていなかった。


 ※


 急勾配の農道を上りきり、ハイエースは山頂にほど近い道の端で停車した。僕たちは運転手の男性に礼を述べつつ、車外へと降り立つ。ここから先──町の中は、基本的に道幅が狭く、車では進めない為、徒歩での移動になるとのこと。

 すぐ近くには、茂みを切り拓いて作られたような簡易的な駐車場もあり、そちらのスペースには、鷺沼家の物であろう高級車が三台も停車していた。

 また、駐車場の先には未舗装の道が長く伸びており、どうやら町の中まで続いているらしい。おそらく、大きな荷物を運び入れる際は、この道を利用するのだろう。大型のトラックが一台通ることのできる道幅は、確保されていた。

 そんなことを考えたのも、ほんの束の間。町の入り口に立った僕の思考は、目に映る異様な景色を処理することに、注力する必要があった。

 ──本当に、「白亜の町」だ。

 まるで蜃気楼でも見たかのような、奇妙な感覚を味わう。その感覚は、実際に町の中へ至っても尚、拭い去れぬどころか、強さを増して行く。

 ()集した背の低い建物の群も、その合間にある細く入り組んだ通りも、あらゆる物が眩しいほどの純白(しろ)を基調とした町並み。「白亜」と言うだけあって、どの建物もチョークの塊を削り出して造られたような、独特の質感をしていた。

 しかしながら、完全な白一色というわけではなく、建物のドアや屋根、壁に沿って設置された階段の手すりなど、要所要所に鮮やかなブルー系のカラーリングがなされており、目を楽しませてくれる。

 確かに、この景観であれば、海外をモチーフにしたドラマの舞台として、最適だろう。納得はできたものの、現実の光景として受け入れるのは容易ではなく、僕は白昼夢の中を彷徨うような心地で、歩を進めた。

「……驚いたな。まさか、ここまで忠実に再現されているとは」

 僕と同じように周囲を見回しながら、緋村が呟く。

「なんというか、執念を感じますよね。私も初めて訪れた時は驚きました。最後に招かれてからかなり経ちますけど……全然変わってませんね。よほどお手入れに気を遣ってらっしゃるのかしら」

 橘さんの言葉どおり、町の中は清掃が行き届いているようで、建物の壁も石畳みのようにやった通りにも、目立つ汚れやゴミは見当たらなかった。そのことが、余計にこの場所の非常識さを増長させているように思う。

「この町の景観は、ギリシャの有名な観光地──中でも、ミコノス島の町並みをモチーフに、設計されたそうです。なんでも、当時の会長だった鷺沼豪造(ごうぞう)さんの発案だそうで、この山の土地を丸々買い上げて、造り変えてしまったんだとか。しかも、リゾート地として活用するわけでもなく、ご息女へのプレゼントとして町を造らせたというんですから、スケールが違いますよね」

 これも、橘さんが教えてくれた。風が凪いでいるからか、話し声と六人分の足音が、やけに大きく響く。

 美しい白亜の町は、気味が悪いほど静まり返っていた。通りの先にも、周囲のどの建物にも、人の気配がない。

 きっと、自分以外の全人類が滅んだ直後に町へ繰り出したなら、こんな気分を味わうのだろう。

「どうした? 気分が悪いのか?」

 心配するような緋村の声は、僕に向けられたもの、ではなかった。

 振り返ると、殿(しんがり)にいた倉橋さんが、足を止め、俯いてしまっている。

「すみません、車酔いをしてしまったみたいで。……あ、でも、もう大丈夫です。気にしないでください」

 そう言ってすぐさま歩き出そうとしたが、明らかに顔色が優れない。

 緋村はほんの一瞬、思案げな表情をしたのち、

「少し休憩していきたいので、みなさんは先に向かっていてください」

「構いませんが、道はわかりますか?」

 運転手を務めてくれたおじさんが、心配そうに尋ねて来る。緋村は問題ないと答えた。簡単なものではあるが、町の地図は倉橋さんの元に送付されていた。あまり広いエリアでもなさそうし、それを見ればひとまず目的地である鷺沼家の別邸には、辿り着けるだろう。

「なるほど、それやったら安心ですね。じゃ、私らは先に行って、みなさんも到着されていることを、伝えて来ますんで」

 彼らを見送り──他の二人と違い、天道さんは終始無関心といった様子で、さっさと歩き出してしまった──、僕らはその場で休憩を取る。ちょうど都合よく、建物の軒先にベンチが置かれていたので、倉橋さんには、そこに腰かけてもらった。

「……すみません。足を引っ張ってしまって」

「君の為に休むんじゃないさ。そろそろ一服したくなっただけだ」

 あいも変わらずそっけない受け答えをし、緋村は少し離れた場所へ歩いて行った。

 そして、宣言どおりマルボロを取り出し、火を点ける。本当は倉橋さんを心配しての提案だったろうに、素直ではない。

 倉橋さんの隣りに座るのはなんとなく気が引けたので、僕は二人の中間くらいのところに突っ立って、向かいにある家だか商店だかわからない建物を、見るともなしに見ていた。

 そして、緋村から聞かされた話を、思い出す。

 どうやら倉橋さんは、あまり体が丈夫ではないらしい。幼い頃に難病を患い、すでに完治はしているものの、入退院を繰り返していたせいか、基礎的な体力が少ないのだとか。

 高校に入ってからも、学校を休まざるを得ないことが度々あり、高校の授業に遅れを来してしまった為、家庭教師を雇うことになったそうだ。

 にも拘らず、倉橋さんは、自らの母親のことを知りたい一心で、この奇妙な町を訪れたのだ。緋村に同行を断られたら、単身(ひとり)でも行くつもりだと言っていたが……さすがに無茶というものだろう。どこか、生き急いでいるようにさえ思える。

 ──どうしても、母のことを知りたいんです。本当の母親は誰なのか、どうして父も祖父も、私に隠し事をしているのか。その答えを知らない限り、自分の人生を歩めへん気がして……。

 二週間ほど前に聞いた言葉が蘇る。

 せめて、倉橋さんの望みが果たされるように。そして、何事もなくこの旅行が終わるように。僕は密かに祈りながら、手持ち無沙汰に立ち尽くしていた。

 すると、ほどなく。

 通りの向こうから、こちらに近づく誰かの足音が、耳に届いた。

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― 新着の感想 ―
名前を紹介される前に、地の文で「橘さん」て書いてますよ? ようやく読み始めました。 相変わらず本格の雰囲気がただよっていて楽しいです。
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