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白亜の町に死す ドラマツルギー  作者: 若庭葉
第一章:追憶の町
4/42

まるで、推理小説の導入のようだ

 新年度といえど、三度目ともなれば随分と慣れたものである。特に、どこのサークルにも所属していない僕は、この春も相変わらず無為に時間を消費して過ごしていた。

 親の稼いだ金で得たモラトリアムも、残り二年を切った。今年から、いよいよ就職活動というものに手をつけなくてはならないのだが……ハッキリ言って、僕はまだ、将来の展望など持ち合わせていない。それどころか、永遠に今の生活が続くような心地で、生きているくらいだ。

 そんな体たらくであるから、その日も僕は、大した目的などなく。自分と同じ、暇人の代表格として認識している友人の、仏頂面を拝むべく、今や数少ない常連となってしまった喫茶店へ、足を向けた。

《喫茶&バー えんとつそうじ》の店内は、昼間であっても薄暗く、至るところに飾られたウィリアム・ブレイクの作品も相俟って、非常に胡乱な空気に満ちていた。流行らないわけである。

 しかし、そんな陰気な店内も、慣れてみればなかなかどうして過ごしやすく、また店の雰囲気に反し、店主は物腰穏やかな紳士然とした人物で、僕もすぐに気を許すことができた。

 この日もいつもどおり、店主の柔かな「いらっしゃいませ」に迎えられ、いつもの如く閑散とした店内に入り、いつもの挨拶をして左手を向くと、いつもながら不機嫌そうな顔つきの友人が、指定席と化した奥の四人がけを陣取っていた──そこまでは、いつもと何ら変わらなかった。

 違っていたのは、友人──緋村に、先客がいたこと。

 しかも、彼女は僕らと同じ阪南芸術大学の学生、というわけではなく、背もたれに遮られて見えにくいが、どうやら制服(ブレザー)を着ているらしい。

「……相変わらず、間がいいんだか(わり)いんだか、わからねえな」

 こちらから声をかけるより先に、僕に気づいた緋村が、何故か忌々しげに言った。と、同時に、緋村の対面に座っていた少女が、驚いたように振り返る。

 艶やかな栗色のセミロングが美しく流れ、澄んだ鳶色の瞳が、僕を見据えた。不健康に感じられる緋村とは違い、ツキヌクような白皙の肌をした美人で、端正な顔立ちは大人びているようでいて、あどけなくもある。

 個人的にあまり好きではない表現で形容するのであれば、彼女は紛れもなく「美少女」だった。だからこそ、ブレイク作品のレプリカに囲まれたこの店内には、あまりにも場違いな存在であり……僕は見惚れるより前に、酷く困惑したことを、覚えている。

「あ、あのぉ、もしかして、若庭(わかば)さんですか? 緋村()()のお友達の」

 彼女は僕と緋村の両方に尋ねるように、そう言った。これに対し、緋村は言葉少なに「そうだ」と首肯する。

 高校生と思しき可憐な少女は、どういうわけか僕──こと、若庭(よう)の存在を知っているらしい。その事実に戸惑った後、僕は先ほどの「緋村先生」という呼称を思い出し、ようやく理解した。彼女と緋村が、どのような関係であるか、を。

 同時に、緋村に対して、男として多少の妬ましさを抱く。

 つい一、二ヶ月ほど前から、緋村は家庭教師のバイトを始めていた。


 ※


 緋村の隣りの椅子に腰を下ろした僕に、彼の唯一の教え子は、気品ある笑みを湛え、自己紹介してくれた。

「私、倉橋凛果って言います。緋村先生には家庭教師をしていただいていて、大変お世話になっています」

 ずいぶんとシッカリした()だなと、素直に感心した。アナウンサーのように歯切れのいい発声であり、好感を抱くと同時に、やはり緋村に対する嫉妬心が、ふつふつと湧き上がる。

 緋村が家庭教師を始めたことは、割と早いうちに、本人から聞かされていた。が、まさか、こんなどこぞのご令嬢のような美人が、生徒だなんて。

 確か、倉橋さんのお祖父さんが《えんとつそうじ》の店主と知己であり、その関係で「白羽の矢が突き刺さった」と、緋村は言っていたか。そんなに嫌そうな言い方をするくらいなら、断ればよさそうなものだが……この店の二階にある部屋を借りて暮らしている緋村にとって、ここの店主は大家でもある。無碍にはできなかったのだろう。

 ──それにしたって、こんなことが許されていいのか?

