ヌスマレタ
同日──時遡り、十四時四十分頃。
松谷、田花の探偵コンビは、緋村の指示どおり、倉橋家を訪れていた。松谷が代表してインターホンを押すも、屋内からの反応はない。庭の中の駐車スペースには車がなかったので、予期できたことだが、どうやら、家族全員留守にしているようだ。
それでも、松谷は未練がましく再びインターホンを押し、「ごめんくださーい」と声をかけた。やはり玄関の戸が開くことはなく、今度こそ諦めかけた──その時。
「うちになんか用か」
不意に嗄れた声を投げかけられ、二人は背後を振り返る。庭の入り口から、杖を突いた老人が、彼らのことを見ていた。別段厳しい風貌というわけではないが、いかにも頑固そうな顔つきをした人物で、少しでも機嫌を損ねれば怒鳴られるのではないかと、松谷は不安になる。
それはそうと、「うちに」ということは……この老人は倉橋家の人間──おそらく、凛果の祖父だろう。松谷の予想は的中していたのだが、それを確かめるより先に、老人は訝るように眉を顰める。
「あんたら……顔、どないしてん」
そう尋ねられ、松谷は先ほど殴られた場所がまたジンジンと痛み出したように感じた。ただでさえ怪しげな見てくれの男を引き連れているというのに、これでは余計に警戒されてしまう。ひとまず、素性を明かさなくては。
「あの、我々は」
「美杉探偵事務所の者です。ついでに、凛果さんの家庭教師をやっている緋村の、友人でもあります。少しお訊きしたいことがありまして、伺いました」
同僚に先を越されてしまった。
老人は驚いたように目を瞠ったが、すぐにまた仏頂面を取り戻し、
「話って、何や。緋村くんのことか?」
「いえ。俺らが伺いたいのは、鬼村聖子さんと、鷺沼紫苑さんに関する話です」
田花の言葉に、老人は虚を衝かれた様子で絶句した。
「なんで二人の名前を……美杉さんから聞かされたんか?」
「いいえ。どうしてそう思ったんですか?……もしかして、弊社をご利用になった経験があり、その時聖子さんたちのことを、所長にも伝えはったとか?」
レンズにヒビの入ったサングラスをズラし、田花は相手の表情を覗き込む。老人はますます渋面を深め、皺だらけの唇を真一文字に結び、押し黙ってしまった。
──所長が引き受けた人探しの依頼主は、この家の人らなんか?
またしても、「予感的中」であった。
老人は静かに頷くと、細い脚と杖を動かして、二人の方へ近づいて来る。
「……鍵、開けたるから。続きは家ん中で」
松谷たちは礼を述べ、倉橋家にお邪魔した。脚が悪い為、お茶を出すのは勘弁してほしいと言う老人に、気遣いは不要だと答え、さっそく客間にて、話を伺う。
「では、十五年前、弊社に依頼されたのは、お孫さんの『父親探し』やったんですね?」
松谷が確認すると、老人──倉橋元は、言葉少なに首肯する。やはり頑固者らしく、平時から口数はあまり多くないことが、想像できた。
「あの娘は、体が丈夫とちゃうかった。何年生きられるかもわからんと、医者に言われてな。せやから、せめて最期は、本当の父親と過ごさせたろう思った」
「お孫さん──凛果さんの父親が誰なのか、聞かされていなかったんですか?」
「一応、聖子が死んでから、宗介さんに教えてもろた。陣野っちゅう男やと。……それで、俺らも子供を引き取らへんかって、打診しに行ってんけどな」
陣野には、すげなく断られてしまったという。
「俺もカミさんも、納得できんかった。それで、何度も食い下がるうちに、うっとうしく感じたんやろう。終いには、自分はホンマの父親ちゃうと、そんなことを言いよった」
陣野が漏らした言葉の真偽を確かめるべく──そして、それが事実であれば、本当の父親を突き止めるべく──、元とその妻は、美杉探偵事務所に依頼を持ちかけた。
結果、美杉は見事に彼らの要望に応え、本物の父親を探し出すことに成功した。それが誰だったのか、松谷も気になりはしたが……内容が内容なだけに、あまり詮索しすぎるのも、申し訳なく感じた。
何より、今尋ねるべきことは他にある。
「話は変わりますが、鷺沼家とは、どういったご関係なのでしょう? 以前、鷺沼グループに勤務されていたとか?」
「ちゃう。働いとったのは俺のカミさんで、会社員やのうて、家庭教師やった」
「家庭教師?──も、もしかして、奥さんの旧姓は『サイガ』というのでは?」
元はわずかに目を丸くさせた。「そうや。……そんなことまで知っとんのか」
「関係者の方が、教えてくださいました。奥様は、鷺沼家で家庭教師をされていた。聖子さんを預かることになったのも、その縁がキッカケやったんですね?」
「まあ、それもある。あるんやが……」
「他にもまだ事情がある、ということですか?」
おいそれとは言えぬことなのか。元は顔を伏せ、目線を彷徨わせる。
どのようにして水を向ければ、元は口を割るだろう? 考えあぐねているうちに、またしても田花に、先を越されてしまった。
「聖子さんの母親は、鷺沼紫苑さんなんでしょう? つまり、紫苑さんは五十年前の事件では死んでへんくて、鬼村医師の家で延命されとった。我々は、そう考えとるんですがね」
「そ、そんなこと、俺は知らん」
「ははあ、口止めされとるわけや。鷺沼家から。ま、そりゃ当然そうするわな。けど、安心してください。今日ここで伺った話は、無闇に言いふらしたりはしません。それに、宗介会長に関して言えば、もう秘密を隠す気はないんとちゃいますか? 我々の依頼人も、宗介会長の許可を得た上で、弊社にお越しになったんですよ」
「……そうみたいやな。うちにも手紙が届いた言うてたわ。せやけど、宗介会長がよくても、他の人らも同じとは限らん。鷺沼家には思うところがなくもないが、それ以上に恩義もある」
「恩義、ねえ……それって、神薇薔人の支援を受けてはったってことですか?」
「……ああ。聖子の時も、凛果の時も。養育費を援助してもろた。それに、聖子の借金の肩替わりもや」
「そういえば、お孫さんは今、鷺沼家の町にいてるみたいですね。会長直々に招待されたとか。──あ、もちろん、緋村から聴いたんちゃいますよ? 情報の提供者は、別の人間です」
《えんとつそうじ》の店主から聞き出したのだ。
「とにかく、宗介会長は今になって、鷺沼家の過去を明かそうとしている。もしかしたら、重大な秘密を抱えながら生きて行くことが、辛くなったのかも知れません。……お父さんも、同じ気持ちやったりしませんか? 誰かに秘密を打ち明けて、楽になりたいと思ったことは? もう長いこと隠し通して来たことでしょうし……そろそろ解放されても、ええ頃やと思いませんか?」
──まるで、悪魔の囁きやな。
まさか、田花がこんな搦手を用いるとは。松谷にとっても意外なことであったが、それ以上に彼が驚かされたのは、田花の出たとこ勝負であろう交渉が、実際に効果を発揮したことである。
元の仏頂面には、今やハッキリとした「迷い」が見て取れた。
「話を伺った上で、我々にできることがあれば協力します。無論、依頼料を請求することはしません。豪造氏もとっくに鬼籍に入っとるわけですし、いざという時は、宗介会長の後ろ盾を得ればええ。そうでしょう?」
元は唇を噛み締めたまま瞑目し、しばし答えを躊躇っていた。
やがて、老人は深々と息を吐き出し、どこか縋るような目つきで、探偵たちを見上げた。
「……うちのカミさん──麻美はな……紫苑さんの、実の姉なんや」
※
「つ、つまり……」松谷は喉の渇きに耐えながら、なんとか言葉を探った。「奥様もまた、豪造氏の隠し子やった?」
「いや、あいつはちゃう。父親は別にいてる。二人は要するに、異父姉妹っちゅう奴や」
「ほほう」田花が顎を摩りながら、こちらは全く言葉を選ぶことなく言う。「てことは、奥さんのお母さんは、豪造氏と不倫しとったわけですか」
「そうらしい。せやから、豪造さんの血を引く紫苑さんだけが、鷺沼家に引き取られた」
「で、異父姉である『サイガ先生』を家庭教師として雇った──のみならず、紫苑さんの娘である聖子さんの里親に、任命した、と。まあ、奥さんからしてみれば、聖子さんは姪に当たるわけやし。適任っちゃ適任か」
──確かに。松谷は声にはせずに同意した。ただの家庭教師という以上の繋がりがあったからこそ、豪造は、「紫苑の娘」を託したのだ。