 甚だ納得のいかないことだが、まあ、やっかみはこれくらいにしておこう。それより、今気にすべきは、倉橋さんの用件だ。

「あのぉ、本当に、僕も同席してしまっていいんですか?」

「大丈夫です。むしろ、若庭さんにも聞いていただきたいので。若庭さんは、ミステリーがお好きなんですよね? でしたら、ぜひ意見をお聞かせください」

 ミステリー好きという言い方だと、単に謎めいた事象を好む人間になってしまう。僕が好きなのはあくまでも「ミステリ」──すなわち、推理小説なのだ。

 まあ、そんなしょうもない指摘は、措いておくとして。

「そんなことまで、知っているんですね」

「はい。いつも、緋村先生からお話を伺っています。いつかお会いできひんかなぁって、思っていました」

 社交辞令だとしても、悪い気はしない。単純にも少し浮かれてしまった僕の隣りで、緋村先生は、心底嫌そうに眉根を寄せた。

「『いつも』ってなんだ。二、三回話題に上げただけだろ。それと、その『先生』ってのはやめてくれ。そんな大したモンじゃねえんだから、普通に『さん』づけでいい」

「あ、すみません。つい……」

 本当に申し訳なさそうに、整った眉毛をハの字に曲げる。生真面目な性格なのか、単に目つきの悪い緋村に萎縮しているのか。どちらとも取れるし、いずれも正解かも知れない。

「別に、謝るようなことじゃないが──まあいいか。それより、俺に相談したいことってのは何だ? 授業の話なら、こんなミステリ偏執狂(マニア)は要らねえはずだ」

 ミステリ愛好家(マニア)への偏見が垣間見えた。奈々緋紗緒と火村英生を足して二で割り切れなかったような名前をしているクセに、この男は、ミステリへの関心が乏しい。

「えっと、それなんですけど……まずは、見ていただきたいものがあって」

 そう言うと、倉橋さんは隣りの席に置いていたリュックサックを取り寄せ、中から一枚の茶封筒を取り出し、テーブルに置いた。そこには達者な筆文字で、「倉橋凛果様へ」という宛名が書かれている。

「読んでいいんだな?」

 了承を得てから、緋村は受け取った便箋を開いた。僕も身を乗り出し、横からその中身を覗き込む。

 便箋には、宛名を書いたのと同じ人物の筆跡と思わしき字で、以下のような文章が、認められていた。



 拝啓 倉橋凛果様へ。


 突然このようなお手紙を差し上げてしまった不躾を、お許しください。

 単刀直入に申し上げますと、私はあなたの本当の母親が誰であるか、知っています。そして、もし可能であれば、直接あなたとお会いし、私の知る全てを、伝えさせていただきたい。そう考えている次第です。

 つきましては、大変お手数ではございますが、今度の連休に、別紙に記しました住所まで、お越し願えますでしょうか? ゴールデンウィークの間でしたらいつでも構いませんので、ぜひともご一考ください。


 敬具


 鷺沼宗介より



 まるで、推理小説の導入のようだ。

 登場人物を事件の舞台へと誘う招待状のような──などという感想は、口にはしないでおいた。いずれにしても、どうしてこのような手紙が、倉橋さんの元に届いたのか。

「……本当の母親、か。確か、君のお母さんは」

「私を産んですぐ亡くなったと、教えられました」

 緋村の言葉を継ぐように、倉橋さんが言った。悲痛も悲嘆も感じさせない、ただ事実を述べただけという、声色で。手紙に書かれていたことよりも、僕にはそちらの方が、よほど意外だった。