随分と、無責任な話ではあるが。そもそも、豪造が他人の妻に手を出さなければ、鷺沼家に纏わる悲劇は、いずれも起こり得なかったのだから。
「豪造と奥さん──少しややこしいので、名前で呼ばせてもらいますが──、麻美さんのお母さんは、どういったご関係やったんでしょう? つまり、馴れ初めといいますか、不倫のキッカケは何やったのか、聞いていませんか?」
松谷の問いに対し、元はどういうわけか、苦い味が蘇ったかのように、顔を歪めた。
「端的に言えば、報復やったそうや」
「ほうふく? いったい、何に対する……」
「戦時中のことや。豪造さんの、一番初めの奥さんは、当時カミラ村っちゅう集落に疎開しとった。あんたらも、聞かされとるやろ。五十年前、例の事件が起きた場所は、元々はそのカミラ村やった」
言われて松谷は思い出す。確かに、最初に依頼を引き受けることになった際、久住も同じようなことを口にしていた。
「あそこは、万博の少し前、近くの千里ニュータウンとほとんど同時期に、土地開発がされた。開発に乗り出したんは鷺沼グループで、豪造さん自ら指揮を取って、地上げを進めたらしい」
「相当強引なやり方をしたせいで、村の元住民から恨みを買ったと、伺っています」
「ああ。……豪造さんの奥さんは、カミラ村に疎開しとる間に、子供を身籠った。それが、長女の瑠璃子さんや」
「豪造氏も、共に疎開していたんですよね?」
名状し難い不吉さを打ち消すべく、松谷は尋ねる。しかし、テーブルを挟んだ先に見える元の顔つきは、依然として険しい。
「……終戦も間近に迫った頃のことでな。豪造さんも、すでに出兵しとった。つまり……瑠璃子さんの父親は、豪造さんやのうて、別の人間や。
その男は、カミラ村の村長の息子やったんやが……軽度の精神病やったとかで、徴兵を免れとったらしい。村にやって来た奥さんを見初めた彼は──口にするんも不快なことやが──、彼女を手籠にしたそうや。つまり、力尽くで、自分の子を孕ませた……」
そのオゾマシイ言葉を、松谷はつい最近も耳にしたような気がした。
いや、最近どころではない。つい数十分ほど前に、他ならぬ松谷自身が口にしたのだ。
──植物状態になった紫苑に、自分の子供を産ませたんか⁉︎
「……お父さん、やけに詳しいですね」
意外なほど冷静な口調で、田花が言う。確かにそうだ。元は何故、そんな裏の事情──それも、戦時中の出来事について、知っているのだろう?
「……麻美から聞かされた。あの日、豪造さんが聖子をうちへ連れて来た日の夜に。──今言うた、カミラ村の村長の息子っちゅうんが、他ならぬ、麻美の親父さんやった。せやから、『報復』やねん」
その時、松谷は奇妙な感覚を味わった。まるで、視界を塞いでいた稠密な闇が薄れ、すぐ目の前に浮かぶ巨大な歯車の群れが、突如軋んだ音を立てながら、急速に回転を始めたかのような……。
鷺沼紫苑と倉橋麻美は、異父姉妹。
一方、鷺沼瑠璃子と倉橋麻美は、異母姉妹だったのだ。
「てことは……豪造氏は、かつて自分の妻にされたことを、相手の妻へとやり返した。その結果産まれたんが、紫苑やったわけか」
田花の呟きに、元は強張った面持ちのまま首肯した。
「しかし、そうなると、少々不思議なことがあります。豪造氏は、長女の瑠璃子さんを溺愛しとったそうやないですか。実際、瑠璃子さんが紫苑さんにした仕打ちについても、黙認しとったんでしょう? 三人の娘のうち、瑠璃子さんだけが豪造氏の血を継いでたんやとしたら、納得できますけど……実際はちゃうかった。それやのに、豪造氏は何故、瑠璃子さんだけを甘やかしとったんやろ?」
「……最初の奥さんの、遺言やったそうや。奥さんは、『産まれて来た子供に罪はない』『悪いのは抵抗できんかった自分やから、あの娘のことは、どうか恨まないでいてほしい』と、そう言い残して、亡くなりはったらしい。……豪造さんは、その遺言を守り続けた」
豪造は妻の残した言葉を尊重し、カミラ村でのことは全て忘れ去ることにした──とは、ならなかったのだ。
「それが、かえってあかんかったのかも知れん。豪造さんは、日に日にカミラ村への憎悪を募らせていった。麻美の母親に『報復』をしても……麻美の親父さんを追い詰めて、一家離散させても……豪造さんの怒りは、治らんかった。そして、とうとう、村ごと潰すまでに、至ったんや」
鷺沼豪造とカミラ村の因縁──そして、鷺沼家と倉橋家の繋がりは、これでわかった。残るは、三十年前の鬼村夫妻惨殺事件に関する謎だ。
久住吾郎は何故、二人を殺害したのか。
事件後、離れから持ち出された紫苑の体──おそらくは亡骸──は、いったいどこへ消えたのか……。
※
倉橋家を後にした松谷らは、続いて高部の住まい──神薇教の本部を目指し、車を走らせた。
ステアリングを握りながら、松谷は倉橋家で得た情報について、改めて、頭の中で整理する。
それらの中で、松谷が今、最も興味を惹かれているのは、聖子の死後に訪ねて来たという、ある女性に関するものである。
「確か……聖子が亡くなってから、四、五年くらい経った頃やった。アメリカにいてる間、聖子が世話んなった女の人が、うちに来たことがあってな。名前は……キャサリンなんとか言うて、聖子よりだいぶ歳上やったが、仲良うしてくれとったらしい」
そのキャサリンという女性との面会は、孫娘である凛果には、伏せたまま行われた。もっとも、幼い頃の凛果は病気がちであり、その日も検査の為に入院していたので、二人が顔を合わせる恐れはなかったそうだ。
また、元たちの息子である満は、凛果につき添っていた為不在。元は妻の麻美と共に、遠路はるばる訪ねて来た娘の友人を、出迎えた。
「キャサリンさんは、アメリカでの聖子のことを、色々と教えてくれた。聖子は、アメリカにおる間も、『リンカ』っちゅう名前を名乗っとったそうや」
「リンカ、というと……お孫さんも同じ名前でしたよね?」
「ああ。倅の……満の提案で、そう名づけた。家族の中で、満だけは、ちょくちょく聖子と連絡を取り合うててな。聖子がその名前を使てることや、過去を捨てたがっとることも、聞かされとったんや。……せやから、あの娘には、聖子の分も幸せんなって、好きなように生きてほしい。そう願って、『凛果』っちゅう、同じ読み方の名前をつけた」
ぜひとも叶ってほしい。部外者ながらに、松谷は思う。そして、願わくば母の分だけでなく、祖母の分も──
「これは、凛果の出生届を出した後──凛果のホンマの父親から、聞かされてんけどな。聖子も、同じようなことを考えとったらしい。聖子は産まれて来る赤ん坊に、『紫苑』と名づけるつもりやったそうや」
彼女は自身の母親が誰で、どのような境遇にあったのか、知っていたのだ。
だからこそ、願った。
倉橋家の人々が望んだのと同じように。理不尽にも、若くして自由を奪われた母の代わりに、我が子には、自分の人生を謳歌してほしい、と。
「……正直に言うて、俺は最後まで、聖子のことがわからんかった。そもそも、女の子供なんて育てられる気がせんかった。ホンマは、うちで引き取ることにも、反対しとったんや。
向こうも向こうで、俺には少しも懐かんかったしな。おそらく、暴漢に両親を殺されたことがトラウマんなって、大人を警戒しとったんやろう。……うちに来たばかりの頃なんか、俺とは、目を合わせようともせんかった」
老人は、回顧する。
血の繋がらない娘との、寂しい思い出を。
「結局、ロクに口を利いたこともないまま、聖子はうちを出て行った。そして、突然赤ん坊を抱えて帰って来たと思ったら、そのまま……死んでもうた。……俺は、聖子のことを何も知らん。あの娘の父親を名乗る資格なんて、少しもあらへんのや」
「そんなことは……」
松谷はフォローしようとしたが、うまい言葉を見つけられなかった。そもそも元の方も、下手な慰めなど求めていないだろう。
「……まあ、今更何を言うても遅いがな。あんたらかて、こんな話聞かされても困るやろ」
「そうでもありませんよ。お父さんが話してくれたお陰で、聖子さんを取り巻く人間関係が、少しずつ鮮明になって来ました。楽しい話でもないでしょうに、ご協力、感謝します」