「それ以外、母の話は、聞いたことがありません。写真も見たことがなくて……どんな人やったのか、ずっと気になってはいました。けど、なんとなく、私は知らん方がええことなんやと思って、今まで生きて来たんです。なのに……」

「いつ届いたんだ?」

十日(おととい)です。学校から帰って来て、ポストの中を確認したら──いつも、私が夕刊を回収することになっているんですけど──、夕刊と一緒に入っていて。ちょっと不気味でしたけど、私宛てになっていたので、自分の部屋に行ってから、中身を読みました。なので、この手紙のことは、父も祖父も知りません」

「二人には話していないのか。それなのに、無関係な俺たちには手紙を読ませた、と。普通は真っ先に、親御さんへ相談しそうなもんだけどな」

 正論ではある。が、何もそう、意地の悪い言い回しをしなくても、いいだろうに。

「父と祖父に知られたら、手紙を取り上げられていたと思います。昔からそうでしたけど、母のことは、私には隠しているみたいなので……。亡くなった祖母も、母の話だけは、最期までしてくれませんでした」

 写真さえ見せてもらえない──あるいはそもそも残されていない──のだから、何か、よほどの理由があって、秘匿しているのだろう。それがどのようなものかは、想像もつかないが……いずれにせよ、悲しいことのように思った。

 この礼儀正しいお嬢さんは、自分の家族のことを、信用できずにいるのではないか?

「で? 俺たちにこんなもんを見せて、君は何がしたいんだ?」

「……一緒に、来ていただきたいんです。鷺沼さんのいるところへ」

 倉橋さんは、真剣な表情でそう言った。

 どうやら、緋村につき添いを頼むつもりで、彼女は今日、この店を訪れたらしい。

「なんでそうなるんだよ。冷たい言い方だが、俺には無関係だろ」

「他に、頼れる人がいてへんからです。父や祖父に言っても反対されるでしょうし、クラスメイトを巻き込むのも、どうかと思いまして」

「俺なら巻き込んでも構わねえって?」

「あ、いや、そうやなくて!……その、緋村さんなら、頼り甲斐がありますし、私のことを助けてくれそうって、思ったんですけど……」

 本心からの言葉に聞こえた。緋村が家庭教師としてどれほど優秀であるかは不明だが、少なくとも、この一ヶ月程度で相当な信頼を勝ち得たことは、確からしい。

 それに、倉橋さんの直感は、ある意味間違ってはいない。緋村には、無駄に豊富な知識と一流の皮肉の他に、もう一つ、普通に生活する上で全く必要ないであろう才能が、あった。

 それは、「推理力」と言えば適切だろうか。緋村はこれまで大小さまざまな事件に遭遇し、それらの謎を、悉く解き明かして来たのだ。

 その素人探偵ぶりは少々常軌を逸しており、去年の夏に始めて殺人事件に巻き込まれて以来、だいたい月に一回以上は、何かしらの厄介ごとにかかずらい、解決していた。もはや何らかの呪いではないかと疑いたくなるが、緋村の活躍のほとんどを間近で見て来た僕にしても、似たようなものか。

 そんなわけで、今し方倉橋さんの依頼を聞いた時点で、僕はなんとなく察しがついていた。「今月はこれか」と。

「ゴールデンウィークの間なら、いつでも大丈夫だそうです。日程は緋村さんの都合に合わせられますし、私と二人きりがお嫌でしたら、若庭さんに同行していただいても構いません。宿泊施設や食糧には、余裕があると聞いているので」

 突然自分の名前が出たものだから、ドキリとした。──いや、それこそどうしてそうなる?