田花がここまでまっすぐな感謝を他人に告げるところなど、松谷はこれまで見た記憶がない。さすがにこの男でも、胸を打たれたのだろうか。
松谷は驚くと同時に、少なからず感心した。
今回の調査を通して、松谷は次第に、憎しみしか感じていなかったこの同僚に対する見方が、変わって来たことに気づく。
「つうわけで、もう少しだけ力を貸してもらいたいんですがね。構いませんか?」
「……ああ。何が知りたいんや」
「キャサリンさんは、一人で日本に? それとも、家族か誰かと、一緒やったんですか?」
田花の問いに対する答えは、少々意外なものだった。
「日本には、一人で来たらしい。ただ、うち来た時は、つき添いが二人おった」
「ほほう。その人らの名前、覚えてはりますか?」
「一人は、高部っちゅう人や。なんでも高部さんは、昔鷺沼の家で家政婦をしてたらしい。せやから、麻美とも面識があった。そもそも、キャサリンさんが俺らと会いたがっとるって、連絡を寄越したんも、高部さんや」
まさか、ここでその名前が現れるとは。
「話をした後は、キャサリンさんの要望で、聖子の遺品を見せてやった。……たぶんあの人は、聖子の自殺に、疑問を抱いてはったんやろう。幾ら借金があったとはいえ、子供一人を残して自殺するんは、不自然ちゃうかってな」
「遺品を見たキャサリンさんは、どんな反応でしたか? 納得できたんすかね」
「わからん。……ただ、一つだけ、気になることを呟いとったな」
聖子の遺品にひと通り確認した後、キャサリンは訝るように眉を顰め、
──ヌスマレタ。
ぎこちない日本語で、そう呟いたという。
「ヌスマレタ? つまり、聖子さんの所持品の中で、盗られたものがあった、ということですか?」
松谷は思わず膝を乗り出す。もしそうであれば、自殺を受け入れるどころか、何者かの関与を疑いたくなってしまう。
「わからん。警察からは、金品が奪われた形跡はないと、そう聞いとったんやがな。俺もどういう意味なんか、キャサリンさんに尋ねてみたんやが……気のせいかも知れん、言われてもうたわ」
キャサリンは、いったい何が「ヌスマレタ」と思ったのだろう? 遺族も把握できていない品だとすれば、聖子がアメリカへ渡る前後で入手したものか……。
あるいは、日本語の「盗まれた」に聞こえただけで、実際は別の意味だったのか?
考え込む松谷に代わり、再び田花が質問を放つ。
「キャサリンという女性は、日本語を話せたんすね」
「まあ、簡単な単語や挨拶くらいや。……そもそも、旦那さんが日本語を話せるとかで、その影響と、あとは聖子から教わることもあったらしい。会話らしい会話をするんは、難しい様子やったが」
「ほほう。それじゃあ、高部さんが通訳を?」
「いや、もう一人のつき添い人や。鷺沼グループに勤めとるとかいう男の人で、名前は忘れてもうたが……確か、ササキとか言うてたか」
「へえ? どんな人相やったか、覚えてはります?」
「どんな……なんちゅうか、生真面目そうな感じやった。あと、目が細くて、こう、キツネっぽい顔立ちをしとったな」
鷺沼グループに勤める、キツネ顔の男──その条件に該当する人物は、松谷の知る限りで言えば、一人だけだった。
田花も同様の顔を思い浮かべたのだろう。「それって、もしかして」と言いながら、田花は一枚の名刺を取り出し、元に手渡す。
「ササキやのうて、サエキやったんとちゃいます?」
田花の取り出した名刺に印字された名前は、「佐伯信洋」。先ほど名前の挙がった高部以上に、意外な人物が、再登場した。
──倉橋夫妻とキャサリンの面会に立ち会うたんが、ホンマに高部と佐伯やったとして……あの二人は、何が「盗まれた」のか、知っとんのか?
その疑問を解決すべく、高部と佐伯に連絡を試みたのだが、どちらも通話には応じてくれなかった。
ひとまず松谷らは、初めから訪ねるつもりだった神薇教の本部へ、向かうことにする。もしかしたら、高部は不在という可能性もあるが、それならそれで、緋村に報告だけしておいて、次の行動を決めればいい。
そんな風に考えていたところで、探偵たちを乗せたセンチュリーは、目的地に到着した。