「君がよくても、こいつがいいとは限らないだろ。つうかその口振り……まさか、もう返事をしたんじゃないだろうな?」

「はい。是非伺わせてくださいと、手紙で答えました」

 なんと。あんな怪しさしか感じられない誘いに、応じたというのか。

「もしついて来てくださらないのなら、私一人で行くつもりです」

 倉橋さんは、すでに決心を固めていたのだ。緋村の渋面を映す鳶色の瞳には、強い意志が宿されていた。

「……相談というより、脅迫だな。勝手に話を進めておけば、幾らドライな緋村先生でも、断れないだろうってか? 君はもっと、手のかからない生徒だと思っていたよ」

「無茶を言ってしまい、すみません。……ですが、どうしても、母のことを知りたいんです。本当の母親は誰なのか、どうして父も祖父も、私に隠し事をしているのか。その答えを知らない限り、自分の人生を、歩めへん気がして……」

 倉橋さんは、再び目を伏せた。

 自分の人生を歩めない、か。本当の母を知らずに育って来たのだから、そのように考えしまうのも、無理からぬことだろう。

 緋村は乱暴に髪を搔きむしり、それからジャケットの胸ポケットへと手を伸ばしかけ、すぐに引っ込める。教え子に気を遣ってか、珍しく、煙草を我慢しているらしい。

 禁煙を強いられたヘヴィスモーカーは、さながら難事件に直面した刑事のように、険しい顔で、腕を組んだ。おそらく、悩んでいるのだ。倉橋さんの要請に、応じるか否かを。

 やがて、緋村は深々と、溜め息を()いた。

「……どこに行くのか知らねえが、全面禁煙、なんてことはねえだろうな」

「え? そ、それじゃあ……」

「一人で行かせるわけにもいかねえし、仕方ないからついて行ってやるよ。未成年の保護者として」

「ありがとうございます! よろしくお願いします!」

 嬉しそうに表情を輝かせた倉橋さんは、座ったまま、丁寧にお辞儀した。案外わかりやすいというか、現金な()なのかも知れない。

「今回はやけにアッサリだな。もっとこう、ネチネチ嫌味や皮肉を展開してから、何のかんの言いつつ依頼を引き受けるのが、君の芸風だと思っていたよ」

「妙なキャラづけすんじゃねえよ。そんな持ちネタ、身につけた覚えはねえ」

 自覚がなかったとは、驚きだ。

「それに、まだ完全に同行すると決めたわけじゃない」緋村は、改めて教え子に向き直る。「二つ、条件がある」

「は、はい。何でしょう?」

「一つ目は、このアホも連れて行くこと」

「おい、僕の都合は考えてくれないのか?──まあ、どうせ暇だからいいけど」

 なんだかんだ言って、僕も倉橋さんの元に届いた手紙のことや、彼女の本当の母親に関しては、興味を抱いていた。これだから、ミステリ偏執狂(マニア)などと(そし)られるのか。

「若庭さんさえよければ、私は構いません」

「じゃあ、二つ目の条件だが──今回の件を、ちゃんとお父さんとお祖父さんに話すこと」

「えっ?……でも、反対されてしまうかと」

「それならそれで、先方に事情を伝えて、キャンセルするしかねえな。どうしてそこまで、俺のことを信頼してくれているのかは、わからないが……やっぱり、親の了承もなく、未成年を連れ出すわけにはいかねえよ」

 それが常識というものだろう。単に同行するのが億劫で、断る口実として提示しただけ、とも考えられるが。

 いずれにしても、親御さんには打ち明けておくべきだ。

「無理だと言うのなら、この話はなしだ」

「……わかりました。今日、帰ったら()()、父と祖父にも、話してみます」

「ああ。ついでに、お父さんにつき添いを頼んでみたらどうだ? 少なくとも、部外者の俺らが同行するよりか、よっぽど健全だろうぜ」

 薄情に言い放ち、緋村はまたしても、ポケットにしまったマルボロへ、手を伸ばしかけた。これで旅行の話はご破算となり、厄介ごとに巻き込まれる心配もなくなったと、確信したのだろう。

 実際、僕もこの時は、そうなると思っていた。

 が、しかし。

 僕らの予想は見事に裏切られ、緋村は思いも寄らぬほど強大な謎に、挑むこととなる。

 ある種の宿命に、導かれるように……。

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